#20 追跡 1
ジェラール視点です。
公爵邸に急な来客が訪れたのは、俺が夕食を終えた頃のことだった。
「閣下、宮廷外務官のフレアベリー卿がお見えです。」
騎士団長として仕事をしている俺にとって、夜の訪問は珍しいことではない。
バスチアン・フレアベリーとは、学園時代に多少の付き合いがあった。
彼は俺より学年は上だったが、何度か顔を合わせるうちに気安く名前を呼び合える程度の間柄にはなっていた。
しかし、俺が公爵位を得てからは、関係が少し変化し、互いの立場を意識した距離感が生まれた。
さらに今、彼は俺の婚約者アリシアの兄でもある。
地位というものは、時に人間関係を複雑にする。
それにしても、こんな時間に訪ねてくるとは、一体何の用だろうか?
客間に通されたバスチアン卿は、俺が一人で現れたことに気づくと、ほんのわずかに眉をひそめた。
「どのようなご用件ですか?」
「妹との結婚の日取りについて、少し調整をしたいと思いまして…」
こんな夜更けにか?
訝しむ俺を、一瞬、彼は観察するような視線で見た。
だが、すぐにいつもの爽やかな笑みを浮かべる。
「……いえ。しかしまた後日に致します。このような時間に大変失礼いたしました。」
そう言って身を翻し、すぐに部屋を去ろうとする。
いつもは朗らかで社交的、宮廷外交でも決してミスをしないと評判の彼が、これほど急いでいるのは、何かがある証拠だ。
彼の背中に、さりげなく問いかける。
「アリシア嬢は、今どちらに?」
その瞬間、彼の足がぴたりと止まった。
何事もなければ「妹は自邸にいる」と答えるはずだ。しかし……
振り返ったバスチアン卿の瞳には、普段の穏やかさとは正反対の、鋭い光が宿っていた。
「……消えました。」
*******
バスチアン卿の説明によれば、アリシアは家の者に隠れるようにして馬車でどこかへ出かけたという。
夕食時になっても戻らず、侍女が慌てているところに、たまたま彼が通りかかったらしい。
大家族ゆえ、夕食を全員で共にする習慣はないため、他の家族はまだ彼女の失踪に気づいていないという。
それだけならば急を要する問題ではないかもしれない。
だが、バスチアン卿の声には明らかに焦燥が滲んでいた。
「……そして、私が魔術で探ってみたのですが、アリシアの気配がどこにも感じられないのです。」
彼の言葉に、思わず眉をひそめた。
「つまり……?」
「まだ遠くへは行っていないはずです。
ですが、妹が自分の意思で隠れているのでなければ……今、意識を失っているか、あるいは魔力を封じられている可能性があります。」
「……彼女自身の意思で、帰宅が遅れているという可能性は?」
「それも考えました。しかし……このように遅くなるのは極めて不自然です。」
バスチアン卿の声が途切れる。
その顔には普段の余裕がなく、滲み出る焦りがこちらに伝わってくる。
「……何か重大な事態になる前に、アリシアを見つけ出さねばなりません。
ただ、これは公にはできません。妹の……名誉を守るためにも。」
彼の声に宿る切実さに、俺も思わず表情を引き締めた。
令嬢が行方不明になる。それは単なる誘拐では済まない問題だ。
噂は瞬く間に広がり、時にその真偽はどうでもよくなるほど残酷なものとなる。
そしてもし純潔が疑われるような事態になれば、それはアリシア一人の問題に留まらず、一族全体の名誉にも深刻な傷を負わせる。
「バスチアン卿、教えてくださり感謝します。捜索には、私も全力を尽くしましょう。」
「……感謝します。」
バスチアン卿が短く頷いた。
その時、婚約者であるアリシアが失踪したという現実が、ようやく俺の胸に重くのしかかってきた。




