31 愛なき抱擁
「ちょ、ちょちょちょ、何するんですか!」
僕は今、人生で一二を争うほどの熱い抱擁を受けている。こんなこと、今までじゃ決してありえなかった。この、身動きが取れないほどの情熱的な抱擁。
……もちろん、相手は男だ。
「もーっ、離してくださいって!」
そうしてやっとのこと引きはがしたのは、齢七十ほどの白髪の老紳士だった。鼻下の整えられた白ひげ、ピシッと着こなされた燕尾服と蝶ネクタイからは、いかにも執事であるような風格が漂っていた。
「じい。みっともないわ、やめなさい」
そんな老紳士の不躾をたしなめるように、冷静に声をかける少女。
「お嬢様……」
お嬢様。そう呼ばれた少女は、表情を変えることなく僕の顔を凝視した。
見た感じ、小学校低学年くらいだろうか。
小柄な体に色白の肌。肩まで切りそろえられたブロンズ色のさらりとした髪。ワンポイントの刺繍がほどこされている淡いピンクのカチューシャ。宝石みたいに澄んだコバルトグリーンの瞳。黙っていればお人形と間違えられそうなほど可愛らしい顔立ちの少女だった。
何か返した方がいいのかな。
彼女の感情の読み切れない冷静な視線に戸惑っていると、さほど興味は無くなったのか、彼女の方からふいと視線を外した。
助かった。
僕が妙な緊張が解かれたことに安堵する中、今度はやけにご満悦の表情を浮かべた由宇さんが彼女の背後へと忍び寄っていた。
「ふへへ、かわゆい子」
彼女はそう言って、すりすりとナメクジのような動きで近寄ると、光の速さで少女を抱きしめた。
「なっ!」
あまりにも大胆な犯行。僕は動揺した。
「何やってるんですか。離れて下さい、かわいそうでしょ」
というかいきなり初対面の少女を抱きしめるとか、不審者にも程がありますよ。
ついさっき自分の身に起こった事を思い出しながら、僕は必死に忠告した。同じ悲劇は二度と起こってはならない。
しかし由宇さんは、デレデレと気持ちの悪い笑みを浮かべたまま、ひっしりと少女を放そうとはしなかった。
「すみません。彼女が勝手に暴走を」
流石にまずいと感じた僕は、背後に控える保護者と思しき老紳士に謝罪をし……
「いえいえいえ、いいのです。いいのです!」
ドアップな彼の顔が僕の眼前に迫っていた。
「ま、あ、あの」
「こんなにお嬢様を大切にしてくれるそのお心。貴方様達しかおりません。どうか、どうか、お嬢様をお助けくださいいいい」
「や、だか、ら、その」
がくがくと揺すられる肩に僕は上手く言葉が出ない。
「い、たい、な、に、があた、んで、す、か」
一体何があったのか。僕は彼の揺する手を必死に抑えながらそう訊ねた。
「ぜーぜー……この屋敷は……ぜー……強盗に入られておりまし……て……ごほっごほっ」
「ご、強盗」
激しく動いたせいで体力の限界に達してしまったらしい老紳士の背中をさすりながら、僕はその事情を聞いた。
「はい……強盗でござい……ます」
それで不審者だったのか。
「今この家は奴らに占拠されているのでございます。幸い我々二人はこちらに隠れることまでは出来たのでございますが、すると今度はここから一歩も出れない状態に。ですからお願いです! なんとしても、お嬢様だけは、脱出をおおおお」
「ああ、はい、ええ……落ち着きましょう」
再び最初にループしてしまいそうな老紳士にをなだめつつ、僕は頭を悩ませた。
それは確かになんとかしてあげたいが、人数も不明な強盗相手に果たしてどう立ち向かうべきなのか。とりあえず別行動のタクトを待つのがいいのかもしれない。脱出経路だけならなんとか確保も出来るかも……
「嫌」
嫌?
ぴしゃりと切り捨てたような少女の声に、僕は一瞬動きを止めた。
「お嬢様っ」
「絶対、嫌」
間違いない。
僕は彼女を凝視した。
「私、逃げたりなんて絶対しない」
間違いなくこの言葉は少女の口から出ているものだった。
「だってこのままアイツらのいいなりになるなんてムカつくもの」
こんなに小さい子なのに随分と強い子だなぁ。
僕はただ、純粋に感心していた。自分だったらこの状況、助けてもらえると言われたら喜んでそれに飛びついてしまうのに。ましてや女の子、それもお嬢様と呼ばれている身分でこれはなかなか強い。
「だからとはいえ駄目でございます!」
老紳士は力いっぱいに否定した。
まあ分かる。この子の負けたくない気持ちも分かるけど、大人的に考えたら、そこは間違いなく止める場面だろう。僕も大人の一員として加勢しよう。
「心配しなくても大丈夫。悪い大人は強いお兄さんがやっつけるか……」
「爆弾で屋敷ごと木っ端みじんにするなんて駄目でございます!」
「……はい?」
待て待て。今、なんて言った。
僕がそう聞き返すまでも無く、彼女はしっかりとこう言った。
「悪い奴らなんて、私の仕掛けた爆弾で、みんな木っ端みじんになって死ねばいいの」




