3.Side:ジェット
そこから数日は、いつも通り本を読んで貰ったり、彼女と話したりしながら過ごした。本はもちろん自分で読むこと出来るのだけど、まだ疲れるのもあるし、何より彼女に読んで貰うのが好きだった。ようやく手が自由に動くようになってきて、自分で食べられるようになってきた。腕の力かなり戻ってきて、何もかも順調だ。相変わらず体が痛いのはそのままだけど…。肌の状態もよくなってきている。今そこに見える手も綺麗になってきている。
「オニキス、僕の手、綺麗になってきたと思わない?」
「そうですね、よくなってきたと思います」
窓を開けてくれていた彼女へ、思っていたことをぽろっと口に出す。なんかちょっと乙女っぽいな、などと思ってしまった。
外の風と一緒に、彼女がこちらにやってきた。夏も終わりで涼しくなってきている。なんとなく外の風を感じたくて、窓を開けて貰っていた。
近くまできた彼女が、僕の手を持ち上げてまじまじと見つめる。うんうん、と頷いている。本当に真面目だなぁ、真剣に見つめている。
腕の力も戻ってきていたし、ちょっと彼女の驚く顔がみたい。そんないたずら心が沸いてきた。
「えいっ」
彼女に見られていた手で彼女の手を握り、思い切りひいた。彼女の頭がとん、と胸にあたる。空いた方の腕で彼女を腕の中に閉じ込める。すっぽり入る。細いなぁ。
「…ジェット様?」
「ずいぶん力が戻っただろ?」
「そうですね」
「ふふ、君のお陰だね、いつも本当にありがとう」
言いながら、ぎゅっと抱き締める。
「いえ、それは、良いのですが…」
あの、と彼女が腕の中から見上げてきた。驚いたというか、戸惑っている顔だった。
「…嫌だった?」
「いえ、嫌と言うか…」
嫌と言うか何かなぁ、と思ったけど、彼女は言葉を探しているようだったので、さすがにこれ以上の意地悪は出来なかった。
「いっつも君からだろう?」
「私から?」
「うん。僕の調子が悪いときは、君がいつも世話してくれるだろう」
「…あぁ。そう…と言えば、そうですかね?」
「男としてはやられっぱなしというのはね」
「やられっぱなし…」
「あ、僕が迷惑に思ってる訳じゃないからね」
彼女が誤解して受け取らないよう、しっかり伝えておかなくては。
「早く歩けるようになりたいなぁ」
抱き締めたままため息をつく。
「何かしたいことがありますか?行きたいところが?」
腕の中から見上げてくる、彼女の瞳を見つめる。本当に綺麗な、シルバーの瞳。
「んー。今は内緒、かな」
「行きたいところがあれば、教えてください。連れていけます」
「連れていけます?」
「はい」
一緒に行くとかではなく?…ま、まぁ、いい。
「どこかに行きたい、というわけじゃないんだ。したいことと言うか、今の目標ってかんじかな」
「なるほど…では、今日も頑張りましょう」
「うん…頑張るんだけど、なんか、頑張ってるのは主に君だよね?」
治療の魔法を受けるだけでは?と思い問いかける。すると、彼女は少しだけびっくりしたように固まった後、ふるふると首を振りながら答えられた。
「毎日不調に負けずにいたのは貴方ですよ。それを頑張ってないとは言いませんよ」
なるほど。妙に納得してしまった。
「なるほど、そういう言い方をすると、そうとも言える?」
「私よりずっと、貴方は頑張ってます」
凄いと思います、と言われて、ドキリとしてしまう。辛くて、諦めようとしていた。いや、諦めてた。誰も見てないし、誰も気にかけることもない。もうこのまま、時間が過ぎていくのを感じるだけだな、と思っていた。
頑張ってます、か。誰かに認められるというのは、こんなに救いになるんだな。
ふふっと笑って言った。
「じゃあ、結構かっこいいんじゃない、僕」
ふざけて言って空気を変える。喉の奥から沸き上がる感情を、ぐっと飲み込んだ。
「そうですね、とても」
すっと口元に手を寄せて、ふふっと笑った。無邪気な、年相応の…いや、それよりも幼くみえるような、そんな笑顔だった。
心が大きく揺さぶられて、重症だな、と心の中で自嘲気味に笑った。
「では、今日も始めていきますね」
差し出された彼女の両手を握った。
もう、わかっている。自覚している。僕は、彼女が好きなのだ。その笑顔が好きだな、と思った。
