誰もお前は呼んでない
「ガロウズ。まだ生きてるか?」
『上々だよ、アブソリュートの坊や』
一瞬だけ静まり返った戦場の中心で、姿の見えない舞台の主役に向かって話しかける。インカムから笑いをかみ殺したハスキーな声が聞こえ、肩を落とすと同時に機動隊側から激しい叫び声と共に銃撃を再開した。闇を手からぶちまけて弾丸を塞き止め、遅れて援護を始めた悪役達が陣取る区役所入口の方へ飛び上がった。憩いの場として区民に親しまれている小さな広場は、主に竜巻と火炎によって足の踏み場もないほど破壊されている。
入り口の階下にはコンクリートが隆起したかのような即席の壁が胸の高さに張り巡らされており、その後ろに隊員と一人の悪役が大砲やバリスタなど旧式だが巨大な兵器を構えていた。感謝の言葉に左手の敬礼を返して進み、風が吹き上がる根源で立ち止まる。
「救援、感謝するよ坊や」
今度は笑いを隠そうともせずに、非の打ち所のない灰色のテイルコート――燕尾服に身を包んだ紳士は左手で同色のシルクハットのつばを上げ、指先だけの簡略化された敬礼をしながらいった。右手から、絶え間なく竜巻を放ちながら。
ガロウズ・ティアーのニューセンスは事象操作という。事象は、六対象の中でもひどく大雑把なくくりで、その幅は自然現象から化学反応まで様々だ。具体的には燃焼や爆発などの熱系、氷結や冷凍などの冷気系、雷や霧など比較的まともなものから、果ては念動力やオーラなど冗談のようなものまである。松永和平の黒い炎も事象が対象だ。
その中でも、ガロウズ・ティアーの対象はかなり乱暴といえる。彼が操るのは風、それも回転を伴う竜巻である。白の濃い灰色の燕尾服の袖を肘まで捲った両腕からは、掌サイズの小さなものからビルを優に越すバケモノ級のものまで大きさも強さも自由自在に竜巻を作り出すことが出来るのだ。バド・ディプレッションが街を原始の世界に変える自然の化身とするなら、ガロウズ・ティアーは街を廃墟の世界に変える天候の化身といえるだろう。
「余裕そうだな。手助けはいらないかったか?」
左右を現実にはあり得ないほど大型のバリスタや大砲に挟まれた彼に向かって、若干呆れながらいう。予想していたよりも混乱は少ないし戦線も拮抗していそうだ。特に、階下で自身が造った妙に装飾の派手な大砲を操って、機動隊に向かって冷静に砲撃を繰り返している空色のタキシードを着た小柄な女性、ダンプ・カノンの落ち着き様からは救援が必用とは到底思えない。
「それがねえ、そうでもないんだよ」
あっけらかんといい放った瞬間、ダンプ・カノンが操っていた大砲が白銀の錨によって貫かれ、呆気なく崩壊した。ダンプ・カノンが盛大に舌打ちして逃げる。
「……なるほど」
他にもコンクリートの壁に設置してあった兵器が壁ごと破壊され、隊員から怒号が上げる。即座にダンプ・カノンが中空か兵器のパーツを作り出し、それに合わせてコンクリートの壁が隆起するが、機動隊側から放たれる紅蓮の槍と紫電の雷球によって悉く貫かれ破壊されてしまう。耳をすませば、屋上の方からは激しい風切り音と大質量のなにか、スキニー・サイクロンの姿が見えないので恐らくコンクリートの塊であろうが、それが叩きつけられる地響きが聞こえる。
「私も、せめて出迎えぐらいはしようと逃げて来た所なのだよ」
なにから、と聞くまでもなかった。二重の悲鳴を弾かせながら、白銀の錨を投げた張本人がそれを引っ張りこちらへ飛んできたからだ。
身長は俺よりも少し低い程度で、体型は踝まである黒革のコートのせいで分からない。コートに下げられた銀細工のアクセサリーが鼓膜を引っ掻くような耳障りな音をさせながら宙を舞った彼は、重く硬質な音を立てて俺たちの目の前に降り立った。錨に繋がる鎖は本来右腕が出るべき袖から伸びており、他の人間的な部分は目深に被ったフードから僅かにしか見えない口元だけだ。彼はガロウズ・ティアーの方を向こうとして、途中で俺を見つけ息を呑んだ。
