躊躇い
すいません。ずいぶん投稿が遅れました。更に短いです。全てはこのスマホが悪いんです(泣)
帝華市は首都圏から程近い中小都市の一つである。人口は約30万人。半ばベッドタウン化している観光地の乏しい街ではあるが、交通の利便性や手厚い福利厚生などにより毎年人口は増加の傾向にある。日本の総人口が一億人強であることを考えるとまずまずの有力都市だ。
さらに、この街には英雄がいる。文字通りの意味で。
日本には、約20の特別警戒都市と認定された地区がある。簡単に言ってしまえば、亜悪の活動区域と言うわけだ。半径25キロほどの円が地図上にひかれ、その範囲内で悪役は活動している。もちろん特別警戒都市は帝華市だけではなく周辺の街も含まれているのだが、特にこの街は活発で、全国の英雄信者が毎年移住している、と言う裏とも呼べない事情があったりもする。
ここで一つ疑問が湧いてきたと思う。
この特別警戒都市。どうやって認定されているのか。そもそも、こんなの認定してしまったら亜悪はその区域からいなくなってしまうのではないか。いや、絶対いなくなるだろう。真面な常識があれば。
裏の事情は簡単に説明がつく。そもそも英雄がいなくては悪役の仕事の意味がなくなるのだから、区域外に行く必要がない。英雄あってこその悪役なのだし、この区域が出来た裏の事情も英雄を管理しやすいから、なのだ。悪役に関する仕事をする公務員は近くに住む事が義務づけられるので、人口が増えるのも至極当然と言える。
しかし、建前上の説明はもう少し複雑で、入り組んだ事情を知っていないと理解できないと思う。そもそも英雄法は最初からこのような使い方をされていたわけではないし、悪役も立法当初はいなかった。純粋な亜悪がいて、正義たる英雄がいて、法的根拠として英雄法が出来た。ただそれだけだった。これがそもそもの間違いだったのだ。
キーワードはただ一つ。ヒューマン・マイノリティ。この言葉が、恐らくすべての元凶なのだ。
―――――――
何故か意気揚々と引き上げていった御手洗さんと達磨さんをぐったりと見送った後、ぎこちなく着いてくる秋葉さんを連れて、作戦会議が始まるまでミーティングルームにいる事になった。一応僕のチームに入る訳だし、なにも知らないらしい秋葉さんをいきなり作戦に連れていくのも気が引けるし、まあなんだかんだ理由はあるけどとりあえず自己紹介とかがしたいのだ。
基地は地下にあるのでどこに行っても空調が効いている。白で塗り潰されたミーティングルームはホワイトボードに向き合うようにコの字型に長テーブルが並べられていて、僕達はそれぞれ座っていた。空調のゴーッと言う音がやけに耳に残る。吸気と排気。ゴーッ。ゴーッ。
「あ、あの。秋葉さんはどこの大学出身なんですか?」
あまりに息苦しい沈黙に耐えかねて、僕は無理矢理捻り出した質問を口にした。口を真一文字に引き締め親の敵を狙う刺客のような表情をしていた秋葉さんがすっと顔を上げて、鋭い視線を僕に投げ掛けた。うっ。
「……東中大学、法学部卒です」
「東中大! 日本トップクラスの大学じゃないですか!」
「いえ、そうでもありませんでした」
秋葉さんがそう言うと、パンッ、と空気の弾けるような音がして、空気が痛いほど張り詰めた。ドキッとして横目で見ると、太刀風さんが犬歯を剥き出して秋葉さんを睨んでいる。まずい。太刀風さんの前で学歴の話は禁句だった。早く逸らさないと――。
「入学試験はまあまあでしたが、全体的なレベルは高いとは言えないです」
「……あんた、なかなか良い性格してんな」
しれっと口にした秋葉さんの言葉に反応した太刀風さんが、怒気満載の視線で睨みつけている。気づいた秋葉さんも反抗するかのように視線を返し、火花の飛びあうにらみ合いが始まってしまった。慌てて立ち上がり両手を太刀風さんに向ける。
