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魅入られ人のにちじょう

魅入られ人のにちじょう 〜井戸の話〜

 日条にちじょう一家が引っ越してきた山雛やまびな市というのは、有り体に言ってしまえば田舎だった。

 四方を山に囲まれ、自然豊かな土地が広がる。こう書けば聞こえはいいかもしれない。が、普通の子どもにとっては退屈な場所と言ってしまっていいだろう。

 それを思えば四季しきは幸運だった。病気がちだった体質もこちらに来てからすっかり改善されたし、なにより多くの『友達』ができた。

 ……まあ、その『友達』のせいでたびたび妙な目にも遭うことになったのだが。

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 ある夏の日。雲ひとつない晴天だった。こういう日は外に散歩に出るに限ると、日条 四季は常々考えていた。毎日部屋の中にこもってばかりというのもつまらない。

 というわけで、家の周囲をぶらぶらすることに決めたのだった。無論、一人で、というわけではない。今日も今日とて連れがいる。

 四季の三歩後ろを歩いている、赤い着物の少女がそれだ。彼女の名は音成おとなり 御影みかげ。日条一家よりも先に引っ越し先の家に住んでいた存在であり、まあ四季の保護者のような存在である。

 家の中では持ち歩いているあの黒い寄木細工の箱は持ってきていない。本人曰く、あまり外に持ち歩くべきものではないものなのだそうだ。置いておけば留守番もしてくれるし、一石二鳥なのだと。

 

「ずっとあの子たちを持ってるの、時々疲れるの」

「たまには下せばいいんじゃない?」

「そうすると勝手に遊びに出ちゃうから……ああ、でも。四季だけなら大丈夫かな」


 ささやかな会話を交わしながら、彼らは歩く。四季たちの家は他の住宅からはやや離れた場所に位置していた。町に出るには、曲がりくねった道を少しばかり歩かなければならない。が、今日は町に出るつもりはなかった。

 日条家の周りは自然で溢れている。裏山を始め、探検する場所には事欠かない。こちらに来てからだいぶ経つものの、まだその全貌を把握しきれないほどに。

 なので今日は探検だ。御影は難色を示していたが。

 

「……あまり、良くない」

「なにが?」

「こういう、藪に分け入るようなこと」

「御影がいるから大丈夫だよ」


 後ろでぶつぶつと呟く御影に、四季はあっけらかんとそう言った。

 呟きが一瞬だけ止まる。言葉を詰まらせたかのように。

 

「……それは、まあ。私が憑いてるけど。でも、良くない」

「どうして?」

「前にも言わなかった? こういう場所には『怪異』がいるもの」


 怪異。そういえばそんなことも聞いたことがあるな。四季はふと思い出した。

 怪異とはなにか? それはおそらく御影のような『そのもの』であっても説明するのは難しいだろう。ひとまず普通の人間には見えず、しかし人間の側に必ずいる不思議なもの。彼の認識はせいぜいその程度だ。

 そしてこちらに来てできた『友達』のほとんどは、その怪異なのだった。

 

「じゃあ、また友達が増えるかな」


 何気ないその一言に、背後を歩く御影が不機嫌そうに唸る。

 

「呑気すぎる。いい、四季? 怪異はみんながみんないい奴じゃない。むしろ人間にとっては危ない奴の方が多いの」

「でも、前に家に来た小雨さんはいい怪異ひとだったじゃない」

「あれなんて、四季が一番近づいちゃいけない類の怪異だよ」


 そう吐き捨てる御影に、四季は思わず苦笑した。そういえば、だいぶ彼女は揉みくちゃにされていたっけ。あまり子供扱いされるのは嫌なのかもしれない。

 などと話しているうちに、ふいに視界が開けた。

 

「わ」


 四季は思わず小さく声をあげる。藪の中を掻き分けていたその先には、小さな空き地が広がっていた。そこだけ綺麗に草木が刈り取られたかのようだ。

 そして、その中央にあるものに四季は目を奪われる。

 井戸だ。

 いかにも古びた雰囲気を醸し出す井戸が、空き地の中央にぽつんと口を開けている。それ以外には何もない。

 不意に、肌がちりついたように彼は思った。

 

「こんなところに、こんなのがあったんだね。御影は知ってた? ……御影?」


 四季は振り返る。御影はもちろんそこにいた。いつも無表情な彼女にしては珍しく、どこか難しい表情を浮かべている。

 首を傾げる彼を見上げ、御影は言った。

 

「帰るよ、四季」

「え? なんで」

「あれ、あまりたちの良くないものの住処。無闇に近づいたら駄目」


 四季は井戸を振り返り、再び御影に視線を戻す。彼女の表情はどこまでも真剣だ。もっとも、こういう時に彼女が嘘をついたことなどない。

 少し考えてから、彼は決める。

 

