6 新しい出会い
あと半年もあると悠長に構えていたら、国立カナガン教育学校の入学試験の日はあっという間にやってきた。
エイミーにとってこれほど緊張する日はかつて体験したことが無い。だって、万が一にもクリンが試験に落ちたりしたら勇者クリンドールを育てるために頑張ってきたこの2年半が無駄になってしまう。それに、エイミー自身もクリンの成長を近くで見守る為に、絶対に落ちるわけにはいかないのだ。自分が落ちたせいでクリンが「じゃあ僕も行かない。」などと言い出して入学辞退したりしたらそれこそ洒落にならない。否が応でも緊張してしまう。
会場となる国立カナガン教育学校はエイミーの想像よりずっと素敵な建物だった。バロック建築に近い建築様式で至る所に繊細な飾り彫刻が施された由緒ある建物、とかつての自分が小説中に表現したその学校は、エイミーが今まで見たどの建物よりも厳かな雰囲気を醸し出していた。校門の両脇には高い柱があり、柱の上にはガーディアンの銅像が対になって配置されており、ガーディアンの胸には校章が入った金メダルのようなものがかかっていた。
「エイミー、大丈夫?」
エイミーの緊張がクリンにも伝わったのか、クリンは心配そうにエイミーの様子を窺った。校門を抜けてすぐの場所に専門学科ごとの試験会場が掲示されており、エイミーとクリンもここで一旦お別れとなる。
「ええ、大丈夫よ。絶対に一緒に入学しましょうね。約束よ。」
「うん、わかった。じゃあ、また帰りに。」
エイミーは緊張する自らを叱咤して強張った顔を無理やり笑顔にしてクリンに手を振って別れた。魔術学科の試験会場は魔術学科の校舎で行われるようで、エイミーは恐る恐るその中に足を踏み入れる。教室には沢山の子ども達が着席していて、中には早くも黒い魔術師用ローブを着た気の早い子までいた。エイミーは事前に受け取っていた受験票を見ながら自分の席を探していく。後ろから3列目に位置していたその長机の反対側には、既に女の子が腰をかけていた。
「こんにちは。私はお父さんもお母さんもここ出身の魔術師なの。だから、私もここを出て魔術師になろうと思って。あなたもそう?」
エイミーが席に腰掛けようとしたときに、反対側に座っていた女の子と目が合いあちらから声をかけてきた。赤味の強い茶髪はくねくねとうねって背中の真ん中くらいまで伸び、大きくぱっちりとした薄茶の瞳は少しだけ吊っていて意思が強そうな子に見えた。
「ううん。私は親戚に魔術師は居ないわ。でも、どうしてもここに入学して魔術師になりたくて受けに来たの。受かると良いのだけど。」
「へえ、珍しいわね。大抵は親も魔術師の子なんだと思ってた。この子もそうよ。」
女の子はそう言いながら目の前に座る男の子の後頭部をツンツンと指で小突いた。前の座席の男の子が振り返り、エイミーは初めて会うその男の子にひどく既視感を覚えた。漆黒の長い髪を後ろで緩く結んだ綺麗な顔の男の子は迷惑そうに眉間に皺を寄せて女の子を睨みつけている。
「やめろヴィ。試験前に気が散る。」
「あら、アダルったら緊張しているの?らしくないわね。」
ヴィと呼ばれた女の子は不機嫌な男の子に構わずクスクスと笑った。そんなヴィをみてアダルと呼ばれた男の子はプイっと前に向き直る。ヴィにアダルか、もし入学できた暁には仲良くなれると良いな、とエイミーは思った。ところで、アダル、アダル、どこかで聞いた気がするわ。どこだったかしら・・・そこまで考えてエイミーはハッとした。
「あー!あなたもしかしてアダルベルト・タリーニ!!」
思わず立ち上がってフルネームを叫んだエイミーにヴィとアダルはポカンと呆気にとられたようにエイミーを見上げた。勢いあまってエイミーの机の上に置いたペンはコロコロと隣の席まで飛んでいき、ヴィの足にあたって動きを止めた。
「なあに?アダルってば知り合いだったの?」
「だぶん知り合いじゃない。」
ヴィに聞かれたアダルは訝し気にエイミーを見つめた。真っ黒の瞳がまっすぐにエイミーを見つめていて、過去にどこかでエイミーに会ったことがあるかを必死に思い出そうとしているようだった。しかし、それらしき人物に思い当たらないようで黒い瞳が困惑に揺れている。
「あっ、ごめんなさい。会ったことはないんだけど、噂で聞いたことがあるの。」
「アダルの噂?どんな噂なの??」
「えーっと、すごく才能ある少年で将来は大魔術師になるとか。」
エイミーの返事を聞いたヴィは大きな目を零れ落ちそうなくらいに見開らき、そして耐えきれないようにアハハっと豪快にお腹を抱えて大笑いした。
「何その噂!ないわよ!だってアダルが大魔術師??あははっ。」
笑いすぎて涙目になったヴィはアダルが不貞腐れているのにも構わずとにかく楽しそうだ。実はエイミーの記憶では、アダルベルト・タリーニは大魔術師かつ勇者クリンドールの親友だった男のはずだ。黒髪黒眼の美形の魔術師で、魔法を使う時の姿は流れるように美しいとされていた。
「何がそんなにおかしいの?」
エイミーが恐る恐るヴィに聞くと、ヴィは零れ落ちそうになっている笑い涙を指で拭って何とか笑いをこらえていた。
「だって、アダルの魔法のセンスって私よりひどいのよ?大魔術師なんて到底無理よ。なんでそんな出鱈目な噂が流れたのかしら?本当に不思議ね。」
ヴィの言葉にアダルが不満げに口を尖らせながらも否定せずにいるところを見ると、きっとヴィの言うことは本当なのだろう。
アダルが大魔術師なんて無理?それ、めちゃめちゃ困るんですけど。エイミーの前世の名作『ミズノンの勇者と異界の聖女』のストーリーが崩れてしまう。せっかく勇者クリンドールをここまで引き上げて来たのに、まさか別の主要キャラにも黄色信号が灯っているとは完全にエイミーの想定外だった。勇者クリンドールは聖女以外にも魔術師など数人でパーティを組んで魔物退治に行くのだが、このパーティで最も重要な役回り、すなわち準主演男優と言ってもいいキャラクターがアダルベルト・タリーニなのだ。
「じゃあ、絶対に今日の試験で合格してこれから大魔術師になれるように頑張りましょう!!」
力強く拳を作ったエイミーをみてヴィは「そっちなの!」とツッコミを入れてまた大笑いした。
「私はヴィヴィアン・アブディ。アダルとは幼馴染よ。よろしくね。」
「エイミー・キサックです。よろしくお願いします。」
これがエイミーの後の親友であるヴィとの出会いだった。
試験は問題なく終了した。筆記も家庭教師の先生方に教えられて何回もやったところから出たし、実技試験も厳しいサチル先生に比べたらなんてことなかった。試験終了後、朝別れた案内掲示板の前で立っているとクリンが笑顔で騎士学科棟から戻ってくるのが見え、顔の表情から試験の出来がよかったことが想像できた。
「お疲れ様、クリン。いい顔しているわ。」
「お疲れ様、エイミー。エイミーもいい笑顔だね。」
エイミーとクリンはお互いの顔をみてにかっと歯を見せて笑った。新しい学校に新しいお友達、きっと素敵な学生生活が待っているような気がしてエイミーはとっても嬉しくなった。