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#33 星空の守護者達

 

 夜の冷たい空気が肌に触れるたびに、耳元で風のささやきが聞こえるような気がした。

 俺はフレアベリー侯爵邸の庭園の奥にある魔法の迷宮へと足を進めていく。


 夜空は雲ひとつなく、星々が煌めいていた。

 しかし、庭園を照らしているのは星明りだけではなかった。


 昼間、アリシアとともに歩いたこの庭園は、陽光の下で緑と色とりどりの花々が織りなす生命の楽園だった。その記憶はきらきらとしていて、まるで絵画のように鮮明だ。

 しかし、夜の帳が下りた今、この庭園は全く別の表情を見せていた。


 小道を縁取る植物たちが、青白い光や柔らかな黄金の輝きを放ち、それらはまるで天の星々がそのまま地上に流れ落ちたかのようだった。

 細長い葉が風に揺れるたび、冷たい波紋のような光が地面を這い、周囲を幻想的に彩る。その隙間から覗く金色に瞬く小花たちは、ひとつひとつがまるで呼吸するように明滅を繰り返している。


 庭の奥に進むにつれ、風にのってさまざまな香りが漂ってきた。昼間の花々の香りと似ているが、どこか濃密で甘やかな香りが混じり、まるで酔わせるような感覚を与える。それは、夜という時間の中で庭園そのものが新しい命を得たかのようだった。

 

 さらに目を凝らすと、花や草木だけでなく、庭園全体が静かに動いていることに気づく。葉と葉の間から漏れる微かな光が風に合わせて揺らぎ、歩みを進めるたびに自分の影が柔らかい光に溶け込んで消える。

 耳を澄ますと、それらの動きに合わせて生じるわずかな音――葉擦れの音や遠くで響く水滴の音、さらには静かな鼓動のような微かな振動が重なり合い、庭園全体を一つの生き物のように感じさせる。見渡す限り、全てが調和し、静謐さと神秘が支配する空間だった。 

 足元に目を向けると、幾何学的な模様を描く石畳の間に、柔らかい黄金色の光が流れていた。それは川のように静かに、しかしどこか意志を持つかのように輝き、迷宮の入口へと誘う道標となっているようだった。


 思わず息を呑む。

 どこを見ても美しい――だがそれ以上に、この庭園全体が持つ静謐さと神秘に圧倒されるような感覚があった。

 そのまま奥に進むと、迷宮の入口が姿を現した。

 それは、古びた石造りのアーチで、表面には見たこともない紋様が刻まれていた。

 紋様は淡い薔薇色の光を放ち、まるで生きているように脈動している。

 アーチの周囲には絡みつく蔦が闇の中で螢のように淡く黄金色に光り、その光が風に揺れるたびに迷宮の底知れぬ深さを暗示しているようだった。


 そこに、なぜかバスチアンが寄りかかっていた。


 俺が近づくと、彼は気配を察して振り返り、身を起こした。


「結局、鍵を集めたんだな、ジェラール。」


 その声はどこか穏やかで、先ほどまでの軽口とは異なる重みがあった。


「7つ目の鍵は、俺も初耳だったよ。アリシアの香りで見分ける精霊との契約魔法、だったか?

 チビのジョルジュ、なかなかやるよな。」


「ああ、驚きすぎて頭が痛いほどだ。」


 ため息混じりに返すと、バスチアンはわずかに笑みを浮かべた。

 彼の口調には、かつて学生時代を共に過ごした頃の懐かしい雰囲気が漂っている。

 それは公式な場所での儀礼的な態度ではなく、最近また時々見せるようになった上級生としての優しさと誇りを含んだものだった。

 不思議と不快感は感じなかった。

 むしろ、その気軽さが、昔の親しさを取り戻してくれるようだった。


「実は、これを渡すべきかとおもってさ。」


 そう言って、彼はポケットから小さな瓶を取り出して、決然として差し出した。

 赤いガラスの香水瓶に揺れる淡い金色の液体――それは見覚えのある品だった。 


「ルチア・ヴァレンシア嬢の作った『アリシアの香り』だ。

 どうせおまえ、まだあのハンカチ持ってるんだろ?

 でももう香りが薄くなっているかもしれない。

 ここまできたんだ、念には念を入れておけよ。

 迷宮の精霊をだまして、おまえをアリシアと勘違いさせるなんて、簡単なことじゃないからな。」


「……本当にいいのか?」


 一瞬、俺は手に渡されたそれをどう扱うべきか迷った。

 この香水は『アリシアが恋をしたときに放つ香りを再現したもの』とされている。

 以前、不意に嗅がされたときは、正直なところ理性を保つのが難しいほど強烈な魅了効果があった。


「バスチアン、この香水の効果を知ってるだろう……?」


「知っているさ。だから迷ったんじゃないか!

 でも……仕方ない。

 せめてアリシアを見つけるまでは正気を保ってろよ。」


 彼は苦笑しながら肩をすくめた。


「もうすぐアリシアは俺たち兄弟が守るべきフレアベリーの妹ではなくなる。

 これからはおまえがアリシアを守り、支える番なんだろう。」


 その言葉に、俺は思わず彼を見つめた。

 バスチアンの目には、わずかに寂しさと誇りが入り混じった感情が浮かんでいた。


「アリシアがおまえを選んだのだから、それが答えだ。

 俺たち兄弟がどれだけ妹を守ろうと鍵をかけて閉じ込めても、いつだってアリシアは自分の力で羽ばたいて抜け出していく。

 それを捕まえられるかどうか、試されるのはもう俺たちじゃない。」


 言葉を失った俺に、バスチアンは不意に姿勢を正して、美しく一礼をした。


「公爵様、御武運を。」


 俺はしっかりと香水の瓶を握りしめた。彼の言葉の重みを感じながら、迷宮の入口に足を踏み出した。


 

ありがとうございます。

前半描写は、単に描きたくなっただけで長めですが、伏線とかではないです。

そろそろサクサクモードに戻しますね。

また読みにきて下さい♪

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