それから数日後、腕や脚を丁寧にマッサージされながら、うーん、と唸る。
「どうしました?」
「いきなりよくならないかなぁ、と思って」
彼女は不思議そうに首を傾げていた。
「いきなり?」
「こう…ある日いきなり、全身に力がみなぎって、全快!みたいな」
わかる?と笑顔と一緒に彼女に問いかけてみる。
「…なるほど」
わぁ、納得されちゃった。こうなってくると、自分で自分が恥ずかしくなってくる。
「いや、じょ」
冗談だよ、と言いかけた言葉を遮って、彼女が言った。
「自分の力で…というのは今すぐはできませんし、全快ではないですが…」
以前話したときも思ったんですが、立って歩く、ぐらいは出来ると思います、と彼女は言った。
驚いて目を丸くする、とはまさに今この状況を言うのでは、と思った。
「なんだか緊張してきた」
ベットの縁に腰掛けながら、座るのを手伝ってくれていた彼女に話しかける。
「大丈夫です」
彼女の瞳が真っ直ぐ見つめてくる。
「問題があればすぐやめます」
「うん、君のことは信用してるから、心配してるとかじゃないんだけど…。その、自分の足で立つなんて、どれぐらいぶりか…。そんなことないと思っていたから」
うーん、と、一息に一気に話した後、自分でも言いたいことがわからなくなってしまった。
「感慨深いって感じかな」
彼女は真っ直ぐ見つめたまま、黙って聞いていた。
「…よし。とにかくとても楽しみだし、やろう!身体強化みたいなもの?」
「そうですね、私が必要な力を魔法で補助するという感じでしょうか」
僕の様子を注意深く見ながら、彼女は両手を差し出した。その両手に自分の両手を重ねる。もうすっかり薄くなったアザのある両手を。
「…準備は良いですか?」
「うん。僕はいつでも」
答えながら、内心ワクワクしていた。歩けることも楽しみだし、彼女の魔法を見るのが楽しみだった。
ふわ、と座ったところから、風を感じる。なるほど、風で浮かせる、ということかな?
「立ってみてくれますか?」
彼女の声に、よしきた、と心の中で返事をする。握った両手に力を入れて、足にも力をいれる。少しだけ手をひいてくれたようで、楽に立ち上がれた。
「…ととっ」
立つのが久々で、立って姿勢をキープする感覚を忘れていた。うまく立つことが出来ず、立ち上がった勢いのまま、彼女の方に傾いた。彼女が肩で支えてくれる。
彼女と立って並ぶのは、始めてだ。あまり身長は高い方ではないが、彼女は僕より小さかった。僕の口の辺りに彼女の目があった。
「大丈夫ですか?」
「…うん、大丈夫そう。勢い余ってぶつかっちゃった、オニキスこそ大丈夫?」
「はい、私は大丈夫です」
話しながら、彼女が魔力を調整しているのがわかる。足にはほとんど重さを感じない。見事なものだ。
「凄い、全然自分の体重を感じない。これは自分で立ってるって言えるのかな…」
「少しずつ様子を見ながら調整します。浮いてるみたいになってますね」
少し自分の体重を感じた。
「…歩いてみますか?」
「おお!良いね!」
僕がワクワクして言うと、彼女は口の端で笑っていた。
彼女がこちらを向いたまま、後ろに向かって一歩ずつ下がった。それに合わせて、僕は右足、左足、と足を動かした。
「…おお!凄い、歩けてる!」
「私もだいぶ慣れてきました。片手を離しますね」
彼女は左手をそっと外して、横に並んだ。
目線を動かして、部屋のなかを見渡す。いつも見ている部屋だが、立ち上がって目線が変わると気分も変わるものだ。
「目線が高い」
「…そうですね」
くすっと、横で彼女が小さく笑った。
「まだ歩けそうなら、外まで行ってみますか?」
「よし、そうしよう!」
嬉しくなって、大きく頷きながら返事をする。
彼女に手をひかれながら、部屋から出た。
「…うわ、うちってこんなだったっけ?なんか、記憶がないかも…」
廊下を歩きながら、キョロキョロしてしまう。玄関に向かって歩くと、ダイニングにあたる部屋に来る。そこには小さなキッチンと机と椅子がある。
「早くここでオニキスと一緒に食べれるようになりたいな」
「…次の目標ですね」
「その時はまた情報解禁して貰わなきゃ」
そんな話をして笑いあいながら、玄関のドアを開けて、外に出る。
