#36 脱いでください!
「いや、少し待て、アリシア。」
ジェラール様は眉間に皺を寄せながら、慌てた様子で口を開きました。
「ここで脱げというのか?」
「もちろんですわ。
大丈夫です。誰も見ておりませんわ。わたくし以外は。」
その一言に、ジェラール様の耳元がわずかに赤く染まったように見えました。
普段の堂々とした姿からは想像もつかない仕草に、つい笑いそうになります。
何を恥ずかしがっていらっしゃるのでしょう。
「……わかった。」
観念したようにため息をついたジェラール様は、ぎこちなく上着から脱ぎ始めました。
「……脱げといったのは、君だからな。アリシア。忘れるな。」
クラヴァットを乱暴に緩めながら言い訳めいた一言を漏らすジェラール様に、わたくしは小さく頷いて微笑みました。
「もちろんですわ。」
ジェラール様がソファに腰を下ろし、見えるようになった腕には動物の噛み傷と深い爪痕が刻まれていました。
その傷口を目にすると、わたくしは自然と眉をひそめ、すぐに手を伸ばします。
「猫、とおっしゃいましたけれど……どこの猫ですの?
このまま放置すれば何か感染の恐れがありますわ!」
わたくしは魔力を流しながら、傷を確認しました。
ジェラール様は肩をすくめ、少し苦笑しながら言います。
「君の猫だよ」
「わたくしの猫?」
「迷宮の夜想猫だ。」
「迷宮の夜想猫と言えば……キティのことでしょうか? でもキティはとてもおとなしい猫ですから、きっと別の……」
「いや、俺に噛みついたのは、君のその夜想猫で間違いない。」
ジェラール様の言葉に、わたくしは驚きながらも魔法を続けました。
傷が癒えていく様子を確認し、ようやく安堵の息をつきます。
新しい傷がふさがったばかりのジェラール様の腕を見て、わたくしはその形状の美しさにほうっとため息をつきました。
薄く残った傷痕の周りから腕全体に広がる筋肉の線が、まるで川の流れのように滑らかです。
外側から内側へ……しなやかな曲線が繋がり、どこか彫刻のように整っています。
その繊細さと力強さの均衡に目を奪われるうち、わたくしの指先は無意識にその流れをなぞり始めていました。
ジェラール様はその動きに一瞬ぴくりと緊張されましたが、すぐに何も言わずに動かずにいてくださいました。
その沈黙の中に漂う静かな受容に、わたくしは許可を得たような気がしてしまい、進む手を止めることができませんでした。
指先は肩の近くまで触れると、次にその下へ滑り……広がる硬い筋肉の稜線をたどります。
肩から胸へと続く部分は、広々とした平原のようで、それでも力強さを感じさせる滑らかな起伏があります。
気がつけば、わたくしの指先は彼の胸の中央へ、厚みのある硬い筋肉にたどり着き、そっと撫ぜるように触れていました。
その瞬間、ジェラール様は耐えきれないような短い息を吸い込み、筋肉が再び緊張します。
はっとして手を引こうとしましたが、彼はそれを許さずに、素早くわたくしの手を掴み、捕えました。
「……アリシア?」
低くかすれた彼の声が、静かにわたくしを現実に引き戻しました。
顔を上げると、彼がわたくしの手をそっと掴み、薄暗く光る瞳でじっと見つめておられます。
その視線には、どこか困惑と抑えきれない感情が交じっていました。
「そこは、今日の傷じゃない。」
その静かな指摘に、わたくしの胸がどきりと高鳴りました。
彼はわたくしの手をそのまま唇に運び、柔らかく触れます。
「それで、夜想猫の爪にはどんな毒があるの?」
ジェラール様の問いかけは試すような響きがありました。
きっと、彼はすでに私の反応を予測しているのでしょう。
そんなことを考えている暇もなく、私は必死で答えを絞り出しました。
「ええと……一般にセレナードキャットの爪には、さ…催淫効果がある、と言われておりますわね。
ですから、キティも多分………。」
「………わかってるならそれでいい。」
ジェラール様の口元に浮かぶ笑みは、わたくしをからかうようにも、微妙に緊張を隠しているようにも見えました。
それに気づいた瞬間、わたくしの心臓が再びドキリと跳ねました。
そのまま彼はわたくしの指を一本ずつ、ゆっくりと口に入れ、舌で舐め上げていきます……!
