第35話『桜の高校生最後の夏』
天龍ちゃんは福ちゃんに手をあげようとしている。
駄目だよ…、暴力なんて駄目だよ…。
その手が勢い良く振り下ろされた。
誰もが一瞬目をつぶった。
「先輩…?」
天龍ちゃんは福ちゃんをがっちり抱きしめていた。
「危ないだろ、馬鹿野郎…。」
「はい…。」
「怪我が無くて良かった。」
「………。」
良かった…。天龍ちゃんは、もう暴力を振るったりしない。うん!
福ちゃんが凄く嬉しそうな、弾けそうな笑顔で天龍ちゃんを見つめていた。
ベンチに戻り、ミーティングではいつものように前半を振り返りながらホワイトボードで確認をする。
「この時は、結果的にはこうした方が良かったかもね。」
敵味方に見立てた磁石を動かしながら説明する。
「でもさ、その時はこっちの方が抜けれそうって思ったんだよね。もしも抜ければさ、パスチャンスもあったじゃん?」
藍ちゃんは前に出てきてホワイトボードで自分の考えを言ってきた。
「うんうん!でね、もしもパスを出せたなら、こうすることもできるし…。」
私は嬉しかった。最初はただただ聞いているだけだった仲間達は、いつの間にか試合の流れを覚えて、そして考えて行動するようになってきている。
だいたいのおさらいを済ませると、私は皆に自分の思いを伝えた。
「私、今凄くワクワクしながら試合しているの。ニシシー。」
「いつも楽しそうにサッカーやってるけど、今日はいつにも増して楽しそうね。」
「いおりん、そうなの。何が起こるか分からないから。だから、どんどん失敗しよ!大丈夫!絶対に大丈夫だから!」
後半からは、より積極的に皆が動いてくれた。
そのせいで連携がちぐはぐになったりしたけど、そんなの全然気にしない。
誰もが、さっき失敗した仲間のプレーをどう活かすか考えだしてる。
私も負けずに、囲まれながらもノールックで、しかもヒールで後ろにパスを出す。
鋭く転がっていくボールは無人のエリアへ。そこには藍ちゃんが俊足を活かして、敵を振り切って走っている。
ゴールは決まらなかったけど、何だろう、人がどこにいるか何となくわかるような感覚、いや、錯覚かもしれない。
この感覚は完璧じゃない。失敗も多いし、仲間もいつもより無理していてちぐはぐな事も重なって、チームは一見滅茶苦茶になっているようにも見える。
そんな状態だから、あっという間に2点取られて同点になっちゃった。
でも誰も不安な表情もしていないし、諦めてもいないよ。
何だろう…、何かが掴めそうな気がする。多分その変な気持ちは、皆も一緒じゃないかな…。
だけど何も掴めないまま時間が過ぎていった終了間際、最後にしてチャンスが巡ってきたと直感する。
「桜!時間がないネー!」
そう言いながらパスを出すジェニー。ボールをキープすると、ゴールに向かって走りだす。
周囲に緊張が走った。珍しくチェックが甘かったのが幸いし、ドリブルしながら中央を切り込んでいく。
左右のMFへパスを出す振りをするフェイントをしたり、バックパス出す振りをしたりと敵を混乱させる。
試合終了間際で誰もが疲れている。簡単なフェイントでも十分通用することを知っている。
つぐは大は痺れを切らして、私に群がってきた。
2人に囲まれながらも粘って、ついに敵ボランチがこっちに向かってきたことを確認する。
これでゴール前がかなり薄くなった。
ここだ!
左方向へ大きくパスを出す。そっちには福ちゃんがいる。
敵ディフェンダーがつられた。だけどボールにはアウトサイドで回転がかけてある。大きく右に曲がりながら敵GKの近いところへ落ちていく。
鋭い回転がかかりながらバウンドしたボールは、ほぼ真横に跳ねた。
「こんなトリッキーなボールに追いつくわけない…。」
田中さんはそう思ったみたい。
仲間さえも騙すようなパス。しかもGKがギリギリ届くか届かないかという際どいボール。
ゾーンディフェンスに徹していた田中さんの状況把握から、このボールに届く選手なんかいない。そう確信し、パスミスだと判断した。
そもそも後半に入ってチャレンジャーなパスばかりだった。これもその一つだろうと。
「もうちょっと手前だったら届いたかもね!」
こぼれ球を処理しようと、GK近くのボールが飛んで行く方向へ走っていく。
これを慢心だと指摘するのは酷だと思う。
だって、私だってギリギリ届かないと思ってパスを出しているんだもん。
「オオオオオォォォォォォォォ!」
雄叫びとともに天龍ちゃんが突っ込む。
GKの目の前で踏ん張ると右足を目一杯伸ばして、つま先でボールをチョンとすくう!
「!?」
ボールはふわりと宙に舞い、無人のゴールへと転がって入った。
天龍ちゃんは踏ん張った左足を軸にしてジャンプし、GKとの接触を避けたよ。
不格好に転がりながらゴールの行方を確認した彼女は、更に大きな声で叫んだ!
「シャアアアアァァァッァ!!!」
凄い!あのボールに届くなんて!!
