少女 Lass
少年はいつものように手をかざし、町並みを一新しようと頭を巡らせていた。当然、邪魔となるものはない。時折、その道を通るよう仕組んだヒトガタが彼にぶつかってきたが、それも、手をかざせば消える。鬱陶しいとも感じなければ、苛立ちを覚えることもない。些末な事象だった。
そうして、何に邪魔されるでもなく、全てを作り直すつもりだったのだ。
「――――」
少女の声は、少年にはなんと言ったのか、聞き取れなかった。
不意に背面から音がし、振り返ると、自分の作ったものではないヒトガタが自分のほうを見ている。まず彼はそれに驚いた。確かに彼は自分の作り出した全てのヒトガタの形を覚えているわけではなかったが、それでも、それが彼の作り出したものではないことはすぐに理解できた。少年は、女という形を、作ったことがなかったのだ。大抵は自分を模造したヒトガタを歩かせていた。ほかに、モデルとなるものがなかったのだから、仕方がない。
次に、その少女の言語を理解できなかったことに、驚いたのだ。正確には、その音が何を示すのかが、わからなかった。言語を介し思考を行うとは言え、彼は他者と言葉を交わしたことはない。どのような音が、自分の頭の中のワードと結びつくのか、それを知らないのだ。
そして最後に、彼は声を出すことが出来なかったことに、驚いた。それを発するための器官が存在するのを知っていたが、一度も出したことが、出す必要がなかったために、出し方がわからなかった。退化したわけではなく、思うように使えなかったわけである。
とは言え、驚きも一瞬のものだった。
彼はこの世界の創造主たるゆえ、全てが思いのままであることは再三述べたとおりだ。
この少女を消すことも、音を理解することも、また、発することも、すぐに出来る。と、思っていた。実際に出来たことはあとの二つだけで、手をかざしても、少女の姿は消えなかった。それどころかまた、
「見つけた」
言葉を繰り出してきたのだ。ましてやそれが、理解できないものだった。もちろん、意味ではなく、意図が、である。
「誰だ」
返した言葉に、抑揚はなかった。少年は純粋な疑問を口にしただけであって、不審に思ったわけではない。彼にとってヒトガタ以外の人型が、驚嘆から好奇の対象に変わったに過ぎない。オブジェを作り出すときにどのような形であれば満足がいくのか、それを探るのと同様の心持だった。
「十二月、十二日生まれ」
少女の回答は、不可解だった。
彼は思いつくままに口を動かす。
「それが記号か」
すると彼女は首を振る。揺り動かしたショートヘアが落ち着くと、人差し指をこめかみに宛がい、
「触ってみて」
笑みを浮かべる。だが、少年に、笑顔の意味するものが何かを理解することは出来ない。言われたとおり、彼はそこに触れる。
そして、月日という概念を、思い出す。少女が浮かべたのであろうカレンダーのイメージによって。
「十二月、十二日生まれ」
いつ棄てたのだかわからない概念を再度取り戻す感覚は、彼にとって、町を一新するよりも新鮮なことだった。棄てたはずのものが、棄て切れていなかったことへの驚きはない。自分の脳の容量が、自分の決めた限界よりも広大であったことに、満足した。
「さて、名前は?」
区別するための記号を「名前」と呼ぶこと。
「エル」
言外に込められた意味を思考によって導き出すこと。
これらは彼にとって、至上の幸福を齎した。
これが他者との会話であると、彼は理解した。そして、ヒトガタにその理論を組み込めなかったことが、惜しかった。
同時に、惜しい、という感情を抱いた自分に対し、彼は再びの驚嘆を覚えるのである。
「今は、それが私の名前」
自分が作り出さなかったものは、自分に何かを与えてくれる。
その喜びに溺れていたために、彼は、この少女がこの世界の構造を理解していると言うことに、思考が及ばなかった。彼はもう無敵の存在ではない。人間に近付いてしまったのだ。