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その晩は嫌に曇が多い夜だった。小降りの雨がうざったらしく髪に染み込む。連日外に出るなんて、そんなの珍しいことだった。昨日曲がった角をくねる。広い道は出来るだけ避けて公園を目指す。
厚ぼったい曇のせいで月が出ない夜だった。公園に居たのは昨日と同じ姿のアキ。
「……あ、ユウ」
じっとブランコに腰かけていたアキが俺に気付く。
「今日も来たんだ」
彼は何でもないという風にそう言った。アキの隣には錆び付いたブランコがもう一席用意されていた。何故か俺の為に用意されているのだと思った。
「あんた、世間一般じゃ行方不明らしいけど?」
「らしいね」
うつ向きながら淡々と話す。俺は隣に腰かける。
彼の指が欲しかった。欲しいものが手に入らないというのは非常に不快になる事だ。幼いころは色々欲しがった。流行りのゲームが欲しかった。自身の身長ほどもあるぬいぐるみが欲しかった。色鮮やかな絵本が欲しかった。大きく栗色をした犬が欲しかった。
ひとつくらい手に入れたっていいはずなのに、俺は何ひとつ手中に収めることが出来なかった。
俺は指が欲しかった。
「……なに?」
俺はアキがブランコの鎖に絡み付ける指を見つめていた。
「……欲しいんだ」
「何が?」
「指が」
へえ、と言って大した興味もなさそうに自分の指を見つめるアキ。
「じゃあ、あげようか?」
「くれんの?」
「いいよ、別に。俺もうすぐ死ぬし」
「何で死ぬの?」
「くだらないから」
そう言うアキの目は笑っていなかった。昨夜とは違う。笑顔の偽造も誤魔化しも無かった。そこにあるのは空より黒い瞳だけだった。雨がまとわりつく。気持ちが悪い。
「死にたいんじゃなくて生きていたくないんだ。この指もこの声も、大した価値は無いって解ったから。楽しいことなんて一つも無いことに気付いたら、此処にいる意味が解らなくなった」
出来るだけ淡々と。生への執着など少しも見せないように。
出来るだけ目を反らす。助けて欲しいことなんて気付かれないように。
自分に酔ってたいんだ。皮肉を言うつもりなんてないけれど、周りがそう受け止めるから仕方ない。
なんとなく俺とアキは似ているような気がした。きっとあの屋上に連れて行ったら彼もその素晴らしさに打ちひしがれるだろう。死にもせず、生きもせず。
「指」
不意にアキが手を差し出す。
「欲しいんだろ?」
蛾がひらひら舞う電灯以外に光の無い公園で。自らの手を差し出し指の切断を促す彼は艶っぽく見えた。
しかしそれは俺を貶めようとする姿にも見えた。
指はすぐにでも手に入れたかったが肝心の道具を持ってきていなかった。関節から綺麗に切断するには只のナイフじゃ話しにならない。きっと骨でつっかかってしまうだろう。
でももうすぐその綺麗な指が透明な瓶の中に入れられると思うと興奮を禁じえなかった。
思ったより俺は変態なのかもしれない。
「また明日、ここに来れる?」
「いいよ」
「アキは痛いのが好きなの?」
「嫌い」
「でもたぶん指切るとすげぇ痛いよ」
「じゃあ、明日死ぬから。その後俺から切り取ってよ」
こうして真夜中の談義は終わった。アキも俺も幸せだった。
アキは現実からの逃避行を望んでいた。
俺はアキの真っ白い指を望んでいた。
万人が非難を浴びさせるであろう、細やかな願いは叶えられるのをただひたすら待っている。
俺たちにはそれを叶えてやる義務があった。