「ダーク・アブソリュート……! 仲間を助けに来たのか?」
少年特有の青臭さが残る声でそういい、彼は右腕の鎖を引いて錨を袖口まで戻した。斧の穂先のような錨は引き戻される途中で切れ目が入り、錨は機械的、というかまるっきりロボットアームのような右手へと納まった。
「久しぶりだな、愚か者」
マフラーで隠れた口を引きつかせながら、なんとかそれだけはいいきった。彼――愚弄する愚者は動く度にギリギリと金属板を折り曲げるような音がする右手を握りしめて、静かに戦闘体勢を取る。それに合わせて両腕を構えた。一気に緊張が高まる。が、
「ヤバイよヤバイよマジでゲロヤバだよー!」
「マズいぜマズいぜガチでゲロマズだぜー!」
「待て待てー! 逃がすかー!」
愚者が飛んで来た方向から、ふざけているかのような場違いな声と共に二人の男が走って来た。淡いグリーンのストライプ柄が入ったタキシードを着て、頭を押さえながら身を縮めるように走る男――ネガティブ・アッパーと、同じく淡いグリーンだがドット柄のタキシードを着て、ジグザグに一瞬で加速し飛び回りながら走る男――ポジティブ・ダウナーだ。二人とも後方を見て、また声を上げて走り出した。
その後ろからは青い稲妻の飾りの付いた無数の矢が飛来してくる。ネガティブ・アッパーは紙一重で避けており、ポジティブ・ダウナーは瞬時に移動し避けている。二人とも当たってはいないのに、特注の強化繊維で作られたタキシードは既にボロボロだった。
「そっちは虹色ライダーか……」
愚者と距離をおいて向かい合いながら、ため息混じりに呟いた。緊張が途切れる。背後でガロウズ・ティアーが噛み殺したような笑い声を上げた。
放たれる矢と若い女の子の声と共に、七色の仮面は現れた。
「そこを動くなー! このぉぉぉぉおお!? ダーク・アブソリュート!?」
それは古い特撮のヒーローを見ているようだった。
所々稲妻のような装飾があるメタリックブルーのスーツ(全身タイツ的な例のそれ)を身に纏い、なんの意味があるのか首にはためく同色のマフラーを締め、お約束のように真っ白のブーツを履いた彼女は、両腕に添えるように装着したボウガンを乱射しながらスライディングのように派手なアクションで立ち止まった。栗色のショートを振り腰には見たことのないバックルが付いたベルトをしている。まるっきり、どこかの古い特撮ヒーローだ。
だがそこまでしておきながら、何故か芯の強そうな幼い顔はまったく隠していないのだ。七色の仮面という神名なのにマスク(フルフェイスのエナメル的なそれ)はしていないのである。
「ナナ、そいつらは諦めろ。こっちが優先だ」
「リーダー!」
七色の仮面が愚者の方を向く。背後でガロウズ・ティアーが囁いた。
「頼んだよ、坊や」
「……ああ、分かってる」
背中に嫌な汗が伝うのを感じながら、苦々しく頷いた。頭の中で区役所の地図を広げて、派手に戦えて、なおかつ有利に動けて、更に他の悪役の行動を阻害しない場所を探す。となると一つしかない。両脚に闇を絡ませ、機動隊側からの攻撃に当たらないよう気を付けながら歩き出した。二人が一斉に俺を向き、愚者は右腕を、仮面は両腕を構えた。尚も歩く。そして、
「ッ!?」
頭上で激しい爆発が起きたと同時に二人目掛けて突っ込んだ。仮面が焦って矢を打ち出すが検討外れの方向へ飛び青の軌跡が空に伸びる。
左の手の中で闇を練り上げ球状に硬め、目の前に迫った仮面に打ち出そうと構えた瞬間、愚者の見えなかった左腕が動いた。
「ナナ! 下がれ!」
「ひゃ!?」
袖か舞い、銀の閃光が翻るのが視界に入った瞬間、殆ど勘だけで地面に伏せた。風を切る音が首の後ろで響く。手の中の闇を捨て横に転がると、さっきまでいたコンクリートが弾け飛び欠片と粉塵が舞い上がった。顔を上げると、そこには刃に似た鋭い流線形の銀の槍――愚者の中指が伸びて突き刺さっていた。
