作戦スタート
ごめんなさい嘘つきました。戦闘まだ始まりません。
英華市日野区は、昼夜を問わず多くの人が歩いている。
日野区の西には学校が集まっており、取り囲むようにして住宅が密集している。付近にはせいぜいコンビニや小さな商店しかなく、学生が遊べるような施設が近場にないため、中高生は日野区の南に接する高蔵区内のアミューズメントパークやショッピングモールまで足を運ぶことが多い。まっすぐ学校から行くことはもちろん出来るのだが、細い道は不審者の多発する地帯でもあるため、殆どの学生は多少遠回りでも日野区中央道を通っている。また、中央道は多くの企業の支社が身を寄せあって連立する、いわば昼の大人の街でもあるので、スーツ姿のホワイトカラーも混在することになり、人通りは生半可なものではない。六車線の車道は常に渋滞気味で、歩道を行く人は思い思いの目的地に向かって、足を進めていた。
同じ時間、日野区から少し離れた大釈迦区では、多くの警察及び機動隊が日野区中央道を目指してサイレンを鳴らしてを走っていた。
十年前から市内全域に導入された多重広域監視カメラ、通称カメレオンは大釈迦区にあるグリーンセンターと呼ばれる施設にリアルタイムで映像を送っている。カメレオンから送られてくる映像は顔認証システムや不審者を自動でリストアップする警告システムなど最新の技術が詰め込まれているのだが、五分前から日野区中央道近辺だけ映像が途切れている。警察と英雄庁支局の合同施設であるグリーンセンターの中は、現在、警告灯によって真っ赤に染まっていた。
更に同じ時間、市内にいる英雄達の携帯に、非常事態を報せる電話が一斉に鳴り響いていた。その数六人。GPSによって位置情報が確認され、日野区中央道の近くにいる英雄をリストアップし救援の連絡を入れているのだ。八人はすぐに応答し、問題の地へ走り出す。渋る者はいない。それが英雄の宿命だからだ。
そして更に同じ時間。
僕達悪役は、日野区中央道にある銀行の前で、作戦の合図を今か今かと待ち続けていた。
―――――――
「秋葉さんコーヒー飲みます?」
「あ、はい。頂きます。えっと、ミルクを少し入れて頂ければ」
サーバーを片手に持ち振り替えると、きょろきょろと不躾な程周りを見ていた秋葉さんは慌てて僕に顔を向けて頷いた。思わず苦笑し、自分用の大きなマグカップとお客さん用の綺麗なマグカップにコーヒーを注いだ。普段使わないミルクのポーションを冷蔵庫から出して秋葉さんのコーヒーに入れると、濃い焦げ茶色に白が滲んでいく。よくかき混ぜてから秋葉さんに渡すと、いかにも恐縮そうに受け取った。
「すいません。ありがとうございます」
「いえいえ」
小さな部屋にもう一つ折り畳みのイスを出してテーブルとも呼べない貰い物の前衛的なガラステーブルの前に据え、秋葉さんの目の前に座る。一口啜り顔を綻ばせた秋葉さんは、視線だけでもう一度部屋を見渡した。
「散らかっててすいません。普段は僕以外誰も入らないので片付けて無いんですよ」
「いえ! そんなことはないです。ただ、少し驚いてて……」
言い辛そうに語尾を飲み込んだ秋葉さんは、背を丸めて僕を上目に見た。今度ははっきりと笑ってしまった。
ここは僕が見つけた個人的な隠れ家である。僅か四畳半程のスペースに台所と大きな座椅子と天井まで届く本棚を置いたせいでかなり手狭になり、二人入ると若干の息苦しく感じてしまう。まあ、それも仕方がない。元々ここは設計ミスから生まれたトイレのなれの果てなのだから。
第三セクションから第五セクションへ向かう通路の一つに使われていない倉庫へ通じる別れ道があり、そこを曲がって少し進むとまた別れ道がある。右に行くとガラクタが積まれた倉庫があるのだが、左へ行くとなぜか行き止まりになっている。壁の指示盤には第七セクション行き、と書いていることから六角形の中心にある第七セクションに繋げようとしたのだろうが、なんのイタズラか角度的に不可能な形になっていて、諦めてしまったらしい。行き止まりの少し手前には水道を通してしまったおかしな部屋があり、僕が見つけた時は埃を被った台所だけが置いてあった。