窓を開けて外の空気を感じることはあったけど、外に出るのはやっぱり違う。
「うわぁ、気持ちいいなぁ」
思わず目を細めてしまう。別に外に出るのが特別好きだった訳ではない。それでも、ずっと家の中にいると、外に出るのは気持ちが良いものだ。
「あそこにベンチがありますから、座りましょう」
彼女の指差す先には、ベンチがあった。…え、うちの庭ってベンチのあったんだ。彼女に手を引かれながら、ベンチを目指した。
手を借りながらベンチに座った。思わず、ふーと長めのため息が出た。彼女はいつの間にか持っていた膝掛けを僕の膝に置いてくれた。とても準備が良い。
「大丈夫ですか?」
「うん、結構平気かも。もう元気かもしれない」
彼女が微妙な顔をしているのに気付いて、あはは、と笑いながら慌てていった。
「わかってるよ、冗談だよ。君の魔法のおかげ」
まあ、とりあえず座りなよ、と隣を指すと、彼女は素直に隣に座った。
「私は少し力を貸してるだけです」
真剣に言う彼女に、あはは、とまた笑ってしまう。
「そんなに頑なにならないでよ。少しずつ良くなってる…僕ら二人の頑張りってことだね」
ね、と笑って言うと、隣に座る彼女は少しだけ笑ってくれた。
風が吹いて、僕と彼女の髪が揺れた。陽を浴びて揺れる彼女の髪は、少し入ったシルバーがきらきらと輝いていた。
庭にはベンチがあるだけで、特別花を植えたりはしていない。森の中にあるこの家は木に囲われるように建っている。少しはなれたところにはえている木が、風に揺れているのが見える。
「静かだねぇ」
呟くようにいうと、横で彼女は小さく頷いた。
「…こんな静かな、穏やか時間をゆっくり過ごすのは初めてです」
「ん?」
「ずっと、毎日忙しく過ごしていたので。こんな穏やかな時間と言うのも悪くないですね」
森の木々を眺めながら、彼女はどこか遠くを見つめているように目を細めながら言った。彼女が自分のことを自分から言うなんて、珍しく感じた。
「そうなんだ」
「はい。日々、魔法の…」
彼女は、あ、と小さく呟いた。少し悩むように、手を口元に持っていき、黙ってしまった。
「どうしたの?」
「…私、自分のことなにも言ってませんでしたね」
今気付いた、とばかりに彼女は過去の自分の発言を思い出しているようだった。なんだかそれがひどく面白くて、思わず笑いがもれた。
「そうだね…ふふ。前に自分のことを話すのは得意じゃない、とは言っていたけど。それ以上に、僕は君が自分のこと話すのは嫌いで、あまり触れられたくないのかな、と思っていたよ」
「いえ…そういうわけではないのですが…。すいません、あまり人と話すのがうまくなくて」
「話すのがうまくない、なんて感じたことないよ」
そうですかね、と彼女はこちらに向き直った言った。
「それに、僕が情報解禁を楽しみにしてるって言ってたのもあるからね」
我ながら無茶苦茶だな、と笑いが漏れてしまう。
彼女も答えるように薄く笑って、また、遠くを眺めた。
「毎日、魔法の研究と勉強したり…」
チラ、と僕の方を見たあと続けた。
「普通の人…他の人がどのように毎日過ごしているのか知らなかったので、私の毎日は変だったようです」
「変だったようです?」
「私は魔法を使って働いていたのですが、そのときに一人、部下と言うか、上司と言うか…。まぁ、同僚がいたのです。そんなに話したりもしていなかったのですが、ふと昔話になり、私の幼かった時の話を伝えたところ、いや、それやばすぎ、と言われました」
「やばすぎ」
「はい。凄く変だったようです」
どうしよう、凄く気になるけど。やばすぎる幼い時の話ってなんだろう。遠くを見ていた彼女がこちらに向き直って言った。
「面白い話ではないと思いますが…。その時は、他の人はどうしてたのかわからなかったので、なんとも思ってなかったのですが…」
聞きますか?と問われ、うん、と頷いた。
「小さいときから魔法を使うことが得意で、周りも私と共に魔法について研究してました。魔法を使っているか、本を使って勉強するか…。いつも気付いたら朝になってました」
「気付いたら朝に?」
「はい。起きたらまた勉強するか、魔法を使うか…。その間で、思い出したときになにか適当に口にいれてました」
ん?