思わず舌打ちして、身体を起こし横に飛ぶ。両手に闇を集め握りしめた。愚者は人の頭ほどの大きさはある銀の鱗を重ねた、触れたら骨まで切れそうな鋭い左手を顔の前に構え、尖った四本の指先に鉤爪のような親指を擦り合わせている。あれに当たったら三枚下ろしどころじゃない。問答無用で細切れの出来上がりだ。
手の形がなくなるほど濃密に集めた闇を合わせ、創るべき像を思い描く。無形の闇はその思考に習い硬質な姿を創り始めた。愚者の振るった左手をバックステップで避け、糸を紡ぐように練り上げた。
「無名」
言葉が契機となり、闇は刃のない黒塗りの直刀になった。右手で握り闇が細く漏れる切っ先を下に向け身体を左が前の半身に構える。愚者が舌打ちをし槍に似た左手の人差し指と中指を突き出した。銀の鱗が軋みを上げて伸びてくる刺突を身を伏せてかわし、無名を振り上げて弾き上げる。
無名を斜に構え、そのまま愚者の方へ走った。伸ばした左手が使えるようになる前に本体を叩かなければ。無名を返して太刀筋を合わせ愚者へ切りかかる。
僅かに見えた愚者の口が、フッ、と笑った気がした。またもや直感で無名を手放し、受け身も考えずに左へ飛び込んだ。さっきまで俺がいた空間を、愚者の左足があるべきコートの裾が跳ね上がり、多関節の銀の左足が無名ごと切り裂いた。
「くそ、足を忘れてた」
コンクリートを転がって距離を取り、無惨にも霧散する無名を睨む。思わず吐き捨てるように呟いた。
愚者は左手の指を戻し仁王立ちしている。隠していた両脚がコートから伸び、身長が十センチほど一気に高くなった。これでまったく人間的じゃない四肢が全て現れたことになる。出遅れた仮面が愚者の後ろに追いついた。
「ナナ、緑だ。次は合わせていく」
「了解リーダー!」
仮面は両腕のボウガンを太股のホルスターに戻すと、脚を肩幅より僅かに開き左手を腰のバックルに当て右手を左斜め上に向け――いわゆる変身ポーズをすると、声高らかに叫んだ。
「トランスカラー『アームズグリーン』!」
叫びながら左手でバックルを回す。カラフルなエフェクトが全身を包み、ブルーのスーツが光の粒子となって組み替えられ、緑色、を通り越してダークグリーンとオリーブドラフとブラックの三色混合のスーツになった。白のブーツは、ゴツい割りに薄そうな半長靴に。マフラーは、なぜか光の粒子に解れて頭の上に集まりベレー帽になった。唯一変わらないベルトのバックルがなんとも似合わない。
仮面が変身ポーズを解くと、左股のホルスターに下がった縮尺のおかしい六連装のリボルバーがガチャリと揺れて音を立てた。口径は指で輪を作ったよりも大きいくせにどこかオモチャのようにチープだ。
更に、右肩からは九分割の蓋がついたオリーブドラフに塗装された長方形のコンテナが覗いている。長さは右肩上から腰の左側までで、背中に背負っている。折り畳まれたグリップには、冗談のようなトリガーが一つあった。
「いつでも行けるのでありますリーダー!」
仮面はやや演技口調でそういうと、背中のコンテナ――もうはっきりいえば九連装ロケットランチャーを肩に担ぎグリップを引き伸ばした。現実的にいえば肩が外れるくらいの重量があるはずなのに、仮面は涼しい顔で構えている。それもそうか、自分で作ったものなんだから。
仮面のバックアップを受けて、愚者が少しずつ近づいてきた。闇を手の中に集めてはいるが動けばすぐにロケットを打ち込まれる。かといってこのままだと愚者にミンチにされる。なんだか、冷や汗を掻きすぎて寒くなってきた。この状況は洒落にならないほど不味すぎる。
迫ってくる愚者と狙い続ける仮面を交互に見ていると、インカムから面白がるような半笑いの声が聞こえてきた。
