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僕の仕事は悪役です。  作者: 朝丘ひよこ
第二章 日常と異常のコントラスト
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囁き

 

 圧縮された空気が弾けて風が溢れ出す。無数に増幅した左右の腕が殺到するその風を突き破る。予備知識も持たずにこの光景を見たら、卒倒間違いなしの強烈な戦いです。


「……世界的にも数少ないニューセンスの使い手がこの街に、それも敵同士で二人もいるんですか。なんというか、恐ろしい偶然ですね」


 着地による膝の痛みからしばらくもがいていた秋葉さんだったが、すぐに復活して、今は感慨深そうに修練室の中央、絶賛格闘中の太刀風さんと斯道さんを見ていた。説明を無理矢理終わらせた太刀風さんが斯道さんと格闘訓練と称したケンカをふっかけたのである。もちろん本気でやっているわけではなく、半ば訓練のお約束といったことなのだが、手加減するとはいえセンス保持者同士の戦いだ。決して狭いわけではないこの部屋を縦横無尽に飛び回り、常人には到底マネできない動きで競い合っている。人前でニューセンスが使えない分、その過激さは特別だ。


「んー、それはちょっと違いますね」


 秋葉さんの横でぼんやりと二人を眺めながら、秋葉さんに言葉を返した。短い嘆息が途切れて疑問符に変わる。


「僕とじゃじゃ馬姫が同じ街にいるのは、偶然じゃなくて必然ですよ、おぉ、今のは良いタイミングだ」


 五本に増えた右腕を掻い潜り、太刀風さんがハイキックを斯道さんの左側頭部に叩き込んだ。惜しくもガードが間に合い届きはしなかったが中々良い攻撃だ。


「あの、それってどういう」


「おお! 今のは痛い!」


 空気の板を使い後ろに飛んだ太刀風さんに一瞬で追い付き、斯道さんが三本の左足で同時に頭、脇腹、太股を蹴り抜いた。あれはいくらなんでも守りようがない。ふらつきながら太刀風さんは空気の壁を張り床に這いつくばる。


「七緒さんっ。教えて下さい、今のどういう意味なんですか」


「今のはハイキックに見せかけた同時攻撃ですよ、でも同時に見えて実は時間差をつけているんです。頭に向かって振り上げた足を途中で増やして、まず太股に蹴り下ろして意識を下に向けた後頭を蹴って、最後にがら空きになった脇腹を狙うという回避不可能の」


「そっちじゃありません! どうして七緒さんと輝きの剣姫が英華市にいるのが、偶然じゃないんですか!」


 首をぐりんと九十度曲げられて無理矢理秋葉さんの方へ向けられる。首が軋むような耳に痛い音を立てて、カエルを踏み潰したみたいなひしゃげた奇声が喉から漏れた。ぐぇ。


「ちょ、秋葉さ」


「教えてください」


「分かりましたから離してください首が限界というか折れる!」


 渋々、といった様子で秋葉さんは手を放し頭がやっと開放された。知らないと思うけど、首って実は九十度も曲げちゃいけないんだよ。死んじゃうから。普通に死んじゃうから。


 軽く咳き込みながら秋葉さんを恨めしく見る。秋葉さんは気になったことがあったら何が何でも知りたいらしい。学者肌、というのもおかしいが、知識欲がものすごく高い。結局さっきのだって全部消化しきっちゃったし、これまでの一週間で閲覧できる歴史やらシステムやらをかなり読み込んだようだ。目の前に知らないことがぶら下がっていたら迷わず手を伸ばすタイプである。


「あのですね、さっきもいったとおり僕とじゃじゃ馬姫が英華市にいるのは必然です。いや、じゃじゃ馬姫がいるこの街に僕がいるのが必然、といったほうが正しいですかね」


「輝きの剣姫がいるから……?」


 言葉を切った秋葉さんは、口元に手を当て熟考に入った。でもなかなかこれだけじゃ分からないと思うので少しだけサービスしてあげよう。


「ヒント、というか前提として二つだけ教えてあげます。一つ目は、じゃじゃ馬姫は英雄で僕は悪役だということ。もう一つは、そうですね、さっきもいったとおり具現思念は非常に珍しく、また使いようによっては非常に強力なものです。思考を実世界に持ち込むわけですからね」


「じゃあ……輝きの剣姫がこの街で英雄になったから、七緒さんがこの街に来て悪役をすることになった……いえ、それだと逆だわ。七緒さんの方が先に悪役になっているんだからそれだと矛盾してしまう。輝きの剣姫が英雄になったのは三年前から……あれ?」


 ぶつぶつと呟きながら思考をめぐらせていたが、途中で何かに気がついた。もう答えにたどり着いたのか、と思ったがなにやら違うようだ。第一そこからじゃ答えは出ないはずだし。


