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2.Side:ジェット


 どうやら、カーテンを閉めたままらしい。この部屋は暗いのか。言いながら、彼女は立ち上がったようで、動いている気配がする。


「開けますね」


 カーテンの開く音が聞こえた。


「…うん。なんか、明るくなったような、気のせいなような?」

「…残念ながら気のせいでしょうね。明後日ぐらいには効果が出ると思います。…朝ごはんを食べましょう。持ってきます」


 明後日かぁ…。いつか見える日を思いながら、今は朝ごはんに想いを馳せる。最近はまともな固形物を食べられるようになったし、味もかなり感じられる。そして、彼女のご飯はおいしい。


 ドアを開ける音。その後に、良い匂いが…。


「いい匂いだ。オニキスのご飯はおいしいから、楽しみなんだ」


「そうですか?あまりしたことが無かったので、急いで仕込んできたんですが…」


 うん?料理って、習うとかそういう言い回しをするのでは?


「おいしいのであれば…良かったです」


「うん、僕は好きだよ、おいしい」


「たくさん食べられそうですか?」


「ふふん、実はペコペコなんだよ」


 ふふん?と不思議そうにしながら、たくさん食べてください、と言われる。どうして作ってもらって食べる方が偉そうなんですか?なんて突っ込みはない。彼女に僕の小ボケは通じない。


