<ペイントレード>
昼時だというのに薄暗い室内。
悪趣味で直視に耐えない髑髏の飾り物。
そして私がその店に入って最も感じたことは――
「いらっしゃぁい」
顔をフードに隠し、低い陰鬱な声をかける店の主人。
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
突然現れたその人影とそのあまりにもあんまりな、雰囲気のする声に。
悲鳴を上げて出て行ってしまったのも、仕方、ないよね。
店の前で深呼吸。
気を取り直して、今度こそと、気を奮い立たせるのに数分。
自分ではそこまで気が弱い方ではないと思っていたのだが、あんな恐ろしげなものを見た後では自身を持ってそうだとは言い切りづらい。
薄暗くて顔はよく見えなかったけど、声といい服装といい突然現れる振る舞い、気配のなさといい、あれがいわゆるアンデットなのではないだろうかと邪推してしまう。
あんなのを相手にするなんて冒険者の人たちって凄い――じゃなくて、今からその店に改めて入るんだ。失礼な考えはよそう。
もう一度息を落ち着かせて、改めて扉を開ける。
変わらない、薄暗い室内。蝋燭が棚の片隅に一つ灯されているだけで、灯りは他にない。木窓もあるのかどうか。淀んだ空気が肺を濁す。
「あの、すみません」
声を上げて店の主を呼ぶ。
誰も現れない。
次は店の主人を見ても動じないぞと、決心して入っただけに、なんの音沙汰もなく放置されるのが嫌に心を焦がす。
じりじり、じりじり。
いない? そんなはずはない。先ほど、そう5分前にはいたはず。ならどうして出てこないの?
私の脳裏に、不吉な考えが過ぎる。
店の主人は私のことを隠れて見ているのではないか?
何故?
私を襲う機会を伺っている。金目のものを――いや、呪術に用いるであろう心の臓や肝を奪うために。
いやいやいや。先ほど悲鳴を上げて外へ出て行ってしまったのだ、お前の相手はもうしないという無言の抗議では? そうだ、きっとそうだ。
私は平静を取り繕い、自然な動作で背後のドアノブをつかむ。
私は今日こんなところにはいなかった。
だから、さよなら!
扉を開けて外へ出ると、新鮮な空気。
壁一枚、扉一枚挟むだけで清々しい開放感。
目的は達せられなかったけど、生きてることの大事さを知ることができた。
それでいいじゃないか。
私が生の実感に浸っているところに、背後から影。
「え?」
「どうかされましたか、お客様」
ローブのフードで顔を隠した人が。そこにいた。
「キュゥ」
口から声がひとりでに漏れて――私はいつの間にか気を失っていた。
☆
目が覚めた時目に入ったのは、木板でできたありふれた、しかし知らない天井だった。
どうしてこんなところに、と考えを巡らせる前に思い出す。
噂で聞いた、傷を治してくれる呪術師のお店にきて、そして倒れたのだった。
どうしてあんな噂を信じて来ちゃったんだろう。きっとこれから生きたまま肝を抉られて、それを食べるところを見させられるんだろう。うわああああああああああ。
「そんなことはしませんよ」
声にはっと顔を上げる。そこにはフードをかぶった人がいた。
間違いない、店の主人だ。
「え、あ、あのもしかして……声に出てましたか?」
「はい」
うわあああああああああああ。
当人になんてことを。いや、否定してくださったんだからそんなことはない、と思う。いやでももしかしたら私を安心させるための嘘で実はもっと酷いことを考えてたりとか……
私がそんなことを考えていると、
「クスッ」
とフードの人から笑う声がした。
「恐ろしい想像をされているようですがご安心を。ここは一介の呪術師が開いている万屋。民間宗教的な効果の確認されていない儀式は行いません」
その声に、私は混乱していた頭をようやく落ち着かせることができた。
そして声の主が男性であろうことも、ようやく推測できた。
「ようこそ、お客様。『呪の原素』は美しいものを歓迎します」
☆
ここはどうやら、店の裏にある店主の家屋らしい。そのベッドに30分ほど寝かされていたようだ。
「それは大変ご迷惑をおかけしました」
私の顔は今頃林檎より赤く染まっているだろう。
