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#26 告白の円舞曲

やっと王宮舞踏会です!

 

 前日より全身を完璧に磨き立てたわたくしは、ジェラール様と一緒に仕立てていただいた、ジェラール様の瞳の色のドレスを身につけ、結い上げた髪にはジェラール様にいただいた髪飾りを丁寧に添えました。


 侍女のマリアが、わたくしが泣いていたことなど誰にも気づかれないほど、可憐で華やかにお化粧を施してくれました。

 瞳の輝きを引き立てるよう、目元には柔らかな紫の影を、頬には薔薇色の輝きを添えました。

 最後に、唇にほんのりつややかに紅を引いてもらってから、わたくしは鏡の中の自分に目をやりました。

 それから、鏡に向かってにっこり笑ってみます。


 ――幼いころから、美しく装うと、どうしてか鏡の中のわたくしに笑いかけてしまうのです。

 これまでずっと、お兄様たちに「アリシアの笑顔は可愛い」と言われてきた記憶が蘇りますわ。

 その言葉に甘えていただけだった幼いころと違い、今のわたくしは……少しでも美しい笑顔を、ジェラール様に見せたいと思ってしまうのです。


 おかしいですわね……鏡に向かって微笑むたびに、胸がきゅうっと締め付けられるのですもの。


 その後、ルチアから贈られた「ジェラール様を引き付ける香り」という秘密の香水を身に纏おうとしました。

 けれども、その小瓶はバスチアンお兄様に取り上げられてしまいます。


「それを付けなくても絶対に大丈夫だから。」


 お兄様は笑みを浮かべながらそう言い切ります。


「ですが、お兄様……」

「アリシアは、充分可愛い。俺を信じて。」


 バスチアンお兄様のその言葉は、いつもながら不思議と力強く、でもどこか優しい響きでした。

 けれども――わたくしにはその言葉がどうしても信じられません。


「絶対に大丈夫」などではないのです。

 だってジェラール様は、わたくしのことを疎んじていらっしゃるかもしれないのですから。

 少し残念でしたが、でも仕方がありません。

 香水で気を引くのは本意ではない……そう自分に言い聞かせ、結局使うのを諦めました。

 そうして、ジェラール様を引き付けたところで、それはわたくしの魅力ではないのですものね。


 わたくしは決心していました。


 もし、ジェラール様がわたくしとの結婚に少しでも役立つと感じてくださるなら、全力で彼を支える覚悟があります。

 国王陛下の御前では、この婚姻がよいご縁だと認めていただけるよう、完璧なわたくしでご挨拶をするつもりです。

 ええ、ジェラール様のお優しさにつけ入ってでも、わたくしと結婚していただきますわ。

 ジェラール様を他の方になんて絶対あげません!


 ですが、もし彼にとって、わたくしが負担でしかないのならば、国王陛下のご許可をいただく前に、静かに身を引くことを選びます。

 悲しいことですが、仕方がありませんわね。


 やがて玄関先に、ジェラール様がお迎えにいらっしゃいました。

 ドレスの上にホワイトフェンリルの毛を編んで作ったコートを羽織り、玄関に向かうと、わたくしを見たジェラール様はほっとしたような表情で微笑み、腕を差し出してくださいました。


