13話 せめて苦しまない様に致しましょう
幾度も吸血鬼が梱包された夜の公園。
そこに現れた新たな吸血鬼は、今までの吸血鬼とは格が違った。誰もが一目でそれを理解出来るであろう。吸血鬼という存在自体が強い力を持っているが、この吸血鬼と比べものにならない。
そんな吸血鬼は、いきなり腰を折り頭を下げた。
「お初にお目にかかります。ザルヴァ・ファン・グリムラーズと申します」
今までの吸血鬼のイメージとはかけ離れていた。
吸血鬼達を束ねる元老の一人であり、最古の吸血鬼の一人。
その怪物が丁寧に腰を折る。
目を丸くする翼とは裏腹に、ラティは表情一つ変えなかった。
「これはご丁寧に。私はラティヴィア・シルバータイム。こちらが」
即座に頭を下げ返して名を告げ、そして翼を示す。
「黒木翼です」
翼も慌てて、かつて叩き込まれた作法を思い出して頭を下げる。
「早速ですが、ザルヴァ様。どのような対応をなされる予定でしょうか?」
ラティは挨拶を済ませるや否や、本題を切り出した。
ザルヴァはそれに頷きを返す。
「落ち着くまでは私が滞在します。こう見えましても私は元老の一人。あやつらも私がいるとなれば手は出せぬでしょう。その間に何とか話を付けます。……身内が申し訳ありませんな」
若く精悍に見えるが、その重厚な雰囲気は、問答無用で並大抵のものを黙らせる雰囲気があった。
「成る程、元老の方がわざわざ。ご面倒をお掛けしますが宜しくお願い致します」
ザルヴァが居れば生半可な吸血鬼は現れないだろう。悪魔を見下す彼らでも、同じ吸血鬼であるならば迂闊な事はするまい。
「しかし、彼らも悪気は無いのです。世界を知らぬだけなのです。よく言って聞かせますので、どうかご容赦を」
ザルヴァは請け負いつつも、若き同胞たちを憂いていた。
「はい。私どもは安息が得られればそれで良いのです。……お恥ずかしながら悪魔にも、同じような者はおりますので。心中お察し致します」
元老からの頼みに、ラティは頷いた。
調子に乗るものがいるのもはどこの勢力も同じだ。悪魔にもそういう輩はいる。吸血鬼は少し多過ぎるようだが。
「ありがとうございます。……しかし、聞けばどれもそちらの黒木さんが倒されたと。ふむ。まだお若いのに余程出来るのですな」
ザルヴァはラティでは無く翼を見つめ、感心したようにジロジロと舐め回す。
「ええ、まあ、そこそこは」
翼は男に見られる事にぞわぞわと背筋を震わせながら微かに後ずさる。
そういう意味ではないだろうが、その瞳に嫌な感覚を感じる。
「まだまだでございます。特に気品が足りません」
ラティがばっさりと翼を切り捨てた。
「ははははは。シルバータイムのお嬢さんは中々に手厳しい」
ザルヴァは肩を揺らす。
「力だけでどうにかなる世界ではありませんから」
ラティは済ました顔でジロリと翼を見る。翼はサッと目を逸らした。
「それはそうですな。しかし、大抵のことは叶います」
ザルヴァはそれを見ながら、重く呟く。
それを聞いたラティは、翼からザルヴァへと視線を移した。
「そうですね。しかしそんなものはまた別の力に塗り潰されるだけです」
ラティはザルヴァの言葉を肯定しつつも、無価値なものだと切り捨てる。
いつの間にだろうか。
ザルヴァは誰にも気取られぬまま、すぐ近くまで接近していた。
そして先ほどまでの和やかな雰囲気の中に、不穏なものを混ぜ始めた。
「それもまた事実でしょうな。しかし――」
ラティが警戒を高める一瞬前。
唐突にザルヴァの気配が爆発した。
ザルヴァの身体から凄まじい速度で霧が立ち昇る。それは意思をもっているかのように動き、ラティを、翼を包み込もうとする。
「ッ?!ツバサ様!!」
ラティの反応は俊敏だった。一瞬で警戒を最大まで引き上げた彼女は背後に跳躍し、その霧から逃れる。追い縋るそれに勝る速度で、二度三度と地を蹴り飛び離れる。
