#38 光の国の闇を守る者
おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
熱さに……喉が渇きました。
ふと目をやると、ジェラール様の手が。テーブルの上を探るようにさまよっていました。
体力が戻ったわたくしは、そっと空中に手を伸ばし、口の中で小さく呪文を唱えて、冷たい水の入ったグラスをふたつ取り寄せました。
そのうちのひとつを、そっとジェラール様の手に握らせて差し上げます。
「……ああ、ありがとう。」
ジェラール様とわたくしは、言葉もなく、互いにグラスの水を一気に飲み干しました。
冷たい水が喉を通り、火照っていた体がようやく落ち着いていくのを感じます。
飲み終えたグラスを、かたん、とテーブルに並べて置いた音が、ぴたりと二人同時に響きました。
「……どうして俺が欲しいものがわかったんだ、アリシア。」
ジェラール様の低い声が、静けさを切り裂くように、けれどどこか穏やかにわたくしの耳をくすぐります。
「君のそばにいると、俺はどこまでも甘やかされてしまいそうだ。」
その言葉に、わたくしはふと頬が熱くなるのを感じました。
けれど、ジェラール様が求めていらしたものを正しく察することができた喜びが、自然と微笑みを誘います。
「アリシア……君はどうやら、普通の令嬢ではないようだ。」
ジェラール様の声には、どこか厳粛な響きが混ざっていました。
「君には、何も知らずに、妻として、気安く過ごしてほしいと思っていた。
だが……やはり、話しておいた方がいいかもしれない。」
「は……い。…………?」
「シャルトリューズ公爵の妻になる、という意味を、ね。」
そういって、ジェラール様はわたくしを膝に抱いたまま、深く息をつかれました。
四阿の静かな空気の中で、彼の思いが静かに、しかし確かにわたくしに向かって、言葉を選びながら紡いでいきます。
「君は、シャルトリューズ公爵家について、どういうことを知っている?」
「ええと……。」
わたくしは戸惑いました。
失礼がないようにこたえるには、どこまで申し上げればよいのでしょうか。
「我がリュミエール王国の光を支える、輝ける三大公爵家の筆頭であると……。」
「……それから?」
「その御当主の……ジェラール・シャルトリューズ卿は……。」
言いながらジェラール様の顔をちらりと見上げました。
「……第一騎士団長の役職もお持ちでお忙しいと伺っておりますわ。」
ジェラール様が、令嬢の皆様に人気があって、理想の結婚相手としてランキングの上位であることは、『シャルトリューズ家について』ではないことですもの、申し上げなくてよろしいですわね。
それとも申し上げたほうがよろしいのかしら。
「……まあそうだな。他には……たとえば……悪い噂などは?」
ジェラール様の眼差しがわたくしを試すように、しかしどこか柔らかく見つめています。
「……あの…………数年前に、不幸な事故があったということは……伺っておりますわ。」
わたくしは少し息をのんで、言葉を続けました。
ルチアの家で聞いた、先代公爵の魔獣召喚に関する噂話は、言う必要がないと思い、そこで口をつぐみます。
「……やはり、君はとても賢明な女性のようだな。」
ジェラール様は私の髪を指先ですいて持てあそび、その先に口づけを落としました。
「それは、君がいま頭の中で気づいたように、あれは事故、ではない。事件、だったんだ。」
言いながらジェラール様は、私を抱き寄せました。
その動作は、わたくしを怖がらせないためというよりは、むしろご自身を安心させるためのように見えました。
「この話は、もう過去のことだ。詳しく話しても、君にとって楽しいことは何もない。
だが要点だけ伝えると……。」
ジェラール様は、わたくしの手を両手で包み、真剣な目で見つめました。
「魔獣が……現れたんだ。公爵邸に。
それは……当時の公爵夫人であった義母のエレノアが、その弱さにつけ入られて、生み出されたものだったんだ。」
わたくしははっとして息を呑みました。
魔獣を召喚したのは、先代公爵様ではなく、エレノア夫人……?
いえ、ジェラール様は「生み出された」とおっしゃいました。
まさか……そんな……!
恐ろしい想像が頭をよぎりますが、それを振り払うように首を振りました。
「アリシア、聞いてほしい。
エレノアは……魔獣を、身籠って…産んだ。」
「……!!」
その言葉に、わたくしの胸は締め付けられるようでした。
やはり……!!!
魔獣の子を宿すなど、どのような恐ろしい契約があったのか、想像することさえできません。
そうするに至ったエレノア夫人の心の闇はいかほどまでに深いものだったのでしょうか!
けれど、すぐに頭を振り、震えるような思考を振り払おうとしました。
このままでは、怖すぎる想像が次々に頭を巡り、何も考えられなくなりそうでした。
「……あの……エレノア様は、とても美しくて、先代公爵様に愛されていたのでは……?」
その問いを口にしながらも、内心ではひどく動揺していました。
わたくしの頭の中では、エレノア夫人が抱えた闇と、シャルトリューズ家の悲劇が交錯して、まるで霧が立ち込めたように視界がぼやけていきます。
その恐ろしい秘密を知ることで、わたくしが知っていた世界が、少しずつ崩れ始めるような気がしていました。
ジェラール様は浅く笑い、首を横に振りました。
「エレノアを愛したのは、父ではない。時の王、タンザナイトだ。
彼女は束の間の寵を得て、タンザナイト王の子を宿し、その処遇を考えた末、シャルトリューズ家の妻となったんだ。
なぜなら……シャルトリューズ家は、王位継承権を引く家柄だからね。
結局、その子は産まれることがなかったのだけれど……。」
ジェラール様の言葉を聞き、わたくしは驚きとともに、腑に落ちるものを感じました。
シャルトリューズ家にまつわる噂の中で、エレノア夫人が持つ異質な雰囲気。その理由が、ようやく明らかになったからです。
シャルトリューズ家の光と闇、その重みがどんどん近づいてきて、息苦しさを感じます。
けれど、その理由を知ることで、わたくしが何かを受け入れなくてはならないような気がしてきました。
「王位継承権……ジェラール様もお持ちなのですか?」
ありがとうございます。
あと2回で完結です♪