『聞こえるかい坊や。そこでドンパチ始めないでくれよ?』
「ッ! 分かってる!」
半ば本気で怒鳴り返し、両手の闇を叩きつけるように合わせた。即座に反応し仮面がトリガーを引き、そして愚者が右手を掲げて突っ込んできた。デタラメな方向へ飛び出した九発のロケットが途中で進路を変え真っ直ぐ俺に向かって来るなか、爆ぜるように溢れる両手の闇を二人に向けて解き放った。
「闇の濁流!」
言葉が契機となり、怒濤の勢いを得た闇が地面を削りながら愚者を、ロケットを飲み込んだ。爆発で微かに炎が吹き上がる。愚者は飛んで回避したようだ。仮面は横に飛んで回避し太股のグレネードランチャーを抜いて構える。愚者は空中で体勢を整え、左手で刺突の構えを取り下を向いた。二人が狙いを定めようと俺を見て、
「なに!?」
「ええ!?」
同時に間抜けな声を上げた。
『はーッはッはッはッ、頑張れ坊やー!』
「黙ってろガロウズッ!」
視線が集中する中、俺は闇の濁流の反動による勢いに乗って二人とは真逆の方向に逃げていた。二十分ぶりぐらいかの全力疾走だった。
少し走って、なんの反応もないので心配になり走りながら振り向くと、呆然とする愚者と仮面の姿が見えた。追って来ないか? と思った瞬間、愚者の右手が飛んできた。文字通り鎖を引きながら『飛んで』くる錨型の右手を直角に方向転換して避ける。
「逃げるな! ダーク・アブソリュート!」
「馬鹿いうなよ愚か者。スティー、聞こえるか?」
『勿論ですアスキサンあらためアブソリュートサン!』
本名呼ぶなと小声で注意し、足元に着弾したグレネードを前に飛び込んで避ける。頭の中の地図が正確ならもうすぐ木に囲まれた中庭に出るはずだ。
「スティー、撤退まであと何分だ?」
『18分37秒ジャストです!』
長すぎだ、と吐き捨て、進路を最短距離から遠回りのルートへ変更する。
愚弄する愚者のニューセンスは生体創造という、ある意味具現思念と同じくらい希少なものである。
生体とは文字通り生命体だ。生きとし生けるもの全てが対象となる。琴吹芽生の植物を操るニューセンスも生体操作で、植物という生体の成長や衰退を操作するニューセンスだ。だが、愚者の場合は少しニュアンスが異なる。そもそも効果の中でも創造はかなり特殊な部類に入り、センス保持者全体でも二割半しかおらず、更に創造に分類される対象は八割が物質なのだ。つまりたった五パーセントしか物質以外の創造はいないのである。
そんなレアなニューセンスを持つ愚者が創造する生体は、いわゆる金属的生命体というものである。
愚者のコートから見える白銀の四肢は自身の身体を元に創造した生命体なのだ。といっても知能があるわけではなく、また血が通ってるわけでもない。分かりやすくいえば身体を生体義肢へと創り変えるニューセンスだ。幾分かレベルは違うのだが。
対して、七色の仮面のニューセンスは物理創造に分類される。
物理とは物理学的な概念の総称を意味するものであり、はっきりいえば「なんでもあり」、更にいえば「分類不可」の分類で、他の分類に入らない複雑で面倒くさい対象を詰め込んだごちゃ混ぜの対象なのである。東ブロックの小隊長、静かなる軍人のニューセンスも対象は物理で、あのチート並みの戦闘能力を思い出せば分かりやすい。
仮面のあのふざけたような格好は立派なニューセンスの力によるもので、難しくいえば、変身という物理学的概念を創造するニューセンス、といえる。つまりあのふざけた格好は存在しない物質や法則で構成された存在しないはずの代物であり、その存在しない物質や法則を作り出しているのが、七色の仮面のニューセンス、物理創造なのだ。知らず知らずのうちに仮面は世界の法則に干渉しているのである。もはや神の所業だ。
