人工知能と天才参上
「AIを創ってみたのだよ」
相変わらず冷房がキツくかかっているやよのサーバールームで、呼び出しを受けた僕は定位置に座って、いつものように煙草を吹かしていた。作戦の後は基本的に集まることがないので、太刀風さんも斯道さんも英華基地には来ていない。秋葉さんもしばらくは英雄庁で講習や座学があって忙しいようだ。つまり、暇なのはバイト扱いの僕だけということである。また、今日は芽生さんも表向きの真っ当な仕事があっていないので、やよも心置きなく煙草を吸っている。
「AI? それってなんだっけ」
煙を吐いてやよを見下ろすと、同じくうまそうに煙を吐いたやよが呆れた目付きで僕を見上げた。
「君はAIも知らないのかい? artificial intelligence。つまり人工知能のことだよ。つい一月ほど前に東中大学の研究室が発表した論文がニュースにもなっていただろう。見てないのかい?」
ぶどう色の瞳に睨まれながら、埋もれた記憶を掘り返す。最近テレビとか見てなかったからなー。新しい話題についていけなくなってきた。なんとか掠れかけていたニュースを思い出す。
「あー……見たかも。確か人と遜色なく日本語で会話が出来る、ってやつだよね」
「まあ大雑把に言えばその通りだよ。その発表した論文をこの前読んでみて少し興味が湧いてね、試しに創ってみたのだよ」
「試しに創れるものなの? それ。あとなんか綺麗に誤魔化した気になってるみたいだけどバレバレだからね。本音出てるからね」
ふんっ、鼻で盛大に笑ったやよは、僕の言葉を無視してキーボードをたたき始めた。芽生さんがいないと途端につんけんした棘のある性格になる。いっそ芽生さん呼び出しちゃおうか。いや、それはそれで怒られそうだな。止めておこう。うん。
それにしても、やよのやってることがよく分からない。そもそもAI自体よく分かってないのだから、今何してるのかなんて分かるはずもないし。あと、いつも気になってるんだけど、やよのパソコンって何で三台も必要なんだろう。左のスクリーンには黒地にカクカクした緑色の英文が中途半端に改行して下にダーッと流れている。これ何の意味があるのかな。癒し効果でもあるの? 目チカチカしてきたけど。
煙草の灰を落として最後の一口を吸い、輪切りの地球儀に吸殻を押しつぶして火を消す。やよが口に銜えた煙草から灰が落ちそうだったので灰皿を近づけてやると、器用に唇を動かして灰だけぽろっと落とした。どうでも良いけど銜え煙草が似合わない。どう見ても未成年だし。
「これを見たまえ」
「ん」
やよの視線を辿ると、真ん中にあるノートパソコンの白いスクリーンに、デフォルメされて少しアニメーションぽく描かれた三匹の動物が現れていた。画像かと思ったけど、それぞれ勝手に動いているのでなにかの動画かもしれない。やよが偉そうに踏ん反り返ったけど、意味も分からず首を傾げた。
ど真ん中には、偉そうに腕を組み、見えないイスに座って足を大きく広げているイヌがいる。毛色は灰をかぶったような薄汚れた銀色で、もう少し顔がスマートだったら狼にも見えなくもない。せいぜい態度のでかいレトリバーといった感じだ。
そのイヌの左には、静かに立ちじっとこちらを見ているキツネがいる。その目は柔和で、なんだか優しさも感じられるほどである。佇まいもなんだか不思議な父性に溢れていて、頼れる執事然としている。毛並みは稲穂のような黄金色に輝いていて、知的な感じだ。
最後の一匹は、始終落ち着きなくスクリーンを駆け回っている、白地に黒い縞のはいったネコだ。わーとかふにゃーとかよく分からない言葉を叫びながらごろごろと落ち着きなく移動していて、この猫だけ子供っぽい。他の二匹もちらちらと見ていて、キツネは柔らかな保護者の眼差しだがイヌはかなりイラついていそうだ。その気持ちも分からないでもないけど。
三匹を観察し終えて、結局分からずやよに視線を向けて目で説明を求めた。驚いたのか、それとも呆れたのか、やよは深いため息を吐いてイスの背もたれに寄りかかった。
