再び、薔薇の朝に目覚める
灰色の空が砕けた鏡のように屋敷の屋根に映っていた。
冬の終わりの風は鋭く、閉ざされたヴァルデン邸の回廊を冷ややかに吹き抜ける。
アーデルハイト・ファン・ヴァルデンは崩れ落ちるように石床に身を預けていた。
ーー喉の奥が、焼ける。
杯の中で揺れていた赤い葡萄酒は、今や毒の香りを放つ。
唇からこぼれた一滴が床を染め、その色はまるで薔薇の花弁のようだった。
彼女の手を握るのはかつて誓いをかわした夫、フリードリヒ。
その眼差しはかつての優しさをどこかに置き忘れたかのように冷たい。
幼少期から見てきた彼の面影はどこにもない。
アーデルハイトには信じがたい光景だった。
「....どうして?」
その問いは声にならず、ただ涙となって頬を伝った。
男の指が彼女の髪を撫で、静かに言う。
「僕は次男だから実家の爵位を継げない。だから君と結婚したんだ。」
目に涙を含みながらもアーデルハイトは男を睨みつける。
「君が男でなかったことが、唯一の罪だ。」
その言葉と共に、世界が遠ざかっていった。
炎のような痛みの後、全てが静寂に沈む。
心臓が燃え尽きる寸前、彼女の脳裏には無数の"もしも"がよぎった。
もし、私が男であったならーー
もし、私に発言力があったならーー
.....次に瞼を開けた時、彼女は息を呑んだ。
柔らかなは朝の光が、閉ざされていたはずの世界を満たしている。
天蓋の布は淡い象牙色、窓辺には春の花。
鳥の囀りが聞こえる。
アーデルハイトは思わず身を起こした。
視界の端に映る手が、あまりにも若い。
細く、白く、かつての自分が忘れた少女の手だった。
鏡台の前に立つと、そこには16歳の自分がいた。
フリードリヒとの婚約前、裏切りも知らぬ時の顔。
頬は薄紅に染り、瞳には生の光が宿っている。
「.....戻ったのね。」
その呟きは震えていたが、口元には微かな笑みが浮かんだ。
恐れよりも、決意が勝った。
運命が与えた"2度目の人生"。
今度こそ奪われて散ったりしない。
女であることを理由に踏み躙られるならその理そのものを変えてみせる。
アーデルハイトはゆっくりと立ち上がり、窓辺の薔薇に手を伸ばした。
ーー私の一番好きな花。
この花のように気高く生きるわ。
棘が指をかすめ、赤い血が一滴、花弁に落ちる。
「この痛みは、誓いの証よ。」
風がカーテンを揺らし、淡い花の香りが部屋中を満たす。
遠くで、鐘が新しい朝を告げていた。




