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#19 愛は星の彼方に 2

 

「……こんな形で、君をここに連れてくるつもりじゃ……なかった……」


 セドリック様が、苦しそうに呟きました。


「ここ……は、いったい?」


 わたくしは恐る恐る尋ねました。

 セドリック様の表情が歪みます。


「俺の……いや、君のための場所だよ、アリシア。だけど……こんなことになるなんて………!」


 彼の声は自責の念と、わたくしへの想いが絡み合っていました。

 けれど、それを理解するには、わたくしの頭の中はまだ混乱していて――。


「セドリック様、どうして……?」


 わたくしの声に反応した彼が、ふと顔を上げました。

 瞳に映るのは、言葉にしがたい感情……切実な想いと歪んだ欲望が入り混じった、複雑な輝き。


「アリシア…………会いたかった……!」


 再びわたくしの名前を呼ぶ彼は、小さく微笑みました。

 その微笑は、どこか震えていて儚いものでした。

 不思議とその声を聞くと、わたくしの緊張は少し和らいでいきました。


 なにもかもに驚いていましたが、不思議なことに、あまり不安はありませんでした。

 なぜなら、わたくしがどこにいたとしても、いつでもすぐに兄たちが助けに来てくれるはずだからです。


 それでも、ここがどこなのか、なぜこんな状況なのか、わからないことだらけでした。

 わたくしは、ふと右手に違和感を覚え、そこに視線を落とします。

 そして、繊細な銀の彫刻がされたブレスレットが光を反射しているのに気づきました。


「…これは………」


 初めて小さな不安がよぎりました。


「魔力封じですか?」


 できるだけ冷静を装ってそう言うと、セドリック様は小さく頷きました。

 これでは、魔力を使って逃げることも、兄たちがわたくしを探し出すこともできません。


「外して下さる……?」


 彼はわたくしの方へゆっくりと歩み寄り、手を伸ばしかけました。

 しかし、すぐにその手を力なく引っ込めてしまいます。


「いや、だめだ。それを外したら、すぐに君は、転移魔法で消えてしまうだろう?」


 セドリック様は視線を落としたまま続けました。

 彼の肩がわずかに震えているのが見えます。


「…………すぐには、消えませんわ。」


 セドリック様にはわからないかもしれません。

 でも魔法で自分の体を転移させて移動するのは、実はそれほど簡単なものではありません。

 魔力も集中力もたくさん必要とする、少し高度な術なのです。


 しかし、いつも軽い冗談で誤魔化してばかりの彼が、どうして今になってこんなにも必死なのでしょう。


「あの……わたくし、誘拐されたのでしょうか。」


 自然とそう尋ねていました。

 状況を把握するためというより、彼の行動と裏にある真意を知りたかったのです。


「そうだ。」

「セドリック様に?」

「それは違う……いや、そう……ともいえるが……。」

「どっちなのです?」

 彼は苦笑し、目を伏せます。

「俺の護衛である幼馴染が、君を連れてきた。だが、それはもちろん俺の責任だ。」

 彼の答えを聞いてもなお、わたくしの疑念は消えませんでした。

「………どうして、あなたの護衛がわたくしを連れてきたのです?

 わたくしと会いたかったなら……どうして………!」


 普通に、連絡して下さればよかったのに。

 だって、わたくしたち、お友達ではありませんか……?

 そう言おうとして、言葉を飲み込みました。


 セドリック様はきっと、わたくしに連絡を取ろうとしても、取れなかったのでしょう。

 なぜなら、兄たちがセドリック様からの手紙を止めてしまっていたから――。


「ああ………ごめんなさい………」


 そう呟いてから、失敗したと気づきました。

 セドリック様の瞳が鋭く光り、わたくしを射止めます。


「会いたかった、だって?