その動きに、わたくしの体は硬直しました。
ジェ……ジェラール様は、一体、な、なにを…なさっているのでしょう!?
慌てて目をそらすものの、心臓の鼓動がどんどん速くなり、手のひらに汗をかいているのを感じます。
「い、いえ! わかっている、とは!? 何のことでしょう?
あ、あの……次は脚の傷も早く治しますわね!」
慌てて話題を変えようとするものの、彼の舌が触れている指先の震えを隠すことはできません。
彼のたくましい身体を意識しないようにしようとするたびに、目線が不安定になっていきました。
そんなわたくしを見たジェラール様は、嬉しそうに小さな笑みを浮かべながら言いました。
「……ああ、つまり、君がそう望むなら、次は下も脱いでいいんだな?」
「えっ!? はい、もちろん…………いえ! いえいえいえ!
いいえっ! そ、それは困りますわ! ちょっとお待ちくださいませ!」
わたくしは慌てふためき、必死に言葉を重ねますが、彼の真面目を装った質問には到底勝てません。
「布越しだと治療しにくいんだろう?」
「そ、それは、そうなのですけれど……っ!」
「大丈夫。俺は君が嫌がることは、何もしないよ。」
「な、何も……何も……?」
「もちろん、君がして欲しいことには、可能な限り心を込めて対応するつもりだけど。」
その言葉に、わたくしの思考は一瞬真っ白になりました。
ジェラール様は何をおっしゃっているのでしょう!?
何も言い返せず、わたくしは恥ずかしさで目をぎゅっと閉じてしまいます。
胸がドキドキと高鳴り、お腹の奥に何かふつふつと火が灯ったような感覚がして、このまま気を失ってしまいそうな気がしました……。
静寂の中で、わずかに布擦れの音が耳に届きました。
やがて「ザクッ」と布が裂ける音がして、わたくしは息を飲みました。
肌に触れる冷気に、思わず身をすくませます。
「アリシア。目を開けて。」
ジェラール様の声は、先ほどより穏やかで落ち着いていました。
恐る恐る瞳を開くと、彼が短刀を手にしているのが見えました。
そして、その刃先は彼の膝から下の衣類がきれいに切り裂かれ、傷口が露わになっていました。
「からかって悪かった。君があまりに愛らしくて……もう少しで理性が飛びそうだったんだ。」
彼の瞳には微かな申し訳なさが滲んでいて、その低く柔らかな声に、わたくしの緊張が少し和らぎました。
「これなら治癒しやすいだろう?」
傷口を指し示す彼の仕草はどこまでも誠実で、何かを期待していた自分が少し恥ずかしくなりました。
いえ、期待、だなんて、そんな……!
わたくしは慌てて首を振り、その考えを振り払います。
「ありがとうございます……。ですが、やはり今後は普通にお脱ぎくださいませ。
切り裂くのはもったいないですわ!」
わたくしの言葉に、ジェラール様は一瞬驚いたような表情を浮かべられ、それから小さく笑われました。
「確かにそうだな。次からはそうしよう。」
その穏やかな微笑みに、胸の奥にほっと温かなものが広がりました。
しかし同時に、先ほど自分が抱いてしまったかすかな、身体の奥からじわりと広がる熱のような感覚も思い出し、自然に顔が熱くなります。
「君がそうやって俺をじっと見てくれるのは、やっぱり、悪い気はしないな。」
わたくしは必死でジェラール様の言葉が聞こえないふりをして深呼吸をし、改めて彼の脚の傷に向き合いました。
ありがとうございます。
全年齢全年齢…と呪文を唱えて進みます。
もうちょっと続くよ!




