少年歌姫と堅物騎士
軽いBLなので苦手な方はご注意ください
「歌姫になりたい」
夢を聞かれ、そう答えた。
それを聞いた孤児院の仲間は大声で笑った。
「お前馬鹿だろ! 変なこと言うなよ!」
「馬鹿じゃないし、変じゃない!」
「無理に決まってんじゃん!」
「無理じゃない! やって見なきゃ分からないだろ!」
「無理無理、だってお前『男』じゃん」
そう言われ、黙ってしまった。
『歌姫』
それは『歌い手』中で最上級の称号。
旋律女神『ミューズ』に認められ、神託が下ったものにのみ与えられる栄冠。
神託が下った者は神殿に行き認定を受け、世間に告知されることにより名実共に『歌姫』となるのだ。
今まで、全て女性だ。
オレの名前はアルフォンス。
性別『男』だ。
確かに、歌姫は女の人がなるものだ。
でも、今まででなった人がいないだけで、オレはなれるかもしれない。
なっちゃいけないなんて決まりはないんだから。
『歌姫になる』
孤児のオレが市の偉い人のおかげで見ることが出来たお芝居で、本物の『歌姫』を見た時にそう決めた。
オレもあんなになるって。
皆が歌姫を見て、歌姫に夢中になって目がキラキラと輝いていた。
オレもあんな風に皆の目をキラキラにしたい。
あんな目で見て貰いたい。
皆に好きになって貰いたい。
だから歌姫になるって決めたんだ。
馬鹿にする笑い声を聞いていると、悔しくて涙が出そうになるけど……。
こんなところで泣いていたらなれるものかと、涙がこぼれないように歯を食いしばった。
「あら、素敵! じゃあ私はアル専属の演奏者になるわ!」
「え?」
二つ年上のクラウディアが話に加わってきた。
彼女は元気で優しくて、この孤児院で一番の人気者だ。
桃色のくせっ毛をポニーテールにしてまとめている。
赤い瞳が愛らしい、見た目も可愛い女の子。
着ているのは古着の麻のワンピースなのに、華やかなに見える外見が羨ましい。
今クラウディアは演奏者と言ったが、それは何なのだろう。
「演奏者って?」
「知らないの? 歌姫には演奏者が必要だもの! 私、楽器が大好きだからアルの演奏者になってあげる!」
「いいの!?」
「うん、一緒に頑張りましょう!」
クラウディアが味方になってくれると、仲間達は意地悪を言わなくなった。
皆クラウディアに嫌われたくないみたいだ。
オレが一人の時は馬鹿にしてくるけど、そんなことはへっちゃらだ。
クラウディアの事が好きなハンスは、どこにいても苛めにくるから辛いけど……オレは負けない!
シスターに歌姫になりたいと話をしたら、『いっぱい練習をしなさい』と言われたので頑張ることにした。
裏の空き地に言ってオレは発声練習、クラウディアは演奏の練習を毎日欠かさず頑張った。
毎日毎日、起きている時はずっと歌が上手くなることを考えた。
でも、どうやったら上手になるか分からなかった。
シスターにも色々調べてもらったけど、練習方法を書いた本もないし、オレに教えてくれるような人もいなくて途方に暮れた。
沢山沢山悩んだ。
結局答えは出ない。
ただ、歌うことだけは毎日やめなかった。
悩んでも歌い続けた。
すると、『どうすれば上手くなるか』なんてどうでも良くなった。
悩んでいてもオレが歌う限りクラウディアは演奏してくれるし、それで良かった。
心のままに歌った。
ひたすら歌った。
お金を貯めて歌姫を見て真似をしたり、歌が上手だと評判の人がいれば会いに行ったり。
歌と一緒に成長した。
オレは少し大きくなった。
十歳。
孤児院で育ったから正確な日は分からないが、オレの『誕生日』として毎年ささやかながらお祝いをして貰っているその日に、突如それは起こった。
夢に見たことも無い美女が出てきてこう告げた。
『よく頑張りましたね。貴方に歌姫の実力があることを、ミューズの名において認めます』
「!?」
布団を破りそうな勢いで握りしめながら飛び起きた。
頭は動かないが心臓がドキドキしている。
「あの美女……ミューズって言った? ミューズって言った!」
すぐに神殿に走った。
信じられなかったからだ。
今すぐ認めて欲しい、『夢じゃ無かった』って!
