光と美久が、重なる
「踊りの一ノ瀬、歌の九条」
俺の幼なじみ、一ノ瀬樹が所属するガールズ・グループ「TransparenT」は九条美久という少女の歌声と樹が中心のフォーメーションのダンスありきで組まれたアイドルユニットだった。
グループ名のtransparentの和訳は「透明」だ。美久はどこまでも透き通った声をしていて、線が細くていつも他の誰かを気にかけているような子だった。
美し過ぎる顔はいつも脆い表情を浮かべていた。
「海音、この子、私のシンメなんだ」
13歳でもう金髪だった樹が肩を強引に組んで紹介した時のことを覚えている。
「ごめんね、忙しいのに。よろしくね」
力なくほほ笑む美久にしばらく見とれて、樹に蹴りを入れられた。
そのガラスのような魅力にほれ込んだプロデューサーが美久のためのグループを組ませた。
それでも、女性アイドルという人間関係の難しい環境に放り込まれた彼女はすぐに孤立した。
樹だけは無言で美久に寄り添ったが、心無いファンの下世話なネットへの書き込みも彼女の心を傷つけた。
「陰キャはまだしもメンヘラに女は感じないw」
「アイドルなら夢を見せるのは仕事以前に必要税なんだよ。心身の不安を見せてしまう彼女はプロ失格ですね」
心を病んだ彼女の腕にいつしか傷が生まれてしまった。
結局、デビューシングルの衣装は夏なのに全員長袖。
セカンドシングルのカップリングは美久の作詞した曲「1/3ノイタミ」という曲だった。
〝左腕の真っ赤な流れ星を 笑われてもかまわない〟
〝過去も未来も隅っこに追いやれば 私の痛みは1/3 あなたの心もそうであって欲しい〟
カップリング曲の歌詞と唯一登場した樹のダンスパフォーマンスが音楽関係者や文化人から評価を受けたが、アイドルとしての美久のキャリアは当然芳しくなかった。
プロデューサーがソロ歌手として本格的に売り出すことを検討していたが、美久の精神は耐えきれず、そのまま彼女は引退した。今は祖父母の住む地方の家で養生しているという。
白川光に初めて会った時、反射的に心を閉ざした。
時代劇の撮影用に使う刀のレプリカを頭に乗せてスタッフと笑う姿も、真剣な顔で台本を読みなおす姿にも。そして、美久のことを思い出して泣き出したくなった。
だからこそ、撮影中に脚本に感情移入し過ぎて演技にない涙を流した光を見て、思わず駆け寄ってしまったのだ。あの時の透明な涙と鼻水まみれの綺麗な顔を目にして、俺はもう一度生き直した気がする。
「海音、頼むわ。白川光、お前以外の誰の顔も見たくないってさ。楽屋を用意するから、少し話してやってくれないか」
関さんに頼まれて、真っ白で明る過ぎるいつもの部屋に入った。
「何でみんな、仲間外れにするの?何で勝手にスマホで撮って、僕を晒すの?そんな後に、芸能界で沢山の人を喜ばせるなんて無理だよ。もう、どこにも行きたくない!納得いかないことばっかりだよ!」
光が声を荒げた姿を見たのは、これが初めてだった。
「俺なんて、納得したことないよ」
「え?」
光が口にしたやりきれなさは俺自身が抱えているものだった。だからこそ話した。
「俺だって納得してないことは山程ある。後悔してやり直したいことも、許せないことも、引きずってることも恥ずかしい過去もある。沢山ある」
抑えていた言葉たちが熱を持って口から飛び出していく。
「特にこの世界にいたらそんなことがもっと増えると思う。でも、納得できる『いつか』を待っているようじゃダメだ」
別に正論をぶつけるつもりはない。白川が受けた心の傷は深いだろうし、まっとうな嘆きだ。
でも、良くも悪くも本当だと思ったことしか言わないこいつになら、嘘偽りのない言葉をぶつけるのが礼儀だと思った。
「納得してるかどうかなんて関係ないんだよ」
楽屋の空調が効きすぎている。タオルケットを光に渡して、自分にもかけた。
「許せないことも許されないことも心に抱えて、前に進むんだよ。じゃないといつまでもお前は同じ場所のままだ。厳しいことを言うようだけれど」
光のべそをかく音が消えて、エアコンの音に気付く。
「この世界にいることが正解だとは思わない。芸能界なんて、嘘と予定調和と派閥抗争でガチガチだ。でも」
でも、と言って続きを繋ぐ。
「でもさ、俺は悔しいんだよ。俺はお前が羨ましい」
「羨ましい?」
光に俺は頷いた。
「俺は物心ついてからずっと大人の顔色をうかがってきた。誰かに守ってもらうためにその場に相応しい自分を演じてきた。その人の顔に書いてある言葉をずっと読み上げてきたんだ」
目を合わせるのも恥ずかしくなり舌を向きながら話した。
