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結婚六年目、会話のなくなった夫婦ですが、イオンモールごと異世界に転移したので、はぐれないように十年ぶりに手を繋ぎました

作者: 麻辣テン
掲載日:2026/07/06

 日曜のイオンに向かう車の中、私たち夫婦は今日もひとことも喋っていない。


 喧嘩をしているわけじゃない。ただ、これといって話すことがないのだ。流れているラジオからは知っている声がするが、誰だかパッと思い出せない。誰だっけこれ、絶対知ってる。


「ねえ、これ誰の声だっけ」

「あー、だれだっけ、俳優?あ〜、知ってるけど」


 役に立たないな。


「……てか、キムタクじゃん。めっちゃキムタクだわ」

「ああ〜たしかに」


 キムタクすらさっと出てこなくなった夫婦の頭、心配すぎるだろ。


「……今日、夜、何食べたい?」


 広がらない話を変えようと聞いた私に、夫の裕太はハンドルを握ったまま答えた。


「なんでもいい」


 ……出た。世界で一番困る返事。「なんでもいい」が一番めんどくさいって結婚六年目の妻はもう全員知ってると思う。いや、結婚一年目だって知っている。


 私、宮本美咲、三十六歳。夫の裕太は四十歳。結婚六年目、子供はいない。休日の予定はだいたいイオン。それも「デート」ではなく「生活」だ。トイレットペーパーと、洗剤と、裕太の靴下。一週間分の食料と、誘惑に負けてしまうサンマルクのチョコクロ。ロマンチックの欠片もない買い物リストが、私の脳内のメモ帳に並んでいる。もちろん脳内のメモ帳はもうボロボロでよく買い物は取りこぼす。


 昔は違った。付き合いたての頃、初デートもこのイオンだった。田舎だから他に行くところがなかったというのもあるけど、フードコートのうどん一杯で三時間笑っていられた。新しいタピオカ屋ができれば試しに二人で分け合った。あの頃の私たちは、ストローと共に飲み込んでしまった。


 立体駐車場の二階、いつもの区画に車を停める。


「俺、本屋いるわ」

「はいはい。十二時にフードコートね」


 これも定型文。イオンに着いた瞬間、夫は本屋かゲーセンに消える。私は日用品コーナーと食品売り場を回遊する。夫婦で来た意味とは?


 裕太が上りのエスカレーター、私は下のエスカレーターに乗って個人行動になる。一階で私はカートを引き抜いた。カートの持ち手がちょっと湿ってて嫌な気持ちになるのも、いつも通り。


 ――いつも通りは、そこで終わった。


 午前十時十七分。


 モール全体が、ぐらりと揺れた。


 地震かと思って身構えた瞬間、視界が真っ白になる。ゴム紐を限界まで引っ張って離したような、内臓がひっくり返る浮遊感。悲鳴。カルディのトマト缶が崩れて転がっていく音。


 *


 光が引いたとき、館内アナウンスのチャイムが、場違いなほど呑気に鳴った。


『お客様にご案内申し上げます。当モールはただいま、異世界に転移いたしました。繰り返します。当モールはただいま――』


 ……はい?


 私は出入口まで走った。自動ドアの向こうにあるはずの駐車場と国道と、向かいのニトリが、なかった。


 代わりに広がっていたのは、地平線まで続く草原。昼間なのにうっすら空に浮かんでいる月は、二つあった。


 スマホは圏外で、真っ先に浮かんだのは彼のことだった。


(裕太、どこ!?)


 止まっているエスカレーターを駆け上る。三階の本屋。雑誌コーナーにいない。文庫の棚にいない。心臓がばくばくした。異世界転移よりも、この広いモールで夫と連絡が取れないことのほうが怖いって、どういうことなの。


「美咲!」


 新書の棚の陰から、裕太が飛び出してきた。血相を変えて、私の両肩を掴む。


「無事か!? 怪我は!?」

「な、ないけど……」


 肩を掴む手が、震えていた。ああ、この人も私を探して走り回ってたんだ。棚の間を、血相変えて。


「外、見たか」

「見た。草原だった。月が二個あった」

「マジかー……」


 裕太は天井を仰いだ。そして、ものすごく実務的な声で言った。


「とりあえず、はぐれないようにしよう」


 差し出された手を、私は三秒くらい見つめてしまった。え、手を繋ぐの、何年ぶりだろう。たぶん、五年ぶりとか、そういうレベル。最後に繋いだ記憶すらない。


「……えぇ」

「いや、別に、非常事態だしいいだろ」

「じゃあ……」


 自分の手も湿っているし、手を握る勇気はなかったから、腕を組んだ。まぁ、これでいいだろう、と歩き出す。夫と手もつなげないなんて、昨日見ていた韓国ドラマのヒロインも真っ青だ。