信託は本当にあったのだと、ミューズに認められたのは事実だと。
だが神殿に行くと門前払いをくらった。
『男が何を言っているんだ』と。
嘘は言っていない。
本当だから調べてくれとしつこく粘った。
『突き飛ばされても戻って頼む』を繰り返していると、渋々確認をしてくれることになった。
どうせ嘘だし、確認はすぐ終わるから見てやった方が早く追っ払える。
そんな話をしていたのが聞こえた。
中から神官らしき若い男が現れ、興味なさそうにオレを見ていたが、少しすると目を見開き、走って中に戻っていった。
男はすぐに、三人ほど神官を引き連れてやってきたが、そこからはじろじろと眺められ、質問攻めにされ……。
結果、あの信託は事実だった。
神殿が認めてくれたのだ。
暫く近辺が荒れた。
男が歌姫になるなんて、前代未聞だと。
旋律女神の信託があったことは間違いないので、神殿を気にして表立っては何も無いが、裏では色んな嫌がらせを受けた。
だが耐えた。
こんなことで潰れてはいけない。
歌姫になったら終わりではない。
歌姫となって歌い続けるのが夢なのだ。
オレは十六歳、クラウディア十八歳になった春。
町を出て、大きな市に移った。
そこで見つけた。
オレ達の居場所を。
この市で一番大きくて有名な宿屋の食堂にある一角がオレの舞台だ。
クラウディアがリラを奏で、それに合わせてオレが『歌姫』として歌う。
愛すべき日常だ。
とても充実している。
本当は『歌姫』というと、大きな舞台で主役を張るのが普通なのだが、イロモノ扱いのオレにはそんなものはこない。
でもいい、ご近所歌姫として親しんで貰えたら嬉しい。
始めた最初のころはオレ達の演奏と歌に耳を傾ける人は少なかった。
今思えば騒がしい食堂で、場違いな優雅な曲を披露していたのだから仕方がないと思う。
あの頃は披露できる曲がそれしかなかったから馬鹿の一つ覚えのように毎日同じ曲を歌っていたなあ。
聞き飽きたとか眠くなるとか野次がいっぱい飛んできて、大変だった。
でもそれがあったからこそ今のオレ達がある。
野次られたことを一つ一つ乗り越えていって、確実にオレ達はスキルアップしていった。
今では曲のレパートリーも増え、お客さんのノリや雰囲気に合わせての選曲も出来るし、野次をかわしたり、観客にリップサービス出来る余裕も出来た。
あと、変わったことといえば……。
歌う時、オレはドレスにかつらをつけて歌っている。
『歌姫』を『役』とも認識しているオレは見た目も拘りたいからだ。
元々の髪に合わせた金髪ロングヘアーのかつらに白のシフォンイブニングドレス。
目の翠に合わせたエメラルドの装飾品。
メイクは当初クラウディアにやって貰っていたが、今ではオレの方が上達して上手くなった。
これにはクラウディアは少し拗ねていたりする。
歌っているところだけを見ると、女だと思われる。
だが、オレは自分が男だということをオープンにしていた。
人目があるところでかつらやメイクをとることもあったし、男なのかと問われれば『そうだ』と答えてきた。
始めの頃は変な奴とか、女装が趣味とか、男が好きだとか色々言われたし、変な奴が近寄ってきたりすることもよくあった。
今思い出してもつらい。
ガチムチなお兄さんに攫われそうになったり、オレが通ると人が避けてくすくす笑う声が聞こえてきたり、可愛い女の子達に気持ち悪いと言われたり……。
