#17 恋する令嬢トーク……そして誘拐
「……ええ、わたくし、気づくといつもジェラール様のことばかり思い浮かべてしまって……。
こんなふうになるのは初めてなので戸惑ってしまいますわ。
ただ、お慕いしているのはわたくしばかりで、ジェラール様はいつも余裕なのですもの。
わたくし………少し口惜しいのですわ。」
「あら……?」
ルチアが、わたくしを見てまたくすりと笑いました。
「シャルトリューズ卿は、本当に余裕でいらっしゃるの?」
そのとき温かい湯気をたてたクレープシュゼットが運ばれてきました。
クレープが山のような形に折られていて、しっとりとしたキャラメルソースはオレンジの香りがふんわりとします。
真っ白なコックコートを着たパティシエが登場し、目の前でクレープの山頂に温かなチョコレートソースをとろりとかけてくれました。
「さあ、甘いものを頂いて、気分を変えましょ?
まだ他のお菓子も全然減っていなくてよ?
おしゃべりしたいことはたくさんあるわ!」
こうして用意された美味しいスイーツをいただきながら、この後は令嬢同士の華やかなお話で大いに盛り上がりましたわ。
セシル王女様から贈られました、わたくしの大好きな恋愛小説『愛は星の彼方に』について語りましたところ、ルチアも最近その本を手に入れたとのことでしたの。
この物語、読む人それぞれに異なる視点がありますもの、どの登場人物に思い入れを抱くかも人それぞれですのよ。
ちなみにわたくしは、塔に幽閉されたプリシラ姫を救い出す護衛騎士のバーナード卿が断然お気に入りですの!
プリシラ姫の純真で可憐な美しさに心惹かれるバーナード卿。
そして隣国の婚約者に縛られた運命を背負うプリシラ姫。
会うたびに少しずつ重なり合うふたりの想い――それでも視線をそっと交わすだけの、身分違いの切ない恋。
やがてプリシラ姫の結婚の日が決まり、ふたりの愛は権力という大きな壁に引き裂かれてしまいますの。
そんなある日、星降る夜、バルコニーを越えて姫のもとへ現れるバーナード卿!
ロマンチックなプロポーズの場面では、わたくし思わず涙ぐんでしまいましたわ。
プリシラ姫もまた、彼と生きることを決意いたしますの。そして家も地位も祖国さえも捨て、手に手を取って逃避行!
緑の国まで辿り着けば、王にも司祭にも認められなくても、伝説の鍛冶屋で結婚式を挙げられるという希望を胸に。
追手に迫られる中、死の恐怖を感じながら初めて交わす切ないキス――。
別れの悲劇が訪れる直前の、儚くも美しいひととき……ああ、なんてロマンチックなのでしょう!
もう、わたくしこのお話について語り出したら止まりませんことよ?
一方で、ルチアはプリシラ姫を取り戻すべく冷静に計画を立てるプリシラ姫の兄、マルク王子こそ素敵だと言うのですの。
理知的で責任感のあるマルク王子の魅力には確かに頷けますけれど、わたくしはやはりバーナード卿の情熱的な愛がたまりませんわ!
まあ、なんて楽しいひとときでしょう!
まさに令嬢たる者の特権でございますわね。
こういうお話、庭の秘密の迷宮でひっそりと、ひとりで悶えながら読むのもよいのですが、こうしてお友達と語り合えるのもまた最高ですわね!
実はこのお話、とても人気が出てきたので、近いうちに舞台化されるそうですわ。
まだ極秘のようですが、ルチアは本当にいろいろな情報を手に入れていますの。
それから……ルチアが最近手掛けている香水の話題にもなりましたわ。
彼女の新しい香水は、ただの香りを超えた魔法のような魅力を持っているのですわ。
「それを纏う人とその目的に合わせて、まるで物語のような効果を持つ香りを作り出せるの。」
と、ルチアは誇らしげに語りますの。
たとえば、小さな子どもが怖い夢に怯えてしまう夜――その部屋にそっとスプレーするだけで、笑い声が聞こえるような楽しい夢が訪れるとか。
あるいは、緊張が極限に達する魔術の試験の前、数滴手首に纏えば、不思議と心が落ち着き、全力を発揮できる香りとか。
さらには、眠りにつく前に枕元にひとふりするだけで、愛しい人に夢の中で逢える……そんなロマンチックな香水もあるのだとか!
