揉めないおっぱい、揉めるおっぱい、どちらもおっぱいならばそれはおっぱいである
突然だが、君たちはおっぱいを揉んだことがあるだろうか?
それは赤ん坊の頃の記憶か、学生の頃の記憶か、大人になってからの記憶か。
揉んだことがない人は一度、自分のおっぱいを揉んでみて欲しい。
俺は知々田茂夢、おっぱいを研究するしがない一般人だ。
自己紹介を終えた所で、先の質問に戻るが諸君らはおっぱいを揉んだことがあるだろうか。
俺は赤ん坊の頃に恐らく揉んでいたことと、自分のおっぱいを揉んだことの二つの例がある。
他人のおっぱいを揉んだ事がある者は、今すぐにその経験を俺に語って欲しい。
おっぱいとは人体の神秘であり、人の夢、人の希望そのものだ。
是非とも、他人のおっぱいを揉んだことがある人は、その経験は家宝にしてくれ。
何故、おっぱいを揉んだことがあるかを聞いているのか気になるか?
質問を質問で返すなとは教わっているが、これに関しては許して欲しい。
おっぱいを俺は何と例えたか、思い返してみてくれ。
神秘、夢、希望と言ったはずだ。人の神秘、夢、希望を聞くのに理由がいるだろうか。
友達同士でも、親との会話でも、先生や先輩、後輩との会話でも良い。
不思議なものを見て興奮を覚える、夢について語り合う、将来の自分に思いを馳せる。
そういう会話を、誰しも一度はしたことがあるはずだ。俺には無いが。
俺にとっては、それと同じことなのだ。特別、何かを思う訳でもない。
動物が生殖行為に子孫繁栄以外の意味を求めていないように、俺もおっぱいを揉んだ以上の意味を求めていない。
単純に気になるのだ、あの柔らかさには人を癒す力がある。
自分のですら感触が良く感じるのなら、他人のならばどうか。
生憎俺は、赤ん坊の頃に揉んだことがあるかもしれないと言うだけで、確証を得られている訳でもないし、当時の手の感触、おっぱいの揉み心地を覚えていない。
だから諸君らに聞いているのだ。
おっぱいを揉んだことがあるのか、と。




