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僕の仕事は悪役です。  作者: 朝丘ひよこ
第三章 メイシックな大作戦
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存在の証明


「――――――ッ!!!!」


 骨が軋みを上げて歪み、純粋な痛みという電気信号が脳内を埋め尽くす。圧倒的な情報量に意識が飛びかけ、しかしそれすら許されず揺り戻され、筋肉が硬直し、命令を無視して暴れ続けた。だが、それも細い指が撫でるように揺れると呆気ないほどに押さえつけられてしまう。


「ほらあっくん、もうちょっと我慢しなさい」


 無慈悲な宣告が鼓膜に届いた瞬間、再度訪れる激痛。肋骨が動かされる・・・・・度に焼け付くような痛みが爆発的に広がり、不可視の指が肺を押し退けて心臓を直接・・弄られる感覚に、声も上げられずただただ悶絶する。見開かれた目から涙が溢れ出し、反り過ぎて折れかけた背骨がギシギシと悲鳴を上げる。酸素が足りず反射的に肺を膨らませようと横隔膜が動くが、もはやそんなスペースも余裕もなく、視界がチラチラと白く染まっていく。


「あと少しだから頑張れあっくん。ほーらもうすぐだよー。死なせない・・・・・から大丈夫ですからねー」


 もはや死刑宣告といっても良い言葉に、僕は考えることを止めた。絶え間ない激痛と込み上げる怨嗟の波に身を委ねる。ああ、なつかしの花畑が近づいてくる……。


 最後に見えたのは、カーテンの向こうで震える半泣きの看護師さんが崩れ落ちた姿だった。



――――――――



 まぶたを開くと、そこは天国だった……わけもなく。普通に診療室で寝ていた。


 ぐったりとベッドの上で倒れ、先程の若い女性の看護師さんがあくせくと介抱してくれる中、彼女は手元の分厚いカルテになにか書き込みをしていた。息をするのも億劫でもう呼吸を止めようか、などと非生産的なことを考えていると、書くべきことが終わったのか、腕を天井に向けて伸びをし、かけていた眼鏡を外して回転イスをくるりと半周させ、彼女は僕のほうを向いた。右手の中指で額の端を掻き、んーと唸る。


「とりあえず終わりかな。木崎さん、もうここは良いから外手伝ってきてくれる?」


「はい、分かりました先生。えーっと……お大事に」


 最後の言葉にやけに力が入っていたが、木崎と呼ばれた看護師さんはあっさりと仕切りから離れ、閉められていたのであろうドアの外に出た。まだ重くだるい身体を起こし、深く深く息を吐いた。


「いつもより無理矢理やってた気がするんだけど気のせいかな、新見にいみ先生」


「さあ、どうだろうねー。遅刻した上に先生なんて他人行儀な呼び方するあっくんには教えてあげません」


 捲くっていた白衣の袖を戻しながら不満そうにそういった彼女は、ペンを胸元のパンパンに詰まったポケットに無理矢理差し込み、目の前のイスを叩いた。ため息をついてうな垂れ、まだ痺れる足をヒヤリと冷たいリノリウムの床に降ろす。足の指先を何度か曲げ異常がないことを確認し、力を入れて立ち上がった。まだふらつくがすぐに良くなるだろう。なんたって、さっきの治療・・を行ったのは英華市で一番の腕を持つ英雄の医者なのだから。


「まったく……あれは妙さんがよりによってやよに連絡を頼んだのが悪いんじゃないか」


 枕元に畳まれたシャツを取り妙さんの目の前のイスに座る。袖を通すついでに上半身の調子を見てみると、やはり、ここに来る前よりも調子が良くなっていた。流石一流、と素直にいえないのは乱暴な施術のせいである。


「そんなことはいい訳になりません。忙しいうちの予約に遅刻したあっくんが悪いんです」


 まるで子供にいい聞かせるかのような口調に、思わず苦笑する。この人にかかれば悪役幹部の僕はいつまでたっても聞き分けの悪い子供扱いである。


 妙さん、こと新見にいみ妙子たえこさんは英華市総合病院で働く内科相当医である。相当医、という言葉は滅多に聞かないだろう。理由は簡単だ。ニューセンスを持つ英雄の医者なんて、世界中で見ても希少な存在過ぎて分類で分けることが出来ないのだ。


 妙さんは今年三十七歳を迎えるベテランの医師だが、別の顔も持っている。『生体せいたい操作そうさ』のニューセンスを持つ英雄、憂いの申し子としての顔だ


 妙さんは芽生さんと同じ生体操作なのだが、彼女の場合操作する対象が動物、特に人体なのである。といっても人を思いのままに操れるわけではない。もっとマクロ的なのである。具体的にはさっきの治療だ。骨や臓器、血管、神経など恐ろしく細かい範囲を操ることができる。昔聞いたのだが、自分の手で触っているようなフィードバックがあるらしい。戦闘で使えなくもないが、直に触らないと操れないこと、また妙さんが医師免許を取得したこともあり、例外的に戦闘には参加しないで、なおかつ普段からニューセンスを使うことを認められた、超法規的なで極めて特殊な英雄なのだ。