「そんなことばかり繰り返してきたんだ、ずっと。もう、疲れた。でも、お前は嬉しい時は誰にでも笑顔を見せられる。悲しかったら大声で泣くことができる。ちょっとワガママだと思うけど、そんな奴がいたっていいじゃないか。俺にはそんなことできない。俺にはもう、そんな人間らしい心はない。何も感じなくなったんだ。人の痛みとか、誰かの辛そうな表情にどんどん鈍感になってる」
光はこちらを中立的に見ている。
「今からすごく恥ずかしいこと言うぞ。お前に初めて会った時、すごくウザかったけれど目の前の景色が明るくなったんだよ。本当に光が差したんだ、白川光に会って。その光が消えてしまうのは、俺としては悲しい。だから、この先も光の良さは持っていて欲しい。もう会えないと思うけれど、静かにでも良いから幸せであって欲しいよ」
「僕は純粋なんかじゃないよ」
「え?」
今度は俺が虚を突かれた。
「僕、結構、嘘もつくし意図的に不思議ちゃんを演じることもある。うち、下に妹1人だけだし従姉妹も女の子ばかりだから待望の長男!みたいな。だから期待に添いすぎないように気をつけてきた」
そうだったのか。全くそうは思わなかった。
「例えば、合唱コンクールでソロパート任されたら、注目されるじゃん。で、地元のテレビ局にインタビュー受けた時に「『コンドルは飛んでいく』を聴くと前世の記憶が蘇る気がする」とか。思い出すわけないじゃん、そんな記憶ないんだから。でも、そういうこと言うとウケてくれる人もいるんだよね。お母さんくらいの担任の先生とかさ。でも、そんなことばかり言ってたらいつしか誰も信じてくれなくなっちゃった。狼少年ってやつだね」
エアコンの音が消えて、ヒカルの声だけが聴こえる。
「僕も分かりやすいようでいて、道化を演じることは多いよ。海音君は素直に誠実に他人の顔に書いてある『言ってほしいこと』を読み上げる。僕は逆さから読んで煙に巻く。長友司社長?だっけ。僕のキャッチコピーを『正直すぎるアイドル光くん』にしたらしいけど、本当に真っ直ぐなのは海音君だよ。僕の方が何重にも捻くれてるんだ。僕は『正直泥棒』だね。正直も人から盗むほど言うけれど、それで結局、人を欺いている」
自分がむしろ見透かされているとは。まさかの展開に顔が熱くなる。
「俺もおせっかいだよな。その上、浅はかだ」
そう苦笑すると、光が真顔で呟いた。
「海音くんって自分が思ってるより純粋だよね。あと言葉遣いがおじさん臭い」
「言われたくない言葉の1位と2位だよ」
苦虫を嚙み潰したような顔をすると、ドンマイ、と真顔で肩を叩かれた。
「でも、やっぱり不安だ。何もかもが怖いよ」
光の唐突な涙に俺は焦ってしまった。
「あまり先のことを考えるなよ。そうだ、ケータリングからお菓子持ってくるよ。ちょっと待ってろよ」
お菓子を抱えて部屋に戻ると、光がいない。
「司さん!司さん!」
「何?」
司さんは頭を抱えたまま、こちらに目も向けず聞き返した。
「光がどこかに行ってしまいました!」
当然、スタッフが大騒ぎになった。光の母親は怒り狂っていた。
「いつまで振り回すんですか!あなたたちのくだらないエゴで!茶番みたいな芸能界にうちの大切な息子を!」
関さんが必死に謝り、司さんは何度も机を叩いた。プロデューサーの真鍋さんは無表情で机に肘をついていて、もうカオスだった。
すると、スタッフさんが二人の少年を連れてきた。一人は眼鏡をかけたつるんとした顔で、もう一人はやや浅黒く背の高い男だ。俺や白川光と同い年だろう。
「あの……」
眼鏡をかけた方が、光の母親に声をかけた。
「潤君、太陽君!来てくれたの?」
「光、大丈夫ですか?あいつ、ネットに自分の動画が出回ってからずっと落ち込んでるんです」
浅黒い方の少年が心配そうに話す。グループLINEを見ると、『光をどうにかする会』と書かれていた。アカウントには、シブい顔をしたマルチーズの絵が設定されている
「このシュールな犬の絵は?」
俺が聞くと、あ、本物の外山海音だ、と眼鏡の少年が言い、浅黒い少年が「光の絵です。光が中学入る前後から落ち込みやすいから作ったグループLINEです」と答えた。
暫くスタッフが探し回っていたが、3時間後、2人の少年が、あ、と言った。
「光がスタンプ押した」
雷門の前でジト目の猫が踊っているスタンプ。
「浅草かな」
「行ってみようぜ。お母さん、ちょっとここで待っててください」
光の親友たちは向かうと決めたようだ。
「あの!……俺も行っていいですか」
あ、はい。てか、外山海音って実在するんだな。潤、本人の前で言うなよ。そう話す二人と俺はスタッフさんの車に乗り込んだ。




