十番勝負 その十三
第二十章 おまきのこと
おまきは、ふた親が死んだ後、南郷家に引き取られた娘であった。
吾平が連れて来たおまきを初めて見た時、どこか、小百合殿と似ているなと三郎は思った。
眼は大きいが、色が黒い、痩せた女の子だった。小百合殿も昔はこの娘と同じで、眼ばかりが大きく、色の黒い痩せた女の子であったな、と三郎は遠くを見るような目で思った。
小百合殿は親隆さまのご寵愛を得て、城下近くのお屋敷を拝領し、子供も二人産み、今は幸せに暮らしてござる。ただ、一つ、気掛かりなことがある。
それは、親隆さまの具合がすぐれないことだ。噂では狂乱の病と言われているが、気鬱症とでも云うのであろうか、押し黙ったまま、塞ぎ込む日が多くなったとのことじゃ。
吾平が沈んだ声で言っていた。
「だんなさま、お殿さまのご病気の噂はほんとでごぜえます。どうも、先年の戦さで戦いに勝って、首実検の最中に思いもかけず、敵方の残党に攻め込まれ、危うく討ち取られそうになったことが原因らしいという噂まで立ってござる。一時は、敵にむざむざと首を取られるよりは、自ら腹をかっさばいて果てる、というお覚悟までなされたとか。その時の恐ろしさをどうも引きずっているようだない。夜中に、大声で喚きながら起きられるとか、庭先に出て、松の木に刀で斬り付けるとか、尋常では無いご様子ということを聞きやんした」
精神を病み、錯乱されておられるのか。
三郎は自分と同じ齢のこの岩城の領主の病の様子を痛ましい思いで聴いていた。
そのおまきがこの頃、急に大人びて来た。
「おまきさんも近頃はだいぶ娘らしい体つきになってきたない。そろそろ、嫁いでもおかしくない年頃だっぺよ」
「おかめよ、おめもそう思うか。実は、おいらもそう思ってたんだ。だんなさまも、いつだったか、おまきにも南郷のむすめとして恥ずかしくない嫁入りをかんがえねばならない、と言ってたっけ」
「弥兵衛さん、おめは男だから、気がつかねえかもしんねえけど、おまきさんは実はだんなさまを好いているだよ」
「馬鹿いってるんじゃねえ、おかめ。だんなさまは今おまあさまのことであんなにやつれてしまっているのに。それに、おまきさんとは齢がはなれすぎてもいるべよ」
「でも、弥兵衛さん。おまきさんがだんなさまを見る眼はただもんじゃないよ。あれは、惚れている男を見る眼だよ。兄さんを見る眼じゃねえよ」
「おかめ、おめのいうのも一理はあっか。だんなさまとおまきさん、そう言われてみれば、しっくりした夫婦になるかもしんねえな」
第二十一章 八番勝負 毛利又三郎との勝負
思いがけない事件が起こった。
今川道場で三郎と一、二を争った剣士に松永四郎景春という侍が居た。
同年でもあり、三郎の剣の好敵手と云える存在であった。
三郎が今川道場に入門した当時は、松永の方が一歩優っていたが、その内に追い付き、免許を貰う頃には、三郎が三本に二本は勝ちをおさめるまでに至った。
岩城親隆の近習として仕える好男子であった。三郎に剣の腕で追い越されても、素直に三郎の精進を誉め讃えるという男らしい雅量があった。
このような雅量はまことに得難いものである、と三郎は心中、松永を敬服の念を抱いていた。
人の常として、普通であれば、追い越されると、うわべでは平静さを装ってみせるものの、心中では穏やかではなく、追い越していった者に必ず嫉みを感ずるものである。
また、それが、人の凡夫たる所以と三郎は思っていたが、松永は三郎の免許祝いの酒宴まで開き、心から祝ってくれたのであった。そこに、一抹の嫉み、恨みは無く、清涼感が漂っていた。この男こそ、生涯の友であろう、と三郎は思った。