「どうしました?」


「いえ……」


 歯切れ悪く答え、胡乱げに僕を見て口を開く。


「七緒さん、というかダーク・アブソリュートは四年前に指名手配されましたよね? ということはそのとき七緒さんは十六歳ですよね? それって……」


 身体が硬直し秋葉さんを見たままフリーズする。やば、そこに目が行ったか。いやなんとなく掠るかなとは思ってたけど、まさかこんなにも早く気がつくとは予想してなかった。忘れていたが秋葉さんは東中大卒の超がつくほど頭の良い才女だ。高をくくったのが間違いだったか。


 誰かの喉が異様なほど鳴り、この後に続くであろう追求の言葉を黙して待つ。秋葉さんは逡巡するように眉をひそめ、そして、


「……労働基準法とか無視してますよね。深夜の作戦もあるはずなのに」


 ずる、と太刀風さんと斯道さんが腰から崩れ落ちた。なんだ盗み聞きしてたのかよ、訓練に集中してよ頼むから。呆れからか安堵からか分からない深い息を秋葉さんに悟られないよう吐いた。しばらくの間手を床についてうな垂れていた僕と太刀風さんと斯道さんだったが、すぐに気を取り直して姿勢を戻した。秋葉さんって、意外に天然なのかもしれない。というか絶対天然だ。頭脳明晰のくせに天然入ってるとかどこの萌えキャラだよ。泣くぞ。


「あのですね、そもそも破壊活動している時点で法律バリバリに破ってますから。英雄法にもあるでしょう。仕事中の悪役の人権を剥奪する規定が。そうでなくても国家反逆罪ですよ。第一英雄なんか低年齢化でそっちのほうが問題でしょう」


「あ。そういえばそうですよね。英雄の方が問題です」


 あっけらかんといい放った秋葉さんはまたすぐに熟考し始めた。なんだかなー。釈然としない。


「七緒さんは四年前で、輝きの剣姫は三年前……それなのに輝きの剣姫のほうが先?……なにがさき、だったっけ」


「お、近づきました。それじゃあもうひとつだけ。英雄と悪役の違いは何でしたっけ?」


 小さなヒントを出すと、秋葉さんはすぐに気がついた。流石才女、とは素直にいえないのはなぜだろう。


「先天的か後天的かの違いですね。失念していました。輝きの剣姫は十六年前に生まれた時からセンス保持者なんですものね。具現思念という稀なニューセンスを持っていた輝きの剣姫が英華市に来たのは確かに偶然ではありません、彼女の実家が英華市にありますから。そして、同じ具現思念という稀なニューセンス保持者を持った七緒さんが現れた……」


「大正解です。具現思念は僕とじゃじゃ馬姫を除くと世界でたったの三人しかいません。研究するにも、制御するにも、一緒にまとめた方が無難な選択だったんですよ。もう一個いえば、具現思念はなにが起こるか分からないニューセンスです。僕は『闇』でじゃじゃ馬姫は『光』ですけど、アメリカで悪役やってる具現思念のセンス保持者は『精霊』でした。後の二人は英雄で『聖水』と『雷電』だったっけかな。とりあえず、具現思念は同じ形に具現化しません。どんな反応が出るか、どんな事が起きるか、当事者ですら予想通りにいかないことが多々あるんです。僕はまだなんとかなりますけどじゃじゃ馬姫はひどく不安定ですので、上も戦々恐々したんでしょう。まあ、ある意味、運命共同体ってことです」


 僕は自分でいっておきながら、最後の言葉があまりにロマンチックな響きだったので、つい笑ってしまった。間違いじゃないけどかなり歪んだ運命だ。小さく笑いながら、ふと隣から反応がないことに気がついた。横を向くと、秋葉さんはぼんやりと顔を下に向けて自分の両の手のひらを見ている。微かに手が震えていた。


「どうしました? つまんなかったですか?」


「いえ、そんなことは……」


 語尾を震わし呟いた秋葉さんは、ゆっくりと僕の方を見て口を開いた。


「一つだけ、聞きたいことが、ありまして、その、私もいつか、なるので、しょうか。わ、私は、いつ……」


「いつニューセンスが発症するのか。ですか?」


 言葉を先回りしていうと、秋葉さんはぐっと歯を食いしばり、開いていた手を赤を通り越して白くなるほど握りしめた。いつも力強い声色が儚く思えてしまうほど弱弱しく、また悲しい色を帯びている。これが多分秋葉さんの、心の奥底の本音なのだろう。


 力を入れすぎて震え始めた握りこぶしに手を重ね、秋葉さんの目を見る。


「その恐怖を隠さなくても大丈夫です。ここにいるみんながその気持ちを分かっていますから。その痛みを、みんなが理解していますから。自分が化け物になるかもしれない不安をみんなが抱いています。社会から拒絶されるかもしれない怯えをみんなが感じながら生きています。秋葉さんは一人じゃありません。僕らは仲間であり、同僚であり、友人であり、運命共同体なんですから」


