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#16 シャルトリューズ公爵家の噂 3

 

「え……ええ~~っ!?」


 予想もしなかったお話の流れに、驚きのあまり大きな声を上げてしまいましたわ!

 でも、そんなはずがありません。

 ジェラール様は、冷静な氷雷の騎士と呼ばれていらっしゃいますけれど、とても誠実で、優しい方ですもの!


「ルチア、ちょっと何をおっしゃるの!?

 ジェラール様は、その事件で御家族を失われて、おひとりになってしまわれたのよ!?」


 淑やかさを忘れて興奮気味に話す私に、ルチアは穏やかに微笑みながら、肩をすくめました。


「ああ、ジェラール・シャルトリューズ卿がこの事件を利用したのか、それとも事件そのものに深くかかわっていらっしゃるのかはわからないわ。

 ……いずれにしても真相は闇に葬られたのですし」

「いえ、でも…ジェラール様は……」


 真っ赤になって反論しようとして言葉が止まりました。

 心臓が胸の奥で不規則に跳ね、まるで逃げ道を探しているかのようでした。

 冷たい汗が背中をつたう感覚に、息苦しささえ覚えました。

 あの優しいジェラール様が……そんなはずはありませんわ……!

 ああ、しかし、わたくしがジェラール様の何を知っているというのでしょう……。

 震えるわたくしの前で、ルチアは淡々と続けます。


「事件のあった建物はもう取り壊されて、現公爵様は敷地内の別邸にお住まいらしいわ。」


 少し間を置いて、ルチアは続けました。


「でも、王都にはほとんどいらっしゃらないとか。

 辺境への遠征に熱心で、騎士団でも特別な活躍をされているそうよ。

 どうしてか、魔物の討伐に執着があるようにも感じられるわ。」


 ジェラール様は、卒業後、既に公爵でありながら騎士団に入団され、辺境での討伐に尽力されているとか。

 率先して、前線に出向いて名を挙げられるご活躍ぶりは、王都でも有名ですわ。


「でも……お優しいジェラール様が、そのような恐ろしい事件に関わっていらしたなんて……やはり、わたくしにはとても信じられませんわ」


「アリシア、この消されてしまった噂が事実かどうかは置いておいて、いつか悪意のある者によって、あなたの耳にも入ることがあるかもしれないでしょう?

 だから今知っておいた方がいいわ。」


「ええ……まあ………それはそうね。」


「そして真実がわかるまで、あなた、シャルトリューズ卿が、実は冷徹な魔獣使いかもしれない、ということを頭のどこかに置いておいた方がいいわ。それに……。」


 言ってルチアは、少し声を潜めました。


「どっちにしても、これまで以上に気をつけたほうがいいわ。

 あなたたちは、どうしたって注目を浴びてしまうわ。

 シャルトリューズ家とフレアベリー家の繋がりが生む影響力を快く思わない者もいるはずよ。

 あなたたちの足元をすくおうとする者が出てきてもおかしくないわ。」


 確かにそうかもしれません。

 公爵家の当主であるジェラール様が、自ら辺境で剣を振るい、その勇名が王都中に知れ渡っているのはもちろんですが、わたくしもまた魔術師団長サミュエル・フレアベリー侯爵の娘として、人の目にさらされています。


「それでなくたって……この間だって、見ていたのはわたくしだけではなかったのよ。

 ほら……前に、あなたにつきまとっていた、モント侯爵家のセドリックも、実はあの場にいたのよ?」


「え……セドリック様が……?」


 思いがけない名前を耳にして、ふとあの明るくて華やかな彼の姿を思い出しました。

 彼とは、去年の王室庭園コンクールの審査会場でたまたま知り合って、その後少しお手紙をいただいたりしたことがあったのです。

 彼の作る庭園は、明るくて、誰もが楽しめるように作られている、素晴らしいものですのよ。

 部下たちも礼儀正しく、セドリック様をとても慕っている様子でした。

 けれど、少しばかり軽いところがおありなのは、困ったところでしたわね。

 わたくしの魔力を試したいとかおっしゃって、賭け事の場に連れだそうとしたことがお兄様達に知られてしまい……それ以来すっかり疎遠になってしまいました。


「彼、少し雰囲気が変わっていたわ。以前の軽やかさとは違って、

 遠くからあなたを見つめる目が、どこか切なくて………何かを必死で取り戻そうとするような………辛そうだったわ。」


 すっかり紅茶が冷めてしまいました。

 ぼんやりとカップの中の静かな水面を見つめると、その中に映るのは、自分自身の曖昧な不安の影でした。

 静寂の中で、時計が規則正しい音を刻んでいます。

 窓越しには今朝の澄んだ空とは異なり、どこか鉛色を帯びた薄曇りの空が広がり、静まり返った空気が胸をじわりと押してくるようでした。

 言葉にならない感情が波紋のように広がり、心の奥底まで揺さぶられるのを感じました。


 わたくしの混乱をよそに、ルチアは何事もなかったかのようにベルを鳴らし、メイドを呼びました。

 すぐに新しいお湯が運ばれてきて、ルチアは慣れた手つきでポットのお茶を注ぎ直します。


「まあそんな難しい顔をしないで、アリシア。

 仮にシャルトリューズ公爵が冷血な極悪人だとしても、アリシアが幸せになれるなら……わたくしは祝福するわ。」


 湯気とともに立ち上る茶葉の芳香が室内を包み込み、冷たい空気をじんわりと和らげていきました。

 小さな音を立ててカップに注がれる紅茶を見つめていると、心の中で渦巻いていた不安がほんの少しだけ薄らいだ気がしました。

 暖かな香りと湯気に包まれると、先ほどの会話の重さも一瞬だけ遠くへと押しやられるようでした。


「ところでアリシア、あなた、公爵様のどこがお好きなの?」


「ど……どこ、って……っ!」


 ジェラール様の好きなところ…?

 それは……

 凛々しいお姿も、美しいお顔立ちも、時折見せる優しい微笑みも。

 心臓に響くような穏やかで素敵な声も。

 時折わたくしにかけてくださる優しいお言葉や、何気ない仕草のひとつひとつも。

 とても聡明でいらっしゃって、いろいろなアイデアをお持ちのところも。

 ……ああ言葉に言い表すのはとても難しいですわ!

 つまり、わたくしがジェラール様の好きなところ………というのは……。

 言葉を探して迷ううちに、ふと視線がルチアに戻りました。


「すべて……ですわ!」


 わたくしが言い切ると、ルチアが、小さくため息をつきました。


「すべて……なのね。

 アリシア、あなた……シャルトリューズ公爵にすっかり恋をしてしまったのね」


 そう言って、ルチアはわたくしを見つめ、諦めたようにくすっと微笑みました。

 その笑みには、学園時代からの親友としての優しさが滲んでいて、わたくしも自然と肩の力を抜き、微笑み返しました。

 

 

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