 更に、妙さんはもう一つの意味で特別な英雄でもある。


「先月の作戦で作った体内のダメージはほぼ完治してるね。無理したから結構長引いちゃったかしら」


 妙さんは、さも当然そうにそういった。作戦という言葉を。


 秋良は受動的パッシブスカウトの裏の使い方で協力者になった、といったがそれは正しい。正しいが、裏がそれだけとは限らないのも事実なのだ。妙さんは医師免許を持ち、戦闘には参加しないのに日常的にニューセンスを使うことを認められた英雄という顔の他に、悪役の協力者という顔も持っているのだ。恐らく世界的にいっても唯一の存在といっていいだろう。


 僕と妙さんとの出会いは、かなり古い。僕がまだ八歳のころだから、この英華市内で最古の知人だと思う。僕の父さんのことも知っているし、僕にとっては母親代わりみたいなものだ、と思っている。妙さんにいったらどんな反応するか分からないけど。


 そんなこんなで、僕は妙さんには頭が上がらないのだ。母親代わりとしても、主治医としても。


 シャツを着てカルテを覗き込んだ。ミミズが苦しみのたうってるみたいな字でまったく読めない。まったくもって暗号だ。妙さんは僕が見ていることに気がつき目の前にスライドさせ、ある一文を指した。


「いや読めないから」


「あーそうよね、医学用語だもんね」


 そういうわけではないんだけど。


「簡単にいうと、肺に微細な裂傷がいくつもあるの。毛細血管も切れてた。あの作戦の後、痣だらけになったでしょ? それに筋繊維の断裂も確認。肋骨にヒビも入ってた。ごくごく軽度でレントゲンどころかMRIにすら写らないレベルだけど」


 該当箇所だと思われる文をなぞりながら妙さんは諳んじていく。確かに結構いい攻撃を愚者からもらったからダメージはあったけど、でも闇を使ったから直ぐに――


「直ぐに治った、とでもいいたそうな顔ね。医者を目の前にして」


「うっ」


 まさに思っていたことを当てられ、視線が泳ぐ。深くため息を吐いた妙さんは中指で額を掻きながら、僕へ真正面から向かい合った。


「分かっているでしょ? 具現思念は実際には存在しない架空の思念体を現実世界に具現化するニューセンス。想像にのみ依存する創造物なの。これがどれほど危険なことか分かるでしょ? あっくんが人体の構造をどれほど理解しているか分かっているけど、でもあなたは特別なの。特別なあなたを特別なもので補填しようとしても絶対に無理が出る。それがこれよ。治しきれなかったダメージ。蓄積されたダメージ。麻奈穂ちゃんを見ているから分かるわ。あっくん、このまま具現思念を、闇を身体と同化させ続けると……」


 最後をいい切る前まで、妙さんは耐えられなかった。


 口をきつく結び、視線だけでその先の言葉を訴える。妙さんは真剣な、それでいてひどく怯えたような顔で僕を見て、なにもいわずに手を取った。温かく、柔らかい、とても優しい手だ。とても昔妙さんと手を繋いで家に帰ったことがなぜか思い出され、懐かしいような、それ以上に気恥ずかしいような心持になる。僕は何もいわず手を握り返し、直ぐに離した。はっと妙さんは目を見開き、なにかいいかけ、でも結局なにもいわずに哀しそうな顔をした。


「僕は大丈夫。もう子供じゃないんだから」


「……私には、まだ子供なのよ」


 曖昧に笑いかけると妙さんは呆れたようにため息を吐き、分厚いカルテを閉じた。話は終わりだとでもいわんばかりに睨まれ、肩を落として僕は立ち上がる。身体の痺れは完全になくなり、いつもより軽く感じられた。いや、実際軽くなっているのだろう。筋肉にかかる無駄な負荷やエネルギーのロスト、神経の伝達に至るまでを妙さんが直接いじくったのだから、それぐらいは出来て当然である。


 少し身体を慣らした方がいいかな、と手に力を入れながら考えていると、その手の中にピルケースが握らされた。驚いて妙さんを見ると、眼鏡をかけて仕事モードに戻った妙さんが苦笑しながらこっちを見ていた。


「これは?」


「琴吹さんと一緒に作った、あっくんと麻奈穂ちゃん専用のスマートドラッグよ。神経伝達物質を調整する作用があるから、気休め程度だけど具現思念の影響を抑えることが出来るはず。本当は医師としてこんなものあげたくないし、五月祭典だって参加してほしくないんだけど、仕方ないわ。だってまた無茶するんでしょ?」


 僕が苦笑しながら頷くと、妙さんは顔を見せずに背中を叩いた。あんまり痛くない。でも懐かしい気がして、大げさに痛がりながら、僕はありがとうといってカーテンの外へ出た。