あの時ほど嬉しかった事はない。子供の頃から夢だった隠れ家を作る絶好のチャンスを得たのだから。すぐに施設部の知り合いに頼み込み電気と水道を直してもらい、毎日少しずつ整備していった。座椅子を持ち込み、コーヒーを飲める環境を整え、ドアを嵌め込み、私物を並べていった。太刀風さんも斯道さんも知らない、僕だけの部屋だ。知っているのは松永先生と施設部のおっちゃん数人だけ。人を招いたのは、秋葉さんが初めてだった。
「時間も無いので先に今日の作戦の資料を見てもらいます。秋葉さんは見学ですけど、現場にはいてもらうと思うので」
本棚からクリアファイルを取りだし差し出すと、目の色が変わった秋葉さんはマグカップを置いて両手で受け取った。一枚目の作戦名を見て、首を傾げる。
「作戦No.rabbit-14……日野区中央道、銀行襲撃敗北線戦!? これってどう言う……? 敗北戦って勝敗が決まってるの? ……ですか」
取って付けたような敬語がツボにはまり、つい吹き出してしまった。気まずそうに首を紅くした秋葉さんは更に縮こまってしまう。多分こっちの秋葉さんが、本来の姿なのだろう。
「無理して敬語にしなくても大丈夫ですよ。年齢的には秋葉さんの方が上ですし。僕の口調は癖みたいなものですから」
温いコーヒーに口を付け、どこから話し始めようか少しだけ迷った。結局さっきの質問ははぐらかしてしまったので切り口が難しい。蒸し返すのもなんだか角が立つので、ひとまずしやすい説明することにした。
「じゃあ言葉の意味から簡単に説明しますね。まず作戦No.rabbit-14から。これは今年に入ってから実行した十四回目の作戦で、具体的にはHat in the Rabbit(帽子の中の兎氏)と言う既存のパターンを使う、って意味です。詳しい内容は後で作戦会議がありますからその時に。日野区中央道銀行襲撃はそのままの意味ですから大体分かると思います。また、作戦を立てる上で目標となるのは勝利ではなく円滑に戦闘を行うことなので、勝利に固執する必要がないんです。なので目指す結果は事前に決まっています。ここまでで質問は?」
「あ、ありません」
なぜか戦いたように秋葉さんは身体を強ばらせる。しまった。切り口を間違えたか。
「えーっと、それで」
つい、僕はそこで言い澱んでしまった。秋葉さんは更に表情を強ばらせて続きを待つ。
人になにかを説明するときに一番困ることは、意外なことに共通の認識と言う存在である。例えば雪について説明するとき、北国の人と南国の人では雪に対する考え方が百八十度違うと思う。文系と理数系と体育会系では同じ議論が出来るかどうかも怪しい。知識の量とか、経験の違いとか、そう言う細かい部分の機微を疎かにすると、説明を受けた相手は理解出来なくて勝手に自分の中で歪めてしまう。今の場合、僕と秋葉さんには悪役と英雄に対する認識に差がある。やっぱり説明し辛い方から言えば良かった。
低く唸りながら迷い、息を吐いてコーヒーを一息に飲み干した。その勢いのまま秋葉さんを見る。
「その前に、秋葉さんに質問があります」
「はい。なんでしょうか」
きりっとした顔で僕を見る秋葉さん。
「この街の英雄について、知ってることを教えて下さい」
「英雄、ですか。一般的な意見でよろしければ」
一瞬眉をひそめた秋葉さんだったが、すぐに頷き口を開いた。
「英華市を含む第14特別警戒地区には現在、35名の英雄がいます。個人情報保護のため本名や素性などは明らかにされておりませんが、公表している英雄もいます。ですが一般的には神名で呼びます。第14区隊長は『深遠なる隠者』。六十を越える高齢の男性で現在は一線を退いていますが、大きな戦闘が起きた場合は陣頭で指揮を取っていますね。それから、警戒地区を四つに分けて小隊長が置かれています。日野区・井坂区・高蔵区など東側のブロックは『静かなる軍人』が小隊長です。三十代前半の男性で過去陸上自衛隊に所属していました。深見区・横沢区・霧島区などの北側のブロックの小隊長は『轟く蛮勇』です。四十代半ばの女性ですが激しい格闘戦が有名です。大釈迦区・唐杉区・松枝市浜中区などの西側のブロックは『古き賢者』が小隊長です。日本最古参の七十代の男性で緻密な戦略と采配が有名な、トップクラスの策士です。そしてほとんどを最中区が占める南側のブロックは『愚弄する愚者』。彼は長いコートを着ていつも姿を隠しているので詳しい事は不明ですが、最強との噂です。それぞれ四つのブロックには六から七の英雄がいますが例外としてネットワーク上での情報戦を専門とする『眠れる踊り子』と普段は県立病院にて内科医をしている治癒士の『憂いの申し子』は区隊長直属となっています」
