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#22 救出 

アリシア視点に戻ります。

 

「彼女から手を離せ! セドリック・ド・ラ・モンテ!」


 突如響いた鋭い声に、わたくしは驚いて振り返りました。

 開け放たれていた扉の向こうに立っていたのはジェラール様でした。


 しかし、そこにいつもの穏やかな面影はありません。

 その場の空気は一瞬で冷たい恐怖に包まれました。


 暖かな光を放っていた燭台の炎は弱々しく揺らめき、窓には白い霜がじわりと広がります。

 いまは5月のはずなのに、吐息が白く凍りつくような寒さ――ジェラール様の瞳には、氷のような冷酷さが宿っていました。


 彼の全身からすさまじい怒りが滲み出し、紫色の炎の幻影さえちらつくように見えます。

 その姿はまさに氷雷の神のよう……あまりの威圧感に、わたくしの息は詰まりました。


 ジェラール様は、腰に帯びた剣をすらりと抜きました。

 冷たく輝く刃が、まっすぐにセドリック様の首元を狙います。

 刃先からは怒りと魔力がほとばしり、小さな稲妻がちりちりと踊るのが見えました。


 セドリック様の顔はみるみる青ざめ、震える手がわずかに緩みます。

 その瞬間、わたくしは思い切りその手を振り切りました。


「……っ!」


 気づけば、わたくしはジェラール様の方に駆け寄り、その背中に身を隠していました。

 守られる安心感に胸が震える一方で、わたくしの行動がセドリック様を絶望の底に突き落としたことを感じました。


「アリシア……待って……!」


 セドリック様の声が弱々しく響きます。

 けれど、ジェラール様の剣は微動だにしませんでした。


「その名を、二度と口にさせはしない……!」


 低く冷徹な声に、わたくしの身体が凍りつきました。

 ジェラール様は迷いなく、刃をセドリック様に突き立てようとします――。


「だめ……! やめて!」


 とっさに、わたくしはジェラール様の背中にしがみつきました。

 刃先がセドリック様の首元にわずかに触れ、一筋の血が流れます。

 ジェラール様は振り返り、怒りと戸惑いが入り混じった瞳でわたくしを見つめました。


「なぜ……」


「わたくしはもう大丈夫です。お願いです。」


 わたくしは強く訴えるように彼を見つめます。


 ジェラール様はわたくしの顔をじっと見つめると、深く息を吐きました。

 剣先を下げ、恐る恐るといった様子で、わたくしを抱き寄せます。

 その腕は微かに震えていましたが、優しさに満ちていました。


「アリシア……救出が遅くなって悪かった。」


「いいえ、いいえ! 救けに来てくださって、ありがとうございます!