複雑な遠回りを経て中庭にたどり着くと、そこは既に嵐が通りすぎたような有様になっていた。地面の盛り上がりのような小さな山は爪痕と暴風によって抉られ、まばらに密集していた木々は半分以上が根元からへし折られている。普段の姿は遠目にしか見てなかったので在りし日の中庭の姿をちゃんと覚えてはいなかったが、もし覚えていたら結構なショックを受けていただろう。英華市出身のデザイナーが考えた素晴らしい自然美の景観が一晩でこの有様なのだから。
「そんな事考えてる暇はない、かっ!」
折れた大木を蹴って垂直に飛び上がる。次の瞬間にはもう大木は銀色の錨によって粉々に砕け散っていた。空中で身を捩り両手に集めた闇を重ね合せる。思念は思考、つまりイマジネーションだ。
「捨名」
言葉が契機となり、闇は思念に従って解れ合わさるように形を変えた。まだ定まらない闇を引き離し、徐々に硬質な質感になっていくそれを指の間に挟んで構えた。
現れたのは短く刃の太い合口である。ただし、刃も柄も闇を押し固めたような美しさの欠片もない影色で、柄頭からは鋼線のような細い闇が指先へと繋がっている。それが左右四本ずつ、中途半端に曲げた指の間に納まっている。それを錨を巻き戻している最中の愚者に向けて、右手の四本だけ投げた。親指を除く四本の指から伸びていく捨名は、直線の跡を描きながら飛んでいく。だが愚者の反応速度の方が早すぎた。軌道をすぐに読み軽々と身を避ける。捨名は地面へ深々と突き刺さり動きを止めた。
俺は空中でそれを確認し、左手の捨名を未だ健在の木に向かって投げた。そちらを確認する間もなく、一足遅れた仮面が地面に片膝をつきロケットランチャーを構えた。
「ファイアー!」
叫び声と同時にトリガーを引き九発のロケットが初速度マックスで発射された。反動もなくバックファイアもないロケットランチャーがもし存在していたら、世界中の軍需会社が泣くこと間違いなしだろう。左で投げた捨名が木に刺さったのを繋がる糸で察知し、ロケットが届く前に左手を思いっきり引いた。
木にめり込んだ捨名は抜けることなくその目的を果たし、俺は空中で真横にスライドする。ロケットは空へと舞いあがり、互いにぶつかり合って自爆した。爆風と白煙が広がる。唖然とする仮面を尻目に、それに合わせ左手の糸を切り離し新たな捨名を四本指の間に創造した。負けじと空に飛びあがってきた愚者が左手を突き出す前に、俺は更に右手を引き上げた。
「な! くそ!」
勢いに引かれ、愚者とは反対に地面へと急降下する。空中で交差するが手遅れだ。これで、獲物と狩人の立場が一瞬で入れ替わった。地面に降り立ち、すぐさま反転し振り向きざまに捨名を投げる。糸に繋がれた捨名はまるで爪の様に横並びになり、左手を振りぬくと四筋の軌跡を描いて縦に構えた愚者の左腕に襲い掛かった。
「リーダー!」
離れた所で仮面が叫ぶ。だが弾の装填が間に合ってない仮面には何もできない。捨名は空を切り、愚者の左腕を切り裂いた。白銀の鱗が飛び散り再度宙へ舞い上がる。俺は右手を引き捨名を引き抜くと、同じように振り上げようとした。ここでもう少し抑えなければ――と思考する頭とは別の知覚が何かを察知し、慌てて地面に伏せた。
「おりゃあああ!!」
鈍い風切り音がさっきまで頭があった空間を振り抜いた。両手の糸を離し地面を転がって逃げる。ぼすっ、となにか潰れる音がして、顔を上げると、ロケットの入ってないランチャーを地面にめり込ませた仮面の姿があった。こいつ、銃火器を無理矢理振り回したな。
「よくやったナナッ! ハッ!」
空中で体勢を整えた愚者が肩から後ろに向けた右手を振り上げ、そして振り下ろした。手の形から一変して錨に姿を変えた銀の鈍器は、伸びていくチェーンの金属音を響かせながら、俺の真上に落ちてきた。後ろに飛ぶ、が、これはかなりヤバ、
「がはっ!」
衝撃で後ろに吹き飛ばされた。地面を二転三転し、地に這うように止まる。