もはや滔々と語っていた秋葉さんはそこで言葉を切ると、覗き込むようにして僕の顔を見た。はっとする僕。
「す、すごいですね。さすが東中大卒で英雄庁入りをはたしたエリート組。ちょっと驚きました」
手放しで僕が誉めると、秋葉さんは僅かに首を紅くして俯いた。ちょっと秋葉さんを侮っていたかもしれない。
「それじゃあ、ついでに悪役についても知ってることを言ってみて下さい」
「はい。分かりました」
僕の言葉を予想していたらしい秋葉さんは迷うことなく頷いた。
「第14特別警戒地区において指名手配されている亜あ、く役は、30名います。個人情報は一切が不明で活動拠点なども発見されていません。今私は知ってしまったのですが……いえ、なんでもありません。悪役は指名手配時に付けられる堕名にて呼ばれます。第14地区の最高位にいるのは『トラッシュ・ボックス』と言う女性です。三十八年前から指名手配されていますが未だに目撃した者はおらず、一切の情報はありませんが、第14地区は『トラッシュ・ボックス』の組織の支配下にあると言われています。組織はクロススクエアと名乗っており、四人の幹部がいますが、活動範囲は決まっておりません。幹部は花鳥風月に準えて自らを誇称しています。花の幹部は『バド・ディプレッション』。奇抜な衣装を身に纏い植物を操る能力を持った女性で、七年前に指名手配されました。七人の悪役の配下がいます。鳥の幹部は『バーブレス・ロアー』。筋骨粒々の男性で自らの肉体を変化させる能力を持っています。十二年前に指名手配されました。最多の九人の配下がいます。風の幹部は『ガロウズ・ティアー』。気象を操る能力を持つ男性で、大型兵器を使うことでも有名です。九年前から指名手配されており、配下は六人います。最後は月の幹部、『ダーク・アブソリュート』。闇を司る能力を持つ男性です。四年前に指名手配された最も新しい悪役で、配下も最少の二人しかいません。また戦闘も他の幹部の指揮のもとに行っており、大規模な戦闘も経験していませんが、最前線に立つことが多い列強の一人です」
「おお……」
嬉しくて顔が綻ぶ。列強かー。すごいなー。照れ隠しにマグカップを口に付けた。空だった。
ともかく秋葉さんの知識はかなりの物だ。これなら僕と秋葉さんの齟齬を解消するのは比較的簡単かもしれない。英雄信者と言うわけでもないし、入れ込み過ぎてる様でもない。大事なのは、秋葉さんに理解してもらうことではなく、受け入れてもらうことなのだから。
「どうでしょうか」
凛と座る秋葉さんは正解を待つ学生のような表情で僕を見ている。きっと、学生時代もこうやって先生に詰め寄って困らせたのだろうな。なんか親父臭い発想だけど。
「すばらしい基礎知識です。正直驚きました。それだけ知ってたら、英雄法も勉強してあるんですよね」
「はい。英雄法は1961年7月24日に公布された特別法で全24条から構成さ」
「そこまで! そっちは解説しなくても良いですから。ちょっと落ち着きましょう」
「すいません……」
しゅんとする秋葉さん。気を取り直して、僕は頭の中で出来るだけ理論だてて組み立てた言葉をなぞるように口に出した。
「それでは、話を戻しましょう。今秋葉さんがおっしゃった内容は全て世間一般で手に入れることが出来る情報です。いわば表の情報と置き換えることが出来るでしょう。それに対して、僕が知っているのは世間に公開することが出来ない裏の情報です。これを公開しようとすれば、たとえばこの基地の場所を公表しようしただけでも消されてしまうでしょう。そんなドロドロの世界なんです。ここは」
言葉を一旦切り、秋葉さんの反応を見る。唇を噛み締め僕を見る眼差しには、少しの曇りもなかった。