 その優しさに、胸が詰まる思いがしました。

 ジェラール様は本当に、お優しい、素敵な方なのです。


 馬車の中でも、今日は、わたくしを気遣うように隣に座ってくださりました。

 その上、わたくしの緊張をやわらげようとのご配慮なのか、そっと手を握ってくださいました。

 とくん、とくん、とわたくしの指先から心臓に脈が走ります。

 揺れに合わせて、時折軽く触れる肩越しにもその温もりを感じて、切なさで胸が苦しくなりました。

 ですからわたくしは、どうやってジェラール様のお気持ちを確かめればよいのか、そればかりを考えていて、沈黙が続いてしまいます。

 そんな私にジェラール様は、「寒くないですか?」とか「気分はいかがですか?」、などと何度も尋ねて下さり、申し訳ないくらいでした。


 途中で一度だけ、ジェラール様が、ふいにセドリック様のお名前を出されました。

 ジェラール様に救けていただいたあの日ののことを思い出して、その時だけは一瞬びくっとして、ジェラール様を見つめてしまいました。

 見つめ返す彼の瞳に一瞬影が差し、「会いたいですか?」と聞かれたような気がします。

 それからまだ正式に司祭になっていないから……とかなんとか……そのようなことを小さく呟かれました。

 一日も早く身を神に捧げよ、というお気持ちからなのでしょうか。

 それもわたくしは上の空で、頷きました。


 *******


 登城し、王宮舞踏会の会場に到着しました。

 お兄様以外の方とご一緒する舞踏会は初めてで、わたくしの胸は緊張でいっぱいです。

 ジェラール様は公爵位をお持ちですから、入場は最後の方になります。


「ジェラール・シャルトリューズ公爵閣下及び、サミュエル・フレアベリー侯爵御令嬢アリシア様!」


 わたくしたちの名前がホールに響き渡ると、集まっていた方々が一斉にこちらを振り返りました。


 着飾った令嬢方の多くが、ジェラール様に熱い視線を送っています。

 でも、ジェラール様はそれに気づいていらっしゃらないようで、


「あなたの美しさに皆が見惚れていますね。」


 なんておっしゃるのです。

 そんなはずはありません。

 今までの夜会でも、わたくしはいつも兄たちのエスコートに寄り添うだけで、それ以上の注目を浴びたことなどありませんでしたわ。

 きっと、今日も同じはずです。


 ですが、ジェラール様の言葉に少し背中を押されるような気がして、背筋を伸ばし、できるだけ優雅に微笑むよう心がけました。


 やがて国王陛下がご臨席され、舞踏会の開会の挨拶を述べられました。

 陛下にお目にかかるのは幼き頃のお茶会以来です。

 第4王子でいらした頃も天使のように美しい少年でいらっしゃいましたけれど、いまはさらにご立派になられ、まばゆいばかりです。


 陛下は御従妹のセシル王女殿下を誘われ、最初の円舞曲(ワルツ)を踊り始められました。

 その光景に場内の空気はさらに華やぎます。

 わたくしも、麗しいお二人の舞にただ見とれておりました。


 けれども次の瞬間、ジェラール様がすっとわたくしの手を取られたのです。


「参りましょう。」


 そのお誘いに、驚きました。


 ジェラール様は公爵位をお持ちですから、最初の円舞曲に加わる資格があります。

 ですが、わたくしは勝手に、ジェラール様はダンスをお好みにならないと決めつけておりました。


 それ以上に驚いたのは、その上手さです。

 ジェラール様のリードは見事で、なんとも踊りやすいのです。

 兄たちと踊るときはもちろん息がぴったりですが、兄以外の方と踊った経験がほとんどないわたくしにとって、こんなに自然に踊れることが新鮮でした。


 次第に緊張がほぐれ、わたくしたちのステップは大きく、軽やかに広がっていきます。

 離れたり近づいたりするたび、ジェラール様の優しい瞳がわたくしを見つめ返してくださいます。

 そのたびに胸がぎゅっと締めつけられるような幸せを感じ、わたくしは心の中で小さく震えました。


 そして――ジェラール様が遊び心を見せて、ふわりとわたくしの身体を持ち上げ、くるくると回してくださいました。

 思わず笑みがこぼれるわたくしに、ジェラール様も柔らかな笑顔を返してくださいます。

 気づけば、ふたりで楽しそうに笑い合っていました。


 わたくしは、ジェラール様の腕の中で願います。


 このひとときが永遠に続けばいいのに――。


 二曲踊り終えたあと、自然と踊りの輪から外れ、窓際へと歩みを移しました。

 思いのほか大きく動き回ったせいか、胸の奥が高鳴り、呼吸が少し早くなっているのを感じます。

 それでも心地よい疲労感が広がり、頬がほんのりと熱を帯びていることに気づきました。


 そのとき、ジェラール様がそっと身を寄せ、耳元で静かに囁かれました。


「そろそろ陛下にご挨拶に参ります。ご準備はよろしいですか?」


 ――もう、ですか?


