09話 ええ本当に好き放題にできました
「行ってらっしゃいませツバサ様」
おかしい。明らかにおかしい。
「……行ってきます」
翼は朝から猛烈に嫌な予感を感じていた。両親がニコニコしているのはもういい。最近ではいつもの事だ。
だがラティの言葉のキレが何時もより鈍っていた気がしてならない。いや、間違いなく鈍っていた。
悲しいことだがそれが分かるようになっていた。そしてそういう時のこの女は突然爆弾をぶん投げてくるのだ。
翼は、いつどこでラティが爆弾を放り投げてくるのかと戦々恐々と休まらぬ朝を過ごした。
結局朝は何事も無く終わりを告げ、翼は気のせいだったのかと思い始めた。
最後にラティの顔を見ると、ラティは微かに微笑んでいた。そう、微笑んでいた。猛烈に嫌な予感を覚えた翼は、脱兎の如く逃げ出した。
「…………」
そして逃げ着いた学校で、翼は死んだ。椅子に腰掛けたマネキンのように微動だにせず、焦点の合わない瞳を黒板に向けていた。
「ラティヴィア・シルバータイムと申します。皆様、よろしくお願い致します」
ラティはいつも通りの無感動な顔のまま、深々と頭を下げた。
その身に纏うのは高校の制服。見るからに外人であるラティでも良く似合っていた。
その雰囲気に、クラスメイト達は一様に息を飲む。彫刻が動き出したかのような静謐な雰囲気に呑まれてしまっているのだ。
「……あー、質問はあるか?」
静まり返る教室の中、教師が何とか我を取り戻す。
するといの一番に反応したのは、我らが変態三浜源だった。
「はい!こ、恋人はいますか?!」
あんまりにも唐突に放たれたあんまりな質問に、女子達の温度は氷点下にまで下がった。ちなみに評価は既に最低のため、下りようがない。
「……最低」
「はい。おります」
だがラティは答えた。
何の躊躇もなくズバッと。
表情が変わらぬため、人ではなく人形の様にも見えるラティ。そんな彼女に恋人が存在するのか、お眼鏡に叶う奴がいるのかと、教室が色めき立つ。
ラティはすっと手を伸ばして、はっきりと翼を示した。
「そちらで間抜け面を晒してらっしゃる、ツバサ様です。将来を誓い合った仲です」
どんな時も翼を貶すことを忘れない。
「ええええええええええっ!!」
女子達は当然ながら騒ぎ出す。もっとこう、ラティの外観に釣り合うようなクールな感じの男性が恋人だと考えていたのだ。
「死ねぇーッ!!」
そして源は裏切り者に襲いかかった。
だか飛び掛かる前に、ラティは両手を広げて立ち塞がる。
「私のツバサ様に何をなさるおつもりですか?」
いつも冷たい瞳は、こんな時に向けられると軽蔑しているようにしか見えなかった。
「神は死んだッ!!」
源は死んだ。冷たい瞳に心を砕かれ散ってしまった。
「リーダー!リーダー!」
心が死んだ源は、仲間達によって蘇生処置が行われ始めた。
変わりに動いたのは女子達だ。
「何で何で何で?!何で付き合ったの?!どこで知り合ったの?!」
日波明日香は翼の幼なじみであるといっても良い関係である。そんな仲であるにも関わらず、明日香はラティの事を何も知らなかった。こんな楽しそうな事隠してやがってこの野郎と、気になって仕方がなかった。
「はい。皆様も良くご存知かと思われますが、ツバサ様は馬鹿です。だからこそ面白可笑しく――失礼。微笑ましく感じまして。気付けば目が離せなくなっておりました。場所は秘密とさせて頂きます」
ラティはハキハキと恥ずかしげも無く答えていく。翼の話題ならば貶すことを忘れない。
女子達は翼の顔を見て成る程と頷いた。馬鹿であることは周知の事実で、ラティはそれが好きという奇特な女の子なのだと理解した。
また別の女子が手を挙げる。
「ラティヴィアさんは外国の方よね!?このこと親御さんは知ってるんですか?!」
銀髪蒼眼である。明らかな外人というか人外である。
両親が知っているのかと言われれば、それは当然知っている。
初めは泣いて謝られて翼に充てがわれたのだから。再会したのもしっかり伝えてあるので、落ち着いたら両親に頭を下げさせに行かなければならないだろう。
「勿論です。ツバサ様のご両親方にも非常に良くして頂いております」
ラティは自分の親ばかりか翼の両親にも公認の関係であると宣言した。
余りにも進んだ関係に、女子達はまた騒ぎ出す。
