第49話『香里奈の覚悟』
私はいても立ってもいられず、お昼ご飯を食べた直後、田中大先輩を探しています。
部室周辺にはいなさそうでした。もしかしてと思ってグラウンドに出てみます。
午前中は、信じられないようなゴールシーンを見せつけられました。
そして私は、焦っているのであります。
今更だけど、いつ出番が来ても良いように、少しでも成長したい。
もしも試合に出場した時に、先輩方の想いを踏みにじりたくない。
怪我をする可能性は、誰にもあるでしょうし、その時に交代するのは私になるはずです。
そして、来年先輩方はいません。その事実に、急に不安と焦りも生まれました。
来年は楽しくサッカーをしているでしょうか?
その為に、今、何をすれば良いのでしょうか?
それは、その時に考えても遅いと思ったのです。今、行動を起こさないと絶対に後悔すると思うのです。
田中大先輩は…。居ました。
意外にもベンチに腰掛けています。腹をくくって声をかけます。
「あっ、あのです…。」
「あら?珍しいお客さんね。まぁ、座って。」
ぽんぽんと自分の隣を左手で叩いています。
「あっ、はい…。」
私は戸惑いながらも隣に座ります。
「あっ、あの…。」
「ふふふ。言わなくても分かっているよ。練習に付き合って欲しいとかでしょ。」
「えっと…、あの…。そうです。お願いできますか?」
「そんな可愛い顔で頼まれたら、お姉さん断れないわ。」
この人は、真剣なのかふざけているのか、よくわかりません。
「あの…、私…。」
「分かってるわ。真剣なんでしょ?目を見ればわかるよ。」
「………。」
「でも、焦りは禁物。それに食休みも重要よ。」
「はい…。」
「それに、私の授業料は、ちょーっと高いわよ。」
「あっ…。」
腰に回された大先輩の左手で、ぐいっと腰を引き寄せられます。気が付いた時には顔と顔が至近距離でした…。
私は高ぶる鼓動と変な汗をかきながら、少し震えていたかもしれません。
それは恐怖ではなく、どうなってしまうか分からない状態だったからです。
だけど…。
「覚悟のうえです。大先輩が長年かけて培ってきた技術を、教えてくださいって言っているのですから。」
大先輩の顔は、私の言葉を聞いてキョトンとしていました。
「ふふふ。お姉ちゃんと違うタイプなのね。」
「そうでしょうか?」
「あなたのお姉ちゃんは闘志を全面に出すタイプ、香里奈ちゃんは内に秘めるタイプね。」
「そう…、かもしれません。」
「いいのよ。人それぞれ、個性ってやつね。」
大先輩は何でもお見通しのようです。
「私はね、このベンチから見るグラウンドが大好きなの。」
「グラウンド上じゃなくてですか?」
大先輩のような、U-23日本代表の守備の大黒柱とまで呼ばれている人なのに、ベンチから見る景色が好き?
「小学生からサッカーやっていたけれど、高校の総体までの間、あまりパッとしなかったの。ずーっとベンチからレギュラーの仲間を応援していた。」
少し遠くを見ているような素振りを見せていました。
「誰だって簡単に上手くなれた訳じゃないというのは、理解しているつもりです。」
「まぁ、それもあるけどね。私はずーっとベンチだったから、そこが定位置みたいに錯覚していたのかもね。ベンチが自分の居場所。そこからチームメイトを応援する。」
「試合に…、試合に出たいとか、出た時にどうすればって思いませんでしたか?」
大先輩はニコッとしました。
「ぜーんぜん考えていなかった。」
「えっ!?」
「言ったでしょ。私はベンチが定位置。そこから動かされることはないって思っていたの。」
「………。」
「ところがね、インターハイ直前にセンターバックが大怪我をした。替わりに私がレギュラーになっちゃった。その時初めてサッカーが怖いと思ったよ。」
「ちょっと分かります。突然襲い掛かってくる責任感と、プレッシャーを感じます。」
「まぁ、そうね。試合に出るなんて考えたこともなかったからね。だから、ゲームが始まったらなーんにも考えないで、無我夢中でボールを追いかけ回した。練習はちゃんとしていたしね。ポジショニングやディフェンスラインとかオフサイドトラップとか、そういうのはだいたい何とかなったよ。だけど試合はね…。」
「辛かったですか?苦しかったですか?いっぱい悩みましたか?」
「それがね、すごーーーく楽しかった!」
「えっ!?」
「セオリー無視で、やりたい放題やって楽しんだ!兎に角面白くて面白くて、次はどうしてやろうかとか、あの野郎吹っ飛ばしてやるとか、終了間際のコーナーキックでヘディングシュートも決めてみたりね、もう無茶苦茶。」
「………。」
