風流
おやじはおれに、お前ももうすぐ三十になるのだから風流のひとつも嗜まなければならぬと講釈を垂れた。それでおやじはどんな風流を嗜むかと云うと、近くの川に行ってごろごろとしている石を眺めては、これはなんとも趣があって風流だ、玄関に飾れば見栄えがよかろう等と毎日二三ばかり石を拾ってくる。
おれは学がないから風流と云うのものをよく知らぬ。よくは知らぬが大体はじいさんが頭を並べて妙な調子で歌を読んでみたり古臭い茶碗をありがたがったりするもので、散歩ついでに拾ってくるものだとは思わなかった。
おやじは毎日風流を拾って来ては盆に乗せて、それを家中に飾って眺めてわびさびだと云う。母は漬物石にもならないからどうせならもっと大きくって重たいものを選んで来ればいいのにと云う。
実際漬物石を毎日持って来られても石垣を組んでそれで以て万里の長城を建てるわけでもないだろうし、まさか表に石を並べて漬物石屋を開くわけにもいくまい。結局は大きかろうが小さかろうが煮ても焼いても石だから、同じ拾って来るなら鼠をとってくる猫の方が利口に思える。
母は風流と云うものがさっぱり理解出来ぬようである。おやじは母は女だから風流がわからんのだと云うが、男のおれにもわからない。おやじは苔のこびりついたものまでよく持って帰ってくるものだからこれでわかれと云う方が酷なものだ。
そして渋い顔をする母に向かっておやじは澄ました顔でこの苔が風流なのだと云う。
おやじは毎日石を拾う。そうして家の中には石が溜まる。母はせっせとおやじが吟味して持ち帰った風流を、溜まってくる度に庭に捨てる。猫の額程しかない庭にはおやじの集めた風流で山ができる。
風流とは全く以て不思議なもので、一度庭に捨てるとありがたみと云うものが綺麗さっぱり消えて無くなるようである。おやじは庭に石が溜まる度に袋に詰めて川に捨てに行く。そうしてまた風流だと云ってその石を拾って来る。
風流とは奥が深過ぎて底が見えそうにもないから、おれには風流はまだ早いと思う。