「同僚に言われました。ご飯は決まった時間に食べるものだ、と呆れらながら」
「ま…待って、君の親御さんはそれについて、何か言わなかったの?」
ああ…と彼女が溢した。
「なるほど…そういうことは親に教わるのですね。私は生まれてすぐ親から捨てられたらしいです」
「捨てられたらしい?」
「捨てられたのか、なんなのかはよくわからないんです。手紙も何もなかったので…。ある日、建物の前に、赤ん坊がいたそうです。このネックレスと一緒に、布に包まれて」
そう言いながら、彼女は首からさげたネックレスをチャリ、と音を立てながら持ち上げた。
「そんな風に過ごしてました」
え!
「終わり?!」
「はい、それしかなかったので。魔法の鍛練ばかりして、魔法の研究の協力をしていた、という感じですね。毎日限界以上に魔法を使うと、魔法の力は伸びていきます。なので、毎日魔力が切れるまで使って、その辺で気絶してて…という感じですね」
まぁ、あんまり記憶もないんですけどね、と少し遠い目をしている。心がツキン、と痛みを感じた。話し始めてから、感じていた違和感が何かわかった。目が、違う。昔を思い出しているときの彼女は、いつも僕と話すときと目が違っていた。
「オニキス」
名前を呼びながら、彼女の横顔にかかる髪を耳にかける。自分の指で彼女の頬をそっと撫でる。彼女と目があったことを確認して、にっこり笑いながら伝える。
「またフレンチトーストが食べたい」
ちょっと驚いた顔をしたあと、少しだけ笑いながら言った。
「今ですか、急ですね」
「うん、なんか急に食べたくなっちゃった」
そう言った彼女の瞳はいつも通りで、僕もいつも通りで話した。
「そろそろ中に戻りましょう、明日も体調が良ければまたお連れします」
「そうだね、そうしようか」
そこで、彼女が何かを思い付いたように、あ、と小さく言った。くすっと笑ったあと悪戯でも思い付いたような顔をした。珍しい。誰だこんな顔を彼女に教えたのは!…うん、知ってる。僕だ。
「魔法が好きでしたもんね…。魔法で戻りましょう」
「魔法で!良いね」
どんな…と、僕が言う前に、彼女が僕の腕も握った。ちょっと驚いて、瞬きの一瞬の間に、僕はベットの上にいた。
「…え」
「転移です。これは珍しいし、凄く上手だと褒められるんですよ」
転移…転移は僕だって知ってる。立派な陣を使って、何人もが魔力を注いで、別の陣に移動する…のではなかったか?
呆然とする僕に、ふふっと笑いながら言われた。
「魔法は少し得意なんです」
うん。気付いてたよ。少しじゃないんだろうなぁ、と。でもこれは…多分国でも上から数えた方が…いや、一番とか二番なんじゃないかな?
笑ってる彼女を見る。さっき昔話をしていた彼女とは別人みたいで。
…良いんだ、なんだって。今の君が好きだから。
「…まぁ、そのうち。少しずつ色々教えてよ」
彼女は、あ、と小さく言ったあと、続けた。
「少しずつ情報解禁…ですね」