「これを見てもまだ分からないなんて君の思考回路はどれだけ緩んでるんだい。今までの説明で分かるだろう。この三個のアバターこそ私が作ったAIなのだよ」
「AI……ってことは、この三匹」
「三個」
え? と割り込んできた言葉に僕は疑問を挙げた。やよは馬鹿にしたような白い目(白くないけど)を僕に向けて、舌打ちをしてスクリーンを指差した。
「三匹、なんて生物的な呼び方は止めたまえ闇の真理。いいかい? このアバターはあくまで私が描いた仮の姿だ。ただのグラアフィックにすぎないのだよ。本体は巨大なコンピューターの塊に内在するプログラムの集合体であり、そこには生物的要素は一つもない。これは動物じゃないんだ。学習という機能を持たせた人工的な無機物なのだよ。匹だなんて呼ばないでくれたまえ」
なにが気に障ったのか、やよは一気に話し終えると憮然とした面持ちで顔を僕とは逆に向けた。怒らせたみたいだ。だけど、そんなことを言われたって結局なにがなんだか分からないよ。
「えーっと、じゃあつまりこの三、個はAIなの? じゃあ会話とか出来るの?」
「無論だ」
ばっさりと言い切ったやよは、脇に置いてあった集音マイクと小型のスピーカー、更に小型のカメラをノートパソコンに接続すると、またキーボードを叩いて操作し始めた。だけどそれもすぐに終わり、カメラに赤いランプが点いた。
「これで話せるはずだ。とりあえず自己紹介でもしてもらおうか」
スクリーンの左上隅に、僕とやよの顔が写った映像がリアルタイムで流れ始めた。真っ先にそれに反応したのはイヌだったが、口を開いたのはキツネの方が先だった。
「初めまして七緒明日輝様。私、理性のλογικηと申します」
やけに落ち着いた抑揚のない声がスピーカーから流れた。冷たさが後を引くような乾いた音だ。「理性の」の後の発音がよく聞き取れなかったけど、たぶんロギキといったのだろう。コンピューター相手にいうようなことじゃないけど、薄い氷のような温かみのない鋭そうな声音だった。
次に、舌打ちをしたイヌがスクリーン越しにこちらを見て頬のない口を開く。
「本能のενοτικτοだ。よろしく」
こちらは打って変わり、ざらついた細かい砂利のような声だった。耳の奥を擦るような掠れた音でエンスティクトと名乗ると、真っ赤な舌がちらりと見え、無感情というよりも押し殺した激情が垣間見えたような感じがする。熱した油のような凶暴さがあった。
最後に話したのはネコである。ロギキが走り回るネコを止めてこちら側を指差すと、やっと気がついたようで、大げさな身振り手振りつきでいった。
「初めましてナナオアスキサン。ボクは感情のσυναισθημαです。これからよろしくお願いします」
やけに発音のはっきりした言葉で、ネコはスィネスティマと名乗ると、ぺこっとお辞儀をして、ロギキのすぐそばに転がるように座り込んだ。まるっきり人懐っこいネコである。
なんかもう、僕はこの辺ですでに飽食ぎみだった。AI自体具体的なことはなにも知らないのに、いきなりアニメに自己紹介なんかされちゃって、どう反応すればいいのだろうか。パソコンに関することはワードかエクセルぐらいしか知らない僕は、根っからのアナログ人間だというのに、なぜやよは僕にこれを見せているのだろう。
なにも反応を見せないでいると、満足そうに腕を組んでスクリーンを見ていたやよは僕を見て、何を勘違いしたのか更に満足そうに頷きスクリーンの画面を叩いた。
「凄いだろう。風邪をこじらせてでも完成させた自慢の作品なのだよこれは。知能は学習という手順を踏んだのだが思いのほか個性が出た。三個ともプログラムの大元は同じで学習内容を変えただけなのだが、面白い結果だ」
「こじらせるなよ風邪。あ。いや、それは分かったんだけど、この後どうするの?」
「ああ、それについてはもう考えてある。ロギキは私の元で作戦等のサポートをしてもらおうと思う。将来的にはロギキにすべて任せてしまえるようにね。エンスティクトは情報収集役だ。英華市を中心に世界各国のネットを走ってもらうことになると思う。それでスィネスティマなんだがー……」
