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僕の仕事は悪役です。  作者: 朝丘ひよこ
第二章 日常と異常のコントラスト
11/26

ある彼女の回顧録

新章、スタートです。

 彼女はこの世界において、とても特別な存在であった。


 彼女は世界に産まれた時から英雄と呼ばれ、そして英雄として育てられて来たのである。


 産声を上げて泣きじゃくる彼女が初めて触れたこの世界の空気は、彼女にとって、善くも悪くも普通のものとは異なっていたのである。なにも知らず、なにも思わず、なにも考えず、ただただ涙を流す彼女を、この世界は英雄という歪んだ存在でしか受け入れられなかったのだ。彼女の濡れた金色の髪は世界を救う奇跡の証と褒め称えられ、呼吸をするために発する叫び声は雄々しく高鳴る勇者の象徴と崇められ、生きるべく全身から放たれる異能の輝きは御仏が与えた後光と奉られた。それがただのニューセンスによる副作用であるということは、その場にいた全ての者に隠されていた。都合が悪い、という欲にまみれた権力者達の吐き捨てるような言葉によって。


 彼女の真の存在を知るものは、不幸にも、遠く離れた所にいたのである。


 彼女は産まれてすぐに施設にいれられた。なぜなら、彼女の異能は彼女自身にとっても、また彼女の家族にとっても非常に危険だったからだ。ニューセンスを使うことは彼女にとって呼吸をするのと同じくらい容易なことであり、また泣くことと同じくらい日常的なことである。はからずも彼女のニューセンスはひどく攻撃的であったため、親元で暮らせる許可がおりたのは五歳を過ぎてからであった。それまでに彼女は言葉を覚え、同時にニューセンスの制御を覚えさせられた。力を使うこと。それは危険であり必要な場面でのみ許されることだと教えられた彼女は、五歳にして自分の存在に疑問を感じるようになっていた。彼女がいた施設には多くの先天的センス保持者がいたのだが、彼女のように過敏に発現させた子どもは他におらず、どちらかと言うと制御よりも誘発させる教育が常であった。彼女は異能を持つ者の中でも、稀な存在であったのだ。


 彼女は家族と暮らし始めて、自分は普通ではないことを初めて体感した。ニューセンスを持たない家族の元に産まれたセンス保持者。ニューセンスを使うことを禁じられ、普通に生きることを強制される毎日。小学校に入学したものの、クラスメイトの怯えを敏感に感じ取ってしまった彼女は学校に行く事を辞めてしまった。自分は世界にとって異質な存在なのだ、と知ってしまったのだ。それから彼女は同じ先天的センス保持者である女の子と出会うまで、暗い自室に籠って生きるようになった。彼女から発せられる光に照らされた、暗く重く苦しい部屋の隅で、息を潜めて静かに時間を浪費していった。


 静かに、ただただ静かに、心を殺して生きていた。


 同じく英雄として育てられた女の子に自室の扉を蹴破られてからは、彼女は普通の人間の人生に僅かだか触れられるようになった。何気ない日々の楽しみを無邪気に喜ぶ同い年の子ども達に触れ、彼女は自身の存在についてもう一度深く考えることにした。自身はどうして生きているのか。なぜこのような力を持っているのか。英雄とは一体なんなのか。


 この時の彼女を撮った一枚の写真がある。中学校の入学式の際に撮られた写真で、親友である少女と並んで学校の校門に立っている。真新しい制服に包まれ所在なさげに立ち尽くす女の子の姿は、一見してぎこちなさが感じ取れる不思議な一枚である。彼女の髪は年を経る毎に輝きを増していくが、対称的に表情からは年相応の明るさが消えている。隣に立つ少女に合わせたような微笑みを浮かべてはいるが、美しいアンバーの瞳は黒く濁っていて、見るもの全ての存在を懐疑しているかのようであった。


 中学生になった彼女は、英雄としての本格的な戦闘訓練を受けることになった。戦闘特化のニューセンスを持っていたため、通常は十五歳から受ける訓練を彼女は特別に十二歳から始めさせることになったのである。再度センス保持者に囲まれる生活が始まった彼女だったが、それでも彼女に対して良い影響を与えることになった。彼女は生まれて初めて自身のニューセンスの本来の使い方を教わることが出来たのである。それは指導役が引退してはいても日本有数のニューセンスの使い手だったことと、その指導役が英雄という存在について深い知識を持つ知識人だった、という二つの偶然が結果的にさいわいとなったのである。


 その後、強力な権力者の娘であった彼女の友人も、共に訓練を受けるようになり、彼女は僅かながら幸せを感じる生活が送れるまでに成長していた。身体的にはニューセンスの副作用から来る溢れんばかりの生命力によって過度に成長してはいるものの、精神的には未だ幼い小学生時代の記憶に縛られており、表層でいくら大人ぶっても深層は幼児のままである。しかし幸せを感じることによって、彼女の精神は緩やかながら確実に強き心を得始めていた。


