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#7 魔術師の庭で 1

 さすが「氷雷の騎士」と呼ばれるジェラール様、何事も驚くほど仕事が早いのですわ。

 その日のうちに、わたくしの父にご挨拶をし、承諾を得ることを、あっという間に済ませてしまわれました。

 父は元々乗り気でしたので、驚きはしませんでしたけれど。


 あとは陛下の御許可をいただければ、婚約は正式に整います。

 もっとも、御許可といっても通常それは形式的なもので、ダメと言われることなどまずあり得ないそうなのです。


 ジェラール様はあれから毎日、時には一日に何回も、わたくしの様子を尋ねるお手紙をくださいます。

 好きなお料理のこと、お気に入りの場所のお話、それから、好きな色や好きな花についても。


 ジェラール様の字は形が整っていて、力強くもあります。

 けれど、どこか柔らか、優しい印象も受けるのです。

 もちろん、わたくしもお返事を書かないわけにはいきません。

 すぐに机に向かい、慎重に言葉を選びながら返事をしたためますの。


 あまりにお手紙の往復が多いものですから、届けてくださる使者の方が少しお疲れのご様子で……。

 それに気づいたとき、少し申し訳ない気持ちになりましたわ。

 ですから、少しお返事を我慢してみようと思いましたの。

 そうしたら次にご使者がいらしたときに、「お返事をいただくまでは帰れない」とおっしゃって……。


 ああ、でも、これはあくまで実務的な結婚ですもの。

 甘やかな恋愛だからなのでは決してありませんわ。

 きっとこれが、お互いを知るために一番効率的な方法と考えていらっしゃるのだと思いますわ。

 公爵家の当主としてのお仕事に加え、騎士団長としてもご多忙を極める方ですもの。


 それでも……。

 何度も何度も読み返したお手紙の内容は、目を閉じても脳裏に浮かぶほどです。

 たとえその文字が「公務の合間に少しだけ書いた」というような短いものだったとしても。

 そのわずかな時間にもわたくしを思い出してくださった…と、その度に胸の奥が、なんだか不思議にざわめきます。


 あの日、王宮の温室に響いた彼の声や、わたくしを見つめた瞳のことを思い出してしまうのです。


 わたくしを優しく見つめるジェラール様の美しい紫色の瞳。

 わたくしの名前を呼ぶジェラール様の、その甘やかで優しい声。

 わたくしの両手をそっと握ったジェラール様の力強い騎士の手……。


 思い出すとその光景が鮮やかに浮かび上がり、まるで夢の中にいるような気分になります。

 気づけば、心がふわふわと宙に浮かんでいるようで、ぼーっとしてしまっていました。


「……リシア、アリシア!」


 わたくしを呼ぶ声に、はっと我に返りました。

 気がつくと、手に持った紅茶のカップが斜めになり、温かな液体がテーブルにこぼれ落ちています。


「あっ……」


 慌てて立ち上がると、すぐ上の兄、フロリアンお兄様が深いため息をつきながら、濡れたわたくしのドレスに手をかざしました。次の瞬間、柔らかな風の魔法でドレスを乾かし、元通りにしてくださいます。


「ありがとう。フロリアンお兄様……」


 周りを見ると、テーブルに着いている他の兄たちが何とも言えない微笑みを浮かべています。

 まるで、珍しい動物でも観察しているかのような表情でわたくしを面白そうに眺めているのです。


「まさかシャルトリューズ公爵とはな。」

「俺もさすがに予想外だったよ。」

「今までアリシアの周りをうろついてきた連中よりはまあ、少しはマシだがな……。」

「この間近づいてきたモント家の次男は最悪だったな!」

「いや、それよりもっと酷かったのは……。」


 もう……勝手なことばかりおっしゃって!


「今日も一日そうしているつもりか?」


 3番目のクリストフお兄様がそうおっしゃいましたが、もちろん違いますわ。


 そうです。

 今日は!

 ついにまた、ジェラール様にお会いできるのです!!

 我が家にお招きして、庭でお茶をすることになっておりますの!

 なんて楽しみなことでしょう!!!


 *******


 その後もずっと、わたくしはテラスの近くの、門の様子が見える場所で落ち着かなく過ごしておりました。

 時間がこれほど遅く進むと感じたのは、生まれて初めてのことですわ。

 時計の針は、まるでわたくしをからかっているかのように、進んでは止まり、止まってはまたゆっくりと動くのです。

 ときどき鏡に映る自分の姿を見て、髪の乱れやドレスのシワが気になり、身なりを整えます。


 背後から長兄のアルベールお兄様のたしなめるような声が聞こえました。


「アリシア、さっきから何回鏡を確認しているんだ。

 うちの鏡をもっと信用してやってくれ。」


「……!」


 鏡の中のわたくしは顔を真っ赤に染め、何も言い返すことができずに固まっています。


 やがて、遠くから敷石を踏む車輪の音が微かに聞こえてきたような気がしました。

 胸が高鳴るのを感じながら窓の外を覗くと、門がゆっくりと開き、一台の馬車が静かに姿を現しました。その扉には、間違いようのない公爵家の紋章が輝いています。


 そっと深呼吸をしようとしましたが、呼吸の仕方を忘れてしまったかのようでした。鼓動は高鳴る一方で、その音が耳の中にまで響いているように思えます。

 慌ててもう一度鏡に目をやり、自分の姿を確認しました。

 髪の乱れを整え、頬の赤みを両手で抑えます。


 双子のディミトリお兄様とエミールお兄様もそっくりな顔をにやにやさせて言います。


「アリシア、いっそ庭にその鏡を抱えて行ったらどうだ?」


「いや、閣下の瞳を鏡代わりに使ったらいい。」


 耳まで赤くなったわたくしは、それが聞こえなかった振りをしながらも、どうしても抑えられない微笑みが口元に浮かぶのを感じました。


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