「天龍ちゃーーーん!」
私は思わず駆け寄った。疲れも忘れて思いっきり抱きついた。
「ナイスパスだぜ!桜!ああいうのが欲しいんだ!」
彼女も興奮気味だった。
そこへ田中さんが近寄ってくる。遠くで試合終了の笛が鳴った。
「いや~、やられたよ。よく追いついたね。つか、間に合うはずないと思っていたんだけど?」
「蹴ってから走ったんじゃぁ間に合わなかったかもな。」
「えっ?桜ちゃんが蹴る前に走りだしたの…?」
「そうだ。」
「何であそこにボールが来るって分かったの?」
「んー………?」
天龍ちゃんは田中さんの、というより誰もが疑問に思うだろうことに考え込んでいた。
「勘。」
「はぁ~?」
「ピンッときた。それだけだ。」
本人もよく分かってないみたい。
「やれやれ。」
田中さんは短いため息をつくとベンチへ戻っていく。
私達も試合後のミーティングを始めた。
色んな意見交換があったけども、やっぱり最後のゴールは誰もが凄いと言ってくれた。
もしもあんなパスが狙って出せたら…。
いやいや。確実に出すのは不可能だよね。半分以上は偶然。そう思わなくっちゃ。
少し休憩を入れると連絡があって、ベンチを囲んで雑談やストレッチをしていると不意に福ちゃんが話しかけてきた。
「桜先輩って、いつもキョロキョロして周囲を確認していますけど、後ろは見ないですよね?」
「うん、見ないよ。」
「どうしてですか?頭の後ろに目がついているって噂は本当ですか?」
「誰!?そんな嘘言ったの!」
部長が直ぐにそっぽを向いた。なるほど…ね。
「もう、そんな訳ないでしょ。」
「では、どうしてなんです?守備はお任せってことですか?」
「そうじゃないよ。後ろにはジェニーがいるでしょ。ジェニーに全部託しているの。だから私は攻撃に集中出来る。そういうことだよ。」
「あぁ、なるほどです。」
その話しを聞いていたジェニーが飛んできた。
「それはつまり、チャンバラで言うところの、背中を預けたってやつネ~!」
いったいどこでそんな日本語を覚えたのだろう…。
「まぁ、そういうことかもね。」
「WoW!超Cool!超格好イイネ!」
「でも、どちらかがやられたら二人共死んじゃうってことだよ。」
「Oh~…。ならば2人で逃げまショ。」
「侍はね、逃げないの。」
「why?」
「武士道に反するからだよ。」
「ブシドー?」
「生き様とか教訓とか…、うーん、そんな感じ。武士道はね、主に絶対な忠誠があって、道徳的で弱い人を助けて名誉を大切にするの。」
「OK!OK!それってつまり私達のことネー!弱いチームだったけど、助けあって優勝という名誉に向かっているネ。ということは、私達は武士道を重んじるサムライネー!」
「ははははっ!侍ってのは男のことだぜ。」
天龍ちゃんがツッコミを入れた。
「Oh…、女性差別ネ…。」
「間違いねーな。ならよ、日本で最初の女の侍になればいいじゃん。」
「WoW!天龍の言うとおりネー!」
何故かジェニーはやたら興奮していた。海外から見た日本って、多分ほとんどの人がこんな感じなんだろうね。
でも嫌いじゃないよ。侍とか武士道とかね。いいと思う。日本らしさ、私達らしさ、そういうのは大切なんじゃないかな。
だから、こうしないといけない、こうじゃなきゃ邪道とかって考え方は、あまり好きじゃないよ。
「おまえはもう死んでいるネ~。」
「ぎゃはははははっ!それちげーから!」
まだ侍ごっこしていたよ。ジェニーがどうやって日本語勉強したのか後で聞いてみよっと。
「はいはい。遊びはそこまでよー。料理班は厨房へ移動してねー。」
田中さんが呼びに来た。あっ、そうだ今日は私の当番だった。
「はーい……。おっと……。」
突如視界が高くなり、気が付くと田中さんに抱きかかえられていた。
「いけない子でちゅねー。当番忘れちゃうなんて。ママがしっかりお仕置きしますからね。」
どっちが遊んでいるのよ!
「ちょっ…、えっ?」
「お仕置きとして、裸エプロンで料理してもらいますからね。」
「ぶっ!?」
「WoW!新しいネー!」
さっそく部長とジェニーが反応した。
「どうしても恥ずかしいなら水着エプロンでもいいわよー。」
「どっちも嫌です!」
「こうしちゃいられねー。後は頼んだ!」
「私も日本のHENNTAI見に行くネー!」
「おっと、そこまで。まったく、懲りない人達ね。」
部長とジェニーを止めたのは可憐ちゃんだ。
「こんな事もあろうかと、料理の当番は私が割り振っています。」
「いやいや、ここは部長権限で…。そもそも何で可憐が決めてるんだよ。」
「マネージャーですから!」
ずいっと前に出てきた可憐ちゃんに誰も反対出来ない。
「ほら、フクちゃん。桜ちゃんを助けにいくよ。」
「はい!任せてください!」
そう言って2人は田中さんの後を追ってきてくれた。助かったよー…。
無事開放されて厨房へ。
今日のメニューは何かな~。
こうして色んな事に挑戦しながら、そして楽しく合宿は消化されていった。
高校生最後の夏と共に。