「今日はなに?」


「パンとスープとオムレツとサラダがあります。ハムもそろそろ食べれるのでは、と思い焼いてみました」


 果物もあります、と言われて、思わず盛り沢山だね!と言ってしまう。


「どれくらいがいいかわからず…食べたいものだけ食べてください」


 何から食べますか?と聞かれてスープからお願いする。


 食器のぶつかる音が聞こえて、フーッと息を吹きかける音が聞こえる。


「どうぞ」


 そう言われて口を開けると、そっとスプーンが口に入れられて、暖かいスープを味わう。ミルクを使ったものだ。きっと白いスープなんだろうなぁ。


「…うん、やっぱりおいしい」


「良かったです。たくさん食べてくださいね」


 彼女と話しながら食べる朝食は、いつも以上においしかった。


 そうして朝と晩に治療してもらって、二日目の夜にはぼんやりと物の影が見えるようになった。


「本当に凄いな。ぼんやりとだけど、見えるようになってきたよ」


「効果があったようですね…良かったです」


「最近は、左腕もちょっとだけど動かすことが出来るんだよ」


 ほら、と言いながら、コソ練の成果を見せる。自分の目線も左に向ける。ゆっくりと腕を動かした。…うーん、うっすら見えるような。


「…本当ですね。良かったです」


 そのまま、目線を上にあげ、おそらくそこにいる彼女を見る。…顔を見る日はまだまだのようだ。


「オニキス、一つお願いがあるんだ」


「はい」


「君に触れても?」


「触れる?」


「うん」


「私に?」


「うん」


 彼女はよくわからないようで、困惑の色を声にのせながら続けた。


「それは構いませんが…手を握ったりするのは違うんですか?」


「僕から触れたいんだよ、左が動くようになったからね。僕から届くところにいる?」


「…」


 彼女の動く気配がして、左手に彼女の髪が触れた。髪をスッとすいたあと、ゆっくり彼女の顔があるであろう場所に左手を動かす。


「君は髪が長かったんだね」


「そうですね、話しておりませんでしたね」


「いや、見えるようになったときの楽しみにしたい…。今日は左手が動くようになった記念に髪の長さを解禁だ」


「解禁?」


「よくなるたびに、君のことを少しずつ知れる。情報解禁だよ」


「なる…ほど。…あの、気になることがあれば聞いていただければ、いくらでも答えます。自分から話すのは得意ではなく」


「ううん、いいんだよ。楽しみにしてるんだから」


 言いながら、左手の指先で彼女の頬に触れる。そっと撫でる。


「今日は髪が長いことと頬が柔らかいことを知れた」


「…そうですか」


 ふっと彼女が笑ったようで、触れた頬が僅かに動いた。


 左手をおろしながら伝える。


「うーん。早く顔が見たいと思ったけど、少しずつ知るのも楽しくなってきたなぁ」


「…では、今のままをもう少し楽しみますか?」


「いや、それは嫌だ。早く顔が見たい」


 どっちですか、と笑いながら言われてしまった。男心は難しいのだよ。


「…右手はどうですか」


 両手を彼女の手に持ち上げられる。


「あ、右手も感覚があるかも」


「力は入りそうですか?手を握り返してみてください」


 彼女に言われて、むむむ、と両手に力をいれてみる。


「むむ…ちょっと入る気がする」


「左はもう問題なさそうですね、右も弱いですが握れてます」


 良い感じですね、と言われて嬉しくなる。今日からは右のコソ練をしなければ。


「今日も何かお読みしますか?昨日の続きでも」


 そうだね、と返事をすると、彼女が立ち上がって、本を取りに行ってくれたようだ。


「オニキスが読んでくれるの、とても好きだよ」


「そうですか?声に出して読んだことなんてないので、聞き苦しくなくて良かったです」


 そんな会話をしながら、夜の時間を彼女と一緒に過ごす。


 …なんというか。僕は、幸せ者だなぁ、と思っていたりする。


 それから2日ほどは、少しずつ視力が戻っていくのを感じた。今日の治療で、元通りになるのでは、と思っている。つまり…見えるのだ、彼女の顔が。ちなみに今はピントの合わない世界と言う感じである。今日この時のために、彼女の顔を見ないように気をつけていた。


「なんだかジェット様、今日は嬉しそうですね」


「そりゃそうだろう、今日は君の顔の解禁日と決めているからね」


「解禁日…。本当にそれほど期待していただくものではないのですが…」


「前も言ったけど、本当に顔を見て話したいっていうのが一番なんだ」


 そこで言葉を切って、慌てて下を向いた。無意識に彼女の声の方へ向きかけていた。


「…危ない。楽しみしてたのに、今うっかり見るところだった。目が見えるようになるまで、見ないようにしてたのに」


 ああ、と彼女の声がした。


「ここ数日、なんだか様子が変だなぁ、と思っていたんですが、そういうことでしたか」


 やっぱり変だと思ってたのか。


「僕も君の態度が変だと思ってた。なので、早めに治療に入ろう」


 彼女は、くすっと少し笑ったようで、では急ぎましょう、と言った。


「最初に見るのが私の顔で良いんですか?海とか、綺麗な景色とか色々あるのでは」


「いいんだよ。君の顔で良いんじゃない、君の顔が良いんだ」


 ちょっとカッコつけて言ってみたけど、リアクションはなかった。ああ、顔を見るのがとてつもなく気まずくなってしまった。


 それから、いつも通り彼女の魔法の治療が始まった。僕は正直、とてもわくわくしていた。こんなにわくわくするのなんて、本当に久しぶりだ。


 暖かく流れていたものが止まって、いつも通りの彼女の凛とした穏やかな声が聞こえる。


「終わりです、目を開けても良いですよ」


 そういわれて、僕は固まってしまった。


「ま…待って。緊張してきた」


 ただ目を開けるだけなのに、緊張してきてしまった。


「緊張…。私が外に出て…」


「いや、絶対そこにいて!」


 彼女は驚くほどあっさり出ていきそうだった。ここで、じゃあ外で待ってて呼んだらきて、なんてなったら、僕が久しぶりに見るのは何になるんだ?家の壁??勘弁してくれ。


 彼女の声がする方を向いて、よし、と心の中で気合いをいれる。


「目を開けてみるね」


「はい」


 目を閉じてる間も、目蓋を通して光を感じる。


 そっと目を開ける。眩しさに少し目が眩む。何度か瞬きをして、少しずつピントを合わせていく。


 そこには、彼女がいた。


「…オニキス」


「はい」


「女性にこんなこと…いや、その前に。僕は19歳なんだけど」


「はい、存じております」


 そうかそうか、そうだよな。


「その…君は?」


「…え?」


「年齢は?」


 あ、と彼女が小さな声で呟いた。ああ、やっぱり、あまり表情がころころ動くタイプじゃなかったんだな、と彼女を見つめながら思った。表情に大きな変化はなく、少しだけ、驚いたように目を見開いていた。


「すみません、伝えてませんでしたか…17になりました」


「じ、じゅうなな…」


 年下だった…。そ、それに…


「綺麗系だった」


「綺麗系?」


「いや、ごめん、なんでもない。気にしないで」


 天然可愛い系ではなかった。天然綺麗系だった。髪色がとても変わっていて、茶色の髪にシルバーが入っている。それがまた、彼女の雰囲気にあっていて、不思議な魅力を増している。肌がとっても白くて、顔も小さい。目はスッと横長で、強くて凛とした彼女の声にぴったりだな、と思った。


