#13 リュミエールの休日 3
「アリシア嬢、ここから少し散歩しませんか? せっかくの良い天気ですから。」
「はい、ぜひ!」
ジェラール様は表通りから外れ、美しい小道へと足を向けられました。
その道はなだらかな丘へと続いており、両脇の並木から降り注ぐ柔らかな光が新緑の葉をきらきらと輝かせています。風が吹くたびに葉の間から洩れる光が揺れ、そのたびに緑の香りが胸いっぱいに広がるようでした。
小鳥たちのさえずりがどこからともなく聞こえ、わたくしたちは言葉を交わさなくとも、自然と心が和らいでいくような気がしました。
ジェラール様は、わたくしの足元を気遣いながら、ゆっくりと歩いてくださいました。
わたくしたちは、この一週間の出来事などを語り合いました。
すると、実は隣国の境に魔物が出現し、ジェラール様はお忙しい日々を送られていたとのこと。その話をさらりと口にされるお姿に、わたくしは思わず「大丈夫ですの?」と心配してしまいました。
「ええ、もう解決しました。生々しい話を、御令嬢に聞かせるべきではなかったかもしれません」と、少しばかり恐縮されたご様子でしたが、その声にはかすかな疲労が滲んでいるようにも感じました。
そういえば、わたくしの魔術師団長のお父様と、宮廷軍事顧問をしているアルベールお兄様も、ここ最近、妙に忙しそうです。
朝食の席で顔を合わせることもなく、屋敷全体がどことなく落ち着かない雰囲気に包まれておりました。
わたくしには詳しい事情は教えられておりませんが、それも当然のことなのでしょう。
わたくしに心配をかけまいとするお父様やお兄様の優しさもありますが、国の大切な秘密ゆえ、家族にさえ話せない事柄が多いのは理解しておりますわ。
それでも、ジェラール様の口から「もう解決しました」とお聞きできたことで、ほっと胸を撫で下ろしました。
こうして騎士団や魔術師団の皆様が、見えないところで王都を守ってくださっているのですわ。
しばらく歩くと、視界がぱっと開け、石造りの瀟洒な建物が現れました。
そこは、王宮の元シェフが開業したカフェで、美味しい料理で評判のお店です。
門をくぐると、手入れの行き届いた庭園に季節の花々が彩りを添え、バラやジャスミンの香りが漂います。
お店に入ると、わたくしたちはテラス席に案内されました。
わたくし、うっとりとして思わず声を上げてしまいます。
「まあ、素敵ですわ!」
眼下には王都の街並みが広がり、遠くにはリュミエール川が太陽の光を受けてきらめいていました。
緑の香りを含んだ心地よい風が吹き抜け、鳥のさえずりがどこからか響き、心まで洗われるような気持ちになります。
ジェラール様もどこか満足げに微笑まれ、わたくしはその笑顔を見て、また嬉しくなります。
このカフェでは、お料理をメニューから客が自分で選ぶことができます。
給仕から、ジェラール様に開いたメニューが渡されました。
ジェラール様はそれをわたくしにも見えるようにしてくださり、一緒に選ばせてくださいました。
ジェラール様とわたくしは斜めに座った位置から少し肩を寄せて、メニューをのぞき込みます。
わたくしは、香ばしいパンとみずみずしいフルーツ、新鮮な卵をたっぷり使ったサラダのランチを選びました。ジェラール様はひな鳥のロティのオープンサンドをお選びに。
やがて運ばれてきた料理は芸術品のようで、香りだけで胸が高鳴ります。
他国から取り寄せられたというフルーツは、どれも珍しく、色とりどりです。
中でも鮮やかな太陽のような色の果実は甘酸っぱく、口に入れると果汁がふわっと広がります。青紫色に輝く小さな果実は、まるで夜空に浮かぶ星を口に含むような趣があり、濃厚で芳醇な甘さの中にほのかな花の香りを感じました。
また透き通る琥珀色の果実は、スプーンを入れるとプルンと弾む柔らかさで、蜜のような濃厚な甘さが広がります。わたくしはそれを一口いただいた瞬間、目を閉じて自然と微笑みがこぼれました。
初めていただいた不思議な美味しさばかりです。
これは、ジェラール様にもぜひ召し上がっていただきたいと思い、お皿にそっとお分けしました。
ジェラール様もご自分のお皿からサンドイッチを分けてくださりました。
ひな鳥のロティは皮がカリッと焼き上がり、身はしっとり、ジュ―シィで、それを包むパンのふんわりとした軽やかさが見事に調和しています。採れたての新鮮な野菜のシャキシャキ感が口の中で弾け、思わず目を閉じてうっとりしてしまいました。
「おいしいですね。」と微笑みジェラール様と顔を見合わせると、わたくしの胸が温かさで満たされました。
このひとときが、ずっと続けばいいのに――そんな思いがふと胸をよぎり、わたくしは静かにカップを口に運びました。
初夏の柔らかな風が、新緑の葉の匂いと、遠くに咲く花々のほのかな香りを運び、まるで自然そのものに包み込まれるようでした。
「素敵な場所にお連れくださって、とても嬉しいですわ。」
そうお伝えすると、ジェラール様は小さな笑みを浮かべ、ふと遠くを見つめられました。
その視線の先の、陽光を受けたリュミエール川は、風に揺れるたびにきらめきを変え、流れる宝石そのもののようでした。
美しい光景に一緒に見惚れていると、ジェラール様が優しくおっしゃいました。
「今度、リュミエール川の川下りに行きましょう。きっと楽しんでいただけると思いますよ。」
「素敵ですわ……!」
自然と口をついて出たわたくしの言葉に、ジェラール様は目を細め、柔らかな微笑みを浮かべられました。
わたくしもうっとりとジェラール様を見つめ返しました。
ところで。
このお店は、最近王都でとても人気のお店なのだそうですわ。
訪れる者の多くは爵位をいただいている家の者や裕福な市民ですが、時には王族に連なる方々もお忍びでおでかけになることがあるとか。
もちろん、そこでどなたかにお会いしても、ふつうは互いに知らぬ顔をするのが礼儀ですわね。
わたくしも、ジェラール様のことばかりに夢中で、周りのことなど全く気にしておりませんでしたの。
ですから、ふとなにか視線を感じた気がしましたが、それがどこから来るものか深く考えることもなく、ただジェラール様との楽しいひとときに心を傾けていましたの。
けれど、あのとき感じた視線は、ただの思い違いではなかったのです。
ジェラール様は、その鋭い感覚で周囲をしっかりと見定めていらっしゃいました。お皿からサンドイッチを分け、穏やかに微笑みながら「どうぞ」とおっしゃったその仕草の奥に、一瞬だけ鋭い眼差しが宿っていたのです。
その場のわたくしは、まったく気づきませんでしたけれど。
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