その時、なぜだか分からないけどものすごく嫌な予感がした。センス保持者の第六感というやつだろうか。背筋を指先でなぞられたのような、首を毛虫が這うような、とにかく気持ち悪さを限りなく凝縮させたみたいな感じ。こういう感覚は、戦場に身を置く者としてかなり大事なものだ。
「君に育ててもらおう、と思っている」
なぜなら、悪い予感というのは総じて当たるものなのだから。
―――――――
原付を駐輪場に停めてエンジンを切ると、シートの下からハンドベルのような音楽が鳴り始めた。またか、と若干嫌気がさしながらもシートを上げてカバンを取り出し、内ポケットから画面の点灯したスマートフォンを引き抜いた。一般に流通している市販のものより一回り大きく重量もそこそこあるこのスマートフォンは、やよのハンドメイドで世界に一つしかない特注らしい。電池も充電不要の原子力電池とかいう名前だけ聞くとかなり怖いもので、まさにスティーのためだけに作られた高級品なのだ(売り出すとしたら一台七ケタとかいってた)。
だからといって、面倒事が面倒じゃなくなるわけじゃないんだけど。
「ここが英華大学ですかアスキサン」
「そうだよ。人がいるから気軽に呼び出さないでね。特に講義中は」
了解しましたー、と変に間延びした返事がスピーカーから流れネコのアニメーションが頭を下げる。スティーというのはスィネスティマから適当に呼びやすく短縮した名前である。またこのアニメーションは、人とのコミュニケーションをとり易くするためにやよが描いたグラフィックらしい。何事も視覚化すると分かりやすいのは万国共通だ。こんな姿をしていてもAIだというのだから、科学技術は恐ろしい。アナログ万歳だ。
スティーをパーカーのポケットに入れてヘルメットを外し、カバンを肩にかける。今から受けるのは労働法。その後は待ちに待った――
「おーっす明日公」
「秋良!?」
「のわ。なんちゃあ」
ロッカールームに向かって歩いていると、後ろから眠たそうな声が僕を呼び止めた。驚いて振り返り名前を呼ぶと、逆に驚かれた。色褪せた金髪がぱさりと揺れる。
「講義受けに来るなんて珍しいね。どうしたの?」
「目が覚めちったから仕方なく」
隣に並んだ秋良に尋ねると、大きく欠伸をしてから僕の方を見下ろした。切れ込みのように細いタレ目が力なく僕を捉え、また小さく欠伸をする。まだ起きてからすぐみたいだ。髪にも寝癖がついているし真っ直ぐ歩けず時々ふらっと揺れている。
向かいから歩いてきた学生二人が、秋良を見てぎょっとした。どうやら一年生みたいだ。二人はちらちらと秋良と隣の僕を見ながら、なにか話しつつ離れていく。そりゃまあ一年生ならそうなるかな。苦笑して秋良を見上げる。
五味秋良は僕と同じ法学部の二年生で、高校からの唯一の友達だ。身長は院生の夏目さんと同じぐらいなので僕より頭一つ大きい。髪の色も夏目さんと同じ金色だが、こっちは色褪せた少し薄い金髪である。まあ髪を染める人なんていっぱいいるけど、一年生が驚いたのはそこじゃないだろう。多分、着ている服だと思う。
秋良が愛用しいつも着ているのは、ポンチョというどこかの国の民族衣装である。四角い布の真ん中に穴が開いてあり、そこに首を通して着る南国チックな服で、どちらかというとマントみたいな感じだ。その下は普通に長Tシャツとカーゴパンツなのだが、日常的に着るのはとても目立つ。ポンチョはとても機能的で、特に秋良のポンチョは内側にポケットが縫い付けられていて収納もできるすごいものだ。だが、目立つ。ただただ目立つ。見慣れるまで皆時間がかかるのである。
「労働法は面倒ってENSに噂があったけど、どうなのかな」
見上げて秋良に聞くとふらふらと首を振られた。
「そりゃガセだな。判例重視だからそこさえ理解すれば簡単。出席も取らんし」