「怖いと思ったのは試合を経験する時までだよ。後は仲間がいる、沢山頼ればいいんだよ。そして自分も誰かの頼りになれるようにする。それに、交代要因で試合に出たのなら、その欠場していった仲間の事も考えてあげないとね。レギュラーだったのに悔しかっただろうって。」
「あぁ………。」
私は馬鹿でした。
自分のことばかり考えていました。
グラウンドに立てば仲間がいます。その時は、替わりにベンチに下がることになってしまった先輩もいるということになります。
「だからね、思いっきりプレーした。私に悔いが残ったら、替わりにベンチに下がった仲間が浮かばれないって思って走りまくった。そしたらね、気が付いたら全国大会の決勝に出てた。」
「………。」
「全国に出たとしても上位は難しいとかって言われていたけどね。いつの間にか無失点記録付きで決勝にきていた。」
「優勝したのですか?」
「0-0からのPK戦で負けちゃった。」
「悔しかったですか?」
「うーん、そうでもなかったよ。」
「そんなもんでしょうか?」
「私の場合は、予定になかったけど、突然トップギアで試合に出ちゃったって感じで、本当に悔いもなかった。だからむしろやりきったって感じ。記録や評価は後からついてきたしね。」
「どんな風にですか?」
「たしか、全国大会無失点記録樹立、MVP、ベストイレブン、それでつぐは大からオファーがあったってわけ。」
「凄いです…。」
「なーに言ってるのさ。これよりも凄いことを、あんたらはやろうとしているのよ?」
「!!」
「こんなにワクワクしたのも久しぶり。だから私は全力で応援するって決めたの。」
私は今頃になって、心を震わすほどの緊張感に包まれていました。
「良い顔してる。さぁ、いくよ。」
大先輩の手に引かれるままグラウンドに立つ。
「何故か…、いつもより広く感じます…。」
「気のせい、気のせい。ほら、まずは私からボール奪ってごらん?」
こんな軽い感じで始まった個別レッスンでしたが、気が付いたら夕食の直前まで走りまくってました。
そんな様子を先輩方も見ていてくれて、色んなアドバイスをしてもらいました。
攻撃についても教わります。桜先輩は何でも簡単そうに、だけど必ず応用方法まで教えてくれます。
「簡単で咄嗟に出来るフェイントだと、こうして左足でパスを出す振りをして、ボールをまたいで、右足で相手の股下にボールを転がすのかな。やってみて。」
「はい!」
真似をして左足でまたぐと桜先輩はパスカットする素振りで右足を出しました。なるほど、そうすると両足が開いて、股下から抜きやすいです。
「どう?」
「はい、これぐらいだと確かに咄嗟にできそうです。だけど、相手にも読まれそうな気がします。」
定番のフェイントだと、通用する相手やシチュエーションも限られてくるような気がします。
「そうだね。だから、もう一つバージョンを増やしておくの。どうしたら良いと思う?」
桜先輩はこうやって質問を投げかけてきます。
「例えば…、えーと…。本当にパスを出すとかでしょうか?」
「いいねー。じゃぁ、私がやってみるね。」
そう言うと先輩は左足でパスを出す振りをします。いきなりパスを出すのかと思って右足を伸ばしましたが、パスは出ません。
先輩は顔を上げて誰かを見つけると、再び左足でパスを出そうとします。
あっ…。
引っかかってしまいました。強く伸ばした右足は、大きく隙を作っていました。ボールは股下を転がり先輩はいつの間にか背後にいました。
「あっ、本当にパスを出すパターンのフェイントだったはずだよね…。」
先輩は予定と違う事をしたことを笑っていました。
「いえ、来ると分かっているフェイントでは練習にならないでしょうし。」
「まぁ、そうなんだけどね。足意外の、例えば視線だとか手振りだとかを使うと、上手い人ほど引っかかるよ。」
「あぁ…。無情ですね…。」
「ふふふ、そうだね。」
「そして、選択肢を増やすことで、相手も防ぎ辛くなるのですね。」
「そうだよ。敵が香里奈ちゃんは直ぐにパスを出すと思ったら、ドリブルは無警戒でパスコース防ぎにくるかもね。」
「そこを逆手に取る…と。」
「駆け引きだね。」
「その駆け引き、お姉さんが教えてあげようか?ベッドの中で。」
そこへ田中大先輩がやってきました。
「どうやってベッドの中で教えるの?」
桜先輩が首をかしげながら大先輩に詰め寄ります。
「どうやって?」
大先輩は後ずさりしながら顔を真っ赤にしていました。
「あぁ~、この純粋無垢な桜ちゃんを汚したい!」
はぁ…。これさえ無ければなぁ…。凄くリスペクト出来る大先輩なのに…。