白銀の錨は避けることは出来たみたいだが、その威力は地面を軽々と砕き、その破片と衝撃波からは逃れることが出来なかった。舌打ちし、両手に闇を集めるが、
「はぁぁぁああ!」
ロケットを装填する気もなく巨大な獲物を振り回す仮面によって遮られた。左右のステップで避け距離を取るが、地面に降りた愚者の左手が逆から迫る。
コートを払い右回し蹴り弾き軌道を逸らす。ブーツが嫌な音を立てて裂け、中の鉄板が露出してしまった。舌打ちし、腰を落として徒手の構えを取る。
が、流石に四本の指の槍は防げない。身体を捻って指の槍を避け、容赦なく撃ち込まれるグレネードを飛び上がってかわし、地面を転げて樹木を抉りながら飛来する錨から逃げる。無形の闇を放って反撃するも、愚者が難なく切り裂いた。その間に仮面が飛び出し気勢と共にランチャーを振り上げる。
「くそっ! 離れろ! 闇の奔流!」
言葉が契機となり、溢れるように右手から闇が吹き出した。大気を呑みこみ進む闇の流れ。だが、思ったよりも威力が出なかった。圧倒的に速度が足りない。
いつの間に装填したのか、仮面が振り上げていたランチャーを止め、肩に構えて引き金を引いた。蓋が開き九発のロケットは一斉に放たれ、闇に飲まれながらも突き進んだ。右手に闇を込めるも、弱い。ロケットは俺の目の前まで来て、同時に爆ぜた。
視界が真っ赤に燃え上がり木々の作る暗闇へ吹き飛ばされる。
「よし! やりましたリーダー!」
「まだだ、掠めただけだ」
宙を飛び、地面を転がり、切り株となった木に叩きつけられて身体はやっと止まった。肺に残った息が溢れ、焼けついたように胸が熱く苦しくなる。視界がチラチラと白く染まり、金属を引っ掻くような甲高い耳障りな音が耳の中で反響する。身体中の関節が軋むように痛んだ。思考が追い付かない。
無意識が身体を起こそうとして失敗した。腕に力が入らない。膝が笑いまた地面に崩れ落ちる。肺が思い出したように呼吸を再開し、心臓がテンポのおかしいビートを刻む。刺激に反応し瞼が痙攣する。
ひどい頭痛だが、死ぬほどじゃなかった。
身体は大丈夫なのか? どこか怪我したか? まだ動くか? 俺は生きてるか? 自問に自答が返ってくる。まだ大丈夫。ほんの少しやられただけだ。ただ――
「奪名」
少し、キレただけだ。
言葉が契機となり、大気に闇が侵食していく。両手にねばりつくように闇が集まり、固まり、形作る。コートから闇が滲み始め、表皮を覆っていく。力を入れることなく立ち上がり、歩き出す。
「お前ら……闇を侮ったな」
暗闇から出て二人に近づくと、俺の様子に気がついたのか、愚者が慌てて左手を縦に構え右手を後ろに握りしめた。後ろで呆けたように仮面が口を開く。
「マズイ! ナナ、黄色だ!」
「え?! あ、えっと、トラン――」
遅い。
濃密な闇を足にまとわせ地面を蹴った。コートが掠れた残闇の跡を引き、仮面の真後ろに飛び上がる。未だ形のはっきりしない闇の柄を右手で持ち、左手で撫でるように一気に滑らせた。邪魔な闇が弾け、それと同時に右手を降り下ろす。
空を切り、仮面との間に入った愚者の左腕を切り払う。闇は形を得て、現れたのは漆黒の大鎌。柄と刃の境目が曖昧で、SとLの中間のようなフォルムをしている。ただ、刃全体から闇が滲み周りを侵食している。そして、それは愚者の白銀の鱗を持つ左腕も同様だ。
「ぐっ、貴様……」
愚者が苦しそうに呻く。左腕の鱗が何枚か弾け飛んだ。仮面が後ろで叫ぶ。
「リーダー! 今助けます! トランスカラー『ライトイエロー』!」
左手で無造作にバックルを回した仮面は、まだスーツが粗い粒子のまま突っ込んできた。速いな、だがまだ遅い。