 訓練が始まって一年が経ち、彼女と友人に実戦へ参加する命令が下った。初の戦闘であり、亜悪との初めての邂逅である。指導役である元英雄と友人が一緒だったが、彼女は非常に冷めた心持ちでその命令を聞いていた。亜悪という存在をよく知らなかったこともあったが、なにより、戦うという明確な行動に対して理解が出来ていなかったのである。今まで自身のニューセンスを使うことはあっても、敵意を含ませた攻撃をしたことがなかった彼女は、自らの意思で戦闘行為をする亜悪たちを得体の知れない不可解な存在として認識していたのである。そんな訳の分からない不気味な存在に対して、彼女は戦うという行為が果たしてとれるのか、と一人冷めた疑問を抱いていた。


 英雄は亜悪と戦うために訓練する、ということは理解していた。また亜悪は市民に害をなす、ということも理解していた。だが、英雄は市民を守るために戦う、という帰決に至ることがどうしても理解出来なかったのである。どうして英雄は市民を守らなければいけないのだろうか。なんで英雄が市民を守らなければいけないのだろうか。その疑問を口に出してはいけないと分かっていても、彼女は、そのことが頭から離れなかった。彼女はその先のことまで考えが至ることはなかったが、結局の所、彼女の疑問はある前提を懐疑するものであった。


 それは、市民に英雄と亜悪は含まれないのか、という、誰もが疑問にすら思わない重大な矛盾であった。


 命令が下ってから三日後、亜悪が街に現れた。それはよく晴れた昼下がりで、人通りの多い繁華街のど真ん中だった。すぐに指導役の元英雄は彼女と友人の二人を連れて、戦闘がよく見える建物の上層階に向かった。戦闘は激化しているらしい。向かう途中で検問があり、車で進むことが出来なくなった。即座に車を捨て裏通りを伝って爆音の中心地へと走り出す。半狂乱の人波に逆らい三人が建物に着いたのは、戦闘が乱戦に入った直後であった。道路は無惨にもクレーターのような穴がいくつも開いていて、嗅ぎ慣れない硝煙の煙を吐き出す無数の銃口から鉛玉が幾多となく四方へばら蒔かれ、野獣のような咆哮と人のものとは思えない叫び声が、ありふれた繁華街を異形の世界に仕立て上げていた。彼女は防弾ガラスの窓を開け、下を見た。


 そこで彼女は、一人の闇を見つけた。


 結んだ漆黒の髪を振り回し、影が染み込んだような黒いコートで飛び回り、暗闇を編み上げたような質感のマフラーで鼻から下半分を隠し、闇を固めて創ったとしか見えない純黒の大鎌で、周りを取り囲む三人の英雄と戦う一人の亜悪。真昼の世界に夜を一滴垂らしたような、ただそこにいるだけで全てからズレているといった形容し難い違和感が彼女の胸の中に浮かんだ。彼は大鎌を器用に振るい英雄が放つ氷弾を切り伏せた。鎌はS字とL字の中間のような形だが、柄の長さだけで彼が両腕を広げた分ぐらいある。刃に至っては背丈を余裕に越しているだろう。重量も中々のはずだ。しかし彼は軽々と片手で構え、英雄が突き出した丸太ほどの太さがある野獣の豪腕を押し返した。隙を狙って死角から飛来した鞭ですら身体を捻って避けてしまう。キャリアを積んでいるはずの英雄が三人がかりであるというのに、彼は、余裕で戦っていた。彼女は彼を見て即座に分かった。


 彼は、笑っている。


 それは不思議な感覚だった。彼女の持つ光の異能と対極の存在である闇の異能を持つ男に、彼女はなぜか親しみのような感情を覚えていた。光と闇。白と黒。輝きと暗がり。彼女の心は燃え上がったように高揚し、気がついたら窓を踏み出し空へ飛び降りていた。冷静な判断など微塵もない。ただただ激情のような本能故の行動だった。意識せぬ間に雄叫びが上がっていた。


 それに一番驚いたのは、くだんの彼であった。頭上から幼い女の子の覇気に溢れた叫び声が降ってきて、見上げると光り輝く髪の中学生が落ちてきているのだ。即座に反応出来ず、右手から煙のように薄い闇を彼女に放っただけであった。もちろん、押し返す程の威力はない。闇を切り裂き地面に降り立った彼女は、右手に光を凝縮させ、飾りも何もない十字の光剣を創り出し、本能のままに切りかかった。普段の訓練で得た技術など遥か彼方へ消え去っていた。太刀筋も構えも適当の、無為無策な一撃である。彼は冷静に鎌を構え、光剣を防ぎ押し飛ばした。吹き飛ばされる彼女。


 しかし、彼女は空中でひるがえり、また飛び掛るように光剣を振るった。上下、前後、左右。彼も戦う気になったのか、鎌を両手で握ると彼女を狙い始めた。


 呆気に取られていた英雄たちであったが、すぐに彼女を彼から引き離そうとした。彼女はまだ訓練生だ。亜悪と一対一で戦えるような力量はない。間に割って入ろうと進み出たが、それも叶わなかった。