 *


 モールに残っていた客と従業員は、あわせて二百人ほどで、イオンモールの全てが転移したのではなく、どうやら一部分のようだった。


 店員らしき人が中央の吹き抜けで拡声器を持って叫んでいる。食料は食品売り場に山ほどある。水も、電気もなぜか生きているらしい。パニックは、思ったより早く収まった。日本人、こういうときすごい。子供達は外の草原に行きたそうだが、さすがに親に宥められている。


 問題は、昼過ぎに起きた。


「な、なんかきます!!敵!?」


 誰かが叫んで、入口のガラスの向こうを指差した。


 草原の向こうから、騎馬の一団がこちらに向かってきていた。銀の鎧。掲げられた旗。ファンタジー映画で見たことがあるやつだ。いや、イメージ通りすぎてこんなの見たことないかも。大沢たかおの王騎を思い出してしまった。


 先頭の騎士が馬を降り、自動ドアの前に立つと、ドアが、ウィーン、と開く。


 騎士は飛び退いた。


「なんだこれは!?……門がひとりでに開いたぞ!? やはりこの神殿、伝説の……!」


 イオンが、神殿?


 騎士団長と名乗る厳つい男の人は、警戒しながら中に入ってきて、エスカレーターの前で完全に固まった。


「階段が……動いている…………だと?」


 後ろに続いていた小柄なエルフの女の子が、ぴょんとエスカレーターに飛び乗って、目をまんまるにした。


「団長! 乗るだけで上に運ばれます! これは労働の概念を覆す魔導装置です!」


 こうして、剣呑な空気は数分で終わった。彼らはこの国の調査団で、草原に一晩で出現した「白亜の大神殿」を調べに来たらしい。どうやら私たちを殺す気はいまのところないようだけれど、腰に帯びている大きな剣を見ると背筋がゾッとする。


 *


 夕方、調査団二十名をフードコートでもてなすことになった。私と裕太は、店員が一人しか出社していなかった某亀うどんの厨房でうどんを茹でることになる。他の人は、某白いヒゲのおじいさんのフライドチキンを揚げていたり、某緑色のパチパチするアイスを丸めている。


 ここで私は、夫の意外な姿を見ることになった。


「はい、天かすはお好みでどうぞ。ネギはそこです。……ああ、団長さん、器けっこう熱いんで気をつけて」


 裕太が、てきぱき動いていた。湯切りの手つきが妙に堂に入っている。そういえばすっかり忘れてたけど、この人学生時代に讃岐うどんの店で四年バイトしてたって、付き合ってた頃に聞いたかも。


「なぁにこれ!? おいしい!! 温かい麺!? いくらでも食べられる!」


 エルフの女の子、セラちゃんは、うどんに感動して頬を上気させて喜んでいた。騎士団長は無言で三杯おかわりしていた。


「ミサキ殿。あの男性は、あなたの伴侶か?」


 騎士団長が、厨房の裕太を顎で指す。


「ええ、まあ。夫ですね」

「良い連携だった。あなたが器を並べ、彼が汁を張る。一切言葉を交わさずに、だ。長年連れ添った戦士同士のようだった」

「……いや、あれは、単に会話がないだけで」

「? 言葉が要らぬほど通じ合っている、ということだろう」


 私は返事に詰まった。


 言われてみれば、そうなのだ。私が器を出せば、裕太は黙って汁を張る。私が「あ」と言えば七味が出てくる。会話がないことを、私はずっと「冷めた」だと思ってた。でも、隣で見ていた異世界の騎士には、それが「通じ合ってる」に見えたらしい。


 *


 夜。調査団は一階の催事場スペースで野営(室内なのに野営)することになり、私と裕太は無印良品の売り場の隅で、展示品のソファに並んで座っていた。売り場の人が「もうこの際なんでもアリなんで」と言ってくれた。今日二回目に聞くセリフだ。ついでにトップバリュの酎ハイもくれた。