あ、涙が出そう。
オレ……頑張ったよな……。
それが今では普通に『宿屋で歌姫やってる少年』という認識に変わった。
相変わらずガチムチに関わらず、男に連れて行かれそうになるのはあるが、陰口を言われるようなことはなくなり、女の子達もメイクの方法を聞きに来て仲良く談笑するようになった。
奇跡である。
何故こうも好転したかというと、それはクラウディアのおかげだ。
社交的で明るい彼女が周りに何を言われても、いつも笑顔でオレ達にとっての『普通』を、恥じることなく堂々と言い続けてくれた成果だと思う。
本人は何もしてないというが、男は男らしくが当たり前のこの世界で、歌姫になりたいなんていうオレを気持ち悪がらずに、一緒に周りの理解を得ようとしてくれるなんて誰にでも出来ることじゃない。
クラウディアと出会うことが出来たことが、この世界での一番の幸運だと思う。
あともう一つ、変わったものを思い出した。
ものというか『人』だ。
子供の頃、歌の練習をしていた俺を苛めた子供、ハンスだ。
あいつとは、殴り合っているうちに親友になった。
今はあいつもこの市に出てきている。
家があるのにほぼ毎日食堂に夕飯を食べにくる。
そしてオレが歌っていると茶々を入れて帰っていく。
いつも通り歌っていると……ほら、今日も来やがった。
定位置のカウンターの端に座り、とりあえず酒を頼んでからこっちを見てニヤリと笑う。
だが、今日は珍しく一人ではなく連れがいた。
艶のある黒髪にサファイヤのような蒼い目。
歳はオレ達と同世代くらいの腹が立つくらい容姿の整った男だった。
身なりも小奇麗で、あれはモテるだろう。
ハンスが美形男に何か耳打ちをしている。
すると男はこちらを見て……目が合った。
思わず、歌いながらも反射的に少し頭を下げ、会釈をして微笑む。
すると向こうは目を見開いて固まった。
どうしたのだろう?
どこかで会ったことがあるのだろうか。
もう一度顔を良く見てみるが……分からない。
そうしている間も男は瞬きもせずオレを見ていたのだが、バッと目を反らされた。
なんなのだ?
そんなことをしているうちに歌っていた曲が終わり、次の曲になった。
選曲はクラウディアに任せている。
客が少し減り、静かに語らう人達が多いのでどうやらバラードにするつもりだ。
――ヒュウ!
ハンスが指笛を鳴らした。
これがこの曲の恒例となっている。
「アルちゃあああん!!!」
毎日酒を飲みに来ている薬屋のじいさんが叫んだ。
これも恒例だ。
オレはニコリと微笑むとじいさんが飲んでいるところに行き、テーブルに軽く腰掛けてじいさんを見つめながら歌った。
「アルちゃん!! こっちも来てくれー!」
「アルちゃあああん!!」
呼ばれたテーブルに行き隣に座ったり、肩に手を置いて歌ったり、サービスしながら歌い回る。
ふざけてやったのだが、好評だったのでいつもこの流れだ。
「おおいアルー! こっち忘れてるぞー!」
最後に叫んでいるハンスのところに向かう。
「ようアル! 今日はこいつにサービスしてやってくれよ!」
こいつと言われたのはさっきの美形男だ。
歌ってテーブルを回っている間、オレのことを目で追っていたが射殺されそうなくらい鋭い目でこちらを見ていた。
近づいた今はまた目を逸らしているが、なんというか……背筋がしゃきっとしていて凄く綺麗な姿勢で座っていて変だ。
こういう場が嫌いなのだろうか?