その松永が或る朝、無残な斬殺死体で発見されたのである。
正面からの袈裟斬り、一太刀で斃されていた。
初め、その報に接した時、三郎は信じなかった。
松永とあろう剣士がそうむざむざと正面から斬られるわけは無い、きっと相手も深手を負うか、どこかで死んでいるはずだと思った。しかし、下手人は杳として判明しなかった。
手疵を負った者も居なければ、死んだ者も居なかった。
狭い城下では、医者の数も限られ、そのような者が居た場合の噂はすぐに飛び交うものであるのに、松永を殺した相手は判明しなかった。
お城の近くに、近在では名が轟いた飯野八幡という豪壮な神社がある。
飯野八幡では年に一度、初秋の頃、流鏑馬の奉納がある。
馬を走らせ、その馬に乗っている武士がすばやく、矢をつがえ、的を射抜く、という人馬が一体となって繰り広げられる弓の技であり、神事となっている。
馬が走る距離は二町(約二百二十メートル)と決められており、この距離の中で、左手に、ほぼ一定の間隔に立てられている三つの的を全て射抜かなければならない。
走る馬から左手の的までの距離は三間弱(約五メートル)である。
的は一間ほどの高さに立っており、古式ゆかしい狩装束をまとった武士が馬上から射る。
この奉納は、岩城家或いは岩城家にゆかりのあるところに仕官を目指す武芸者にとっては格好の腕の見せ所ともなっていた。馬を乗りこなす熟練の技と共に、弓を速射する技も求められ、練達の士は実戦でも大いに活躍する武士として期待出来るからである。
この奉納には、岩城家の侍も腕自慢の者に限り、参加が認められていた。
松永四郎も参加し、見事今年の第一位の席を得ていたのである。
その松永が正面から袈裟掛けに斬殺された骸として発見されたのだ。
三郎も駆け付け、遺体を検分した一人であった。
松永は右手に刀を握り締めたまま、仰向けに倒れて絶命していた。
眼は誰かが閉ざしたのであろうか、閉ざされており、死に顔は存外に安らかな死に顔と言えた。疵は二箇所、左肩から袈裟に斬られた大疵と喉笛への止めの刺疵の二箇所であった。さほど、苦しまずに絶命したか、と三郎は松永の死に顔を両手で拝みながら思った。
尋常な立ち合いでの勝負の結果であるならば、武人として致し方は無いが、尋常ならざる立ち合いで殺されたのであれば、さぞ無念で成仏も出来まい、それならばこの仇はおいらが必ず取ってやる、と三郎は思っていた。
しかし、何か腑に落ちなかった。刀を調べてみた。刃こぼれが無く、斬りあった気配が全然無い。相手の刀と斬り結ぶことも出来ずに、正面からただ一撃で斃されたのか。
闇夜での斬り合いならともかく、昨夜は月も煌々と照った月夜であったし、松永ほどの腕達者な者が相手と一合も交わさずに一方的に斬られてしまう、ということはどうも考えられない。
ただ、妙な臭いを感じた。血の臭いとは別な臭いを三郎の嗅覚は捕らえていた。
どこかで嗅いだことがある臭いだった。ふと、袖口に眼を遣った。何か、付いていた。
微かに粉が付いていた。その粉に鼻を近づけてみた。妙な臭いはその粉から発せられていた。
三郎は屋敷に取って返し、武器蔵に入った。
南郷家の武器蔵には先祖伝来の鎧、兜、太刀、刀、弓、矢、槍、薙刀が所狭しと納められており、三郎の話に依れば、三十人ほどの部隊は侍さえ居れば、すぐにでも編成出来るということであった。三郎は蔵の中に入っていくなり、奥の棚の方に向かい、その棚に置かれてある箱を取り出し、蔵を出た。そして、縁側に箱を置き、中からいろいろな物を取り出した。
普通の武家の持ち物とは思えぬ物ばかりであった。