 そんな言葉で片づけられると思うか!?」


 セドリック様の声が低く響き、わたくしの胸を刺します。


「俺は君を見た……先日、丘の上のカフェで。あの冷酷な氷雷の公爵といる君を……」


 ジェラール様の名が出た瞬間、胸がざわめきます。


「君と視線を交わし、君の笑い声を受け、君と食事を分け合っているのが……

 どうして……どうして、俺ではなく………あいつなんだ…!」


 セドリック様の瞳が鋭く光り、わたくしを射抜くように見つめました。その瞳には、嫉妬と憤り、そしてどうしようもない悲しみが入り混じっています。


「俺は……もともと……そんなに清廉な生活を送っていたわけじゃない。

 だけど……君は……君のことだけは……大切に……決して傷つけないように……と。

 一度だって、その手に触れることさえしなかったというのに……!」


 その言葉を聞いた瞬間、わたくしは息を止めました。

 そうです。セドリック様とわたくしは、決して人目をはばかるような仲ではなかったのです。

 未婚の令嬢として、充分に節度を保った、よいお友達でしたのに。


「だけど……あの日……そう………君と最後に会った日。

 ………君を……連れだして……いや……あれは……誤解だったんだ……

 誤解?……いやそうじゃない………俺が、軽率過ぎたんだ………でも!

 そう……俺は別に……君の名を傷つけるつもりなんてなくて………ただ……

 ただ、君に微笑んでもらいたかっただけなんだ……。」


 セドリック様の声が震え、彼の視線が一瞬わたくしから逸れました。


「だけど、あれから君に会えなくなってしまって………

 俺は、自分でも信じられないほど堕ちていった………

 なにもかも全てを忘れたくて……次々と女を抱いて……君のことを忘れたくて……

 自分を汚して………でも……でも、どうしても……君が忘れられなくて……………」


 彼の声が小さく途切れ、部屋に沈黙が訪れました。

 わたくしの胸は、彼の言葉の重さに押しつぶされそうでした。

 そして、彼は苦しそうに続けます。


「カーターは……俺の幼馴染だが……君さえいれば、俺が少しは正気を取り戻すと思ったんだろうな。

 俺への忠誠心から……君を連れてきてしまったようだ……。」


「……セドリック様。あの……わたくし……」


 何を言えばいいのかわからず、わたくしの声が途切れました。

 怒りが湧くはずなのに、彼のその心に触れてしまった気がして――なぜか、言葉が出ませんでした。


 セドリック様は、そのままわたくしを見つめます。

 彼の瞳には、言い訳も偽りもなく、ただ切実な感情が宿っていました。


「アリシア。

 俺は君が……好きなんだ。」


 その声は、彼の本心そのもののように聞こえました。

 セドリック様がわたくしをここまで想ってくださっていたなんて、全く気づいていませんでした。

 今その想いを知ってしまい、胸の奥に申し訳なさがじわじわと広がります。

 わたくしは思わず口を開きました。


「わたくし……あの………ごめんなさ……」


 謝罪の言葉を紡ごうとしたその時、不自然に明るいセドリック様の声が遮りました。


「ああ、アリシア! 

 気づいたかい?

 この部屋は……俺が君のために作ったんだ!

 ここは君のための夢の国なんだよ。」


 彼の声はどこか喜びに満ちていて、それがかえって異様に感じられました。

 セドリック様はわたくしに近づき、目の前で優雅に片膝をつきました。


「『高貴なる私の姫君。

 どうか私にその美しき手を預け、

 私だけに御身を守らせるという栄誉をお与え下さい。』」


 そう言って、彼はためらうことなくわたくしの手を取り、その甲に口づけをしました。

 彼の手と、触れた唇が微かに震えているのが伝わります。


 ああ…これは……『愛は星の彼方に』でバーナード卿がプリシラ姫に求婚をするときと同じです。

 そしてこの後バーナード卿は……。


「『すぐに追っ手が来ます。

 私が、あなたのことを生涯、命を懸けてお護りします。

 ですから……私とともに逃げてくださいますか?』」


 物語とまったく同じ言葉に、少し怖くなりました。

 わたくしの秘密……この物語のお気に入りの場面を、どうしてセドリック様が知っているのでしょうか。

 そっと取られた手を引こうとすると、セドリック様はもう一方の手でわたくしの手首をぐっと掴み、引き戻しました。


 その手の熱さが、冷たい恐怖となって全身を駆け巡ります。

 けれど、声が出ません。

 ただ、彼の瞳の奥にある何か――押し寄せるような強すぎる感情と、それに隠れた壊れそうな脆さに、わたくしは目を逸らすことができませんでした。


「アリシア、君が望むなら何でもするよ。

 だからどうか俺を見て…俺だけを見て!

 もっと早くこうすべきだったんだ。」


 彼の声が一瞬途切れた後、次に発された言葉には、底知れぬ想いと、それを呑み込むような絶望が入り混じっていました。


「俺は…君を……離さない、君が本当に好きなんだ、アリシア!」


 

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