 彼女は光だ。そこには絶対の速度がある。英雄たちはついて行くことすら不可能で、逆に対等に争っている彼が異常なのだ。地面を蹴ったかと思うと空中から斬撃が落ちてきたり、はたまた右に飛んだかと思えば彼の後ろに回りこんでいたり。飛び、跳ね、転がり、空を切り、残光だけを残し彼女は光の化身となっていた。それでもなお、彼は笑っていた。


 彼女は戦いながら、初めて生きていると感じていた。生きている。命を使っている。身体を操っている。ただ呼吸をし心臓を動かしているのではない。明確な命の息遣いが彼女の中で初めて動き出している。生まれて初めて全力でニューセンスを使って戦っている。彼女は闇という対極の存在を目の前にして、初めて光の存在に意味を見出していた。


 彼は大鎌を振り払い、何かに気づいて彼女から飛び退いた。鎌を入念に調べ、彼女を鋭い目つきで見据えた。夜のとばりのような戦場にいるとは思えないほど穏やかな瞳だ。彼は大鎌を放り捨てた。驚く彼女を見て道化どうけた動きで両の手を合わせ、とてつもない量の闇を凝縮させた。濃く集め過ぎて闇と空間の境目がはっきりと分かれている。手を広げていくと、純黒の刀身が手の中で伸びていく。


 現れ出たのは、切っ先から細く闇が流れる刃のない直刀であった。長さは先ほどの大鎌より格段に短い。彼は右手に直刀を構えると、切っ先を彼女に向けてゆらり、と近づいていく。それを黙ってみているはずもなく、彼女も彼に踊りかかった。だが受け流される。直刀はどうやら守り専門の防具のようだった。それを肌で感じ激昂する彼女。それを鼻で笑いまた軽々と避けられ、無残に地面に倒れこむ。仕留めるどころか追撃すらして来ない彼に、彼女は何度も光撃を繰り出した。その度に受け流される。


 彼女は戦いながら、今までにない思いが湧き上がってくるのを感じていた。亜悪であるこの一人の闇に対して、なにか欲するような感情だ。


 彼に近づきたい。戦いたい。れたい。話したい。さわりたい。離れたくない。殴りたい。殴られたい。斬りたい。斬られたい。もっと見たい! もっとかんじたい! もっと知りたい! もっと触れていたい! もっと一緒にいたい!! もっともっと戦いたい!!!


 彼を倒したい!!!!


 だが、願い叶わず、戦闘はその後すぐに収束した。亜悪たちが煙にまみれて逃亡してしまったのだ。当然彼女は指導役の英雄にきつく怒られた。作戦指揮官にも怒られた。彼と戦っていた三人の英雄にはさらにきつく絞られた。至極当然である。


 その後、彼女は正式に英雄となり、神名を拝命し、幾度となく彼と戦うことになった。


 しかし彼女は、未だに彼女の中に蠢く感情がなんなのか、一切分かっていなかった。だから、彼女は日々深く思考し、彼を倒すために訓練する。


 よく分からないがひどく熱く、また甘ったるいこの感情がなんなのか知るために。



―――――――



「あーたーらしーいーあーさがーきたーきーぼーおのーあーさーだー」


「ごめん起きたおきたからお願いもう止めて」


 耳元で息継ぎなくエンドレスで歌われている希望の朝に深い絶望を感じて、僕は声の発する先に手を広げて精一杯懇願する。声は仕方ないとでも言わんばかりの深いため息を吐いて、気持ちよく歌うのをすんなり止めた。


 ここは住み慣れた十畳の我が家。窓の向こうは苛立つほど爽やかな快晴。睡眠を要求する身体に鞭を打って布団をずらし、ぐるりと身体の向きを変えた。充電器に差し込んだ携帯を手探りと掴み取り、画面を開いて時間を確認する。携帯があると時計やカレンダーなどの機能が全部入っているので、これひとつでなんでも済ませる癖がつくのだ。今の時間は八時三十分。頼んだ通りの時間ではあるが、いかんせん起こし方に問題があった。有りすぎだ。


「アスキサンわざわざ携帯見なくても時間なら教えてあげますよー?」


「スティー……その継ぎ目ない話し方、なんとかならないかな?」


 額に手を当て、僕以外誰もいない・・・・・・・・部屋に向かって話しかけた。……いや、これは少し語弊があるから言い直そう。


 僕はベッド横の机の上にある、タッチパネル式のスマートフォンに向かって話しかけた。スマートフォンは触ってもいないのに、画面に明かりがついている。中にいるのは、二足立ちしている白地に黒い縞の入った若干デフォルメされた


 ネコが僕を見て口を開く。


「知識的には蓄積してありますがこの話し方以外経験していないので無理ですねー」


 愛らしく、ひどく愛らしく小首を傾げたネコ――通称スティーは、僕に向かってにへらっと笑いかけた。


 なぜこんなことになったのかは、昨日、月曜日にさかのぼる。



 

ひねくれてます。ええ、ひねくれてますとも。

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