「あ!あの時のお弁当!ラティヴィアさんが作ったの?!」
つい昨日の翼が持って来たお弁当。
ホームステイの子が作ったと公言していたあれを思い出し、また別の女子が身を乗り出す。
「はい。ツバサ様のお母様から教わりながら」
翼は母親の悪ノリで作られたと言っていた訳だが、それが真っ赤な嘘である事が白日の元に晒された。本気の恋人弁当だったのだ。
「教わったって。あの、朝よね?!」
死んでいく男子達とは真逆に、鼻息を荒くする女子達。その中でも明日香は舌舐めずりせんばかりの顔で踏み込んでいく。
「はい。ツバサ様のお宅に住まわさせて頂いておりますから」
ラティはあっさりと同棲している事を公言した。もはや後戻りは出来ない。ラティは悪魔の如く着々と翼の退路を絶っていく。
「えええええっ!?大丈夫なの?!同棲とかいいの!?えっ!えっ!ええっ!」
「す、進んでる!外国は進んでるわやっぱり!」
女子達は皆が皆ギラギラと瞳を輝かせて騒ぎ続ける。最高の話しのネタだ。
「畜生!畜生!畜生!」
「源ーっ!?袋!誰か袋持ってこい!」
男子達は死屍累々だった。源に至っては過呼吸を起こしている程だ。
「学業に支障をきたす事はありえませんから」
ラティはそんな騒ぎを巻き起こしつつも、表情を変えずに宣言する。
「そ、それはそのっ、し、しないって事?!」
耳年増な女子が、そんな事まで聞き始める。
ラティはその女子を見た。その冷たい瞳に射竦められた女子はびくりと震えたが、次の瞬間ラティは意味ありげに微笑んだ。
「どうでしょうね?」
明言はせずとも、その笑顔を見れば答えは言ったようなものだ。
「きゃああああああ!!」
「ぎゃああああああ!!」
女子は最高潮に盛り上がり、男子は地獄に落ちた。
「黒木黒木黒木ぃ!ちょっとちょっと詳しく話しなさいよ!ラティヴィアさんだけに話しさせてるんじゃないわよ!」
明日香は鼻血を垂らしながら、幼なじみの気安さからずっと黙っている翼を叩いて詰め寄った。
興奮に満ち満ちたその顔が、ふと曇る。
「……黒木?」
翼は目を開けたまま遠いところに旅立っていた。ラティが現れた瞬間には、既に逝ってしまっていたのだ。
「……し、死んでる!」
明日香は冷たくなっている翼に戦慄した。
「大丈夫です。すぐに帰って来ますので」
だがラティは恋人が旅立っているのに全く心配する素振りも見せない。
「そ、そうなの?大丈夫なのコレ?」
落ち着い様子のラティと動かない翼を見比べ、明日香は不安げに眉を寄せる。
「はい。良くある事ですので」
しかし、ラティは深く頷いて太鼓判を押した。
良くあるんだ。やっぱ黒木君も大概変だわー、と女子達は思ったという。
「ツバサ様」
ラティは物言わぬ彫像と化した翼の口に、手ずから弁当のおかずを詰め込んでいた。
「如何ですか?お母様から教わったのですが」
呼べば振り向き、箸を寄せれば口を開く。帰って来たかのように見えるが、その実翼は未だに遠いところに旅立っていた。
「……オイシイデス」
機械のように反応を返す翼。翼が壊れる度にラティが仕込んでいた甲斐があるというものだ。
「そうですか。ではこちらもどうぞ。さ、口を開けて下さい」
翼が逝っているうちに仕込みを終えようと、ラティは教室のど真ん中でウインナーを箸で摘まんだ。
「『あ~ん』」
相変わらず顔も声も無感動なものだ。だが行動だけ見ればバカップルにしか見えない。
条件反射で翼の口が開き、ウインナーが押し込まれる。ゆっくりと咀嚼が始まると、その間にまたラティは新たなおかずを持ち上げる。
「本当にやる人っているのね」
「す、凄いね」
「うん。……何だかドキドキするね」
女子達はやはり、バカップルシーンを見て胸を高鳴らせていた。漫画でしか見たことが無いような事を目に出来て眼福である。
「怨みだけで人が殺せるのならば……ッ!」
「遠いところに行っちまったなぁ……」
「あいつ、あれ大丈夫なのか?」
男子達は様々だ。源は保健室から帰ってこない。それ以外の男子は、血涙を流す者、遠い顔で空を見る者、翼の顔を見て眉をひそめる者もいた。だが結局確認は出来ない。
常にラティが側にいるのだ。あの空気に割り込む勇気は持てなかった。
「ではこちらもどうぞ。お母様からも完璧と太鼓判を頂きましたよ。『あ~ん』」
当然大丈夫では無い翼は、ラティに操られる人形になっていた。
