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#30 迷宮を守る鍵

ジェラール視点つづき。

 

 舞踏会の会場に戻ると、その中央で、バスチアン・フレアベリーがセシル王女殿下と優雅にワルツを踊っていた。

 彼の華やかな立ち居振る舞いは、王女殿下の笑顔を引き出し、二人の間には楽しげな空気が漂っている。


「今はそんな余裕はないんだ!」


 奥歯を噛み締めながら苛立ちを押さえつつ、俺は二人の様子をじっと見つめる。

 胸の中で苛立ちが渦巻く。曲が終わるのを待つ間にも、心臓の鼓動がどんどん速くなる。


 ようやく音楽が止まり、二人が礼を交わした。

 だが――。

 あろうことかバスチアンは次の曲に合わせて、再び王女の手を取ろうとした。


「失礼。」


 我慢の限界だ。俺はついに二人の間に割り込んだ。


「公爵?」


 セシル王女が驚いたように目を丸くして俺を見上げる。

 その眼差しはどこか従兄のサフィールを思わせる。

 王女の視線を受け止めつつ、俺は形式的に言葉を紡いだ。


「麗しき王女殿下、ご挨拶申し上げます。……少し、フレアベリー卿をお借りします。」


「まあ……貸すだけよ? すぐに返してくださるわね?」


 王女の不満そうな声を聞き流し、俺はバスチアンの腕をつかんでホールの端へと引き寄せた。

 彼は驚いた表情を浮かべたが、俺の緊迫した様子を察して問いかけた。


「何かありましたか、公爵殿?」

「アリシアが……消えた。」


 ダンスフロアを抜けながら、俺は噴水での出来事を簡潔に説明した。

 バスチアンは軽く眉をひそめたが、落ち着いた態度で話を聞き続ける。


 説明を終えると、彼はふっと肩の力を抜き、どこか呆れたように笑った。


「アリシア、何も壊さずに転移するなんて、成長したじゃないか。」


「褒めてる場合か!」


 声を荒げた俺をよそに、バスチアンは構わず目を閉じ、集中する仕草を見せた。

 彼が魔力でアリシアの気配を探っているのは明らかだ。


 しばらくして、彼は目を開け、短く息をついた。


「ああ。アリシアは家に帰ってる。」


「侯爵邸に?」


「正確には邸じゃなく、庭の迷宮の中だな。あいつにとっては……まあ、特別な場所だよ。」


 その言葉に一瞬ほっとしたものの、すぐに疑問が浮かぶ。


 迷宮?

 以前侯爵邸で見かけたアリシアの秘密の迷宮のことだろうか?

 俺が考え込んでいると、バスチアンがちらりとこちらを見て、ため息混じりに言った。


「あそこに閉じこもると、長いんだよな。」


「長い…?」


「でもそのうち……そうだな、ひと月もしたら出てくるよ。」


「ひと月!?」


 俺は思わず声を張り上げた。


「そんなに放っておいたら……いやいやいや、それは無理だろう! 食事も風呂もどうするつもりだ!」


「魔法の迷宮だからな。あいつはあの中で、いつでも好きなものを手に入れられる。」


 バスチアンは肩をすくめる。どうやら本気で気にしていないらしい。

 その態度にますます焦りが募る。

 俺の脳裏には、あの言葉がまたも蘇る――。


 『ジェラール様が鬼ね?

 見つけてくださったら、わたくし、お約束通り、結婚してあげてもよろしくてよ?』


 まさか、アリシアは俺が迎えに行くまで出てこないつもりなのか?

 もし、俺が見つけられなかったら、結婚しないとでも?

 いや、それだけではない。もし俺が見つけられなかったら――結婚どころか、側妃の話を受けるという意味では……?

 頭の中で思考がぐるぐると渦巻く。

 焦りが募るが、素直に「だから迎えに行かないと」と言うのは……どうにも妙に癪に障る。


 俺は一度息を吸い込み、冷静さを装いながら別の理由を探した。

 すると、ふと現実的な問題が頭をよぎった。


 ………そうだ、夜は冷える!