 わざとじゃじゃ馬姫の時に使った表現をもう一度使うと、秋葉さんはふっと表情から力が抜けて微笑んだ。握りこぶしが解けていく。


「運命、共同体ですか。センチメンタルな言葉ですね。それに七緒さんと運命共同体だというなら英雄とも共同体ということになりますよ?」


「もちろんですよ。悪役も英雄も同じ穴のむじなですから。同じ運命に入れてあげますよ」


 少しぞんざいにいい切ると、口に手を当てころころと笑っていた秋葉さんは、ツボにはまったのかお腹を押さえて笑い始めた。目尻に涙が浮かんでいるのは、きっと、笑いすぎたからに違いない。


「少しだけ話を戻しますけど、ニューセンスはある日突然使えるようになるわけじゃないので、そこは安心してください」


「ふふふ、は、はい」


 こら、笑いすぎだぞ。


 秋葉さんの笑いが一通り治まるのを待って話し出す。


「太刀風さんもいってた通り、ニューセンスは精神的な部分に大きく左右されます。それだけは確固たる理由、というか確実なんですよ。これは発症しているセンス保持者だけが分かる独特な表現なので秋葉さんは分かりづらいと思うんですけどね、まあ、いつか分かってもらえることを期待して話してみましょう」


「お願いします」


 大分肝が座ってきたらしい。秋葉さんは穏やかな表情で頷いた。


「センスのささやきが聞こえるんです」


「センスの……囁き?」


「はい。心の中というか、頭の中というか、とにかく精神的な所でとしかいい様がないのですが、声が聞こえるんです。それも本当に小さな囁き声が。これは先天的も後天的も問わず発症したセンス保持者なら必ず聞いたことがあります。よく第六感とか虫の知らせっていいますよね? あんな不確実なものじゃありません。小さいですがしっかりとした『囁き』が自分にだけ聞こえるんですよ。聞こえる時期もどんな声かも人それぞれですが、ニューセンスの使い方となにが起きるか、なにが出来るか、曖昧にではありますがその声が教えてくれるんです。その声をSigh Of Sense、略してSOSといいます。SaveOurSoulsぼくたちをすくってじゃないですよ? SighOfSenseかんかくのささやきです。まあ、上手く皮肉ってますけどね」


 ぼんやりと中空を見つめながら、秋葉さんは小さく「SOS……」と囁いた。瞼が閉じられ心に染み入れているような、そんな優しい表情になっていく。そう。ニューセンスは決して自らを壊すためにあるのではない。我という、不確かな容器を守るためにあるのだ。SOSはそんな心の意思センスを伝えるための淡く、儚く、仄かな叫び声なのだ……と、これは全て師匠の受け折なんだけどね。


 太刀風さんと斯道さんが闘う音に混じって、壁にかかった時計が五時を示す電子音を鳴らし始めた。ほっと息を吐いて立ち上がり二人に近づいていく。


「二人とももう時間だよー」


「七緒さん危ないですよ!」


 後ろから秋葉さんが声をかけてきたけど、それはお門違いというものである。僕の言葉を無視して、というか聞こえていないのか、現実的じゃない合成映像みたいな闘いを続ける二人にどんどん接近していく。いつの間に本気になってたのか、風の余波が半端じゃない。両腕を左右に伸ばして、二人の動きを目で追っていく。あと数歩というところで、秋葉さんの息を呑む音がした。


「いい加減にしなさいっ」


 二人の頭を一瞬きで接近して掴み、闇で雁字搦めに結ぶ。太刀風さんの空気の壁も斯道さんの無数の手足も漏れなく捕捉して。


「明日輝てめ! ふざけグモッ!?」


「旦那ァ! とめねえでゴフッ!?」


「止めなさいったら」


 二人の鳩尾に半ば本気の掌底を叩き込むと、変な悲鳴を上げて沈黙した。ありゃ、やりすぎたか。闇で絡めたまま手放すと、かなり前衛的なオブジェが二体出来上がった。タイトルは悪魔の粘土細工だな。うん。


 ため息をついて振り返ると、秋葉さんが顔を手で覆ったまま指の間から僕を見ていて、こちらもフリーズしてしまっている。あちゃあ。


「そういえば忘れていました……七緒さんはダーク・アブソリュートでした、ね」


「そこは忘れないでくださいよ」


 わざとらしく肩を落として、ゆっくりと背後の二人を床に下ろす。あれだけ強く打ったのにすぐに復活して怨嗟の声が聞こえ始めた。時計を見て、秋葉さんが声を上げる。


「あ、七緒さんこの後予定があるんじゃなかったんですか?」


「あ! そうでした! 太刀風さん起きてください送ってくれるって約束でしょ?」


「明日輝……てめえ殴ったあとによくいえんなそんな事」


「いいから早く早く! 準備して!」


「旦那は鬼でさあ……」


「この後何があるんですか?」


 床に伏せたまま起きようとしない太刀風さんを揺すぶっていると、後ろで秋葉さんが首を傾げた。振り返り妙に弾んだ言葉を返す。


「人生初の、ゼミ飲みです!」


 飲み会かよ! と手の中から誰かの声がした気がした。

 

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