第30話:非有非空
藤宮が手を合わせて息をゆっくりと吐くと次の瞬間言葉をゆっくりと唱え始める
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 」
唱えた瞬間、真っ黒だったあたりが灰色が混ざり混沌と渦巻いているように見える。藤宮が唱え始め渦見の心が動き始めているのが手に取るようにわかる。
藤宮は目を瞑りながら続けて唱える
「定まれ……定まれ……定まりたまえ。」
藤宮が続きを唱えはじめるとあたりが灰色と黒色から白色が混ざり始めた。藤宮は再度同じように唱え続ける。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 」
竜胆の組子細工を置いた場所の空間から穴が少しずつ開き始める。璻は歩いて空間の近くまで行くと空間が広がりつつあるのがわかる。音波振動なのか?藤宮の唱える言葉が反応し広がっているとなると相当その言葉が強い意味と言うことが伝わってくる。
「定まれ……定まれ……定まりたまえ。」
藤宮は再度同じように唱え続ける。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 」
藤宮は同じように唱え続ける。
「定まれ……定まれ……定まりたまえ。」
次の瞬間、空間が大きく広がり璻が立っている場所ギリギリまで広がった。藤宮が大きく璻に呼びかけた。
「璻さんっ!お願いします!」
璻は返事をした
「はい!」
璻は人差し指に浮かぶ麻の葉のマークを見ながら願う。
…どうか、渦見さんが気付けますように…
璻は息を大きく吐いて人差し指を空間に振り下ろすと大きく叫んだ。
「五蘊皆空‼︎」
麻の葉は空間に吸い込まれるように入っていった。
すると周りから周りから悲鳴が聞こえる
「ああああっーーー‼︎」
渦見の叫び声が空間中に響き渡る。璻も藤宮も思わず耳を塞いだ。大きな悲鳴にあたりも揺れ出した。
藤宮は耳を塞ぎながら璻に向かって大きく叫んだ。
「璻さん、早く襟を竜胆に変えて修正してください!そうじゃないとっ…うっ…」
藤宮は足元に違和感を感じ下を見る。何も見えないが確かに何かが地を張っているような音が耳から伝わる。
…何かがおかしい…
璻は藤宮に向かって大きく返事をした。悲鳴が一旦鳴り止んだ。時間がないことは璻も重々承知していた。
「はい、すぐ取りかかります!」
璻はそういうと襟を見ながら人差し指で2回襟を叩く
「竜胆来たる」
襟が竜胆に変わり始める。璻は竜胆に変わった事を確認すると人差し指に竜胆のマークが浮き出ていた。
「一切衆生の罪穢れを脱ぎ立所に祓い清め給う」
そう唱えた瞬間、開いた空間からぬるっと何かが出てくるのがわかった。これは全身が黒い大きな人型だ。璻の目の前に遭わられ璻に向かって手を伸ばし始めた。
「えっ…」
驚いた璻は言葉を失う。恐怖で少しも動けない自分がそこにはいた。
それを見た藤宮はまずいと思い璻の元に駆け寄ろうとするが、足が動かない事に気がつく。蛇のようなものが足を締め上げていた。
…くっそっ…こんな時に…
藤宮が大きく璻に向かって呼びかけた。
「璻さんっっ!早く竜胆をっ!」
璻は藤宮の言葉で我に返ると黒い人型が璻に話しかけてきた。
「なぜ…邪魔するっ…俺はもう現実を見たくない……分かりたくない。病気になっても権利がある人に使われ続けてもそれでいい」
璻はその黒い人型が渦見の感情が何を思っているのか璻は察した。
……ずっと隠してきた本当の自分を見ることがこの人は怖くてしかたないんだ。怖いのわかるよ…
足元を見ると空間が大きく広がっていたものが小さく収縮していくのが見える。璻は黒い人型に優しく話しかけた。
