#8 魔術師の庭で 2
ジェラール様が馬車から降り立たれる瞬間、わたくしは思わず館から駆け出してしまいました。
もっとこう…淑女らしく落ち着いて行動すべきだったかもしれません。
でも足に羽が生えているみたいに、勝手に飛び出して行ってしまったのですわ!
「アリシア嬢」
ちいさな子どものように駆け寄るわたくしに気づいたジェラール様は、それをたしなめることなく、穏やかで優しい微笑みで迎えてくださいます。
今日は父が不在のため、長兄のアルベールお兄様がジェラール様へ挨拶をいたしました。
それだけでなく、忙しいはずの他の兄たちまでもが全員揃っており、その光景にジェラール様は少し驚かれたご様子でした。
けれど、すぐにあの柔らかな微笑みを浮かべられたので、それを見た兄たちも驚いています。
なんでも、ジェラール様はご公務の場ではあまり笑顔を見せられないとか。
もったいないお話ですわ! あんなにも素敵な笑顔をお持ちなのに。
そんなことを思いながらも、わたくしは妙に居心地の悪いような、恥ずかしいような気持ちになってしまいました。
「あの……ジェラール様……お庭でお茶をご用意いたしましたの……。」
兄たちの探るような視線からジェラール様を少しでも早くお連れしたい一心で、少し焦りながらそう申し上げました。
するとジェラール様は、わたくしに向き直り、静かに頷かれます。
「では、アリシア嬢をしばらくお借りします。」
ジェラール様はお兄様たちにそう告げながら、わたくしに手を差し伸べてくださいました。
その仕草はあまりにも自然で、わたくしの胸がまたしても高鳴ります。
わたくしがそっと右手を載せると、ジェラール様は優しく引き寄せ、そのまま腕に添えてくださいました。
まるで今まで幾度もこうしてエスコートされたかのような……わたくしすっかり夢見心地です。
庭に続く小道を進む間も、ジェラール様の袖に触れる指先が熱を帯び、小さく震えてしまいそうな自分をなんとか取り繕いつつ……そんなとき、不意にお声がかかりましたの。
「素晴らしい庭ですね。」
「ええ……ありがとうございます……。」
もう少し上手にお返事したかったのですが、緊張してしまいます。
わたくしを気遣うように、またジェラール様が穏やかに話を振ってくださいます。
「そういえばアリシア嬢は園芸がお好きだとか」
噴水を囲む薔薇園をゆっくりと歩きながら、そんな言葉が投げかけられました。
「え、ええ…わたくし……あの……そうなのです!」
なんとか返事をしたものの、今度は自分の声が少し上ずってしまった気がして、慌てて視線を逸らしました。けれどジェラール様は気にする様子もなく、優しく話を続けてくださいます。
「今日は、アリシア嬢のお庭も見せていただけますか?」
「ええ……と……。」
わたくしの…庭…?
どういう意味でしょう?