十字手裏剣、八方手裏剣、手甲鉤、苦無、しころ、鉄菱、鎖頭巾、など、全て風間才蔵が三郎に残していった忍具の数々であった。
錆びてはいたが、鋭く尖った棒手裏剣も五、六本ほどあった。
やがて、目的の物を見つけたのか、三郎の顔は少し緩んだ。その物に鼻を近づけた。
この臭いじゃ、間違い無い、この目潰しによって、眼を塞がれて、茫然とするところを松永は無残に斬られたのだ。
翌日、三郎は豪壮華麗な飯野八幡の社殿に居た。そして、奉納流鏑馬に出場した者の名簿を見ていた。五人ばかり出場していた。五人中、四人が家中の腕自慢であったが、他国の牢人も一人居た。矢は三本放たれ、的の中央に近いところをどれだけ射抜くかで、席順が判定される。
見事、第一席という判定を得て、岩城親隆から名誉の武士ということで脇差を拝領した者が松永四郎であった。三郎は第二席に入った者の姓名を見た。毛利又三郎という牢人であった。
岩城家の家中の侍では無く、この流鏑馬奉納で第一席を取り、岩城家に仕官しようとした他国の侍であった。松永四郎には僅か及ばず、第二席となり、岩城親隆より褒美の品は与えられたものの、念願とした仕官は叶わず、悄然と城下を去ったとのことであった。
その名を見て、三郎もあの流鏑馬奉納で見たことを思い出した。
素直に喜ぶ松永四郎をじっと見詰める侍が居たことを思い出したのである。
その侍が毛利又三郎であった。しかし、気になったのはその侍の視線であった。
羨むふうでも無く、かと云って、憎むふうでも無い。暗い視線をじっと松永に向けていたのである。三郎はその侍に微かな違和感を持った。
生まれながらの侍には無い妙な陰湿な暗さを感じたのである。
三郎は大館城の空堀近くを歩いていた。
空堀はなかなか豪壮なもので、深さ、幅共に広大で敵に対する防御の効果はさぞかしと思われた。一人の男が眼に止まった。薬売りの行商人と思われた。
空堀を眺めたり、城の櫓を見物したり、旅の土産話を仕入れるために、ぶらぶらと歩いているように思えた。ただ、歩き方が気になった。
あの歩き方は風間才蔵の歩き方とどこか似ていると思った。
その行商人は見物に飽きたのか、またぶらぶらと歩き、城下外れに向かって行った。
三郎も何気ないふうを装いながら、その行商人の後をつけて行った。
暫くして、その行商人は街道筋にある一軒の農家に入って行った。
人が住んでいる気配は無く、空き家と思われた。三郎も少し離れた松の木陰で石に腰を下ろして、その男を待った。だが、いつまで待っても、その男は出て来なかった。やれやれ、長いこと待たせるものよ、と思いながら、三郎がその農家に近づいて行った時のことだった。
「何か、ご用かのう?」
少しまのびした、からかうような声が頭上からした。
三郎が油断無く身構えながら、見上げると、屋根の上にその行商人がにやにや笑いながら立っていた。しかし、姿は変わっていた。行商人の姿では無く、侍の姿をしていた。
「やはり、お主は忍びの者であったか」
「いかにも。なれど、忍びと見破られたのはこれが初めてよ」
その男は屋根から飛び下り、ふわりと地面に立った。
「毛利又三郎、という名で奉納流鏑馬ではかなりの腕を見せていたが」
三郎も少し笑みを浮かべながら言った。
その男は少し驚いたようであったが、元の無表情な顔に戻って言った。
「して、ご用の趣は?」
「お主が、松永四郎を殺めた理由を知りたい」
「まつなが? ああ、あの流鏑馬の名手か。別に、殺めてはおらんが」
「嘘を申すでない。余人は騙せても、このわしの眼は誤魔化せぬわ」
「何を、馬鹿なことを。それがしが松永という侍を殺めたという証拠でもあるのか」