「そっか。じゃ、別のところに行こう」


 その答えに、御影はかすかに安堵の色を見せた。四季の手を引くようにして藪を掻き分けて行く。掻き分けて行く。掻き分けて行く……。

 ややあってから、彼女は足を止めた。その理由は四季にも見て取れる。

 井戸だ。

 ぽっかりと開けた空き地の中央に、いかにも古びた雰囲気の井戸が鎮座している。

 明らかに先ほど見つけた井戸と同じものだった。

 

「あれ? 来た道を戻ったはずだよね」

「戻った。……ああ、うん。してやられた」

「何の話?」

「結界。閉じ込められた。たぶん、だけど」


 何やら漫画のような話になってきた。

 立ち止まった御影の頭越しに、四季は井戸を眺める。特になんの変哲もないように見えた。

 それなのに、このままでは離れられないかもしれないのだという。御影が言うのだから、今自分は大変な状況に置かれているのだろう。他人事のようにそう考える。

 彼はあっさりと決断した。

 

「じゃあ、井戸の側に行ってみようよ」

「……なに?」

「よくわからないけど、あの中に怪異がいるんでしょ? だったらちょっと、出してもらえるようお願いしてみよう」


 御影が見上げてくる。その目が丸くなっていた。

 少しずつその表情が険しいものへと変化していく。彼女はなにか言おうとした……が、周囲を見渡し、忌々しげに首を横に振るだけにとどめたようだった。

 

「……そうだね。それが一番かもね。あんまり近寄りたくないけど」

「仕方ないよ。じゃ、行こう」


 渋る御影の手を引きながら、四季は無警戒に井戸へと近づいた。

 井戸の側の空気は、どこかひんやりとしているようだった。夏だというのに、肌寒く感じるようだ。

 ごう、と井戸の中から風が吹く。その冷たさに四季は小さく身を震わせた。中はどうなっているのだろう? 興味を惹かれた四季は躊躇することなく井戸の中を覗き込む。

 日が差しているというのに、そこには真っ暗な闇が広がっていた。

 

「四季。危ない」

「大丈夫だって。わかってるから」


 手を引いてくる御影を適当にあしらいつつ、彼はさらに身を乗り出す。これだけやっても、井戸の暗闇はなんの変化も見せることがない。ように見えた。

 不意に、闇の中に小さな光が灯る。二つ。

 目を見張る四季の前に、光の点はだんだんと大きくなる。ついでに聞こえてくるのは、物凄い勢いでものが擦れる音。

 ああ、なんか来る。

 ぼーっとそれを見つめていた四季の体が後ろに引っ張られる。御影の仕業だ。彼は尻餅をついた。

 一方の彼女はといえば、四季の前に進み出て彼を庇うように仁王立ちする。

 その目の前で。井戸の中からなにか巨大なものが姿を現した。

 

「我が! 聖域に! 近づくものは! 誰だぁぁぁぁっ!?」


 それが張り上げた大音声に、四季は小さく眉をひそめた。

 一方で彼はそれを観察する。なるほど、どうやらあれが井戸の中の怪異であるらしい。

 一言で言えば、巨大な芋虫だ。毒々しい緑色。体の側面にはまるで目玉のような白黒の模様が浮かんでいる。

 ただの芋虫と違うところといえば、その大きさと、あと人の顔を持っていることくらいだろうか。正確に言うのであれば、緑の肉塊に人間の上半身を埋め込まれたような形だ。人のような手足は見当たらない。

 それが釣瓶にしがみつき、黄色がかった半透明の髪……触手? をだらりと垂らしてこちらを睨んでいる。

 そこまで把握した四季は深く頷き、立ち上がった。正直彼はほっとしていた。まだ話の通じそうな相手だ。

 

「ええと、初めまして。ここから出して……じゃない、えーと」


 平然と喋り始めた彼を見て、怪異の目が怪訝に細められた。

 当の四季はといえば、どう話題を切り出したものか迷っている。いきなり自分たちの目的をぶつけても受け入れられるとは思えない。こう、謝罪から入るべきだろうか。

 御影に聞こうかとも思ったが、彼女は井戸の怪異に睨みを利かせている。なんとなく声をかけるのも憚られる雰囲気だ。

 さて、どうしたものか。

 

「……なんぞ、奇妙なものがやってきたな。禿かぶろはともかく、そっちの小童は人間よな?」

「え? ええ、はい」

「肝が据わっておるのかにぶいのか……ぬしと同じ年頃の人間は、おおよそ我を見ると逃げていくぞ」


 四季は首を傾げる。そういうものだろうか。まあ、慣れていないと少しびっくりしてしまうのかもしれない。

 怜も実際そうだったようだし。そこを思い出した四季はそっと頭を振った。あまりあの日のことは思い出したくない。

 そうしているうちに、こほん、と咳払いが聞こえた。

 