「美味しいですかツバサ様?」
「オイシイヨ」
聞かれた事に答えを返すだけ。その答えもプログラミングされた決まった答えしか返さない。
クラスメイトの中でも、数人はその異様な雰囲気に気付きつつあった。
「そろそろ喉も渇いておいででしょう。これをどうぞ」
出されたコップを掴み、喉に流し込む翼。その動きはどこからどう見ても直線的であった。それはまるで――
「…………ロボット?」
誰かがそう呟くのも仕方ない程の動きであった。
「ハッ?!」
翼は目を覚ますと同時に飛び起き、外を確認した。外は暗く、布団の中にいた。
つまり、今までのアレは。
「……夢か」
翼はニヒルに笑い、気配に気が付いてそちらを見る。
「お帰りなさいませ。遅いお帰りで」
制服姿のラティが隣で座っていた。
「何でお前が着てるんだぁーッ!!」
翼はラティから飛び離れようとしてベッドから転がり落ちた。それでも叫ぶ事を止めようとはしなかった。
「はて?同じクラスに転校したでしょう」
ラティの無感動な瞳の奥に愉悦を見つけ、翼は戦慄した。
「何で?!何で来た?!ラティは学ぶ事なんて無いだろ?!」
翼は理解不能だと叫んだ。
ラティは才女である。翼とは違って、悪魔時代に相応の教育を受け育ってきた筈だ。今更高校レベルで習うものなど無いはずだ。
「ありませんね。しかし、ツバサ様は無闇矢鱈に顔だけは良いですからね。例え他が宜しくなくとも私のような奇特な方が現れないとも保証出来ませんから」
ラティの目的はまた違うものだ。
確かに学ぶ事は何もない。だが守るものはあるのだ。こう見えても、ラティは独占欲が強いのだ。
「あれだけ見せればおかしな虫は付かないでしょう」
ラティは何処となく満足気な様子で頷いた。
翼の脳内に、夢だと思っていた風景が流れ出す。
四六時中ラティが側にいて、歩くときは腕を組み、授業中は身を寄せ合って同じ教科書を見た。昼食では一つの箸で二つの弁当箱を開けた。手ずから食べさせらて、甲斐甲斐しくお世話をされた。
傍目から見たら、殴りたくなるようなバカップルだった。
「いやああああああッ!!」
翼は枕に頭を打ち付け始めた。
ラティは瞳の奥に恍惚を浮かべ、荒れ狂う翼を見つめて微笑んだ。
「楽しかったですねツバサ様?手ずから食べる姿は小鳥の様でしたよ?」
ラティは悪魔の微笑みを隠しもせずに表に出した。それ程までに彼女は満足しているのだろう。
「何て事を!何て事をしてくれたんだぁ!明日からどんな顔をすればぁ!」
翼は向けられる生温かい視線と嫉妬の視線を思い出し、激しく転げ回る。
同じ箸で食事とか、家でもしないことだ。それを公衆の面前でやらされた。
「食べたのはツバサ様ですよ?」
その考えを読んだラティが、実に悪魔らしい顔を浮かべる。
「食べさせたのはラティだろ!?あああああ何故俺はあの時あんな事を……!」
翼はダラダラ脂汗を流しながら過去の自分を責め立てる。そんな事をしても時間は戻らないが、そうせざるを得なかった。現実逃避とも言う。
「気にしなければなら良いでしょう。ええ、明日からもたっぷりと見せつけましょうね」
ラティは学校のように翼にしなだれかかり、腕を絡めて来る。
「死ぬわ!恥ずかして死ぬわ!」
翼が叫び泣き喚くが、ラティは構わず押し倒した。
「何が恥ずかしいのですか?愛し合う男女の仲睦まじい姿ですよ。全くあの様な事を恥ずかしがるなど……。その前に自分の考えの無さを恥じて下さい」
のしっと翼のお腹にお尻を乗せ、じっと翼を見下ろして頬を撫でる。誘惑しているのか貶しているのかどちらだろう。どちらにせよ、ラティとしてはどちらでも構わない事である。
「――――」
腹に感じる体温と、前髪が触れ合うほどに接近したラティの整い過ぎた顔。その顔がどんな表情を浮かべるかを知る翼は、男の悲しさ故に息を呑んだ。
「そうですね……。明日からは腕を組んで登校しましょうね。そうすればツバサ様を狙う奇特な方も完全に居なくなるでしょう」
その様子を間近で捉えたラティは、校内だけでは無く外でもべたべたする事を宣言した。提案などでは無く、これは決定事項だ。
「い、いやあああああああっ!!」
翼はご近所さんの噂を想像して泣いた。ちなみに既に母親によって噂は立てられている事を、翼は知らない。
まあ鉄板ですからね!