真面目な人なんだろうか。
ハンスがサービスしろと言っているので一応するが、無難に酌をすることにした。
隣に座って空のコップが渡し、酒注いだ。
歌いながらも『飲んで』という意味を込めて軽く微笑むと意図は伝わったらしく、一気にぐいーっと飲み干した。
「おおお! いいねえ兄ちゃん!」
「そりゃアルちゃんが入れた酒だ、美味いだろう!」
「もう一丁! もう一丁」
静かな曲だったはずなのに、美形男のいい飲みっぷりを見て周りが湧き出してしまった。
周りの声に押されたのか、美形男もコップをこちらに突き出して酒の催促をしてきた。
楽しいのはオレも大好きだ。
コップを持つ美形男の手に自分の手を添えて、ゆっくりと酒を注いで微笑む。
頑張って飲め、という意思を込めて。
再び意思は伝わったらしい。
飲もうとしている気配が伝わる。
でも美形男の顔が以上に赤い。
耳まで真っ赤だ。
手に触れた時もビクッとしていたし、この人大丈夫なのだろうか。
もしかしてアルコールに弱いとか。
飲ませてもいいのか、ハンスの方を見たが何故か後ろを向いてぴくぴくしている。
何をやっているんだと覗き込むと、声を殺して笑っていた。
「くくっ……死ぬ……息できねえ……窒息する!!」
よっぽど面白いのか自分の太ももを殴っている。
なんなんだ、こいつ……。
心配しているうちに美形男は二杯目を一気に飲み干してしまった。
「ひゅー! いいねえ! 男だねえ!」
「いい飲みっぷりだねえ! 惚れ惚れするねえ! ねえ? アルちゃん」
薬屋の爺さんが話を振ってきた。
すると美形男が凄い勢いでこちらを見た。
歌っていて答えられない。
とりあえず微笑んで返しておく……若干引き攣ってしまったが。
すると赤かった顔が更に赤くなった。
この人、大丈夫!?
絶対大丈夫じゃねえよ!
オレの心配を他所に、周りから再びもう一丁コールが沸き起こっている。
駄目だって、やめてあげて!
そう思っていると、オレの心の叫びが届いたのか曲が終わった。
良かった……。
このノリを終わらせるべく、歌っている定位置に戻ろうとしたが、誰かにつかまれて阻まれた。
「アルさん」
美形男だった。
オレの両手を包み込むように握り締め、真剣な目でこちらを見て言った。
「また、来ます。貴方に会いに」
そう言うと、スタスタ歩いて颯爽と食堂を出て行った。
「ぶふっ! ぐはあもう無理! ぶあっはっはっは!!!」
「おい、ハンス。なんなんだ、あいつは」
「ぶあっはっはっは!!!」
美形男がいなくなるとハンスは椅子から転げ落ち、腹を抱えて笑い出した。
話しかけても応えず、のた打ち回る様に笑い転げている。
「お前もなんなんだよ……」
「はあ、まさかな。ビンゴかよ……面白いことになればいいなあとは思っていたけど腹痛ぇ。まじで死ぬ……あの堅物がよりにもよって……ぶふっ!!」
会話が出来ない!