わたくしは一瞬戸惑いながらも、ジェラール様を見上げます。
彼の優しい眼差しに押され、少し間を置いてから微笑みながら答えます。
「あの……こちらの、すべて、ですわ。」
「すべて…ですか?」
「はい。我が家の庭はすべて、わたくしが設計しておりますの。」
ジェラール様の目がわずかに見開かれ、驚きが伝わってくるのが分かりました。
「庭の設計を…? それはまた…確かに…造園ですが……。」
その反応にわたくしは、少し得意な気分になってしまいます。
「ええ、そうなのです。わたくしのささやかな趣味なのですわ!」
言いながら、わたくしは嬉しくなって、目の前に広がるきらきらと輝く噴水と、その周りに咲き誇る薔薇を指差しました。
「……たとえば、こちらの淡いオレンジ色の薔薇は、わたくしと兄のクリストフが幼いころから時間を品種改良してきた品種ですの。一度花開くと3か月は咲き続けますのよ。」
「なんと、そのような品種改良を!」
「それから中央の噴水。こちらも実はとても苦労致しましたの。実は池の下にもうひとつ貯水槽を作り、そこから水を引き上げる仕組みを考えましたの。その水を勢いよく噴水に送り出して……。」
「……噴水から流れ落ちた水がまた戻るのですね。効率的で無駄がありませんね。」
「そうなのです!」
わたくしは熱心に続けました。
「水を戻す角度や速度を細かく計算して、スムーズに循環するようにしましたの。
どうしても思うような水の流れにならなくて、何度も試作を繰り返しましたわ。
でも最終的には、このように、魔力をほとんど使わずに、高く美しく水を噴出させられるようになりましたのよ!」
わたくしは話しながら、嬉しくて興奮してしまいます。
そして、胸をそらせて、ジェラール様を見上げてつい自慢してしまいました。
「実はこちら、先日の王室庭園コンクールで賞をいただきましたの!」
話しているうちに自分でも熱が入ってしまい、思わず熱く語りすぎたかしら、と思いましたが、ジェラール様は黙ってわたくしの話に聞き入ってくださっていました。
「いや…それは……本当に立派なことですね。」
その真摯な言葉に、少し照れくさくなったわたくしは、付け加えました。
「も……もちろん、庭は作るだけでは終わりませんわ。
優秀な庭師たちが陰で支えてくれているおかげで、こうして維持できているのですわ。」
そう言いながら、彼に向き直り、その瞳をじっと見上げます。
一瞬の沈黙の後、ジェラール様の口から静かに言葉が紡がれました。
「………素晴らしいことです。」
その声には一切の迷いも飾りもなく、真っ直ぐな想いが込められていました。
その真剣な眼差しに、私の胸は小さく高鳴ります。
「公爵邸の庭も、あなたにお任せしたいですね。」
「まあ! お任せいただけるのでしたら、わたくし、とても嬉しいですわ!」
思わず声を弾ませて答えると、ジェラール様は穏やかに微笑み、それからふと思いついたようにおっしゃいました。
「アリシア嬢、……その噴水の仕組み、もう少し応用すれば、例えば邸の上階にも水を引けるようになるのではありませんか?」
ジェラール様の言葉に、わたくしの心は一気に弾みました。
「邸に……ですか?」
思わず驚きつつ、好奇心で胸が膨らむのを感じながらお尋ねします。
「ええ。水が噴き上がる時の力を利用して、さらに高い場所へ運ぶ仕組みを組み込めば、邸内の別の場所にも水を届けられるのではないかと考えたのですが……。」
「確かに……!」
わたくしの目がぱっと輝きます。頭の中で可能性が次々と広がり、まるで新しい地図が描かれていくような感覚。
「その仕組みを活用すれば、庭だけでなく、家の中でも大いに役立ちますわね!
水が勢いよく流れる力を途中で分岐させて、その流れを高い位置まで導くような工夫を加えれば……!」
ジェラール様もその熱気に応えるように微笑み、さらに提案を加えられます。
「ですが、その際には、水の流れが途中で弱くならないように何らかの補強が必要かもしれませんね。」
そうおっしゃりながら、ポケットからハンカチを取り出されるジェラール様。その動きにわたくしの視線が吸い寄せられます。柔らかくて描きにくいはずの布地なのに、まるで貴族のたしなみといった所作で、さらさらとその場で簡単な図を描き始められたのです!
「このように、ここにもう一つの分岐を設け、ここに小さな補助装置を置けば、勢いを保ちながら水を運べるのではないでしょうか。
それと、この位置でついでに水を温めることもできるかもしれませんね。」
その見事な手さばきに感嘆しつつ、わたくしは図を覗き込みました。
「なんて素敵なアイデアでしょう……! ありがとうございます、ジェラール様。」
図を描かれたハンカチを受け取る手が、少し熱を帯びるのを感じます。
「湯を使用人たちが運ぶのに、ずいぶん苦労していると聞いておりますの。この仕組みを家の中に導入できたら、きっと皆が喜びますわ。」
わたくしの心にじんわりと温かい灯りがともるようでしたわ。
ジェラール様、わたくしがちょっと説明しただけですのに、そのすべてを理解して下さって、さらには素晴らしいアドバイスまでいただけました。
なんて頭の良い方なのでしょうか。
尊敬してしまいます。