03話 お任せ下さいお父様お母様
精神攻撃は基本
これほど安らがぬ朝の一時があるだろうか。
「いやー翼にこんな彼女がいたとはなー。これで安心だなぁ、母さん」
目の前には途轍もなく上機嫌な翼の父。
「ええ本当に。ラティヴィアさん?この子を宜しくね?本当にもう駄目な子で……」
そしてニコニコ顔をしながらも、こんな子が息子に、とハラハラしている母の姿。
「はい。身に染みておりますとも。お母様。――私の事はどうぞラティとお呼び下さいませ」
そしていつも通りの無感動な顔で隣に座るラティ。
突如現れた外人の銀髪美少女に、両親は朝からテンションが突き抜けていた。
「まあまあまあ」
困り顔ながらにやけが隠しきれない様子で、翼の母は口元を隠した。
「翼。余りラティさんに迷惑を掛けるなよ?彼女が出来たのは安心したけどな、こんな素敵な子に迷惑を掛けるんじゃ無いかと心配になってしまうじゃないか。おちおち死んでもいられないぞ?」
見るからにしっかりした態度のラティを見て、翼の父親は、どちらがどちらに迷惑を掛けるのかを良く理解した。
「ご安心下さいお父様。私もツバサ様を教育を手伝わさせて頂きますので」
「そうかい?愚息が済まないねえ。……本当に済まないねえ」
翼の父親は申し訳無さそうにラティに謝った後に翼を見て、もう一度謝った。
「出来れば孫まで見たいのだけれども、大丈夫かしら?」
翼の母親はラティと翼を見比べながら、声を小さくして問い掛ける。
するとラティは深く頷いた後、声高に宣言した。
「お任せください。私が産みます。昨晩もきっちりと――」
「うおおおおおっ!?」
ガタッ!と立ち上がった翼は奇声をあげて危ない発言を遮った。
親の前でそんな報告をされたら死ぬしか無い。これは正しく拷問である。
「ツバサ様、食事中に奇声を上げないで下さい。下品ですよ」
そしてこのラティという女。自らが泥を被ろうとも、それ以上のダメージを翼に与えることが出来るのなら、躊躇いはしない。そんな女なのだ。
故に全く恥ずかしげもなく、翼に向かって言い放ってみせる。
「本当にいい子だなぁ……」
「ええ、本当に」
両親は使い物にならない。
銀髪美少女、初彼女という二つの補正が、嬉々として息子を虐めるラティを頼り甲斐のある女に見せてしまっていた。
それを除いても、悲しいかな、まともな付き合いをしてくれる女性が存在しないのではと危ぶんでいたのだ。この機を逃させる訳がない。
「しかし産むのはもう少々お待ちください。籍は来年入れますが、ツバサ様が学生生活を終えられてからでないとおかしな噂がたちかねません」
ラティは既に戸籍まで作っていた。悪魔である彼女が持っている筈の無いものであるが、色々として一晩で作ったのだ。
「ううん確かに」
翼本人を置いて、話は取り返しの付かない方向に突き進んでいく。あろうことかラティは婚姻届けまでをその手にしていた。
翼は見たのも初めてで書いた記憶は欠片も無い。しかし既に記入済みだった。ご丁寧に翼の筆跡で。
翼は目玉が飛び出るかと思った。
「しっかりしているわねぇ。ええ、それくらいは大丈夫よ。うふふ。愚息も顔だけはいいし、ラティさんもこんな美人さんなのだもの。きっと可愛い子が生まれるわね」
母親は夢の孫ドリームを見始めた。
普段の馬鹿な雰囲気を消しさせれば、翼も美形で通る。しかし馬鹿ではない翼は存在しないのが悔やまれるところである。
そしてラティは普通に美形だ。纏う雰囲気のおかげか、絵画や彫刻のような印象を受けるが、表情を乗せれば年相応の美少女になる。しかしそんなラティはレア過ぎるのが悔やまれるところである。
「お任せ下さい。お父様お母様。必ずや可愛い子を産みますとも」
ラティは無感動な顔のまま、大きく太鼓判を押した。
素晴らしい自信に満ち溢れている。
「……じ、地獄だ」
ここは翼にとって地獄だった。晒し者にされている気分だった。
お花畑の両親と、翼を罵倒する事に命を懸けかねない女悪魔。
悪魔でありながらも、翼は神に祈りを捧げた。
「――っ?!」
どこかのお空の上で、異様に神々しい女がビクリと身を震わせた。
「どうされましたか?」
そばに控えていた翼を持つ男が俊敏に反応する。
「いえ……悪魔の方から祈りが」
無闇矢鱈に神々しい女は首を傾げながら呟く。
「…………啓蒙な悪魔なのでしょうか」
翼の生えた男も不思議そうに首を傾げる。
「分かりません。……しかし残念ながら悪魔さんには私の加護は……」
「ですよね」
「ツバサ様、何をのろのろとしているのですか。早く食べなければ間に合いませんよ。言っておきますが遅刻など許しませんので。――ああ、よく噛んて。身体に悪いですよ。豚になりたいのですか」
そんな暇があるならばと、ラティは早速チクチクと世話を焼く。世話を焼きつつも攻撃を止めない様は見事の一言だ。
「……夢のようだ」
仲睦まじいと言えば仲睦まじい、息子いびりを目の前にして、翼の父親は目頭を押さえた。
「ええ……。息子も義娘も孫も、私たちが死ぬまで亡くなる事は無いものね。ああ、幸せ過ぎて死んでしまいそうだわ」
母親も、ぐすりと鼻を鳴らした。