苛々してきたので床に転がるハンスに蹴りを入れて寝かせておいた。
全く、何だったんだ。
「今日はなんか楽しかったね!」
床で死んでいるハンスの顔に落書しながらクラウディアが言った。
あーあ、それ消えないインクだぞ……。
※※※
次の日、うっすら顔に落書をつけたハンスが来たときは一人だった。
昨日来た美形男は『フェリクス』という名前で、ハンスの上司だそうだ。
上司と部下という関係だが、年も近しそういうところに拘らない付き合いをしているらしい。
市営騎士団の警備隊団長をしているハンスの上司ってことは相当偉い人なんじゃないだろうか。
忙しい人だからいつになるかは分からないが、また来るらしい。
まあ、正直どうでもいい情報だった。
それからというもの、フェリクスとやらは何度か宿に顔を出した。
ハンスとではなく、一人で。
時間は昼だったり、夜だったり。
本当に忙しい人らしく、食堂の入り口付近に立って、一、二曲見て帰っていった。
だから今まで話をしたことはない。
『聞いてくれてありがとう』と感謝の言葉くらいは言えたらいいなとは思うが、特には気にしていなかった。
美形男が通ってくるようになって暫く立ったある日、ハンスが招待状を持ってきた。
高級そうな封筒に入っていたので何かと怯えたが、フェリクスの家でパーティがあるらしく、それに来て余興で演奏と歌を披露して欲しいということだった。
報酬についても書かれてあった。
とても高額だった。
クラウディアと二つ返事で了承した。
金銭的にも良かったが、いつもと違う環境で披露できるというのは嬉しい。
楽しみだ。
パーティ当日、見たこともない豪華な馬車が迎えに来て、クラウディアとオレは緊張しながらフェリクスの家に向かった。
着いたところは見たことがあった。
「ここ、市長の屋敷じゃないか……」
屋敷の人と一緒に何故か出迎えてくれたハンスを問い詰めると、フェリクスは市長の息子で市営騎士団の統括団長だということだった。
有名人だから知らないお前がおかしいと言われた。
そういえば年頃の女の子達が話していたお花が飛ぶような話の中に、フェリクスという名前が頻繁に出てきていた気がする。
緊張しながらも通された部屋で準備を始めた。
衣装はいつものより綺麗なものを借りてきていたのだが、何故かフェリクスが用意してくれていたのでそれを着ることにした。
生地からして高級なのが分かる。
慣れないし逆に緊張するから正直言うといらなかったなあ。
愚痴りながら着替えると、それを聞いていたハンスが『フェリクスが聞いたら泣くから、本人にはお礼を言っておいてやれ』と言われた。
言われなくてもお礼くらいちゃんという。
と、いうかそんなことくらいで泣かないだろう。
リハーサルをしてから本番に入った。
広いホールの一角に舞台が用意されていた。
披露する曲は指定されていたので、その通りに進める。
パーティは立食形式で、始めはオレ達の曲を聴きながら、上品な人達が和やかに談笑をしていた。
騒がしいほどではないが、人だかりが出来ているところを見ると、その中心にフェリクスがいた。
どうやらお嬢様方に囲まれているようだ。
やはりモテているようで羨ましい限りだ。
フェリクスがこちらを気にしているようだったが、歌に集中することにした。
曲が進むに連れ、賑やかになってきた。
フロアでは、ダンスを楽しむ人達がいる。
フェリクスも引っ切り無しに誘われ、奪い合うように連れて行かれていた。
ああいうのを見ると、モテるのも楽じゃないなあと思う。
何故かオレも曲と曲との間に踊ろうと、野郎何人かに誘われたが、首を横に振って断った。
こいつらはオレが男だと知らないのだろうか。
割と有名だと思うのだが。
知っていて誘われていたら嫌だな。
と、いうかオレは歌うために来ているのだ。
邪魔をしないで欲しい。
そしてオレが誘われているところを、何故かフェリクスが百面相をしながら見ていた。
声をかけられると目を見開き、断ると微笑み、その後眉間に皺を寄せて怖い顔になるという落ち着きのなさだ。
本当に変な奴だ。
情緒不安定なのだろうか。
多忙すぎておかしくなっているのかもしれない。
ご愁傷様です。
演奏は順調に進み、最後の曲になった。
最後の曲は、初めてフェリクスが食堂に来た時の曲、彼が一気飲みさせられたあの曲だった。
この選曲はフェリクスがしたのだろうか。
だとしたらこの曲を気に入ったのだろうか。
はたまた嫌なものだが、記憶に残った一曲として選んだのか。
少し話をしてみたいが話せる機会はあるのだろうか。
そう思っていると、フェリクスが女の子を振り切りながら近寄ってきた。
そして歌っているところから近い壁に寄りかかった。
しっかりと曲を聞いてくれるようだ。
この場に呼んでくれたのはフェリクスだろうし、誠意ある行動に思えて好感が持てた。
目が合ったので感謝の意を込めて微笑んでおいた。
すると彼も穏やかに微笑み返してくれた。
今までは鋭い視線ばかりだったので驚いたが、なんだか少し嬉しかった。
気持ち良く歌い終わり、オレとクラウディアはステージを降りた。
控え室で片づけを終え、着替えも済ませ、カツラも取り普段の男の格好に戻りくつろぐ。
クラウディアの準備が終わるのを待っていたが……遅い。
「女は色々大変なのよ!」
「もうオレ、先に馬車に行ってるから」
扉をあけると、目の前に人がいた。
手の位置からしてちょうどノックしようとしていたらしい。
フェリクスだった。
「あ、どうも。今日はありがとうございました」
「ん? 君は……双子、なのか? ああ、こちらこそ。それより……すまないが、彼女はいるだろうか」
「彼女?」
クラウディアのことだろうか。
手には花束がある。
これを渡す気なんだな。
なんだお前、クラウディアのことが気にいったのか?