「渦見さん、一緒に自分の感情を見ていきましょう。あなたはずっと自分の気持ちを無視して一人で立ち向かってきました。そのまま立ち向かってもあなたは愛を知らないまま一人で亡くなるだけです。もう自分を粗末に扱うのはやめせんか?」
黒い人型は頭を抱えながら璻に反発するように叫んだ。
「うるさいぃ。俺なんか…」
駄々を捏ねている子供のように見えて少し璻は呆れなが諦めず話しかけた。
「そうですか。じゃぁ…今の自分好きですか。」
璻の質問に黒い人型はキョトンとした。
「今の自分?」
璻は優しく話しかける。
「はい。他人に使われている、他人から存在を否定され、あなたを必要としていない自分をやっている自分は好きですか?」
黒い人型は急に声を震えながら答えた。
「嫌っ…そんな惨めで悲しい自分はもうっ…」
そういうと黒い人型からピキッと言う音がし、ヒビが入る。目のあたりだろうか黒い殻が落ちていき目が現れた。瞳はうるうると潤んでいるように見えた。それを機に黒い殻のようなものがどんどんと溢れ落ちていく。
身動きが取れない藤宮は今璻がどんな状況かわからなかった。
…俺が唱えたサンスクリット語はもう効果は無くなってきている早くなんとか伝えなければ…
「璻さん、もう空間が閉まりますよ!」
藤宮の声で気づいた璻は足元の空間を見るとさっきより小さくなっていた。
…大丈夫。きっと間に合う…
璻の中でふと考えが浮かんだ。こんな重要な時に呑気なものだなと璻自身でも思うくらい。気持ちが穏やかに感じれていた。焦っていろんなことに気づかなくてもいい。いろんな事はその人が適切な時期に必要なことは全て揃うようにこの世の中は出来ているんだ。
穏やかに悟った璻は目をしっかり開けもう一回唱えはじめる。
「一切衆生の罪穢れを脱ぎ立所に祓い清め給う」
人差し指を空間に向かって下ろすと璻は大きく叫ぶ
「非有非空っ!」
そう唱えると竜胆のマークは空間の中に吸い込まれるように消えていった。璻は黒い人型をじっと見つめ両手を握った。その手は小さく震えていた。パリーンと音がした瞬間に璻は目の前の人型を見るとそこには小学生くらいの渦見が目に涙を溜めながら立っていた。大きな黒い人型の中身は小学生の渦見だったことに璻は驚いた。小学生の渦見はゆっくりと口を開く
「俺、自分の事好きになれるかなっ?……」
彼は少し口角を上げながら、無理に笑顔を作っているようにも見えた。
「なれますよ。だって、今あなたがいるのはあなたが見えない所であなたを生かし、愛してくれた人がいるからあなたが今いるんですよ。自分を一番に好きになれなくて誰が好きになるんですか。」
渦見は璻の言葉にハッとする。少し考えると笑顔を見せながら応えた
「そっか。それもそうだ」
そういうと璻の手をゆっくり離し渦見は目を閉じた。次の瞬間、光の粒になると空間の中に吸い込まれた。開いた空間は光の粒を吸い込むとゆっくりと閉じてしまった。近くに置いてあった組子細工の竜胆を璻は拾い上げるとじっと竜胆見つめた
…あれはきっと渦見が一番傷ついた時期だったかもしれない。渦見さん自分の存在価値を見つけられなくてずっと辛かったそんな表情をしていたように見えたよ…
璻は少し切なくなったが、余韻に浸る場合ではない。まだ仕事は残っている。後ろを振り向いて藤宮を見るとその場から身動きがとれないまま苦しんでる藤宮がいた。璻が藤宮に駆け寄ろうとした瞬間藤宮は璻に呼びかけた。
「璻さんそのままでこっちに来ないでください‼︎このクソ蛇いい加減にしろよっ!」
藤宮は珍しくキレていた。璻は藤宮に言葉をかけた
「あのソイツ…もう終わったから消えるんじゃないんですか?」
藤宮はため息を吐き璻に説明した。