「うおっ!?」
だが翼は反応していなかった。
まさかの棒立ちのままであり、すぐ様霧に包み込まれる。
「ちっ!血迷いましたか?!――くっ」
それに気付いたラティは、意味は無いと理解しながらザルヴァに叫びつつ、今度は霧の中に突入しようと反転する。
だが叶わなかった。
完全に翼を飲み込んだ霧は、不可思議な力で他者の侵入を拒む。
「流石に元老なだけはありますね。これは中々……!クソッ!だから油断し過ぎなんですよ貴方は!昔っからもうっ!」
ラティはそれを突破しようとするも、流石は元老と言うべきだろう。一目見て、容易く貫ける物ではないと理解出来るものだった。
ラティは感情を剥き出しに毒づきながら、少しでも早く霧の壁を突破しようとする。
「久方ぶりだな悪魔の娘よ」
だがその彼女に声が掛けられる。
ラティの顔から感情が無くなり、一瞬で無表情に変わった。
ラティが背後を振り向くと、そこには吸血鬼がいた。
「……確か、ブライドさん、でしたね。貴方はディーバさんでしたか?それに……。どういったご用件で?私は見ての通り忙しいのですが」
それも一体ではない。加えて言えば、どれもこれも最近に見た顔ばかりだ。
ラティは無感動ながらも苛立たしげに霧を示す。
「ククク。無駄だとも。あの忌々しい男は今頃ザルヴァ様に……。もう死んでいるかもしれんなぁ?」
吸血鬼の一人が昏く笑う。
「……そういうことですか」
ラティは微かに舌を鳴らす。
この霧の中で、翼はあのザルヴァと向かい合っているのだろう。
「この手であの屈辱を晴らせぬが……。しかしその分はお前に味わって貰おうか。小汚い悪魔の割に、顔だけは見事だからな。クックック……。最下級の奴隷として可愛がってやろう」
吸血鬼達は翼から受けた屈辱を、共に居たラティで晴らそうと言うのだろう。しかも吸血鬼十体という念の入りよう。普通ならば群れることは無い彼らだが、ザルヴァから指示でも受けたのだろう。
仮にも名家の名を継ぐラティに対して油断はしないということだ。
そして実際に吸血鬼を討ち果たした翼には自らが当たると。
「意味が分かっているのですか?協定です。戦争になりますよ」
ラティは今この場での霧の突破を諦めた。こんな状況で他に気を散らすことは出来ない。
「それがどうした!我ら吸血鬼が貴様ら悪魔に負ける訳がないのだ!ずっと邪魔だと思っていたのだ!地下に篭っていればよいものを!貴様が奴隷と化した時こそが聖戦の始まりなのだ!」
以前と変わらぬ内容の忠告は、以前通りの結果を返すこととなった。
完全に己の種族に酔っている。自らが正義と疑っていない。
「……あの元老は本物ですね。それが吸血鬼の総意と受け取っても?」
ラティは戦う前にと、僅かながらにも情報を引き出そうと問い掛ける。口の軽い吸血鬼ならばベラベラと話してくれるだろうと期待した。
「ふん!あの腰抜けどもは立とうともせん!だが奴らもすぐ理解するだろう。吸血鬼の力を!悪魔共の血を啜れば!この世界は誰の者かを!」
一つだけ良い情報が得られた。
即座に全面戦争に陥ると言う事にはならなさそうだ。
「成る程。一部の馬鹿だけでしたか。安心しました。しかし元老にまでこんな馬鹿が居たとは……」
面倒な事になるだろうが、流石にラティではそこまでは口を出せない。だが理性あるもの達ならば、戦争など起こそうとする訳がない。精々頑張ってもらおう。
「貴様ッ……!口を謹め!」
尊大な吸血鬼達に、ラティは気にせず指を二つ立てた。
「あなたがたは二つ勘違いをしております」
無視された吸血鬼達が危険な空気を纏い始める。
だがラティはそれすらも無視をした。
「一つ。ザルヴァ・ファン・グリムラーズはツバサ様に殺されます」
ラティは断言した。