おお……玉の輿を狙えるぞ、クラウディア!
クラウディアに声をかけ、フェリクスには中に入るように進めた。
フェリクスが部屋に入った後、彼がさっき立っていた場所の後ろにハンスがいた。
口を押さえて下を向いて震えていた。
「お前、何してんだよ」
「気づかないとか……ぶっ……ぐふっ!!」
押さえきれずに声が漏れている。
どうやらまた何かがおかしいらしい。
手で『シッシッ』と追い払われたので、放っておいて自分は先に馬車に向かった。
馬車で待っていると、何か良いことでもあったのか楽しそうな様子のクラウディアが来た。
お? 玉の輿は上手くいきそうなのか?
だが荷物を持っているだけで花束は持っていなかった。
どうしてなのだろう。
少し遅れてからクラウディアの後を追ってハンスが来た。
その顔を見て驚いた。
「お前、それどうしたんだ!?」
左頬が青くなって腫れ上がっていた。
明らかに殴られた痕だった。
「はは……、まあいつかやられるだろうなとは思っていたんだけどな。こんなに本気で殴らなくてもさあ」
「当たり前よ」
「え、クラウディアが殴ったの!?」
「まさか! 私は事情を聞いただけ」
二人は楽しそうに話をしているが、オレにはさっぱり分からない。
「なあアル。今から話をしてやって欲しい奴がいるんだ。ちょっと時間をくれないか」
「はあ? 誰? っていうかオレ、帰りたいんだけど」
「行って来てあげて。話しが終わったら送ってくれるらしいから、私は先に帰っているわね」
疲れたし断ろうとしたが、すでに誰かと話をするよう手配されているようだ。
仕方ないので大人しく言うことを聞くことにした。
ハンスに連れて行かれたのは屋敷の中庭だった。
綺麗に整えられた花木を見ると、改めて豪邸だなと思った。
豪邸だが無駄に煌びやかなことはなく、嫌らしさのない印象で落ち着く。
中庭の白い薔薇が植えられた一角に人影が見えた。
「あいつだ」
後姿だったが誰だか分かった。
フェリクスだ。
「なあ、アル」
ハンスに呼ばれてそちらを向くと、妙に真面目な顔をしていた。
「あいつさ、凄い真面目な奴でさ。仕事とか腕っ節とかさ、そういうのは何でも出来て器用な奴なのに、対人関係については不器用なんだわ」
「はあ」
「だからさ、まあなんつーか。不器用なりに頑張って喋るから、そのー……、えっとー」
「なんなんだよ」
「いや、だからまあ、なんと申しますか。変な感じじゃなくてちゃんと聞いてやってくれ。元々は俺が悪いのもあるし」
「……何の話?」
ごにょごにょ言い辛そうに話しているが、何を言いたいのかさっぱり分からない。
「ま、いいや。兎も角話してこいよ!」
そう言うと、ドンとオレを突き飛ばしてどこかに行ってしまった。
全く、何なのだ。
引き止めたのもハンスだし、意味の分からないことを言いたいだけ言って……。
若干苛々してきた。
何の話か知らないが、早く聞いて帰ろう。
フェリクスに向かって歩き出した。
