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#37 熱を、分けてくれますか


 ジェラール様の怪我は、命にかかわるような大きなものではありませんでしたが、わたくしの魔力はすっかり使い切ってしまったようです。

 少し息が上がります。

 疲れてうとうととするわたくしを、ジェラール様が、焦った様子で抱きとめてくださいました。


「大丈夫か、アリシア?」


「……お恥ずかしいことですが、実はわたくし、これが精いっぱいですの。」


「……いや、充分だよ。アリシア。」


「本当に……治癒はあまり得意ではありませんの。ごめんなさい。

 大きな怪我を癒すのは難しいですから……お怪我はあまりなさらないでくださいね。」


「わ、わかった。……無理をさせて悪かった。」


 ジェラール様が心配そうにわたくしを抱きしめながら、どんどん冷えていく身体をなんどもさすって温めようとしてくれます。

 そのぬくもりがほんのりと、とても気持ちの良いことといったら。

 わたくしは恥ずかしがる余裕もなく、おとなしく彼の胸に顔を寄せて丸くなりました。


「……今まで、この迷宮に入れたのは、父だけでございましたのよ。」


「魔術師団長殿と同等の戦果を得られたことを、誇りに思うよ。」


 ジェラール様はわずかに笑みを浮かべながら、まるで当然のことのようにおっしゃいました。


 わたくしの胸の奥が、どこかくすぐったいような、不思議な感覚に包まれました。

 ジェラール様に、迷宮の鍵を破られたことが、決して不快ではありませんでした。

 むしろ、心の奥深くで何かがじんわりと広がっていくような……。

 いえ、それがどのような感情なのか――まだわたくしにはわかりませんの。


「ああ……君に、何かしてあげられることはない?」


 そうおっしゃるジェラール様の瞳が、本当に心配そうに揺れています。

 ああ、そんなに驚かないでくださいませ。

 すぐに、元に戻りますわ…。


「……ありますわ……でも………。」


「何? 何でも言ってくれ!」


 お互いに強い魔力を持つ魔術師同士でしたら、手のひらを合わせるだけでも、魔力の交換ができます。

 でも、そうでない場合は、より近づくこと……例えば口づけを交わすことで、少しその熱をもらうことができるそうなのです。

 今までにそんな機会はありませんでしたから、実際に行ったことはないのですけれど。


 わたくしは、出かかった言葉を飲み込みました。


「……大丈夫です。こうしてくっついていて下されば、ジェラール様の熱を少し分けていただけますから。」


 ジェラール様は私の瞳をのぞき込みました。

 その真意を探るように、静かに、揺れるような眼差しで。


「アリシア。」

「はい、ジェラール様。」


 寒さに震えながら、わたくしは小さく微笑みます。


「間違っていたら、すまない。

 だけど……。」


「………。」


「アリシア。今、君に、キスしてもいい?」


 その一言に、わたくしの胸は大きく跳ねました。

 言わなかった言葉を正確に読み取ってくださったジェラール様に、わたくしは同意のしるしとして微笑み、そっと手を伸ばしました。


 ジェラール様の首の後ろに両手を回し、指を絡ませると、少し汗ばんだ髪が指先に触れました。


 ジェラール様の瞳が、一瞬艶やかに揺らめいたかと思うと、次の瞬間、わたくしの唇に熱が下りました。


 一度試すようにそっと離れ、そしてすぐにもう一度、今度は深く――。


 ジェラール様の唇は、ご自身の熱をすべてわたくしに渡そうとしているかのように熱く、そして濃密でした。

 わたくしの冷え切った身体の中に、じんわりと温かさが広がってゆきます。


 その間、ジェラール様の舌がわたくしの口内を優しくも大胆に探りながら、少しずつ熱を分け与えてくださいました。

 冷たかった指先にも次第に血が通い始め、わたくしは身体全体が温まっていくのを感じます。


 ……ジェラール様の熱を受け取ってばかりで、わたくしは彼を冷えさせてしまうのではないか……そんな心配が、一瞬よぎりました。

 けれど、それはすぐに杞憂だとわかりました。


 ジェラール様の身体は、それでもなお、新たな熱を生み出し続けているようでしたから。


 そのことに気づいたわたくしは安心し、控えめながらも、彼の熱に応えるようにそっと舌を絡ませました。


 ジェラール様はわたくしの変化に気づかれたのか、一度息をぐっと飲み込み、そしてさらに強くわたくしを抱きしめられました。

 お互いの心臓の音が重なるほどに、隙間など一切ないほどの距離で――。


 そうして再び、角度を変えて深く口づけてくださいました。



 初めてのキス――それはきっと小説に描かれるような、微かに触れるだけのものだと思っていました。

 ほんの一瞬の触れ合いだけで、けれどその余韻を何日も夢見るような、儚く、優しく、心に残るものだと。


 でも現実は、全然違いました。


 ジェラール様は、まるでわたくしの命の炎をさらに掻き立てようとしているかのように、わたくしと繋がったその場所から、新しい熱を注ぎ込み続けてくださいました。


 ドクン、ドクン――首筋の脈が速く打つのを自分でも感じました。


 それに気づかれたのか、ジェラール様の唇がわたくしの首筋へと移り、強く脈打つ血管を優しく唇でいたわるように触れられました。

 そしてそのまま、ドレスのデコルテへと下り……まるで耐えきれないといった風情で、そこに深く口づけを落とされます。


 ジェラール様の唇、指先が、触れるたびに、わたくしの身体の奥深くまで炎がくすぶるように広がり、その生まれて初めての感覚に、耐えきれなくなったわたくしは思わず声を上げてしまいました。


「あ……ぁあっ…………!」


 その声が、朝の光の中に小さく響きます。

 わたくし自身、こんな声が出るとは思わず、驚きと恥じらいで顔が熱くなるのを感じました。


 ジェラール様もその声を聞き、はっとしたように動きを止められました。

 そして名残惜しそうにわたくしの首筋にもう一度唇を残したあと、顔を上げられました。

 その瞳には、まだ深い感情が揺らめいています。


「……アリシア。」


 その低く甘い声に、胸が大きく跳ねます。


「ジェ…ジェラールさ……ま……。」


 息が乱れて、うまく言葉になりません。

 ジェラール様は軽く触れるようにもう一度わたくしの唇に口づけを落としてから、ゆっくりと引きはがすように身を離されました。

 その動作は、まるでこの瞬間を断ち切りたくないと願うかのように、慎重で丁寧でした。


「温かく……なれましたか……?」


 掠れた声の中に、わたくしを気遣う優しさと微かな迷いが滲んでいました。

 その響きが心の奥に柔らかく触れて、さらに揺さぶります。


「は………い……。ありがとう………ございます。」


 そう答えるのが精いっぱいでした。

 唇が熱を持って腫れているのを感じます。

 わたくしの身体はすでに十分な温かさを取り戻していたはずなのに、それでも胸の奥では、まだどこか名残惜しさが消えずに残り続けていました。

 まるで燃えさしの炎がくすぶるように、じんわりとした熱が広がり続けているようでした。


 

読んで下さってありがとうございます。

……時間は夜ではありません。朝です!


ではよいお年を!

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