10話 ご安心くださいませ
家を出るときから本当に腕を組み、学校まで連行された。老若男女の視線を痛いほど集めた翼の精神は砕け散りそうだった。
ようやく離れたのは下駄箱でだ。
「あら」
下駄箱を開けた瞬間に飛び出した中身に、ラティは無感動なまま呟いた。
「何それ」
自分の下駄箱を開けようとした翼はその手を引っ込め、拾おうとするラティに手を貸そうとする。
そのうちの一つを手に取ったラティは、表と裏を見てから鞄の中にそれをしまった。
「はて。……ラブレターでしょうか」
それは手紙だった。無数の手紙だった。
恥ずかしげもなくラブレターと口にするラティは、悪魔学校時代にも良くあった事と気にした様子も無い。事務的に拾い集めていく。
「おいおい……凄い量じゃない」
すぐにラティの鞄に入りきらなくなった。仕方なく、残りを積み重ねていく。
「私はツバサ様に夢中だとアピールしたつもりでしたが。足りなかったのかもしれませんね」
ラティは無感動な瞳の中に、面倒そうな色を浮かべた。お陰で翼は内心胸を撫で下ろす。
「勘弁してくれ……」
翼は苦笑しつつ、自分の下駄箱を開いた。
その瞬間、ラティと同じ現象が発生した。
「ツバサ様もですか」
ラティは即座にそのうちの一つを奪い取り、目を細めて見つめた。そのあと、無感動な瞳を翼に向ける。
翼も一つを拾って震えた。
「呪いの手紙だ!これ呪いの手紙だよ!」
ラティのものとは違い、剥き出しのものが多かった。そのうちの一つ、ラティが取ったものに至っては、大きく『呪』と書かれていた。
どれもこれも、禍々しい空気を醸し出していた。
「ツバサ様はモテモテですね。安心しました」
ラティは感心したような声色を出して翼を煽る。
「呪いだっつってんだろ!?」
馬鹿な翼は今日も今日とてラティに噛み付き返す。
乗ってきた馬鹿に対して、ラティは瞳の奥に楽しそうな光を灯す。
「まあまあ。ラブレターも混じっているかもしれませんよ?」
『何?!』と翼が素早く手紙を集めていく。そんな中、一つの手紙を見た瞬間、翼は目を剥いた。
「……こ、これは!」
「如何されました?」
まさか本当にあったのかと、ラティは警戒を灯して覗き込む。
だが書いてあったのは、特徴的な汚い字でデカデカと『腐れ落ちろ』と書かれているだけの紙切れ。
「源の野郎だ……!この字、間違いない!」
その汚い字に見覚えありまくりの翼は吠えた。昨日はあのまま帰って来なかった源は、こんな事を考えて嫌がったのだ。もしかしたら発端なのかもしれない。いや、間違いなく発端だろう。奴はそういう男だ。
「はあ。仲の宜しい事で」
安っぽい男達の友情を見たラティは気の無い返事を返しつつ、念の為本物のラブレターが存在しないかと高速で目を走らせる。
「あの野郎……!」
一人燃え盛り返り討ちにしてやろうと猛る馬鹿を放置して、ラティは全ての検分を終えた。全て呪いの手紙だった。
これならば全く問題無い。
満足気に頷くラティに、心の中で源をボコボコにした翼が問い掛けた。
「……で、どうすんの?」
その目線はラブレター。翼のものとは違って、大切な想いが詰まっているものだ。
「これですか。勿論お断り致しますが……多いですね。どうしたものでしょう」
ラティはあっさりと断りを入れる事を告げたが、その数の多さにどのようにすべきかを悩み始める。
昔は無視していた。それで不埒な輩に絡まれようとも実力で排除した。
しかし、今そうすれば翼に良からぬ噂が飛び火するかもしれない。その事を憂いたのだ。
「あっそ」
翼としては断るならばそれで良い話だ。こう見えても、翼もラティは好きなのだ。どこが好きかと問われると難しいところだが、好きであるという事には疑問は持たない。
「まさか妬いておいでで?」
ラティはその瞳を翼に向ける。
心の奥底まで映し出すような深い瞳が翼を捉える。
「いや、そうじゃないけどさ」
翼は慌てて目を逸らし、言葉を濁した。
それだけでラティには良く理解出来た。妬いているのだ。
「では分かりやすくしましょうか」
顔には欠片も出さずとも堪らなくなったラティは、爪先を伸ばして顎を持ち上げた。
「ん?――?!」
翼が目を逸らしていた事で反応出来なかった。
ラティは下駄箱で、翼と唇を重ね合わせた。
ピシッと固まる翼の唇を舌でなぞり、瞳を閉じる。
「わっ!?」
「……ッ!」
「ぎゃあああ!!」
「う、嘘だろ!?嘘だと言ってくれぇ!」
下駄箱は黄色い悲鳴と阿鼻叫喚の叫びに包まれた。
たっぷり数十秒も重ね合わせていたラティは、名残惜しむようにゆっくり顔を離した。
「……――ふぅ。一石二鳥というものですね」
公衆の面前で熱い接吻を交わしたのだ。ラティが演技でもなく誰と付き合っているかはすぐに噂となるだろう。
「ツバサ様、行きましょうか。――ツバサ様?」
ラティが翼を促すが、翼は動かなかった。ラティは翼の顔を覗き込む。
「…………」
翼は昨日の様に停止していた。
昨日である程度の耐性が出来ていたようだが、不意打ちのキスには心が耐えられなかったようだ。