 作り物みたいな美人だった。


「…顔の解禁、ですね。ご期待に添えましたか?」


 そこで彼女は、本当に少しだけ、口の端あげた。


 心の中で小さく深呼吸して、一呼吸置いて答えた。


「今、君の顔を見ながら話せることの喜びを噛み締めてるところ」


 17歳と言っていたけど、大人びて、落ち着いた雰囲気のある、綺麗な顔立ちだった。引くほど美人だ。ぴん、と張った糸のような、思わず息を止めてしまうような。ミステリアスな雰囲気のある、影のある美人。


「喜んでいただけるのであれば、いくらでもご覧になってください」


 彼女のシルバーの瞳が真っ直ぐこちらを見つめる。うっすらと青みがかかってるようにも見えて、とても綺麗だと思った。


 瞳を見つめ返した後、僕は、左手を動かした。彼女の髪をそっと掬って、右耳にかけた。自分でも、なんでそんなことを、と思ったけど。彼女からは、現実感のない、不思議な雰囲気を感じた。そこにいて、しっかり触れて、現実にいる。夢じゃないんだ、と確認したくなった。


「瞳も髪も、とても綺麗だね。想像とは違ったけど、凄く綺麗で驚いた」


 思ったことを素直に伝えると、彼女は黙ったまま見つめてきた。


「…まあ、つまり。期待以上だったってこと」


 そういって笑って見せれば、彼女は言葉の意味を少し考えていたのか数秒固まった。そして、静かな…雲一つない、月の夜みたいに笑っていった。


「それなら、良かったです」


 僕の言葉に、そんな綺麗に笑ってくれていたのか。やっぱり、会話において顔を見えるとこは大事だなぁ、としみじみ思う。思わず、うんうん、と頷いてしまう。


「どうしました?」


「こうして顔を見ながら話できるのは良いなぁ、と思って」


「…嬉しい、ですか?」


「ん?もちろん!え、伝わってなかったの?初日からずーっと嬉しいよ!」


「初日から?」


「そうだよ」


 彼女が来てくれたその日から、嬉しいことばかりだった。初日から何日かは、体調も良くなかったので、ぼんやりとしていて記憶が定かではないのだけど…。でも、彼女が握ってくれた手の温度も、少しでも辛いと思うと、ずっと側にいてくれたことも、覚えている。どんな時でも、嫌そうな雰囲気は一つも感じなかった。


 今まで何人も使用人はきていた。でも、皆あっという間に変わっていった。僕のこの症状がうつるのを恐れたり、僕を見た瞬間、ひっ、と悲鳴をあげる者もいた。仕方ない、と思った。そこに、仕方ない、と思う以外の感情はなかった。


 そういえば、彼女が来て、一緒にいるようになってから、ずいぶん色んな感情を思い出した。自分の性格でさえ、こんなだったか、と最近思い出した。


「オニキス」


 彼女の名前を呼んで、手の届くところにある彼女の手をとった。


「ごめん、ちゃんと言ってなかったね。毎日とても幸せだし、君が来てくれてとても嬉しいよ」


 真っ直ぐに見つめてそう伝えると、彼女は幸せそうに微笑んだ。


「お役に立てて、良かったです」


 笑って見つめ合うと、手を握ったこの状況が、さすがに少し気恥ずかしくなった。ぱっと手を離して、話題を変えた。


「ねぇ、もしかして今日は…」


「ええ、準備しております。パンケーキです」


 先日、食べたいものはありますか、と聞かれたのでリクエストしていた。


「やった!凄く楽しみだったんだ」


「作ったことも、食べたこともありませんが」


「た、食べたことないの?」


「はい」


 そ、そんなものだろうか。僕の知る女の子は、たいてい一度は食べたことあったと思うのだけど…。


「でも、たぶん作れると思います。作り方は調べておきました。どうやら、甘いデザート感覚の食べ方と、普通の食事のように甘さを抑えた食べ方があるようですが、どちらがよろしいですか?」


 うわ、そこまで調べてるんだ。多分だけど、どちらも完璧に作ってきそうだ…。


「うーん…。どっちも魅力的だけど。前につくってくれたジャムと一緒に食べたいな。まだ残ってる?」


「あります。お持ちしますね」


 用意してきます、と立ち去ろうとする彼女をよびとめる。


「オニキス!皿には二人分持ってきて」


「二人分ですか?」


「そう。今日一緒に食べよう」


 彼女は驚いたように、ぱちぱちと何回か瞬きしていた。


「一緒に…。私も後で食べてますよ?」


「僕が一緒に食べたいんだよ。良いだろ?」


「もちろん良いですが…。わかりました、持ってきます」


「ねえねえ、ベットに置ける机もある?」


「はい、それもご用意してあります」


 よしよし、と先日伝えておいたことを思い出す。手を動かすことができ、目が見えるようになったら、リハビリがてら自分で食べるようにしようと思っていた。そのため、まずはベットに置ける机が欲しかったのだ。