 妙さんは笑って僕を追い出し――震える声で何かを呟いた。


 聞こえなかったふりをして、僕はドアを開けた。




――――――――



 もう六時半を過ぎているのに、病院の外はまだ夕暮れ時だった。外来の時間はとっくに過ぎているのに病院へ来る人の流れは途切れる様子もなくて、逆に出て行く人はあまりいない。なんとなく久しぶりにメランコリックな気分になってしまった。この人たちは恐らく入院している誰かに会いに来ているのだ。面会時間は七時半までだから、ぎりぎりになっても会いに来たのだと思う。家族か、友人か、恋人か、それら大事な人へ顔を見せに来たのかもしれない。西日に当てられた病院はなぜか不気味な雰囲気を醸し出していて、でもそう見えているのは僕だけかもしれないなと思い、やけにしんみりした感情を頭を振って追い出した。


 入り口から離れて中庭のベンチに腰掛け、ポケットからスティーを出してメールを確認してもらうと、案の定秋葉さんとやよからメールが来ていた。秋葉さんのは今度ちゃんと話す時間を作ってほしいといった趣旨の、若干恨めしそうなメールだった。置いていかれた事を根に持っているらしい。それはともかく、いつか時間は作らなくてはいけないかもしれない。僕のことを隠しておけるのはいつまでだろう。本当に厄介な部下である。やよのメールは簡単だ。煙草を返せとだけ書いてある。どうせデータを読み込むために秘密の部屋で徹夜になるから、そのときにでも渡そう。


 二通の返信を送ってスティーの画面を消し、ベンチから立ちあがろうとして――隣に人が座っていることに、初めて気がついた。顔を横に向けて驚く。


「秋良。どうしてここに?」


「なんちゃあつれないにゃあ、明日公を待ってたんよ」


 会議のときに結局脱いでしまった藍色と若草色のポンチョを着た秋良が、なぜか木の棒をくわえてベンチの背もたれにもたれかかり空を見上げながら座っていた。整えていた伸ばしっぱなしの金髪はカチューシャで留めてある。半ば放心したような気の抜けた顔だった。


「もしかして……」


「おう。決まったぜよ」


 秋良はポンチョの中をごそごそと探ると、USBメモリを取り出して僕の膝に投げた。どうやら秋良の戦略で本決まりしたみたいだ。これで、五月病メイシックの概要が決まった。あとはブリーフィングをなんかして、実行に移るのみ。


 二本になったUSBをポケットの中で弄びながら、別のポケットからラッキーストライクを出して一本銜え、ライターで火を点けた。煙を吸い、細く吐き出す。茜色の空に上っていく煙を見上げる。


「剣姫。出るってよ」


 細かい灰を吹いていると、唐突に秋良が呟いた。煙草を挟んだ指が口の目の前で止まる。


「軍人と班が同じだから、どうしても少しは戦うことになる。逃げらんねいにゃあ。どうすんよ」


「どうするって、決まってるじゃないか。仕事はするよ」


 ぶらぶらと木の棒を揺らしながら秋良は首を傾けて僕を見た。煙草を銜えて秋良を見ると、棒にはあたりと焼印が押してあった。


「仕事、ねやー? なんちゃあ、そんな気持ちで出るのかや、明日公。あちらさんはかなり本気みたいだぜ? ちゃんと考えとかなきゃあ、もしかしたら……」


 死ぬぜ?


と呟いた音には、なんの躊躇いもなかった。ただの事実を告げただけのような、そんな空虚な言葉だった。煙を深く吸い込み、ギリギリまで燃えた吸殻を携帯灰皿に押し込んで薄い煙を吐き出す。近くを通った知らないおじいさんが嫌そうな顔をして僕を見て、わざとらしく咳をして歩いていった。彼は知らないだろう。僕が亜悪だということを。五月祭典の中継でもう一度見ることになることを。そして、それが僕だということには絶対気がつかないだろう。そのときには僕のことなどとっくの昔に忘れているだろう。


 秋良の言葉に何も返せず、僕もベンチの背もたれにもたれかかって空を見上げた。夕日は沈みかけてて、群青の天にはぽつぽつと星が点き始めてる。あの星はまだあるのだろうか。実はもう燃え尽きてしまっているのかもしれない。もしかしたら星なんて初めからなくて、ただの光が宇宙を彷徨っているだけなのかもしれない。僕には分からない。彼のように知らないだけかもそれない。だけど、そこに違いはあるのだろうか?


 はたして、僕が知らないことはこの世界で存在したことになるのだろうか?


 誰にも知られない事実せいぎは、なかったことになるのだろうか?


 僕は、七緒明日輝ダーク・アブソリュートは、存在しているのだろうか?


「あと七日……かや」


 秋良が呟いた。遠くから誰かの泣き声が聞こえてきた。僕はベンチから立ち上がり病院から離れ、立体駐車場へ歩く。手の中で戦略とデータを握り、俯いてただ歩く。


 五月祭典まで、あと七日しかなかった。



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