ルチアの瞳は夢見る少女のように輝き、わたくしはどの香水の話にも思わずため息をつきながら聞き入りましたわ。
中でも特に興味を引かれたのは、『愛する人を特に引き付けたいときの香り』のお話。
「あなたに、この香水を一つ贈るわね」
そう囁いて、ルチアが可愛らしい瓶をそっと手渡してくれましたの。
赤い硝子の表面には繊細な銀の模様が刻まれ、瓶の中の液体が静かにきらめいています。
「この香りはね、あなたの想いをそっと伝える手助けをしてくれるの。
ジェラール卿がどんなに離れていても、この香りが彼を惹きつけるわ。
ただし――」
と、ルチアはいたずらっぽく微笑みながら続けました。
「あなたにしか効かない特別な香水だから、他の方に使わせたりはしないでね?」
その言葉に、わたくしの胸は高鳴りましたの。
わたくしとジェラール様は、確かにお見合いから始まった、家同士の実務的な結婚ですわ。
けれど、この香水を身に纏ったら、もしかしたらジェラール様もわたくしに何か新しい思いを抱いてくれるかもしれません。
ルチアの微笑みには、まるで未来を見通しているような確信が感じられ、わたくしの心には夢と期待が広がります。
やがて日が傾き、薄紅色の夕日がサロンの窓を彩る頃、私たちはたくさんのスイーツをほとんど平らげてしまったことに気づきましたわ。
満腹のお腹を抱えながら、ふたりの楽しいひとときに笑い合い、お土産の香水を大切に抱えて、わたくしは帰路についたのですわ。
*******
帰り道、わたくしはルチアにもらった香水を大切に手のひらで包みながら、揺れる馬車に身を預けていましたの。
邸まで待ちきれずに蓋をそっと開けてみると、香水、であるはずなのに、不思議なことに、特に変わった香りはしません。
ただ、目を閉じると、ほんのわずか、胸の奥に甘やかで温かな感覚が広がり、まるで秘密の扉をそっと開くような、未知の感覚を呼び覚ます気持ちにさせられます。
この香りのしない不思議な香水を纏ってジェラール様にお会いしたら、いったいどんなことが起きるのでしょう?
彼はどんな反応をするのかしら?
手の中の瓶に視線を落としながら、ふと微笑がこぼれましたわ。
もしかすると、わたくし自身の物語も、これから始まるのかもしれませんわね。
その時――
ガタン――!
馬車が突然大きく揺れ、急に停止しました。
反動で体が大きく揺さぶられ、慌てて周りの壁をつかみます。
手に持った香水が少し、わたくしのドレスに飛び散りました。
「なにが……?」
御者が焦った様子で降りてきて、扉の外で恐縮するように声を張り上げました。
「申し訳ありません、お嬢様! 車輪が破損してしまったようです。
修理に少々お時間をいただきます。一度お降りいただけますでしょうか?」
「まあ……そんなことが……。」
わたくしは戸惑いながらも、急いで小瓶の蓋を締め、外の様子を確かめるために慎重に馬車から降り立ちました。
そこにはいつも使う道とは異なる、人通りのまばらな通りでした。
外で魔術を使うのは避けたいものの、この状況をなんとかしなくてはなりませんわね……。
その時、不意に背後から穏やかでどこかで聞き覚えのある声が響きました。
「お困りですか?」
振り返ると、見たことのある騎士が近づいてきます。
確かどなたかの護衛騎士だったような……?
彼は誠実そうな微笑みを浮かべ、わたくしに礼儀正しく一礼しました。
「こちらの馬車にお乗りください。安全にお屋敷までお連れいたします。」
親切なお申し出でしたが、どなたとも知れない方の馬車に乗せていただくわけにはまいりませんわ。
車輪の故障もじきに直るでしょうし。
「いえ……お気遣いありがとうございます。でも……。」
丁寧に断ろうとしたその時――ふっとわたくしの視界に何かが覆いかぶさりました。
鼻を刺すような甘く濃厚な香り……。
それは逃げ場のない濃い霧のようにわたくしの意識を包み込み、全身を絡めとっていきます。
「……これは……!」
逃げなくては……そう思う間もなく、視界が闇に引き込まれ、体の芯から力が抜けていくのを感じました……。
こうして、わたくしは……いとも容易く連れ去られてしまったのですわ。
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