「いえ気にしてはおりませんよ。むしろ役得でした。美しい寝顔も見れたことですしね」
その言葉に、私は先程とは別の意味で顔を真っ赤にした。
男性の声は店で聞いたときと変わらない低く呟くようなものではあったものの、不気味さは一切なかった。むしろ言葉通り茶目っ気というか、笑っているのが伝わってくる様ですらあった。あの店の雰囲気が錯覚させていたのだろうか。恐るべし。
「それでは改めまして、こちらへはどんなご用事で?」
男性の声に、当初の目的を思い出す。
「あの、すみません、こちらで古い傷跡を治してくれると聞いてきたのですが……」
そう、私の目的は古傷の治療だ。
私の言葉を聞くと、彼はふむとつぶやき、
「先に言っておきますが、ここでは治療の類は一切やっておりません」
彼の言葉に、やっぱりただの噂だったんだと私は肩を落とさずにはいられなかった。
「そう、ですか……」
「しかし、傷を消すことはできます」
「本当ですか!」
はい、と彼は笑う。フードで顔は見えないのだけれど、そういう笑っている雰囲気が体全体から伝わってくる。不思議な人だ。
「私は呪術師です。呪術師の呪術に、一方的に『与える』もの、『癒やす』ものはありません。呪術にあるのは『移し替える』ものと『共に害す』ものだけです。
ですので、傷を消したいのであれば傷を別のところに移し替えることで成すことができます」
「別のところ?」
「はい。生物の傷は生物にしか移し替えられません。目立つ顔などの傷を背中に移し替えるのが普通ですが……そのご様子だと問題があるようですね」
私は改めて気持ちが消沈するのを感じた。移し替える。それではダメなのだ。私はこの傷を、自分の体から消したいのだ。
「よろしければご相談に乗りますよ?」
彼の言葉に、私は傷のことを少しずつ話していった。
傷自体は子供の頃に負ったものだ。負った理由もただの事故。でもそれは私が悪いわけじゃない、ただ間が悪い子供がいたというだけだ。
街での祭りの日、親からお小遣いをもらって私は街を満面の笑みで歩いていた。外で露天はいつでもやっているが、親からお小遣いをもらって好きに買っていいなんて機会はそうそうない。
何を食べようかな、それともお小遣いを全部使っちゃうけど、小さな木でできたアクセサリーでも買おうかな。
浮かれていた私は、私以上に浮かれている酔っ払った人たちに巻き込まれて路端に倒れた。転んだだけで済んだらどれだけ良かっただろう。酔っ払った人が近くの露天も巻き込んで倒れたのだ。巻き込まれた露天では肉を鉄板で焼いていて、運悪く鉄板そのものが倒れていた私に滑り落ちた。
うつ伏せに倒れていた私の背中に、熱された分厚い鉄板が滑り落ちた。自分の肉が焼ける熱さにもがくものの、子供の体に露天の鉄板は重すぎた。
周りも子供の泣き叫ぶ声と熱々の鉄板に即座に動けず、急いで取り除かれた鉄板の下にあったのは、黒く焼け焦げた子供の皮膚・肉だった。
「その後は私は気を失っていたので親に聞いた話なんですけど、神官様の癒しの術をかけてもらってなんとか一命を取り留めたそうです。ショック死しててもおかしくない傷だったとか」
私の話に、彼はひどく心配そうな雰囲気で、
「ご愁傷さまです。さぞ辛かったでしょう」
と同意してくれた。
「私の背中にはその時の焼け爛れた痕が残っています。それも体の成長につれて大きく……醜くなって。神官様の術でも完全には取り除けず、時がたってしまい今ではもうできることはないと思っておりました。
この傷があるため、これまでも親しくできる男性もおらず、半ば結婚も諦めておりました。どうかできるのであれば、この傷を取り除いてはいただけないでしょうか」
私の必死の懇願を聞き、彼は体を震わせた。
「美しい」
一言つぶやいて。
「わかりました。私が責任を以ってその傷を取り除きます。準備に移ります。しばらくお待ちを」
彼はそういって部屋を出て行ったのでした。
☆
『あなたはこれから、今まで付き添ってきたその傷と別れることになります。あなたにとってその傷は無くしたい過去かもしれませんが、今この時はその傷と対面してください。それがこれからのあなたに、大きな糧となります』
