鬼灯宴とカガチ 2
「あれ。真紅郎は?」
「鬼灯燈の出展をするから、一旦作品を保管する場所に持っていったよ。もうすぐ戻る」
ほどなくして、宴が始まる時間になったのか散開していた人々は暗闇や豆ランプの下から囁きを交わしながらテーブルに集まってきた。すでに椅子に腰掛けている人もいる。どこからか急ぎ足で戻ってきた真紅郎を含めた綺織達四人も並んで席に着いた。
満月がちょうど杉の木立の尖塔に位置すると、人々はそろって拍手をした。いよいよ鬼灯宴の始まりらしい。かたかたと鳴る折り畳み椅子とグラスのかち合う音、なみなみと注がれる飲み物、皿に盛られた洋菓子や果実、綺織はしばらく人々の間でそれらが行き交う様子に見惚れていた。隣の千彩もぼうっとしている。
「綺織、千彩。僕と碧彦が作ったこれを食べてごらん」
真紅郎はそう言って銀の皿を二人に渡した。大きめのシュークリームかと思ったそれは、油で揚げたバニラのアイスクリームだった。近くにあったチョコレートソースを一匙かけると、甘い味が一層極まって円やかな美味になる。周囲ではこの揚げたアイスクリームが好評らしく、多くの人々がチョコレートソース、ジャム、蜂蜜、千彩が持ってきた水蜜桃のコンポートをかけて美味しそうに味わっていた。
「さあ、お嬢さん方。どうぞどうぞ」
綺織の向かいに座っていた初老の男――あの犬面の少年が先生と言っていた人物だった――が、そう言ってケーキスタンドを二人の前に移動させた。一段目には小さく切り分けられたサンドイッチ、二段目にはプチフールにしたザッハトルテとキッシュトルテ、三段目には色とりどりのマカロンと小さな赤い果実が飾られている。
「ありがとうございます。この果実はなんですか?」
綺織が訊ねると、男は微笑んで説明した。
「真ん丸い形をしたものは苔桃、やや縦長の形をしたものは鶯神楽です。向こうにはこれを使ったジャムもありますので、ぜひビスケットやパンに塗って食べてみてください。私の大好きな果実なんです」
綺織は苔桃と鶯神楽をいくつか取り、妹と半分ずつに分けた。口に含むと苔桃は甘酸っぱく、鶯神楽はほんのりとした甘さだけが広がった。
「本当だ。美味しいですね」
綺織の感想を聞いた男は、サンドイッチを食べながら嬉しそうに頷いた。彼の隣では犬面の少年がナイフとフォークを慣れない手つきで操り、無花果のミルフィーユを食べるのに手間取っていた。ふと気になって狸面の少女を探すと、彼女は綺織達がいる席からかなり離れたところにいた。大人の女性からプリンの器を受け取り、嬉しそうにはしゃいでいる。気づけば綺織が持ってきたラムネは四本とも大人や子供の手に渡り、グラスに注がれて炭酸の音を立てていた。彼らのほとんどはまるで初めて飲んだと言うように一口目でびっくりしたような表情をして、二口目を恐る恐る飲む。三口目からは慣れたのかごくごくと喉を鳴らしていた。幼い子供の中には一口、二口目でやめてしまう子もいたが、ビー玉がからからと鳴る青い瓶を気に入ったのか握ったまま離さない子もいる。
「では、そろそろ行きましょうか」
正面の男が不意に席から立ち上がった。それに何人かの大人が続き、放置していた楽器を再び演奏し始めた。宴が始める前と同じメンバーであることから考えて、彼らはどうやら楽団らしい。たちまち広場には軽快な音楽が震えるように流れ始める。
「ちょっとぼく、踊ってくるね」
「じゃあぼくも」
それまで冷たいカフェオレを飲んでいた真紅郎と碧彦は、音楽が流れ始めると椅子から立ち上がって楽団の前に向かっていった。少年二人はそこで身軽に飛んだり跳ねたりしながら踊り始めた。歌うことはなく、無言劇のようでもあった。指先からつま先まで神経の行き届いたしなやかさで、音楽に合わせて軽やかに身体を動かす。彼らが音も立てずに回転するたび、きらきらと雲母のようなものが散って見えた。手足が動いた軌跡を、振り撒かれた粒子の帯で辿ることができた。そのうち他の子供や大人達も五、六人ほどがテーブルから離れ、真紅郎と碧彦と一緒になって踊り始める。
綺織と千彩は誰かが作ったアセロラのジュースを味わいながら、この光景をうっとりと眺めていた。食事を続ける者、談笑する者、遊ぶ者、踊る者、演奏する者――皆が自由に勝手なことをしている。それでも広場には確かに一つの空気が流れていて、人々の顔は幸せそうだ。
「皆様。ただいまより鬼灯燈の審査を行います」
不意に透き通るような女の声が聞こえた。同時に楽団は演奏を止め、席を離れていた人々は一斉に戻ってくる。途端に豆ランプの明かりが一つ、また一つと消えていった。
暗闇の中で紫色のリボンで髪を結った妙齢の女が、いつの間にかもう一つ用意されていた細長いテーブル――麻袋をかぶった鬼灯燈と思しき植木鉢がたくさん置かれている――の前に立っていた。そのテーブルの上にだけ豆ランプが控えめに点っている。しかし人々の視線はリボンの女よりも鬼灯燈のテーブルよりも、テーブル同様いつの間にか設置されていた豪奢なカウチに深く座る美しい男に集まっていた。
男は玉虫色の和服の上から金紗を纏い、ホオズキの実によく似た飾りを腰まで届くほど長い白髪につけていた。左耳につけている耳飾りは、金の輪に玉房結びをした赤い紐が肩まで垂れ、紐の先には蜻蛉玉を二つずつ連ねている。
「千彩。あの男の人が見える? すごく綺麗だね」
「うん。なんだか、まるで人じゃないみたい」
どことなく厳かで静かな空気が流れる中、姉妹が囁き合っているとリボンの女が口を開いた。
「それでは、名前を呼ばれた制作者の方はこちらへ来てください」
彼女に名前を呼ばれた人が席を立ち、前に出る。そして一つの鬼灯燈を覆う麻袋がそっと外され、思わず綺織は目を見開いた。鬼灯燈に使われたホオズキの実がどれも見事な網ホオズキになっていたからだ。網から透けて見える赤いはずの果実は、まるで黄水晶のようになって狐火石と同じ蜜色の輝きを放っている。その輝きは消えた豆ランプをその鬼灯燈一つで補えそうなほどに強い。茎や葉の部分は黄金色に染まり、まるで精巧に作られた金細工のようだ。
歓声が上がり、人々は拍手をする。それから次々に制作者の名前が呼ばれ、形や輝き具合がそれぞれ異なる鬼灯燈を披露していった。そのたびに人々は歓声を上げ、手を打ち鳴らす。
「それでは、次で最後ですね。真紅郎様、碧彦様、綺織様、千彩様」
女に名前を呼ばれた四人は連れ立って前に出た。そのとき綺織はカウチに座る男と一瞬目が合った。髪の色と同じ真っ白な睫毛に縁取られたその目はやや切れ長で、瞳は真紅だった。
「それじゃあ真紅郎が」
「ああ」
碧彦の言葉に頷き、真紅郎はゆっくりと麻袋を外していった。彼の手がわずかに震えていることは碧彦も姉妹も気づいていた。