「まあ、よいわ。我を見ても怯えんところは褒めてやる。しかし先も言った通り、我が聖域に土足で足を踏み入れたことは許し難い」

「……偉そうだね。ただの芋虫の怪異のくせに」

「誰がただの芋虫か! よいか、我は常世神! 歴とした神である! 怖れよ!」

 

 ぐい、と怪異は身を逸らした。どうやら胸を張っているらしい。

 目を瞬かせた四季は、とりあえずお辞儀した。

 

「えーと、常世神さま? 僕は四季です。よろしくお願いします」

「……お、おう。小童は挨拶ができる良い子だな……我は怖れよと言ったのだが……」


 どこか困ったように、常世神は目を背ける。疣のような短いあしを突き合わせている。拗ねているのだろうか。

 その様を眺めていた御影がため息をつき、腰に手を当てた。

 

「神様とかはどうでもいい。ここの結界を張っているのはあなた? このままだと出れないから、少しだけ外してくれない?」

「ええい、そっちの禿かぶろは無礼だな! 先も言ったが、ここは我が聖域ぞ! そこをぬしらが土足で踏み入ってきたのだから、詫びの供物くらい寄越したらどうだ」

「また俗物的な……」


 御影が苦い声を上げる。それでも手を出さないのは、単純に家にあの箱を置いてきてしまったからだろうか。

 そんなことを考えながら、四季はポケットを探る。こういうときのためにとっておいたあれがあるはずだ……あった。

 

「くもつ、ってこれでいいですか?」


 二人の怪異の目が、掲げられた四季の手に集まる。

 彼が持っているのはセロファンに包まれた飴玉だ。怪異にあったときのために常備しているお菓子である。少なくとも今まで会ってきた怪異たちにはウケがよかった。

 さて、今回はどうか。

 

「……あー、飴。うむ、まあ、うむ……」


 何やら困った様子で常世神は身を捩らせている。それでも釣瓶から落ちる気配がないのだから大したものだ。

 なおも厳しい視線を投げかけている御影をそれとなく宥めながら、四季は固唾を飲んでその様子を見守る。

 不意に、常世神の動きが止まった。

 

「ま、まあよかろう! 四季といったか? そちらの小童は従順ゆえな! 許す!」

「ありがとうございます」


 ほっと一安心。四季は深々と頭を下げた。

 眉間にしわを寄せている御影はさておき、四季は飴玉を差し出そうとして……動きを止める。

 

「あの、これ、どうやって渡せば」


 困惑し、言う。常世神はほとんど芋虫だ。つまり飴を受け取れるような手を持っていない。

 そうした相手に飴を手渡すのはどうすればいいのか。

 

「投げていいですか?」

「……あのな、先も言ったが我は神ぞ。もう少し敬意を持った捧げ方をせんか」

「というと」


 問い返すと、常世神は盛大にため息をついた。そして体を伸ばし、四季の側まで顔を近づける。

 

「ほれ」

「はい?」

「はい? ではない。飴を渡せ。我の口にそのまま入れるがよかろう」


 成る程。道理だ。

 四季は素直にその言葉に従った。セロファンを向き、大きく開かれた口の前へ飴を差し出す。

 飴は舌で巻き取られ、怪異の口の中へと収まった。同時に怪異は伸ばしていた体を戻し、再び釣瓶へと落ち着ける。

 

「……うむ。甘露。よかろう、今日のところは許してやる。早々に立ち去るが良い」

「それはどうも。行くよ、四季」


 満足げに飴を味わっているらしい常世神に、御影が冷たい一瞥を送る。彼女は早々に怪異へ背を向け、四季の手を引いて歩き出そうとした。

 そこへ、常世神が声を投げかけてくる。

 

「む、待て」

「……なに」

「よいか、今は許すが、我はちと気まぐれだ。ここに足を踏み入れることを許すゆえ、定期的に供物をもってこい。でないと祟るぞ」


 尊大な言葉。御影が振り返り、苦み走った表情で常世神を見つめる。

 四季もまた振り返った。しかし、彼は笑っていた。

 

「はい。またお菓子を持って遊びに来ます」

「……いや、遊びに来いとは……まあよいわ。わかったのならよい。行け」


 うぞうぞと音を立て、怪異は井戸の中へと戻っていく。一度井戸の中に消えてから、それはまた顔だけを覗かせた。

 

「次はもっと食いでのあるものを持ってこい! わかったな?」

「はーい」

「うむ、良い返事だ。待っておるぞ」


 そうして今度こそ、怪異は井戸の中へと戻っていった。

 気づくと、夏の暑さが戻ってきている。額に滲む汗を手で拭い、四季は井戸を背に歩き出した。

 

「……四季。本当にまたあいつのとこに行くの?」

「いいじゃない。次は何か遊び道具も持ってこようよ」

「あれと一緒に遊ぶのは無理じゃない……?」


 つまらない会話を交わしながらも、彼らは藪を掻き分けていく。

 こうしてまた、四季に『友達』が増えたのだった。

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