そう言って彼は、姿見を部屋に持ってきた。
私にこの背中の傷を見ろと言うのだ。
子供の頃死にかけて、以来ずっとコンプレックスだったこの焼けた体を。
震える指でそっと服を脱ぐ。
姿見には、首のすぐ下からお尻を通って太ももの辺りまで、のたうつ火傷痕があった。
傷に触る。感触はない。触れてるのに触れられてない感じ。ざらつく指先。
私はそっとため息をついた。
コンコン
ノックの音。
私は急いで服を着る。
「はい、大丈夫です」
返事をすると、扉が開いた。もちろんフードを被った彼だ。
「準備が出来ましたのでついてきてください」
彼は生活区域ではなく表、店側に向かっているようだ。
と、行き止まりがあった。訝しんでいると彼が壁に触れると、地下への階段が現れた。
私が声も出さずに驚いていると、彼はこちらも見ずに「驚きましたか?」と笑っていた。
地下に降りると、そこでは石床に白い粉で図形が描かれていた。図形内には蝋燭も立てられており、私では凄そうという感想しかでない。そしてその上にベッドがひとつ。
「傷が全て見えるように、服を脱いでベッドに寝てください」
彼の言葉に従おうと服に触れるが、ふと恥ずかしさがこみ上げる。ベッドの前、男性の前で服を脱ぎ、素肌を晒す。背中の傷が色気をなくすとはいえこれではまるで……
「すみません、配慮が足りませんでしたね。私は階段を上っておきます。すぐに降りてきますので、お早めに済ませてください」
彼がそう言って外に出てくれた。どのみち素肌を晒すとはいえ、服を脱ぐところを見られないだけでいくらか落ち着く。
飾り気のないシャツとズボン。それと火傷はお尻にもあるからパンツも。恥ずかしいけどしょうがない。脱いだ服をベッドに敷き、服を抱くようにうつ伏せに寝る。
彼はすぐ戻ると言っていたが、たっぷり5分は余裕があった。彼は意外と紳士なのかもしれない。
「それではこれより呪術を行使します。儀式中は大きく動かないようお願いします。声も出さないように」
彼は図形の各所に立てられた蝋燭に順に火を灯した。そして彼が持っていた見回り用の蝋燭の火を消す。
部屋は床に立つ蝋燭の火が光源となり、体を浮かび上がらせる。
「~~~~~~~~~~~~~」
彼が私ではわからない呪文を唱える。
1分、2分と呪文が続き、彼の指が私の背中を撫でた。
「ッ――!?」
思わず上げそうになる悲鳴をこらえた。彼はずっと私のために配慮してくれていた。これも何かいやらしい目的とかじゃなくて、必要なことなんだ。
彼の指はどうやら傷の輪郭をなぞっているようで、指がお尻の上にもきた。恥ずかしい。たぶん顔も、体も赤くなっている。
そうして指が一周して、彼の詠唱が終わる。
<ペイントレード>
彼の結びの言葉と共に、背中に違和感が走った。
「儀、式は、終わりま、した。……どうぞ、背中に、触れて、みてください」
指が背中に触れる。背中は、指の感触をしっかりと返している。ざらつかない。
「ゥッ――」
涙が、溢れた。
涙が止まらない。
少しして、彼が姿見を担いで現れた。
「見てください。あなたの背中。とても綺麗で、美しいですよ」
彼はそう言って姿見を壁に立てかけると、そのまま階段を上っていった。
私は部屋にいたときのように、姿見を後ろに、首をひねってそれを見る。
きれいなきれいなひとつづきのはだだった。
☆
私が泣いて泣いて、そして我に返って服を着て。
急いで階段を上がる。何処に行けばいいかと迷って、地下に行くまでいた彼の寝室へ向かった。
「落ち着いたようだね」
彼がお湯をコップに注いでいるところだった。
どうぞと椅子と共に進める彼に、そこまでされるのもと遠慮しようとしたところ無理に座らされた。
コップを手に持ち、一口飲むと体が心地よい温もりに包まれる。考えてみれば裸で地下の空間にいて、その上で何分も泣いていたのだ。体が冷えているのも当然のこと。こんなところも彼は気遣ってくれていた。
「どうもありがとうございました」
私は少しして、お礼の言葉を口にした。地下にいたときは自分のことで精一杯だったから、その一言も癒えていなかった。
「どういたしまして」
