忘れ物センターの男
『忘れ物センターの男』】
終電間際の駅で、俺は財布を落とした。
よりによって今日に限って、大事な契約書と身分証が全部入っていた。青ざめて駅員に頼むと、白い手袋の青年が無表情で俺をじっと見つめた。
「忘れ物センターに案内します」
妙に静かな声だった。
案内された扉には“関係者以外立入禁止”と書かれている。
「ここに……落としたんですか?」
「ええ、あなたの忘れ物はすべてここにあります」
青年はそう言って、薄暗い部屋へ俺を入れた。
棚がずらりと並ぶ倉庫のようだが、俺はある違和感に気づいた。
棚に並ぶのは財布や傘だけじゃない。
“写真” がある。
それも大量に。
幼い頃の自分の写真、学生時代の集合写真、元カノとのツーショット——
部屋には、まるで誰かが俺の人生をコレクションしているかのように“俺”が飾られていた。
「おい……なんだこれ……」
青年は淡々と言う。
「忘れ物ですよ。あなたが忘れてきたものです」
「いや、忘れてない!これ全部、俺の過去の……」
「過去は誰でも落とすものです。失ってから気づく方が多い」
ぞくりとした。
写真を手に取ると、ふと棚の奥に見覚えのある小さな箱が見えた。
それは——半年前に突然失踪した親友・沢村が持っていたものと同じだった。
「沢村の……?」
青年はにこりと微笑んだ。その笑顔がぞっとするほど冷たい。
「彼も、忘れ物を取りに来たんですよ。
ただし、思い出したくないものの方が多かったみたいで」
「沢村はどこだ!」
「彼は向こうの部屋です。どうぞ」
青年が指さした先の扉は、病室のような白い光を漏らしていた。
胸の鼓動が早まる。俺は扉を押し開けた——
そこには、病衣のままベッドに横たわり、目を閉じた沢村がいた。
「……沢村!?おい、聞こえるか!」
そばに貼られたカルテには、こう書かれていた。
『記憶喪失(回復予定なし)』
足が震えた。
まさか全ての“忘れ物”をここで抱えきれず、記憶が壊れたのか?
青年が背後で囁く。
「人は、忘れすぎると壊れます。
あなたはまだ間に合いますよ。どうです、思い出していきますか?」
俺は部屋の棚を見渡した。
そこにはさらに不気味なものが並んでいた。
——見たことのない“未来の自分”の姿や記事。
——死亡記事と書かれた紙切れ。
——いつか手に入れるはずの出世の名刺。
「これ……未来か?」
青年は首をかしげる。
「忘れる前に、落としていく人もいるのです。
とても先のものまでね。あなたも、どうぞ選んでください」
俺は震える手で“未来の自分”の書類を手に取る。
そこには——
『2025年12月12日 死亡』
と書かれていた。
「冗談じゃ……ない……!」
思わず駆け出そうとした瞬間、青年の手が俺の肩を軽く押さえた。
「逃げる方もいますが、未来は忘れられませんよ」
青年の目は、まるで古いレンズの奥に底なしの闇があるようだった。
「あなたの未来も、ちゃんとここに保管してあります。
だから——安心して忘れていいんですよ」
耳元でささやく声に、全身の震えが止まらない。
俺は反射的に扉に向かって走った。
振り返ると、青年は静かに頭を下げていた。
「また忘れ物があれば、いつでもどうぞ」
扉を超えた瞬間、気づけば駅の改札前だった。
ポケットには、確かに失くしたはずの財布が入っていた。
……あそこは、本当に現実だったのか?
ふと気づくと、財布の中のカードの裏にメモが挟まっていた。
『12月12日、忘れ物センターにてお待ちしています』
心臓が跳ねた。
それは、三日後の“俺の死亡予定日”だった。