「わしは忍びの術も、お主ほどの達者では無いが、少し齧っておるのだ。松永の死体の袖口から目潰しの粉の臭いがしていたわ。刀のほうはお主が念入りに拭いたのであろう。粉は付いていなかったが」
「臭い? 目潰し? 何のことか、さっぱり分からん」
「実は、のう、毛利又三郎よ。わしも同じ目潰しの袋を持っているのよ。もう、二十年近くになるが、お主と同様の忍びから譲り受けているのよ」
「さっぱり、分からんが、後学のため、教えて戴きたい、その忍びの名前を」
「本人は、風間才蔵、と名乗っていた。勿論、本名かどうかは判らんが」
「かざまさいぞう? 風間の才蔵、だな。ふうまのさいぞうとも云う。その名は忍びの仲間ではよく知られた名よ。それがしも、親父殿から聞いておる。もっとも、抜け忍としてだが。腕は良かったそうだ。そうか、才蔵はこの岩城にも流れて来ておったのか」
「お主が目潰しを使って、松永を斬ったことは分かっている。わしが知りたいのは松永を殺めたわけじゃ」
「あの侍が居なかったら、それがしの仕官は叶った、と思うと無性に腹が立ってのう」
「忍者に仕官もへったくれも無いだろう。推察するに、岩城殿のご家中となり、どこかの大名に岩城殿の動きを通報するつもりであったのだろうて」
「さあ、もういいだろう。松永同様、お主にもこの世から消えてもらおう。あ、その前に、お主の姓名を聞いておこう。わしの名は、いや、止めておこう。毛利又三郎、という名前にしておこうかい」
「わしは岩城の郷士、南郷三郎正清である。尋常に勝負致そう」
「ほう、お主が南郷三郎か。噂に高いあの南郷、か。これは、良い相手にあたった。お主を斃せば、わしの武勲の一つとなろうぞ」
と言うなり、左手に隠し持っていた物を投げつけた。
三郎は飛翔するその物を避けながら、言った。
「その手は喰わぬわ。才蔵殿は言っておられた。忍びの者が投げつける物は斬らずに避けることじゃ、とな。目潰しであれば、斬れば、飛散し、眼を潰す、とな」
毛利又三郎は左右の手に刀を持ち、二刀で斬りかかって来た。三郎も負けじと、雷神丸を右手に、風神丸を左手に持って、二刀で斬り結んだ。二人は鋭い太刀先で斬り合った。
しかし、刀の斬り合いでは三郎に分があり、毛利は徐々に手傷を負い、血に染まりながら、次第に農家の壁に追い詰められていった。
「忍びの術に関しては、お主のほうがわしより上であろうが、刀術ではわしのほうが上と見えるのう。お主に殺された松永はわしの竹馬の友であった。友の無念は晴らさなければならぬ。人を殺めるのは好まぬが、松永の仇を取らせてもらうこととする」
毛利はやにわに左に持っていた小刀を正清に投げつけると同時に、身をぶつけるようにして、大刀を両手に持って、三郎の胸目掛けて突進してきた。まさに、捨て身の攻撃であった。
三郎が下手にかわせば、毛利はそのままこの場を奔り去って他所へ逃亡するつもりでもいたのだろう。三郎は左手に持った風神丸で毛利の投げつけた小刀を打ち落とし、右手の雷神丸で毛利の大刀を横に払った。すると、毛利の大刀は音を立てて、折れた。刀を無残に折られ、のけぞって驚く毛利の正面に立った三郎が毛利の肩口に刃を振り落とした。
三郎の足元には、松永と同様に左肩から袈裟に斬られた毛利又三郎の血に染まった骸が転がっていた。止めの必要は無く、三郎の壮絶な一太刀で又三郎は絶命していた。
松永の仇を取った三郎であったが、心はなぜか晴れなかった。理由はどうであれ、人を殺してしまった、という自責の念が心を寒々としたものにしていた。
秋も深くなっていた。肌寒い風も吹き出していた。風に吹かれ、三郎は一人悄然と歩いた。