彼の後方で足を止める。
白の薔薇が似合っていて絵になる姿だなあ、なんて思いながら声をかけた。
「ハンスに言われて来たんですけど、何か用ですか」
「……呼び出してすまない」
こちらを振り返らずにぽつりと呟いた。
元気がなさそうだがどうしたのだろう。
「ひとつ、お願いがあるのだが」
「なんでしょう」
「今、少しでいいから歌ってくれないだろうか」
「はい? いいですけど……」
さっきのパーティで、わざわざ前に来て聞いてくれたあのバラードの一部分を歌った。
歌い終わると、ゆっくりとした動作でフェリクスが振り返り、こちらを見た。
「参ったな……本当に君なんだな」
苦笑い、といった表情だが、どこか泣きたくなるような切ない目をしていた。
オレはこんな顔をさせてしまうようなことを何かしてしまったのだろうか。
「あの、用って?」
「用はないんだ。ただ、君と少し話がしたかったんだ。迷惑だったかい?」
「いえ、別に迷惑ではないですけど」
なんでオレと話がしたかったんだろう。
そういえばさっきハンスは対人関係が苦手、みたいな話をしていたから話し相手でも欲しかったのだろうか。
きっとそうだろう。
「そういえば君とこうやってちゃんと話すのは初めてだな」
「そうですね。あ、たまに食堂に顔を出してくれていましたよね。ありがとうございます」
「……ああ」
そう返事をしたあと、フェリクスは俯きながらちらりとこちらを見た。
「今、私には悩みがあるんだ。聞いてくれるかな」
「はい? はあ……どうぞ」
「欲しいものが見つかったのだが、それはどうしても手に入らないものだったんだ。なのに諦めきれない。諦めるべきだと分かっている。でも……どうすればいいのか分からない」
よほど欲しいものだったのか、整った綺麗な顔が苦痛に歪んでいた。
容姿や能力が優れていることはもちろん、財力もあるだとう。
誰もが羨むような人が欲しかったものが何なのか気になる。
「何で諦めたほうが良いんですか?」
「それは……それが普通だからだよ」
「普通、ですか」
諦めるのが普通というと、盗品とかそういうものだろうか。
「こっそり手に入れて、こっそり楽しむとか駄目なんですか?」
「こっそり、手に入れる……? こっそり、楽しむ…?」
目を見開いて考え出した。
「……そんなことが許されるのだろうか! そんな破廉恥なことが……!」
どうしたのだろう。
その欲しいものをこっそり手に入れて楽しんでいるところでも考えているのだろうか。
瞬きもせずオレのことを見ているが。
「そ、それが出来たらいいが……そもそも手に入れることが困難なんだ……」
入手困難となると、相当曰く付きの一品ということなのだろうか。
闇ルートとか、フェリクスの財力を持ってしても駄目なのだろうか。
「そうなんですか。じゃあ、諦めるしかないんですかね」
そう言うと、こちらを睨むように見つめてきた。
そんな目をされても、その欲しいものが手に入らないのはオレのせいではない!