奪名を引き、空中の闇を蹴って横に飛ぶ。コートは既にボロボロの闇になっていて動く度に細かな闇を残していく。左手を刃元に添えて構え、闇を蹴り続けて仮面の左後ろに回り込んだ。スーツは黄色の、所々流線型の装甲がついたSFチックなものに変わり、ベレー帽はゴーグルになる。武装は両手の蛍光灯のような杖とも棒とも見える刀。それが赤と青に光るまで仮面は俺が後ろに回り込んでいることに気が付かなかった。
左に腰を回して力を溜め、右手で柄の頭を、左手で刃ギリギリを持ち横一線に振り抜いた。寸前で気がついた仮面が両手の円筒形の刀を交差させ防ぐ。闇を滲ませる鎌の刃は刀に一瞬だけ止められ、そして押し切った。
「あああああああ!!」
弾き飛ばされ、回転しながら地面に叩きつけられる――すんでの所で愚者が身体で受け止めた。四肢だと掴んだ瞬間に仮面がひき肉になるからだ。多関節の足で地面に降り立った愚者は仮面を下すと、右手を握り、円錐形のスパイクに変形させた。左手はギチギチと音を立てて軋み、鋭く、また細く尖っていく。その隣で仮面が荒い息を吐きながら背を伸ばし、円筒形の刀を逆手に持ってゴーグルの横のあるスイッチを入れた。透明だったゴーグルのガラスが黄色に染まる。
それを空の上、正しくいえば宙で固めた闇の上で見ながら、俺は小さく呟いた。
「やり過ぎた……」
子供二人相手に、本気を出し過ぎた。もう引くに引けなくなってしまった。どうするか。奪名まで出したらこの二人じゃ絶対勝てないぞ。いい勝負すら難しい。本気でどうするか。捻り潰す? いやいやそれは不味い。愚者は小隊長だぞ。ここで倒すのは不味い。かなり不味い。始末書ものの不味さだ。
「…………いや、まだ大丈夫だ。スティー、撤退まであとどれくらいだ?」
インカムに話しかけると、僅かに雑音混じりで返って来た。
「撤退まで6分29秒ジャストでーす。そろそろカメレオンの映像が奪われそうなので通信が混雑してますねー」
「そうか……まだそんなにあるか」
見た目は睨み合いを続けているように見せて、頭の中で時間を計算する。ここから逃げるのはどんなに早くても一分前。それより早いと向こうでまた戦闘をしないといけなくなる。だが、ここで五分も戦ったら必ず俺が勝つ。それは駄目だ。それだけは駄目だ。どうやって引き伸ばすか……いっそこちらに英雄の増援を呼んでもらうか? だが並の英雄なら焼け石に水だ。意味がない。
愚者と仮面の緊張が高まり、否応なしにこちらも奪名を構えた。待て、もう少し考える時間をくれ。不味い。時間がない。いや時間がありすぎるのか? どちらでもいい。待ってくれ――
「アブソリュートサン! 緊急連絡です!」
「ん? どうした?」
初めて聞くスティーの焦った声に、構えを解いて意味もないのに左手を耳に当てた。愚者と仮面が呆けたように顔を見合わせる。
「57秒前に追加で一名英雄に出撃許可が出ています! ゴリ押しの応援です! 48秒前に最中区市役所前広場にて参戦。現在そちらに向かっています! すぐ着きます! その英雄の神名は――」
最後の言葉は、光撃のせいで聞こえなかった。
半円形の光が頭上から無数に降り注ぎ、見上げる間もなく目の前を通過した。奪名の刃が半ばから切り落とされ、反射的に後ろに飛ぶ。数瞬前までいた空間を半円形と直角の光撃が切り刻みそのまま地面に落ちて土煙を上げた。
勘に身を任せ左に飛ぶと、目映い閃光が残光を引きながら通り過ぎた。露骨な舌打ちを響かせながら。
光は地面に軽やかに降り立つと、両手の光剣を俺に向けて突き上げ、もはや笑顔すら浮かべて叫んだ。
「ダァァァァク・アブソリュゥゥトォォォオオオ!!!!」
気勢と共に髪と剣が金と白の二色の光を放ち、夜の公園を真昼の如く照らし出す。思わず口をついた言葉が、戦場の喧騒の中で意外なほどに響きわたった。
「……じゃじゃ馬姫」
英雄の増援なんてものを望んだ罰なのか、輝きの剣姫は、心の底から嬉しそうに笑いながら、泣きそうな俺を見上げていた。