彼も飲み物を飲みながら答える。いや、アチチなんて言って飲めていない。猫舌なのだろうか。
そこではっと思い出す。
「あ、あの!」
「ん?」
「すいません、聞いていなかったのですがお代は……」
血の気がサーッと引く。
儀式をする前は治ることに意識が取られて忘れていたが、神官様でもできない治療をしてくれたのだ。
とても高くつくことは想像に難くない。どころか、もしかすると平民では一生かかっても返せないお金を請求されるかもしれない。出来る限りならお支払いしたいけど。ど、どうしよう……。
私の焦りを見て、彼は「ハハハ」と笑う。
「お代はもう頂きました。安心してください」
その言葉に「え?」と抜けた声を出してしまった。
「私はね、美しいものが大好きなんです」
突然何を言っているのだろうか。
「治ったと分かった時のあなたの笑顔。涙。とても美しかったです。ごちそうさまです」
私はこうして、今日何回目になるかわからない赤面をした。
☆
「あの、お顔を拝見させてもらってもよろしいでしょうか?」
私は気になっていたことを聞いた。
彼はずっとフードをかぶっていて、それで顔を伏せているものだから、隣に座っていてもどんな顔をしているのか全くわからない。
彼の人柄からして何か理由あってのことだと思うが、恩人の顔もわからないのでは胸を張って外を歩けない。そう思い、聞いてみた。
「すみません、少々お見苦しい顔をしているもので、見せないようにしているのです」
彼は言外に、それでもよいなら、と示す。
顔が見えないのにどうして彼の雰囲気はここまで雄弁なのだろうか。
「お願いします」
私の頼みに彼はついにフードを脱いだ。
フードの中には、まだ30にも達さない男性がいた。煤けたぼさぼさの茶髪。灰色の目は温和で鼻も高い。ひげは剃っていないのか無精髭になっているけど、それでも全体的にかっこいいと評してもおかしくない男性……だろう。
だろうとつけたのは、一つだけ、大きく目立つ特徴をあえて省いて説明したからだ。
彼の顔は大きく焼けていた。
少し前まで私の背中にあったような、火傷痕が顔を覆っていて彼の印象を恐ろしいものに見せていた。
これが顔を見せなかった理由。
そこで私は彼の話を思い出した。
呪術は『移し替える』か『共に害す』。
基本は『場所を変える』。
そして『生物の傷は生物にしか移し替えられない』。
「あ、あの、この傷、もしかして……」
「違います」
私の言葉に、彼は全てを聞かずに否定した。
「でも!」
「違います。これはあなたとは関係ありません。私はあなたに合う前からフードを被っていたでしょう。あなたに合う前からあったものですよ」
彼はそう言って、ニヤリと落ち着かせるように笑った。考えれば彼の笑っている顔を見たのはこれが初めてだ。
ほんのり赤くなる顔をよそに、その言葉に納得してほっと息をついた。思いすごしか。
あれ、でも。
「どうして顔の傷を背中に移さないんですか?」
聞いていた話からすれば、それは普通にできることのはずだ。
「ああ。これは元は知り合いの傷でね。人の傷は対象は変えられても場所は変えられない――ッ!」
彼はそこで思わず苦虫を潰すような顔をした。
人の傷は場所が変えられない?
それじゃあやっぱりまさか。
私は無礼を承知で彼のローブの内側の、彼のシャツの内側の――背中に直接触れた。
「あ……あ……」
「君は気にしなくていい。言っただろう。私は美しいものが好きなんだ」
彼の背中は――先ほどまで私の背中にあったような――ううん、先ほどまで私の背中にあった火傷痕がついていた。
「泣かないでくれ。その涙は美しくない。私は私の欲しいもののために勝手にやったんだ。君に心配される理由はない」
彼は儀式が終わった後、すごく苦しそうだった。
儀式そのものがすごく疲れるのかと思っていたから、そういうものなんだと深く考えもしなかった。
たぶんそのとき、この痛みと戦ってたんだよね。
あの、体が直接焼ける痛みと。
一人で。
勝手に。
私が泣き止まないのを見て彼は言った。
「……私は美しいものが好きだ。だから」
――笑ってくれないか?
彼が抱きしめてくれて、私は自分がうまく笑えたのだと知った。