「諦められないなら、諦めなければいいんじゃないですか」
「そうだろうか」
「そうですよ。オレだって男だけど、諦めなかったら歌姫になれたんですから!」
「……聞いていいかい? 君が歌姫を目指した理由を」
興味があるようで、真剣な顔をしてこちらを見ている。
オレは子供のころを思い出しながら話した。
「子供の頃、舞台で歌う歌姫を見て感動したんです。彼女を見ている皆の表情が輝いて、凄かった。オレもこんなに人を輝かせたい、こんなに輝いた目でオレも見て貰いたいって思ったんです。今思えば、人から愛されたかったのかなあなんて思うけど。ま、当然『無理』だとか『変』だとか『気持ち悪い』とか言われたけど、支えてくれる人がいたし、オレは別に間違ったことをしているわけではないから。性別くらいなんだ! って思いながら頑張れました。だから、諦めなかったら結構なんとかなるもんですよ」
「……そうか」
「はい」
だから、そのうち闇ルートでも回るかもしれないよ! と心の中で励ましつつ微笑んだ。
「性別くらいなんだ、か」
「ん? はい!」
何故その台詞だけを拾ったのか分からないが、気に入ったのか呟いた後、微笑んでいた。
「君と話せて良かった」
オレとの会話は気が済んだのか、
晴れ晴れとした表情で言った。
「渡すか迷っていたのだが……これを受け取って欲しい」
気にはなっていたのだが、彼は花束を持っていた。
クラウディアに渡すと思っていた花束だ。
クラウディアに受け取ってもらえなかったのだろうか。
渡しておいてくれということだろうか。
「どうも、ありがとうございます」
「……受け取ってくれるのか?」
「へ? あ、はい」
「そうか。……嬉しいよ」
渡しておけば良いんだろう?
そんなに喜んでもらうようなことでもないと思うが。
「それと、勇気を出して……君にひとつ頼みごとある」
「はい。なんでしょうか」
「そ、そそそそその、だな。わ、私とまず……。まずというか!!! そ、その……」
ど、どうしたというのだ。
今までの優美さが吹っ飛ぶような挙動不審っぷりなのだが!
オレ、引いちゃう!
思わず冷めた目で見ていると、意を決して壮大な覚悟を決めたような迫力でこう言った。
「まずは私と、友達になっては貰えないだろうか!!!」
顔は物凄く真面目な表情だ。
「は?」
思わず眉をしかめてしまった。
何を言っているの、この人。
なんか恥ずかしい人だ。
友達とか、わざわざ『なりましょう』『そうしましょう』でなるものでもないだろう。
それに……。
「『まず』って何?」
親友を目指しているとかだろうか。
本当にこの人、対人関係苦手なんだな……。
「そ、それは……」
顔も赤いし耳まで赤い。
まあ、確かに改めて『友達になりたい』なんて言うのは、恥ずかしいことには違いない。
「いいですよ」
「え」
「だから、いいですよ。『まずは友達』?」
「ほ、本当か!」
よっぽど嬉しかったのか、両手を摑まれで握られた。
何なんだこの美形男、面倒な匂いがする……。
「はっ!? す、すまない! 急に手を握るなど!」
「いや、別にいいですけど……」
本当に面倒くさい。
そろそろ帰りたいなと思ったその時、背後の茂みから奇声が上がった。
「ぶっー!! 俺、ほんと無理っ、腹いてえっ、死ぬ!! 息っ出来なっ!!」
「ひいっ……ひいっ……なんなのこの乙女っ! もうやめて……死ぬ……腹筋死んじゃう!!」
ハンスとクラウディアが瀕死な状態で転がっていた。
「お前ら何やってんだよ。帰ったんじゃなかったのかよ」
「ハンス……お前……」
「ちょ、タンマ! フェリクス待て! 話し合おう、俺はお前の力になりたいと思っているんだ! なっ?」
「問答無用!!」
ハンスは脱兎のごとく逃げ出し、それを追いかけてハンターフェリクスは行ってしまった。
……だから何なのだ。
「もう、帰っていいのかな」
途方に暮れていると肩を叩かれた。
満面の笑みのクラウディアだった。
「若いっていいね」
だから何の話だよ。
フェリクスが花束を渡したかったのはオレだったとか、噛み合わなかった話の本当の意味が分かるようになったのは、もう少し先のことである。
ちなみにタイトルは少年歌姫と堅物騎士と読みます。