「こいつは宿主を探しているんですよ。悪魔崇拝の儀式で生きた赤子の血を使い、人間に寄生する石屋の趣味の悪い悪霊ですよっ!」
璻はその説明を聞き強い嫌悪感が全身に走った。藤宮は璻に呼びかけた
「璻さん竜胆投げてこっちに渡してください!」
璻は勢いよく返事をする
「わかりました。」
そういうと璻は竜胆の組子細工を思いっきり投げると藤宮の足元に当たって落ちた。藤宮は足元の竜胆を見ながら唱え何かを唱え始めた
「神の在座鳥居に伊禮ば此身より日月の宮と安らげくす」
藤宮はそう唱えると手を合わせ4回叩いた。
足元に置いてある竜胆の場所から大きい朱色の鳥居が地面に浮き上がると重ね竜胆が球体を作り蛇を包み込んだ。藤宮はサッと球体から足元を退けた。はあっとため息を出すと言葉をかける
「籠の蛇」
藤宮がそう唱えると球体を鳥籠のように形を変化させた。藤宮が鳥籠の近くまで歩き蛇の様子を見た。蛇はスヤスヤと眠っていた。璻が藤宮に駆け寄ると藤宮は少し笑顔になっていた。
「藤宮さん、蛇はどうなりましたか?」
藤宮は鳥籠を璻に見せた。
「これです。さっきので捕まりましたよ。」
「こんなのできるんですね。捕まってよかったですよ。」
藤宮は鳥籠を璻に見せ終わると地面に置いた。
「やっと今日の仕事が終わりましたね。水が来ますよこれから」
藤宮はニコッとすると璻に答えた。
「水?」
璻は藤宮が何を言ってるのか分からなかった。
すると地面だった足元がスッと消えた。
璻は驚いて悲鳴をあげた。いきなり地面が消える事は流石に予想していなかった。
「ひぃぃぃぃああああ――――――――!」
ジャボーンッ‼︎‼︎
水の中に落ちていく感覚になる。
強く目を瞑ると光が差し込んでくるのがわかる。
パッと目を開けると目の前には浮いている水、隣にはまだ目を開けてない藤宮が立っている。ここは元の施術室に戻っていることがわかった。
安心した璻は力が抜けたのか床に倒れ込むように横たわった。
…もう疲れた。もう嫌だ。今日は散々だ…
見覚えのある声に璻は無理やり起こされる。
「はぁ〜やっと帰ってきた。戻れなかったらどうしようって思ったけど。よかったよぉ」
もうあと10分くらい休みたいと思った。そう思った瞬間藤宮に顔を覗かれた。
「璻さん施術中ですよ。休憩じゃないんですからね。行儀が悪いです」
璻は起き上げると藤宮が笑顔で笑っていた。藤宮の左手には鳥籠を持っていた。まだ蛇が入っているように見えた。
「藤宮さん起きたんですね。よかったです。」
璻は黒い白衣を手で払うと立ち上がり藤宮の隣に立った。
「璻さんも戻ってきてよかったですよ。怪我はありませんか?」
藤宮は不安そうに璻に質問をした。
「はい。とりあえずなんともないので大丈夫だと思います。」
藤宮は安堵すると眠っている渦見を確認した。
…渦見さんはなんともないか。よし…
「そうですか。では、この大きな水ごと渦見さんの体内に返して終わりですかね」
そういうと藤宮は浮いている大きな水を見つめた。
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・非有非空
意味:いっさいのものは、有るのでもなく無いのでもない、いずれにも偏らないものであること。
仏教用語の一つでもあります。実はそう思ってるのは渦見だけで渦見以外は別になんとも思ってないと言う意味で藤宮は璻にこの言葉を教えました。この世界は全て素粒子が集まって出来ています。過去に経験した感情をくっつけて人間が見ているだけであると言うことを伝えたかったのかもしれません。そう思うと藤宮は優男だなと思います。
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