 迷宮に閉じこもったままでは、アリシアの身体が冷え切ってしまうかもしれない。

 あれだけ酔っていたのだ、体調を崩したら大変だ――いや、これは婚約者としての責任だろう!

 そう、ただそれだけのことだ。

 個人的な感情なんて関係ない。


 俺は小さく息をつきながら、静かに決断を下した。


「迎えに行く。」


「いや、ジェラール。アリシアの迷宮に入るのは不可能だよ。」


「どういう意味だ?」


「俺たち兄弟6人がそれぞれ魔法で鍵をかけてるんだ。その全てを知っているのはアリシアだけだ。」


「……つまり?」


「6人分の鍵を知らない限り、基本的には迷宮には入れない。」


 しばし沈黙が続いた後、俺は決意を固めた。


「鍵を6人分集めればいいのだな?」


「でも、たぶんみんな教えたがらないと思うぞ。」


「試してみるさ。まずはお前のを教えろ。」


「……嫌だ。」


 バスチアンはわざとらしく眉を上げ、はっきりと肩をすくめた。


「教えてくれ。」


「言いたくない。」


「………そういえば、バスチアン・フレアベリー先輩は、学園時代に、子爵家の双子姉妹と……」


「お…おいっ……! お前、そんなこと、まだ覚えてたのか!」


「もちろんだ。ばらすぞ。それから……」


「いまさら誰が気にするんだ……いや、待て、ちょっとは気にする。わかった、教えるよ。」


 苦々しげに息を吐き、バスチアンは渋々口を開いた。


「俺の鍵は呪文の形にしてある。その言葉は……」


 バスチアンはちらりと俺を見てから、らしくもなく頬を赤らめた。


「『バスチアンお兄様、大好き!』だ。」


「……………。」


「小さな声じゃ駄目だ。ちゃんと叫ばないと反応しないようにしてある。」


「さすがに冗談だろう?」


「冗談じゃない。」


 俺は額に手を当てて深いため息をついた。


 思えば、バスチアンはこの縁談が持ち上がるまでアリシアの話を一切しなかった。

 妹がいたことすら知らなかったくらいだ。

 そこには、彼がアリシアを守り抜こうとする強い意志を感じる。

 ……というか、それほどまでに隠しておきたい妹だったのか。


「………まさかほかの5人の鍵もみんなそんな感じか?」


「他のやつのことは知らん。」


「……わかった。感謝する。」


 踵を返しかけた瞬間、背後から声が飛んできた。


「あ~、騎士団長閣下?」


「何か?」


「アリシアはまだフレアベリー侯爵家の娘です。

 挙式までは、どうかその……燃え盛る(つるぎ)を、鞘の中でお休めいただけますよう。」


 迷宮に行くことは許すが、妹に手を出すな――つまりそういうことだろう。

 先ほど似たようなことを別の兄弟にも言われた気がする。気のせいか?

 いや、あまりにも警戒されているように感じるのは、きっと気のせいではない。


「お言葉だが、宮廷外務官殿。先ほどこの婚約は陛下の御許可をいただいたばかりだ。

 このままでは……鞘ごと焼け落ちかねないな。」 


「………!!」


 バスチアンの眉がわずかに動いた。驚きか、それとも呆れか――それは判然としない。

 だが、彼の口元に浮かぶ微かな笑みには、同じ男としての共感とも、諦念とも取れる複雑な色が見え隠れしていた。


「まあ、今のところは、ただのかくれんぼだ。

 任せてくれて構わないよ、お兄様!」


 軽口を叩きつつ、じわりと冷や汗を感じている自分がいた。

 早くアリシアを迎えに行かなければ――そう胸の内で繰り返しながら、俺は足を進めた。


 

読んで下さって、ありがとうございます。

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