2 勇者育成始めます
エイミーはさっそくクリンドールを立派な勇者にするための計画を練り始めた。記憶の中でクリンが騎士団入りするのは確か15歳の時のこと。と言うことは、逆算するとあと8年ある。8年と言っても長いようで短い。何せ、あの泣き虫クリンを誰もが見惚れるような文武両道のいい男に仕上げなければならないのだから。
なので、やることは腐るほどあるのだ。馬術、剣術、魔術、礼儀作法、文字も読めないといけないし、多少の算術だっているはずだ。
幸運なことに、転生したエイミーは一般人としては比較的裕福な商店の娘だった。将来の跡継ぎとして英才教育を受けているお兄さまの家庭教師の先生に勉強は教えて貰おう。馬術もお兄さまが馬術練習するのに付いていけばいっか。礼儀作法も男と女じゃ違うはずだからお兄さまかしら。こうしてみるとお兄さま様々だ。今日のおかしは少し多めにお兄さまに渡してあげようとエイミーは思った。
問題は剣術と魔術だ。誰か師に教えを仰がないとこの二つはなかなか上達しないだろう。エイミーは少し考えて、素直にお父さまにお願いする事にした。お父さまはエイミーにはいつも甘いからきっと聞いてくれるはずだ。夕食の時、エイミーはさっそく父親のルートルにお願いしてみた。
「剣術と魔術を習いたい?何故だい??確かにエイミーもそろそろ家庭教師を付けていい歳になるが、女の子なんだから礼儀作法と刺繍なんかがいいんじゃないかい?」
エイミーのお願いを耳にしたルートルは戸惑ったように、ビールのグラスをテーブルに置いた。このビールはルートルが独自ルートで販売ルートを開拓した一品で、ルートルの商店の看板商品の一つだ。黄色い液体に気泡が混じってしゅわしゅわと音を立てていた。
「お父さま。私、将来は魔術師になろうと思って。だって、私は女だからお嫁に行くけれど、魔術師なら旦那様のお役にもたてるでしょう?それに、剣術は護身用に身に付けたいの。」
「エイミーが魔術師に?それは初耳だね。」
「ついさっき決心したのよ。だって、女の人だって自立した職業についてたっていいでしょう?魔術師になるために習った魔法は日常生活にも役に立つわ。」
「なるほど。私のエイミーは可愛いだけじゃ無くて頭もいいな。さすがだ。さっそく町一番の家庭教師を手配しよう。」
ルートルは濃い緑色の瞳を優しく細めた。エイミーは自分が可愛いだけじゃ無くて頭もいいだなんて、お父さまはとんだ親バカだと思ったけれどそれは口にしない。かわりにエイミーは大袈裟に喜んで見せた。魔術師になりたいと言ったのは、せっかく魔法のある世界に生まれたのだから、どうせなら魔法を使えるようになりたいと思っただけである。
「まぁ、お父さま。ありがとう!じゃあ、明日からマクルベーカリーのクリンドールと一緒に授業を受けるわ。クリンは私といつも一緒に遊んでるから、一緒でもいいでしょう?」
「クリンドールも?まぁいいか。好きにしなさい。」
こうしてエイミーは必要な家庭教師陣を確保したのだった。そして翌日、さっそく意気揚々と近所に住むクリンを訪ねていった。クリンの実家はそこそこ人気のベーカリーショップだ。クリンのお父さまがパンを焼き、クリンのお母さまがお店に立っている。エイミーは先ずはクリンのご両親に話を付ける事にした。
「おばさま、ごきげんよう。」
「あら、エイミー。こんにちは。エイミーから訪ねてくるなんて珍しいわね。すぐにクリンを呼ぶわ。」
お店のカウンターに立っていたクリンのお母さまはエイミーに気付くとクリンによく似た配置の良い整った顔でにっこりと笑って店の奥の住居に向かって「クリン!」と呼びかけた。クリンのお母さまはエイミーから見ても美人さんである。
「おばさま、実は今日は大事なお願いがるの。」
「大事なお願い?何かしら??」
「クリンを週に7日貸してほしいの。」
「週に7日も?いったい何をするつもりなのかしら??」
「勉強と剣と魔法の特訓よ。」
「勉強と剣と魔法の特訓?」
クリンのお母さまは元々大きな目を益々大きく見開いた。エイミーは自分が家庭教師に色々と習うのでクリンも一緒にと誘おうと思っていると説明をした。クリンのお母さまは戸惑ったような表情をして、ちょっと困っているようだった。
「エイミー!もう頭の打ったところは大丈夫なの?」
ちょうど話している最中にクリンは息を切らして店舗に降りてきた。ちょうどいいところに来たと思ってエイミーはクリンにもエイミーの考えを説明した。
「勉強と剣と魔法の特訓?」
クリンは先ほどクリンのお母さまが見せたのと寸分も違わぬ言葉を同じような表情でオウム返ししてきた。
「そうよ。だってクリンはいつかみんなの憧れる騎士様になって大きな領地をもらうんだから。」
「でも、僕はただのパン屋だよ。」
「馬鹿ね。クリンは次男なんだからここは継げないわよ。それより私と勉強と剣と魔法の特訓しましょ。クリンはやればできる子なんだから絶対に大物になるわ。それでいつかクリンは大好きな女の子と結婚して幸せに暮らすの。」
「大好きな女の子とけ、けっこん!?」
クリンの白い肌は一気にバラ色に色付いた。視線が彷徨って明らかに挙動不審である。エイミーはクリンも男女のことで一丁前に照れたりするんだなぁとちょっと意外だった。
「そうよ!だから、私と頑張りましょ?私達の幸せな未来のために!!」
「う、うん。僕頑張ろうかな。」
エイミーが勢いづいてクリンの両手を握りしめると、クリンは真っ赤になったままコクコクと頷いた。
「さすがは私のクリンドールだわ!」
エイミーは喜びで思わずクリンのまだ細い首に抱きついた。クリンのお母さまは少しはそんな2人を見て「あらあら、仕方ないわねぇ。」と笑っている。
よし、これで第一の関門突破だわ。クリン、あなたのことを絶対に立派な勇者にしてみせるわ。エイミーはその小さな胸に大きな決意を新たにしたのだった。