「これは好都合ですね。さ、行きましょう」
ラティはむしろ好都合とばかりに腕を絡め、外見は仲むつまじく、その実引っ張って教室に向かった。
その日源は下駄箱で倒れた後、保健室から帰って来なかったそうだ。うなされながらも、ひたすら呪詛を唱えていたと保険医は言う。
「面白いものですね」
ここは翼の自室。結局この日も学校が終わるまで帰って来なかった翼は、昨日と同じバカップルっぷりを皆に見せ付ける事となった。
そして今、わざわざ翼の目の前でラティがラブレターを読んでいた。
「…………」
流石に名前と中身までは見せないが、それでも時折感想を漏らして行く。
「駄目で元々、淡い期待を込めて。自分の方が相応しい。ああ、騙されている、などというものもありますね」
あれ程バカップルっぷりを見せたのにラブレターが届くとは。内心で呆れ果てていたラティは、様々な理由で送られて来たラブレターを大まかに分類していった。
しかしどれも共通している点はある。明確に書いてあるものは少ないが、彼等は余程この容姿と身体が気に入ったのだろうという事だ。
誰の為に必死に磨いたと思っているのか。その誰かさんは褒めてなどくれないのが癪に障って仕方がない。仕方がないが、そういう相手に惚れた弱みだ。
しかし褒めてはくれなくても、先程から気の無いそぶりを見せる翼の意識はこちらに釘付けだ。悪い気はしなかった。妬いてくれているという事は、好意があるという事なのだから。
しかし妬いているのかと聞いても否定するだろう。だからラティは、翼が悩んでいるもう一つの方面で揺さぶりをかける。
「まだ気にしているのですか?昨日あんなにしたのですから、今更キスなどしても変わらないでは無いですか」
「悪化したよ!絶対悪化したよ!ああああ明日が怖い!また呪いの手紙が満載されてるかも!」
案の定乗ってきた。
悩んでいるのは半分本当だろうが、それよりもラブレターの山に視線が向いている。
「良いではありませんか。手紙だけなら実害はありません。すぐに皆様も慣れて下さるでしょう。それまでの辛抱です。それに仮に呪われたとしても運命と受け入れて下されば宜しいかと」
ラティは愛おしくて愛おしくて堪らなくなって、翼をいじめているのだ。こうする事が楽しくて仕方がないのだ。
「その運命ってラティが操作してるよねぇ!?ねえ?!」
「はて何のことか。これも全てはツバサ様の行動の結果では無いかと」
ラティは首を傾げて白を切る。
確かに色々と面白おかしくなるように細工は施しているが、それもこれも翼がラティを選んだからだ。
あの告白の時に断っていたら、ラティは此処には居なくなっている筈なのだ。つまり今の全ては翼が選んだ結果。
そう正当化して、ラティは翼に絡み付く。もう離れる気も、逃す気も毛頭無かった。
ラティはしつこいのだ。
「絶対俺だけじゃないよ!確実にラティが――……」
口八丁でするする逃げるラティを捕まえようと足掻く翼は、不意に言葉を止めて顔を引き締めた。
その視線が虚空に向かう。
「またですか」
ラティも気を引き締めた。
静かに素早く制服を脱ぎ、メイド服に着替え直す。ただのメイド服では無い。戦闘にも耐えうる特注品だ。
「だね……」
翼は立ち上がる。
端正な顔が引き締まり、普段の馬鹿丸出しの雰囲気をかなぐり捨てる。
これも翼の本当の顔の一つだ。
「三度目ですし、如何にツバサ様といえども完璧に拘束出来るでしょうか。ええ、それを試すという意味では良い相手です。吸血鬼で無ければ死にかねませんからね」
ラティは内心でその横顔に見惚れながら軽口を叩く。
今回は翼が捕捉している。家のものに問うまでも無いだろう。
「明日も早いし、さっさとやろう」
精悍な顔が苦笑に変わる。それにも見惚れるラティは、銀髪を手早く一つの三つ編みに纏めあげ、歩き出した翼の後を追う。
「はい。ちなみに帰宅後の予定は?」
翼は、ん?と首を傾げ、何か用事があっただろうかと首を傾げる。
「寝るだけだよ。宿題とかあった……?」
まさか心が旅立っている間に宿題でも出ていただろうかと不安に歪む。
あんなに強いのに、こんな事で情けない顔になる。ラティはそれが堪らなく愛おしくて感じる。
「いいえ。こういう事はされますか?」
ラティは翼の手を取り、自らのお尻に押し当てた。翼の大きな手の感触を感じた。
「――ッ!!」
びくっ!と震えた手が、迅速に逃げ出していく。
翼の顔が真っ赤に染まった。
「されるようですね。では手早く済ませましょう」
ラティは期待に身体と心を昂らせた。
そんなことは欠片も顔には映し出さないが、ちらりと翼に顔を見られてしまった。期待している事がバレてしまったかもしれない。
翼は何故かラティの考えを見抜いてくるのだ。一体どうしてバレているのか分からないが、適確に願い通りの行動をしてくる時がある。
表情は隠せていても、瞳の奥に微かに灯る色を正確に読まれているのだ。
そんな事、ラティには想像も出来ていなかった。
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