「お母様。死んではいけませんよ。夢は大きく持たなければなりません。孫どころかその孫まで見ましょう。皆様の健康管理は不肖私めが致しますので。長生きして頂きますよ」
ラティは翼の両親に向かって、顔も声色も変えないままに、力を込めて言い切った。
「うう……!良い子だっ!悪魔ってこんな良い子ばかりなのかっ」
翼の両親は決壊した。
そう、この二人は息子が悪魔である事を知っているのだ。
本当の黒木翼は産まれる直前にその魂を失った。嘆き悲しむ二人の叫びを聞いた翼は、その赤子の肉体に憑いたのだ。親を知らない翼は本当の息子として育てられる事となった。だがそんな生活を続けるうちに罪悪感を覚えた翼は、全てを伝えた。
両親は驚きはすれども、それでも翼を我が子として育てる事を願ったのだ。
だからだろう、二人の悪魔に対するイメージは実にアレだった。
「暴れる悪魔などほんの一部です。人間社会の犯罪者となんら変わりません。我がシルバータイム家が総力を決して不埒な輩など近付けさせません。お父様もお母様も、必ずやお守り致しますのでご安心下さいませ」
そしてその認識は正しくもある。同時に世間一般のイメージもある意味は正しい。人とは違う力を振るう悪魔が暴れれば、その被害は恐ろしい事になりかねない。世間にはそのイメージだけが先行してしまっているのだ。
「ラ、ラティさん……!ううっ!」
両親が見る二人目の悪魔は、それはそれは見事な程に頼りになるものだった。息子とは大違いである。
「――そこで、可能であるなら私もこの家に居させて頂けますと……」
そう、色々な意味で大違いであった。
両親が感動で前後不覚になっているうちに、勢いのまま自らの願いを押し込んでいた。
「勿論だよ!ああ、二階に部屋が空いているんだ!今は物置になっているが直ぐに片付けよう!」
慌てて何か口にしようとする翼の脇腹を優しく摘んで黙らせたラティは、深々と頭を下げた後、更に要望を押し込んでいく。
「ありがとうございます。もし宜しければ、ですが。手を加えさせても宜しいでしょうか?お父様とお母様、いずれ生まれる子供の為に総力を決した防犯対策を施したいのです」
悪魔の総力である。最早防犯レベルではない事は翼には分かったが、いつ脇腹を摘む指が猛威を振るうかと戦々恐々としている翼は口出し出来ない。
「構わないわ!好きなだけやって頂戴!」
「ありがとうございます。では今日にでも始めさせて頂きますね。――ツバサ様。早く出なければ遅刻ですよ」
終わってしまった。翼の意思はそこには無く、全てがラティの願い通りに事が進んでしまった。
「…………はい」
ようやく脇腹を解放された翼は、死んだ魚の目を浮かべて頷いた。
「……どうしたよツバサっち」
普段とは明らかに様子の違う翼を見て、クラスメイトの三浜源が心配そうに眉を寄せた。
「……何でもないよ」
翼は振り払うように頭を振った。
翼よりも馬鹿で変態のクラスメイトが心配そうな顔をするなんて、気持ち悪くて仕方がないからだ。
「何でもないってツラかよ。おい、何かあったのか?」
だが源はしつこく聞いてくる。翼を本当に心配しているのだろうが、やはり無性に気持ち悪いからやめて欲しかった。
しかし、何かはあった。昨日の夜から朝まで大波乱だ。
「……女って、怖い」
たった半日でど偉い目にあわされた。
帰ったらまたラティが嬉々として絡んで来るだろう。好かれているのは悪い気はしない。しないが、手加減してほしい。久しぶりだからか、飛ばし過ぎである。
「――――は?」
翼のため息交じりの呟きを聞いて源から表情が消えた。
翼がしまった、と思った時には手遅れだった。
「女?!女だと!?てめぇ何があった!?抜け駆けか!?抜け駆けだな!?おおっしちょっと付き合えやあ!ブチ切れちまったぜおおっ!?」
一瞬で怒髪天に上り詰めた源は、ピキピキと青筋を浮かばながら気持ち悪い声を出した。
「落ちつけ。落ちつけ源!」
周りの女子が気持ち悪いモノを見る目で源を見ているのを見て、翼は巻き込まれてなるものかと源を落ち着かせようとする。
「落ち着けるかああああっ!!おおおおまえまさか卒業したんじゃねぇたろうなぁ?!チェリーだろ!?俺と同じチェリーだろ!?」
源は翼の胸倉を掴み、ガクガクと揺すりながらまくし立てた。
こういうことを堂々と叫ぶ辺りが非常に気持ち悪い原因なのだが、治る気配は全く見当たらない。
「ええ……」
「黒木君ってまだなんだ……」
「三浜はまあ、当たり前よね」
ヒソヒソと女子達の囁きが聞こえて来る。源は益々ヒートアップだ。
「ち、ちくしょおおおおっ!貴様は俺を裏切ったぁ!お前を殺してお前を死ねぇえっ!チェリーを交換しろぉ!脱げ!俺も脱ぐから脱げぇ!」
頭の可笑しい事を叫んでズボンを脱ごうとする馬鹿。ナニを交換しようと言うのだろうか。
女子達は、始まったぞ、とばかりに手慣れた様子で散っていった。
「何言ってるか分かんないぞ?!落ち着け!落ち着けって!皆見てるぞ!」
その際に白い目でジロジロと見られ、翼はズボンを脱がそうとしながら脱ごうとする馬鹿と格闘をする。
「構うかあああっ!くたばれこの野郎がああああっ!!天誅にござるうううう!!」
結局、源は一日中気持ち悪いままだった。
親の目の前でってある意味拷問ですよね