 わたくし……」


 ジェラール様の腕の中で、張りつめていた感情が溢れ出し、わたくしは子どものように泣き出してしまいました。


「わたくし……少し…怖かったのです……だって……。」


 魔法を使うこともできないし……

 ここがどこかもわからなくて……

 ほんとうは、不安だったのです………


 ジェラール様は、わたくしの背をそっとさすります。

 そのぬくもりと、背に触れる優しい手の感触が、わたくしの不安を一つずつ消していきます。


「もう大丈夫だ、アリシア。誰にも君を傷つけさせはしない。」


 低く、しかし確かな決意に満ちた声が耳元で響きます。

 その声には、わたくしを守ろうとする強い想いが込められていて、胸がじんと熱くなりました。


 そして……わたくしは、はっと気づいたのです。


 ジェラール様が先ほどから、わたくしのことを「アリシア嬢」ではなく、「アリシア」と親しげに呼んでくださっていることに。


 わたくしの胸に、小さなよろこびが芽生えました。

 そっと見上げると、ジェラール様はわたくしを静かに見つめていました。

 その瞳には優しさとともに、何か違う感情も宿っているように見えました。


 彼の手がためらいがちに動き、そっとわたくしの頬に触れました。

 その仕草には、わたくしがここにいることを確かめるような慎重さが感じられます。


 わたくしは、涙の間から微笑み返しました。

 すると、ジェラール様の瞳に切なげな光が宿り、彼の顔がゆっくりとわたくしに近づいてきます。


 次に起きることが予感され、心臓が高鳴り、息をすることを忘れてしまいそうでした。


「ジェラール様……?」


 かすれた声で名前を呼ぶと、彼の唇がそっとわたくしの瞼に触れました。

 そのあたたかく、わずかに震えている唇が、わたくしの涙を慎重に拭います。


 瞼がじんわりと熱を持ち、その熱が胸へと広がります。

 心が満たされるような感覚に包まれます。

 彼の唇は、一筋一筋、涙の跡をたどるように頬を伝い、ゆっくりと降りてきます。

 そして………


「……待て。」


 聞き覚えのある声が、その場の空気を止めました。

 同時に、わたくしの身体がふっと後ろへ引かれます。

 次の瞬間、誰かにしっかりと抱き寄せられました。


 驚いて振り仰ぐと、そこに立っていたのはバスチアンお兄様でした。

 お兄様が一緒に来てくださっていたことに、わたくしはそれまで全く気付いていませんでした。


 お兄様はわたくしとジェラール様を交互に見つめ、微妙な表情を浮かべると、短くこう告げました。


「アリシア……帰るぞ。」


 低く、しかしどこか優しさのあるお兄様の声に、わたくしは自然と頷いていました。


 けれど、足が動く直前、ふと胸に何かが刺さりました。

 忘れてはならない、大切なことを思い出したのです。


「お兄様、待ってください!」


 わたくしはお兄様の手を振り切り、部屋の奥へと駆け戻りました。


 部屋の片隅、セドリック様は先ほどと同じ姿勢で座り込んでいました。

 彼の顔は青白く、表情を失い、まるで時間が止まったように見えました。


 わたくしは彼の前に静かにひざまずきました。

 そして右手を差し出します。

 魔力封じのブレスレットが、燭台の光を受けてかすかに輝いていました。


 これを外してもらうのは、お兄様ではなく、ジェラール様でもなく、セドリック様でなくてはいけない、と感じたからです。

 その感情がどこから来るのか、自分でも説明がつきませんでした。


「外して下さいませ。」


 わたくしの静かな声に、セドリック様の瞳がほんのわずかに動き、わたくしの手元を見つめます。


 しばらくして、彼は重い動作で手を伸ばしました。

 指先がブレスレットに触れると、金具が「かちゃり」と小さな音を立てて外れます。

 その音は、わたくしの中の長い緊張の糸を断ち切るように響きました。

 美しく彫刻が施された金属が、鈍く輝きながら床に落ちます。

 わたくしは、ようやく安堵の息をつきました。


 後ろからお兄様の手がそっとわたくしの肩に触れ、わたくしを優しく立たせました。

 わたくしはセドリック様を振り返りました。


 言葉を紡ぐのに少し時間がかかりました。

 心の中で慎重に言葉を選び、ようやく口を開きます。


「この窓から見える庭園……拝見しました。本当に素晴らしいですわ。」


 わたくしの声に、セドリック様が驚いたように顔を上げました。


「こんなすてきなお庭を、隠していらっしゃるの、もったいないことですわ。

 どうか、もっと多くの人々に楽しんでいただいてくださいませ。」


 セドリック様は声を失い、ただじっとわたくしを見つめていました。

 わたくしは、続けました。


「きっと、誰もが幸せな時間を過ごせると思いますの。」


 セドリック様の瞳に、戸惑いと後悔が入り混じります。

 やがてその感情が溢れ、静かに涙となって頬を伝いました。


「……すまなかった……フレアベリー嬢……。」


 小さく、でもはっきりと紡がれた言葉に、わたくしの視界もまた、涙でぼやけました。


「さようなら……セドリック様。」


 その言葉に、彼は小さく頷きました。

 わたくしはその姿を胸に刻むと、お兄様に支えられて振り返らずにその場を後にしました。


 

 

なんとなくサスペンスモード終了! ちょっと怖い?のはこれで終わりです。

なぜかお兄様に連れられて帰るアリシア……。

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