「多分秋葉さんは英雄庁に入庁していることになっているので、ここがどうしても嫌ならば転属願いを出すことが出来ますが、それは追々。とりあえず秋葉さんが知っていてほしいことは三つほどあります。一つは、本来の意味での亜悪という存在はすでにこの世にはおらず、今世間で公開されている全ての亜悪は普通の公務員が演じている悪役だと言うこと。二つ目は、悪役が生まれたのは英雄を陥れるためではなく守るためであり、世間を混乱させることが目的ではないと言うこと。三つ目は、英雄法が出来たのは亜悪に対抗するためではなく英雄と言う存在を確立するためだったと言うことです。ここまでで質問は?」
「ありすぎて困っているんですが……」
理解の範疇を超えてしまったのだろう、秋葉さんは力の入った表情から抜け落ちるように脱力していき、ついには頭を抱えてしまった。初めて見る秋葉さんの項垂れる姿。まあ大体最初はこうなるよな。それにはじめっからコテンパンに常識をつぶされた方が、後々適応しやすいらしいし。勿体付けずにどんと行った方が相手のためだよね。うん。
「ちなみに、僕の堕名は『ダーク・アブソリュート』です。よろしくお願いします」
「よろしくお願い、しま、す?」
秋葉さんの常識は限界を迎えたようで、黄色い悲鳴と、鋭い平手が、僕の頬に襲い掛かってきた。
―――――――
「旦那ァ。ほっぺたのモミジ、まだ消えないんですか?」
「明日輝はお人好しなんだよ。あんなインテリ小娘、バラバラにしちまえば良かったんだ」
「バカなこと言わないでよ。人聞きの悪い」
背の低いビルの屋上でインカムを着けている斯道さんと太刀風さんが、揶揄するように僕を見て言った。意外に筋の良かった平手は僕の頬をクリーンヒットし、お陰で肌の赤みは未だに消えてくれない。顔は隠すからいいんだけど、目元がちょっと見えちゃうんだよなー。ばれたら結構恥ずかしいし。手首まで覆う硬いグローブをはめて、緩めたブーツの紐をきつく縛り上げる。戦闘の途中で解けでもしたら笑い事じゃない。官給品の装備をしっかりと点検して、インカムを耳にかけ埋め込むように差し込んだ。
インカムからは既に戦闘開始の分読みが始まっている。屋上の縁から少しだけ頭を出して下を覗き込むと、戦闘員を乗せた偽装シャトルバスが二台、路肩に停まっていた。もう少し目を凝らしてみると、所在なさげに立つ秋葉さんの姿を銀行の目の前で見つけ、慌ててチャンネルをチーム内に合わせる。
「秋葉さん! そんな所に立ってたら戦闘に巻き込まれますよ! もうちょっと離れた場所にいてください!」
飛び上がるように反応した秋葉さんは、少し早すぎる小走りでその場から移動した。安堵してため息を吐くと、後頭部を叩かれた。慌てて僕も頭を引っ込める。
「あいつ本当に大丈夫なのかよ。マジで冗談じゃねえぞ」
もはや憎らしげにそう言った太刀風さんは、舌打ちをして僕を睨んできた。答えようがなくて、ついつい煙に逃げてしまう。ラッキーストライクを一本抜き出し火を点けると、二人が一斉に距離を取った。最近の悪役は健康志向なのである。
太刀風さんの『衣装』は全身を覆う黒のライダースーツがメインで、肘まである鈍色のガントレットと膝元まである白銀のブーツが装具だ。顔は特注のプレートアーマーみたいなヘルメットで覆われ、後頭部からアッシュカラーの髪が飛び出る。もちろんこれは本物の髪ではなく、素性がばれないための偽装である。
対して斯道さんの『衣装』は純和風だ。着流しは基地で着ていたものと同じだが、中には炭素繊維で出来たアンダーウェアを着ていて、手と顔以外の地肌を全て覆っている。頭には三度笠が乗っていて、口元は辛うじて見えるが顔の上半分は全く見えない。腰にはやはり、三振りの打刀と脇差を差している。これが斯道さんのいつものスタイルだ。
だが、僕だけは少し事情が違う。グローブとブーツは少し厳ついが、他は至ってシンプル。黒のジーンズに黒の長ティーシャツ。全身黒だということを除けば、普通の一般人だ。これには事情があって、僕のセンスは色んな応用が利き、上にわざわざ作る必要がない、と言い切られてしまったのである。従って自前と言うわけだ。まあ便利だから良いんだけどさ。
「お、そろそろみたいですぜ」
斯道さんが道の遠くを指さすと、その先には何台もの警察車両が恐ろしい速さで突っ込んできていた。インカムから作戦開始の秒読みが始まり、偽装シャトルバスのエンジンがかかる。
時刻は四時五十分。僕は紫煙を深く深く吸い込み、空に向かって細く吐き出した。
次回こそ本当に戦闘スタート!