元老である吸血鬼ザルヴァは、翼に倒されると。
吸血鬼達は一瞬、言われた事が理解出来なかった。
「……何?ははは!あの悪魔の男か!?どうやったかは分からんが大層な力を持っているようだな。だがザルヴァ様は始まりの吸血鬼の一つ!悪魔風情がどんな事をしようとも勝てる道理がない!」
だがすぐに笑い出す。遥か昔から生きる吸血鬼。吸血鬼の中の吸血鬼。悪魔の若造が程度が相手を出来る訳がない。
「グラン・ブラックペイント。それがあの方の本当の名前です」
その笑いは、ラティの良く透る声で止まった。
「…………ブラック?」
聞き間違いかと、冗談だろうと、皆の視線がラティに集まる。
ラティはわざとらしく胸を撫で下ろした。
「ご存知のようで良かった。そこから説明する必要があるのかと思いました。そう、あの方は『色』付きです」
悪魔の一部は名前の中に色が含まれる者がいる。ラティもそのうちの一人だ。
過去、祖先が何か偉業を成したからこそ与えられた名前だ。
数多の悪魔が存在する中、『色』持ちは少ない。近年では新たに『色』を与えられる者など存在しなかった。
しかしそんな中で、『色』を与えられた悪魔がいる。与えられたのは『黒』。
例え吸血鬼が外部のことに詳しく無くとも、その事は知られているようだ。
「た、たかが悪魔だ!」
しかし吸血鬼達は騒ぎ立てる。大層な名前を持とうとも、相手をするのは元老の一人。相手になるわけがないと、そう信じていた。
「あの方はある日突然現れた。そしてあの余りの力に誰もが恐れた。力を誇りとする悪魔達が、戦いもせずに頭を垂れた。……何もする気が無かったのに、ただただ力を恐れられた。だからこそ『黒』を与えられ、ご機嫌取りに女をあてがった」
ラティは楽しげに歌うように囁きながら、もう一本の指を畳んだ。
「二つ目の勘違いですが。そのあてがわれた女はただの女ではありませんでした。万が一。万が一『ブラック』が暴れ出した時に止められるかもしれない者。どうにか出来る可能性がある者を送った」
ラティはあてがわれただけの女だ。
悲壮な覚悟を決めて、命は無いものと考えて、家族との別れさえ終えて、彼に名前を与える為に向かった。
正しく怪物というに相応しい魔力を辛うじて耐え抜き、遂に出会ったのは、余りに普通な男だった。
いや、普通というより馬鹿だった。
魔力の抑え方も知らない馬鹿野郎だった。ラティは彼を刺激せぬように細心の注意を払いながら魔力の収め方の手解きを続けた結果、彼が本当に魔力が馬鹿げているだけの悪魔だと理解した。
理解して、あんなに固めた覚悟が無駄だった事も理解した。
いざという時、何としても相討ちに持ち込まなければと考えていたのに。そんな覚悟は全部パーになった。全てが馬鹿らしくなって、彼に八つ当たりしたら情けない顔になった。だから更に八つ当たりして、気が付いたら楽しんでいた。
「まさか、私が弱いと思っておりましたか?見ているだけだったから、勘違いしていましたか?」
そう、ラティはあの怪物相手に刺し違える可能性を持っていたのだ。魔力の塊に対抗する術を持っているのだ。
そんな彼女が、吸血鬼の十や二十、相手に出来ぬ訳がない。
ラティは魔力を開放した。翼に比べるべくも無い小さな儚い魔力だ。だがそう感じるのはラティだけだ。
「うっ、おおおおっ!?」
「な、なんだこの力はァッ!?」
「ば、ば、化け物めぇッ!!」
吸血鬼達にとっては、ラティですらも化け物にしか見えなかった。
だからラティは思う。
彼らは幸せなのだと。本当の化け物を知る事は無いのだから。
だがラティは逆に、翼程に優しくは無いのだ。
「……私はあの方の様に、優しくはありませんよ」
ラティは翼とは違う。彼ほどの魔力は持ちようも無いが、完璧に制御しきっている。精緻の細を尽くしたラティの魔力が牙を剥いた。