「よし、じゃあ今日は自分で食べる練習をしよう」


「わかりました」


「多分、全部自分で食べるのは無理だから、しばらくは君に手伝って貰うことになると思うけど…。あれ?一緒に食べようって言ったけど、君が2倍大変なだけかもね」


 ちょっとこの提案は早かったか?と自分の中で、はて?と考え込んでしまった。すると、隣からくすくす、と笑い声が聞こえてきた。


「大丈夫ですよ、一緒に食べましょう」


 準備してきます、と言いながら、彼女は出ていった。


 バタン、とドアが閉じた。しばし、そのままドアを見つめた。足音が去っていって遠くまで行ったことを確認してから、左手を持ち上げて、口許を覆う。はぁぁーーっと深いため息つく。


「…勘弁してくれ」


 本当に、本当に、勘弁して欲しい。僕は昔から、綺麗系が好きだった。ちょっとこう…いや、もう、正直に言うと彼女の顔はかなり好みだった。そういう子を見ると、その子の笑顔を見たくなる…と、言うか。ふと見せる、その雰囲気が変わるような無邪気な笑顔がたまらなく可愛いと言うか…。最後に彼女の見せた笑顔がまさにそれだった。え、そんな風にも笑うの?と思ったと言うか…。年相応というか、幼くも見える感じがとてもかわいかったと言うか…。


 そこまで考えて、ふと、自分の手が目に入った。かなりよくなってきたとはいえ、相変わらず不気味だ。ボコボコしているし、肌がところどころ黒くアザのようになっている。彼女はよく初日から躊躇いもなく触ったものだ。そして、僕からもうっかり触ってしまった。彼女は嫌がる素振りさえ見せなかったけど。


 暫くすると、コンコン、と控え目なノック音が聞こえた。


「オニキス、開けて良いよ」


 声をかけるとドアが空いた。彼女は片手でおぼんをもち、もう片手で小さな机を持っていた。うん、なかなかパワフル。


「…ドアは自動で開くのかな」


「さすがにそんなドアはありませんよ、魔法で開けました」


 少しだけ口の端をあげて笑ってくれたので、今回の発言は冗談だと通じたようだ。


 ふわりと甘い匂いがした。朝食の準備をしてくれる彼女を見ながら話しかける。


「パンケーキは上手に出来たみたいだね」


「見たことはありませんが、おそらくあっていると思います」


 チラリとパンケーキに視線をやると、見事に膨らんでいて、とてもおいしそうだった。ふわふわ系だ。


 彼女がこぼれても良いようにナプキンを前掛けのようにつけてくれる。その時近付いてきた彼女の首で揺れるネックレスが目についた。


「ネックレス、可愛いね」


 あまり宝飾品に興味がなさそうに思えたので、ネックレスをつけているのは意外だった。小さな宝石のついたネックレス。声をかけると、手で掴んで、見やすいようにこちらに向けてくれた。


「…なるほど。オニキス、かな」


「はい、おそらくそうかと」


「髪色と同じ茶色にシルバー。とても素敵だね」


 彼女の髪色と同じ宝石が、彼女の手に収まっていた。彼女は感謝を示すように小さく頷き、朝食の準備に戻った。


 自分で食べるチャレンジは早々に諦めた。多少は自分で食べた。このままでは、食べ終わるころには昼ご飯が始まるな…、と告げると、彼女はくすっと小さく笑った。二人で食べるのはやはり楽しかった。彼女は忙しそうだが、器用にパクパクと食べていた。


 一緒に食べようと言っていたのは、ちょっとした心配があったからだった。彼女から感じる雰囲気から、食事も休むのも不要です、とか平然と言うのでは、などと思っていたが…。さすがにそんなことはないようだ。人間らしい面を感じられてちょっと安心した。


「おいしかった…。作ったことなかったのに、ありがとうね」


 片付けてくれている彼女にお礼を伝えた。


「始めてとは思えないくらい上手だったよ」


「きちんと作れたようで安心しました」


 味だけではない。見た目も完璧だった。本当に人間だよね…と再び思ってしまう。


「また食べたいものがあれば、教えてください」


「わかった、ありがとう」

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