判例重視だから面倒なんじゃないか、と小さく呟くと秋良がカラカラと笑い僕の肩に肘を乗せてまた欠伸した。ポンチョは腕を出すと横に広がり、なお目立つ。
「ま、地道に頑張れ明日公。それよりこん前の作戦どうだった? 古典に学んでみたんだけど報告書がこっちまでくんの遅くってさ。感想くりゃあ」
「ん。良いよ」
途中から小声になった秋良は、耳元でささやくように言った。返す言葉も自然と小さくなり、ロッカールームに着くまでこの前の作戦で実際に感じた大まかな感想と意見を話した。相づちと、時折唸るような音が混じる。
ロッカールームでファイルとポケット六法取り、労働法の講義が行われる教室に行くと、初回だからか学生が結構な人数詰まっていた。といっても、松永先生の英雄法の講義に比べたら五分の一にも満たないかもしれない。左側の席に秋良と並んで座り、スティーをテーブルに置く。と、黙っていた秋良が口を開いた。
「やっぱり、数が多すぎたな。あれじゃあ敗北にするのも多少無理があるっつうもんだ」
「それは、まあ。あったかもね」
周りに聞こえないよう小声で会話し、秋良は深く頷き腕を組む。労働法は二年生からの講義なので、秋良の姿に驚く者もいない。慣れは恐ろしいものだね。
カバンからマイク内蔵の小型カメラを取りだしスティーに接続する。画面が勝手に点灯してカメラの映像が繋がれ、ホワイトボードが写るよう向きを修整した。そこで初めて秋良が僕の手元に気づいた。
「なんちゃあ。機械音痴の明日公がスマホで講義の録画するなんて、明日は雪でも降るぞ」
「失礼な。それぐらい出来るよ」
実際はスティーがやってるんだけどね。
秋良は物珍しそうに僕の顔を見て、スティーとやよから借りたカメラを見る。と、なにかに気がついた。
「もしかして、そいつが例の椎名先生が作ったって言う……?」
「もう知ってるんだ。そうだよ」
秋良の細い目がパカッと見開かれ、差し出した手がプルプルと震えながらスティーに伸びていく。だけど自制心が打ち勝ったようで、途中で手が握られた。労働法の教授が教室に入って来たのが分かったのだ。泣く泣く、といった顔で僕を見ると、間近に寄せてきた。思わず身体が引ける。更に近づく秋良が呟いた。
「後で、必ず触らせてくりゃあ」
「はいはい。分かったから」
必ずだぞ、と念を押してやっと身体を引く。同時にチャイムが鳴り始めて、教授が講義を初めだした。といっても初回でまだ履修登録すらしていないので、労働法の基礎的なことしか話さないと思う。隣を見ると、秋良は腕を組んだまま細い目を更に細くしてぶつぶつ言いながら教授を睨んでいる。還暦を過ぎている教授が、ちらちらとこちらを見ながら少しだけ震えていた。
秋良はポンチョ愛用者で講義も必要最低限しか出席しないグータラな変人だけど、実はIQ百何十で常人を遥かに凌ぐ知能と未曾有の知識量を持つ、自他共に認める天才だ。本当なら英華大よりもレベルの高い大学に行くべきだったし、高校にも様々な大学から推薦の話来ていた。更にいってしまえば高校のレベルも秋良に見合ったものじゃなかったのだけど、秋良は、わざわざ普通の高校や大学に通うことを選んだ。
理由は簡単。彼が変人だからだ。
これも一つの要因なんだけど、もう一つ、大きな要因がある。それは、秋良が悪役の外部協力者をしているということだ。役職は戦略プランナー。つまり悪役が行う作戦の立案をする仕事なのである。
僕と秋良が知り合ったのもその縁で、偶然同じ高校だったことから友達になったのである。僕にいった第一声が「なんちゃあ、意外に小さいんだな」だったことからも彼の変人ぶりが伺えるだろう。更に、秋良は敗北専門の戦略プランナーであることからも、彼の変人らしさが分かると思う。凡人に天才は理解出来ないね。やよを椎名先生って呼んでるのも理解出来ないんだけど。変人通し、いや天才通しなにか通じるものがあるらしい。
講義は着々と進んでいて、九十分は意外に早く経ちそうだ。確かに判例重視で難しいけど分かりやすくて面倒ではなさそうである。その次は五十分の昼休み。
その次は、待ちに待ったゼミの時間だ。