 わたくしはジェラール様のお言葉に、現実に引き戻されました。

 さっきまでの夢のような時間に心を奪われ、陛下の拝謁を賜る前にジェラール様のお気持ちを確認するという大事な目的を忘れていたのです。


 本当に結婚する相手がわたくしでよいのか、今伺わなければ、もう機会はありません。

 わたくしは心を決めました。


「ジェラール様、その前に、少しだけ……お時間をいただけますか?」


 ジェラール様は、不思議そうな顔をなさりながらも、穏やかに頷かれました。


「もちろんです、アリシア嬢。」


 *******


 バルコニーに出ると、夜の冷たい空気が頬を撫でます。

 満天の星空が広がり、遠くで木々のざわめきが聞こえる中、私は胸の鼓動を抑えることができませんでした。

 ジェラール様が静かに私をご覧になっているのを感じ、その優しい眼差しに心が揺れます。


 けれど、今言わなければ……!

 わたくしは祈るように両手を胸の前で組み、ジェラール様を見上げました。


「あの…………ジェラール様……」


 口を開くものの、緊張で喉が詰まったようになり、予定していた言葉が出てきません。

 私は焦りのあまり、頭の中で次々と考えを巡らせてしまいます。


 ――わたくし、ジェラール様のお役に立てますか?……いいえ、これでは意味がありませんわ。既にこれは伺っておりますし、ジェラール様は何もしなくてもよい、とまたおっしゃるに決まっています。


 ――ジェラール様、わたくしのことお好きですか?……だめです。こんな問いかけ、ジェラール様にお答えを強要するようで、あまりに失礼ですわ。


 ――本当にわたくしと婚約されてもよいのですか?……そう、これが一番聞きたいことなのに……! でも、こんな重い問いを突然ぶつけるなんて、ジェラール様を困らせるだけではなくて?


 堂々巡りする思考に、胸の奥がきゅうっと痛みます。

 けれど、ジェラール様の瞳が、何かを待つように穏やかにわたくしを見つめています。


「ジェラール様……わたくし……」


 けれど、その先の言葉が喉に絡まってしまいました。

 ジェラール様の視線がふっと揺らぎ、口元に微笑が形作られました。

 しかし、その瞳の奥に――ほんの一瞬だけ、何かを恐れるような、儚い影が通った気がしました。

 それが何を意味するのか、私には分からないままです。


 彼は、ただ静かに待ってくださっているのです。

 わたくしが言葉を絞り出すのを――。


 ――でも、わたくし、ジェラール様が好きなのですもの。

 たとえ、この想いが家同士のつながりの一部に過ぎないとしても、彼のお力になれるのなら、それだけで……それだけで十分なのに。


 黙り込んでしまったわたくしを、ジェラール様が心配そうにご覧になっています。


 その視線に再び胸がぎゅっと痛み――わたくしの口をついて出たのは……。


「わたくし……ジェラール様をお慕いしています!」


 ――はっ!?

 わたくし、いまなんて!?


 思わず自分の言葉に驚いて固まってしまいます。

 無意識にわたくしの想いをそのまま口にしてしまいました!


 ジェラール様の美しい瞳が驚きに見開かれました。

 何かを言いかけたように、僅かに口を開き――けれど、すぐに閉ざされます。


 自分でも信じられないほど大胆な告白に、顔が熱くなり、わたくしは慌てて目をつぶりました。

 ジェラール様がどう思われたのか、考えただけで胸がぎゅっと縮むようで……怖くてたまりません。


 わたくしたちの間に、沈黙が訪れました。

 夜風が窓辺から吹き込んできて、二人の間を静かにすり抜けていくような感覚。


 わたくしの心臓の音が耳の奥で鳴り響き、その鼓動がこの沈黙さえも打ち破りそうでした――。

 

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

ブクマもありがとうございます。嬉しいです!

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