「なあ」


 裕太がぽつりと言った。


「昼、おまえ探して走ったとき……ちょっと、死ぬかと思った」

「大げさだな〜」

「大げさじゃない。本屋出て、売り場めちゃくちゃになってて!異世界がどうとかじゃなくて、『最後にちゃんと話したのいつだっけ』って……」


 私は手元の安い酎ハイを見ていた。


「……『なんでもいい』が最後だったら、嫌すぎたね」

「な。俺もそう思った」


 裕太は笑って、それから頭を下げた。


「悪かった。『なんでもいい』、あれ、ほんとは『おまえの作るものなら何でもいい』って意味なんだけど、省略してました」

「省略しすぎ。十年分利子つけて返して。……じゃあ、家帰ったら、うどん、打ってよ」


 窓の外で、二つの月が並んで光っていた。ソファの上で、私たちの肩は、いつの間にかくっついていた。


 *


 翌朝、事態が動いた。


『お客様にご案内申し上げます。当モールは本日午後五時をもちまして、元の世界への帰還を予定しております』


 館内が歓声で沸いた。アナウンスは続けた。


『なお、帰還にあたりましては、お客様ご自身がこのイオンの「はじまりの場所」にて「はじまりの気持ち」を思い出していただく必要があるそうです。お忘れ物のないよう、ご注意くださいませ』


 ……最後のが謎かけすぎる。


「はじまりの場所って何? 入口?」


 正面口に行っても何も起きない。スーパーに隣接している別の出口、従業員出口、どこもハズレ。


 考え込む私の隣で、セラちゃんが言った。


「この神殿は、たぶん『想い』で動いてる。はじまりの場所は、人それぞれの場所なんじゃない?」


 人それぞれの、はじまりの場所。


「「ゲーセン!」」


 声が十年ぶりに揃う


 三階のゲームセンター。十年前の初デートの日、緊張しすぎて会話が続かなくて逃げ込むように入ったゲーセンで、裕太はUFOキャッチャーに三千円溶かして、なんの作品のものでもないクマのぬいぐるみをとってくれた。おもちゃ屋さんで買った方が安いね、って二人で笑って、そこからやっと、普通に喋れるようになったんだった。


 寝室の棚にいるあのクマ、何度か捨てる機会もあったけれど捨てられなかった。


 ゲーセンに走ると、UFOキャッチャーの中に、見覚えのあるクマのぬいぐるみが一体だけ、ぽつんと座っている。先週、この台の景品は全部トイストーリーのキャラクターだったのに。


「見てろよ。十年前の俺とは違うから」


 裕太は財布から五百円玉を出して、腕まくりした。


「三千円までだよ」

「よく覚えてんな。いや、今の俺は五百円でいける」


 一回目、掴んで数センチ動いてポトリと落ちる。二回目、体側が獲得口に動く。三回目、頭側もすこしずれる。


「え、なんかうまくなってない?」

「TikTokで研究してる」


 熱心に見ているショート動画、それか。


 六回目で、アームがクマの胴体を浮かした、あ、いける!!


「「よっしゃーー!!」」


 二人でハイタッチした瞬間、取り出し口から光が溢れた。


 足元から浮遊感。とっさに裕太の手をぎゅっと掴むと、裕太も握り返してきた。非常時だから、じゃない、あたたかい握り方だった。


 *


 気がつくと、モールの窓の外には、いつもの駐車場と国道と、向かいのニトリがあった。


 館内は歓声と泣き声と、なぜか拍手で満ちていた。あとで知ったけど、元の世界では「イオン、一日消失」は大ニュースになっていて、私たちはしばらく取材やらなにやらで大変だった。それはまた別の話だけど。


 別れ際、セラちゃんは私にこっそり言った。


「ミサキさん。この神殿、たぶん『想い』に反応して転移したって言いましたよね。……誰かの『昔に戻りたい』って想いだったのかも?」


 誰の想いだったのかは……私かもしれないし、裕太かもしれないし、案外、日本中の夫婦の分の積立だったのかもしれない。


 *


 次の日曜日。私たちはまた、イオンに向かう車の中にいる。


「今日、何食べたい?」


 私が聞くと、裕太はハンドルを握ったまま、ちょっと考えて答えた。


「アサイーボウルの店が新しくできたらしいんだよ」

「え、そんなもの食べる人だっけ」

「食べたことないから」

「はいはい」


 信号待ちで、裕太の左手が私の手に重なった。十年間ただの相乗りだった日曜のイオン、今日からはまた「デート」になっていた。


 ラジオからは今日もキムタクの声。脳内の買い物リストの最後の行には、こう書いた。


 ――手を繋いで歩く!


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