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#32 残りの3つの鍵と迷宮の精霊

 

 頭の中でフレアベリー侯爵家の残りの子息の名前を思い浮かべる。

 嫡男のアルベール・フレアベリー・デュベリー子爵は今日は邸にいるはずだから、先に残りの二人を探そう。


 三男、クリストフ・フレアベリー――たしか魔術学院の準教授をしていると聞いている。夜遅くまで熱心に研究をしているらしいが、まだ研究室にいるだろうか。

 そしてアリシアのすぐ上の兄のフロリアン・フレアベリー――魔術学院の学生で、卒業後に魔術師団を志望しているそうだ。学院に残って夜も猛勉強中らしい。


 王宮から少し離れた魔術学院に向かい、面会を申し込むことにした。


 まず、研究室にいたクリストフに会うことができた。

 鍵の話を切り出すと、彼は眼鏡を押し上げて少し考える素振りを見せたあと、こう告げた。

(騎士の誓約は要求されなかった!)


「私の鍵は、簡単です。

 リュミエール王国の伝説『創世記』の暗唱です。」


「……暗唱?」


「はい。一言一句たがわずに。間違えると迷宮の外に飛ばされますので、最初からやり直しになります。」


「なぜそんな仕掛けにしたのですか?」


「アリシアの勉強用です。彼女が女学園の試験で困らないようにと考えたのです。

 おかげで満点でしたよ。」


「『創世記』を最初から読み上げればよいのですね?」


「持ち込みはできません。それでは意味がありませんからね。」


 クリストフは淡々と答えるだけで悪びれた様子もない。

 学園時代に『創世記』を勉強した記憶はあるが、正直細かいフレーズはおぼろげだ。

 迷宮に入る前に復習しておかねばならないだろう――厄介だ。



 次に、学院内で勉強中だったフロリアンに会った。

 鍵の話をすると、彼も少しだけ迷った様子を見せたが、他の兄弟が教えたと知ると、あっさり答えた。


「僕の鍵は、アリシアが好きな恋愛小説の朗読です。」


「恋愛小説?」


 嫌な予感しかしない。


「はい。今は確か『愛は星の彼方に』になっていると思います。」


 俺の眉がぴくりと動いた。

 どこかで聞いたタイトルだな。

 しかし……恋愛小説の朗読か。

 個人的にはできれば避けたい。

 今回は仕方がないが、あとで別の本に変えさせようか……。

 そうだ。絶対に変えさせよう。



 『創世記』と『愛は星の彼方に』を学院の図書館で調達すると(魔術学院の図書館に恋愛小説が置いてあるとは驚いた。)、最後に、フレアベリー侯爵家に向かった。

 宮廷軍事顧問のアルベール・フレアベリー・デュベリー子爵は、夜遅くまでフレアベリー侯爵家の当主業務を代行しているようだったが、その手を止めて面会してくれた。

 どこの家門も、宮廷の役職と当主業務の両立は大変なのだな、と共感する。


 軍人らしい真面目な態度で話を聞いてくれた彼の鍵は、意外なほどシンプルだった。


「私の鍵は、家紋の花に口づけを落とすことです。」


「……それだけですか?」


「ええ。迷宮の中にその花が咲いているので、探してキスをしてください。」


 なんてまともな鍵だろう。感動すら覚える。


 家紋の花は星滴花(ステラドロップ)という魔法の樹木花だそうだ。

 花びらが舞い散り、降り注ぐように空から咲くのが特徴で、今の時期は迷宮内で満開になっているという。

 咲かせる必要がないのは幸いだった。


 こうして、残りの三つの鍵もなんとか集めた。

 アルベール卿に迷宮を訪ねる許可を得て辞去する。


 それにしても――アリシアは、なぜこんなにもすぐ消えてしまうのか。

 結婚したらしっかり捕まえておかねばならない。

 癪に障るが、モント卿が誘拐時に使った魔力封じのブレスレットのようなアクセサリーは、現実的なのかもしれない。

 もちろん拘束などしたくはないが……俺は深くため息をついた。



 そのとき、まだあどけなさを残した少年がふいに現れた。

 ジョルジュ・フレアベリー――アリシアの弟だ。

 たしか今年から学園に通っていると聞いている。


「あの、実は……僕もこの間、アリシアの迷宮に鍵をかけさせてもらったんです。」


「………何?」


 まさかの新事実に、思わず眉間に皺が寄る。


「兄たちは知りません。

 7つ目の鍵、です。子どもでないと使えない魔法を使いました。」


「子どもでしか使えない魔法……?」


「はい。それは『アリシア本人でないと入れない』という契約魔法です。」


 なんて厄介な鍵だ! その場で頭を抱えそうになる。


「どうやってそんな契約を?」


「精霊達の力を借りました。」


 少年らしい真っ直ぐな口調で、ジョルジュは語る。


「すべてのものには精霊が宿るという異国の伝説を本で読みました。

 それならこの迷宮にも迷宮の精霊が宿るのではないかと。

 僕が契約した精霊は、『この場所に入れるのはアリシア本人だけ』という条件で力を貸してくれました。」


「……そんなに簡単に精霊が契約してくれるものなのか?」


「簡単じゃないですよ。でも子どもの頃にしか使えない特別な魔法だからやってみたくて。

 ぎりぎりで間に合いました。

 ですから、今の僕では、もう開錠することができません。」


 好奇心で鍵を増やすのはやめてくれ。


「……つまり、今後もアリシアでなければ絶対にダメということか。」


「その通りです。」


 これまで集めてきた鍵がようやく揃ったと思っていた矢先、最後の最後でこの展開だ。

 しかも本人しか入れないとなれば、どうしようもない。


「……だが、それでも何とかする必要がある。」


 なんとか手がかりを――そう考えていた時、ジョルジュがぽつりと付け加えた。


「一応…僕が契約した迷宮の精霊はアリシアの存在を“香り”で認識しているみたいです。」


「……香り?」


「ええ。アリシアの髪の香りや魔力の残り香で判断するみたいなんです。」


 アリシアの香り……?


 妙に聞き覚えのあるフレーズが頭をよぎる。そしてすぐに思い出した。


 そういえば……先日ルチア・ヴァレンシア子爵令嬢から手渡された『アリシアの香り』を吹き付けたハンカチがある。

 胸ポケットに入れてあったそれを出してみた。

 確認すると、まだ香りがわずかに残っている。


 アリシアを抱きしめたくなるような甘い香りだ。


 ここに来てまさか役立つとは思わなかった。

 試してみる価値はあるかもしれない。

  

ありがとうございました。

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