「た、太刀風さん。秋葉さんも悪気があった訳じゃないし。それにこう言うのは謙遜で……」
「謙遜ではなく事実です」
「そう事実。っていやいやいや! もうこの話はよそう! 別の話をしよう!」
イスを膝の裏で蹴り飛ばし立ち上がった太刀風さんの前に割り込み、押さえつけるように椅子に押し戻す。青筋の立った形相は鬼ですら泣き出しそうだが、視線の先にいる秋葉さんは素知らぬ顔で冷たい視線を送っていた。助けを求めるべく斯道さんを見ると、なんと船を漕いでいる。殴ってやりたい。
荒い息の太刀風さんを座らせ何とか席に戻ると、秋葉さんがじっと僕を見てきた。思わず怯む。なにか嫌な予感がしてきた。大体新任の人は決まって同じような質問をする。程度や口調は異なれど、基本は同じ。問題はその言い方だ。
「大体、この施設はなんなのですか。英雄庁の直下にこのような機関があることは公表されていませんよね。それに、なぜここには亜悪がいるのですか? 英雄庁がなぜ亜悪を匿っているのですか」
その瞬間、長テーブルが宙を舞い秋葉さんの頭上に落ちてきた。
次の瞬間、長テーブルは秋葉さんを避けるように空中でばらばらに切り裂かれた。破片が壁や床に当たり、その音でやっと秋葉さんは反応した。ビクッと体を大げさに震わし、恐らく何があったのかわからなかったのだろう、きょろきょろと周りを見渡した。数秒してから、僕が目の前に立っていることに気が付いた。
「旦那。ちょっとこのバカの頭冷やしてくるんで、そっちのバカに事情を説明しといて下さいな」
ぐったりとした太刀風さんを肩に担いだ斯道さんは、いつも通りひょうひょうとした口調でそう言うと、右手に握った抜身の刀を鞘に納めドアから出て行った。
少しの間空調の乾いた無機質な音が部屋に響いていたが、耐えきれず僕が深いため息を吐くと、秋葉さんが短い悲鳴を上げて身体を震わせた。ちょっと傷ついて席に戻る。脳裏に浮かんだのは、長テーブルの請求書の宛名だった。
「えっと、まず学歴の話を出した僕も配慮に欠けていましたが、煽った秋葉さんにも問題があります。太刀風の反応を見れば学歴にコンプレックスがあったのは分かるでしょう」
年下の僕に諭されているのが効いたのか、それとも怯えているのかは分からないが、秋葉さんは素直に頷いた。掠れるような声で、ハイ、と返事が聞こえ深く頷く。
「それと、いきなり連れてこられたにしてもその態度は頂けません。御手洗さんに少しは説明を受けたはずです。拗ねるのは、大人の対応ではないはずです。」
「……すいません、でした」
上司らしい口調を心がけてこんこんと説教すると、秋葉さんは更に萎縮、と言うか恥じ入るように顔を伏せていく。うん。その方が説明しやすい。反省しているなら、これから言うことも受け取り安いと思う。
「それから」
一瞬言い淀むと、秋葉さんは顔を上げた。少し幼いが芯の強い顔つきだ。大丈夫。
「ここでは亜悪と言う言葉は禁句です。特に長く勤めている人の前では。悪役と言う言葉を使って下さい。ここでは明確に意味が異なりますから」
「悪役……です、か?」
案の定、秋葉さんはひどく混乱したようで気の強い目線に初めて迷いが見えた。なにか言いたげに口を動かしたが、先ほどのやり取りの失敗から躊躇しているようだ。
そう。その躊躇いがこの世界では大事なことなんだ。
覚えていて欲しい。その躊躇いだけがこの世界では信じられるのだから。
「大丈夫です。言いたいことは分かりますから。どうして世界の敵である亜悪を悪役なんて呼ぶのか。更に言ってしまえば、英雄庁に入ったあなたがどうしてここに呼ばれたのか、ですよね?」
「……はい。おっしゃる通りです」
秋葉さんは深く頭を下げた。
次回やっと戦闘。