鬼灯宴とカガチ 4
「終わってしまったね」
碧彦が溜め息交じりの声を漏らすと、真紅郎は黙って頷いた。姉妹は鬼灯宴が終わってしまってもまだ夢心地で足取りが若干覚束ない状態だった。綺織が持つ空き瓶の中で、ビー玉がからからと音を立てている。
杉の大木を通り抜けると、広場に来る前はあれほど綺麗に花を咲かせていた曼珠沙華が全て枯れていた。様々な方向へ弓なりに反っていた赤い花弁は、今では黒ずんでぐったりとしな垂れている。
「もう役目を果たしたから、枯れてしまったんだよ」
ランプをかざして先頭を歩く真紅郎がそう説明した。ふと綺織は後ろを振り返ってみたが、すでに杉の木立に囲まれた広場は暗闇に戻っていた。来るときと同じで、何も見えない。人々は一体どの道を通ってどこへ帰っていたのか、獣道の中には綺織達四人の他は影も形も見えなかった。夏の暑さもいつの間にか取り戻されている。
「鬼灯宴は楽しかっただろう、二人とも」
碧彦が綺織と千彩に声をかけ、二人は同時に「うん」と答えた。四人の頭上を覆う樹木の葉叢から満月の光が漏れてくる。水気を含んだ草は光沢のある天鵞絨となって四人分の靴音を飲み込んだ。
やがて空き家が見えてきた。垣根の前で、足を止める。
「綺織、千彩。もう狐面を外していいよ」
真紅郎に言われ、そのとき二人は今まで自分達が狐面をつけていることをすっかり忘れていたことに気づいた。手で触れると、ぴったりと顔にくっついていた狐面は簡単に外れた。真紅郎は二つの狐面を受け取り、碧彦の持つバスケットに入れた。そのとき突然碧彦が瑠璃色の瞳からはらはらと涙を零し始めた。真紅郎は溜め息をつく。
「泣くなよ、碧彦。言っとくけどぼくだって同じ気持ちなんだからな」
「う、ん。でも……」
涙を流しながら口ごもる碧彦に、事態が理解できない綺織と千彩は戸惑うばかりで声をかけられない。二度目の溜め息をついた真紅郎はわけを話し始めた。
「ぼく達、明日でここを去ることになったんだ。碧彦はきみ達と別れるのがつらくて泣いているんだよ」
「えっ。それって――」
「もうどこかへ行くの? それなら前から話していてくれれば……」
千彩の焦った声に、彼らはゆるゆると首を横に振った。
「前から決まっていたんじゃないよ。今夜、鬼灯燈の出展で優勝したからさ」
「優勝して、あの卵を飲んだから……ぼく達には大事な仕事ができたんだ。だから明日の午前中には、ここを出発しなくてはいけない」
「元々そう決まっているんだ。わかっていたけど、本当に優勝するまでは実感がなかったからきみ達に黙っていた。でも……やっぱり、つらいね」
よく見ると真紅郎の紅色の瞳も涙で潤んでいるようだった。それに気づき、綺織は唇をきゅっと真一文字にした。
もしかしたら、自分達もあの卵を飲んでいれば彼らと明日どこかへ出発することになっていたのかもしれない。真紅郎と碧彦と別れることは寂しいが、あのときの判断を後悔するつもりは綺織の心になかった。
「もう、会えないの?」
震える声で訊ねた千彩に、碧彦は涙を拭って答えた。
「二度とじゃない。いつかきっと、どこかで会えるはずだよ」
「だから綺織と千彩にお願いがあるんだ。ここで出会ったぼく達二人のことを忘れないでほしい」
綺織と千彩は顔を見合わせた。そして力強く頷く。
「うん。真紅郎と碧彦のこと、忘れない」
「約束するよ。絶対に忘れないって」
少年達は笑顔を浮かべて「ありがとう」と声を重ねると、それぞれ順番に綺織と千彩を正面から抱きしめた。そして別れの挨拶だと言って、彼女達の両頬に薄い唇を交互に触れさせた。それなりの恥ずかしさは感じたが、せっかくだからと姉妹も彼らの両頬にキスをした。
「短い間だったけど、きみ達姉妹と友達になれて本当によかったよ」
「そう言ってもらえてすごく嬉しいな」
「わたしも」
「いつか絶対にまた会おうね。二人とも」
「ああ、もちろん」
「楽しみにしてる」
「それじゃあ、おやすみ」
「いい夢を」
綺織と千彩は幾度も振り返り、真紅郎と碧彦はそんな二人が見えなくなるまで手を振っていた。