①廃墟の旧サナトリウム
ホラー層の読者のみなさま
はじめまして
逢七と申します
「わあ、海だーー!!」
後部座席から、江梨花のはしゃぐ声が聞こえ、瞬間、車内にはびゅおっと大量の風が流れ込んだ。
車窓からは小さな観覧車とその奥にきらきらとした海の端が見える。
「お~~い、高速だぞ!? 窓、開けるなって!!」
「ごっめ~~ん。だって、海だよ? 日本海の風、もっと感じたいやん!」
オートウインドウのクローズ操作をしながら、江梨花は隙間から入ってくる突風に目を細めている。
そんな彼女の風で乱れた髪をさわさわと撫でて、わざとなのか? 隣座席の蒼空が窓の外を覗いた風に彼女と距離を縮めた。
「日本海って色が違うよな。俺も近くで見てみたい。どこかで降りちゃおうぜ? な、大河。」
バックミラー越しに、俺にウインクをして蒼空が言った。
「はいはい、りょーかい。っとその前に、せっかくの海だからさ。なあ、まゆこ、そのCD取って?」
「これ? いまどき、CDなんて珍しいね? しかも情報専攻の大河がアナログなんて、意外だわ。」
助手席に声を掛けると、青いジャケカのついたそれを、日に翳すようにして見てから、まゆこがぱかっと中を開く。すると、きらきらのドーナツで乱射した真夏の日差しがぱぱっと車内に飛び散った。
カーナビのウインドウを開いて、2ミリの隙間に滑り入れるとすぐに曲が始まる。
「こういうのも、なかなかいいだろ?」
「うん、そだね。うちの親も、好きって言ってたわ。」
「そうなんだ? 俺も、それ、親から借りたやつ。」
サザンオールスターズの「あなただけを」が流れる車内。
ちらりと横目で見れば、膝を抱え込むように座るまゆこの、綺麗な耳たぶから下がったピアスの白い玉飾りがゆらゆらと揺れていた。
正面を見つめたままの横顔は、よかった、だいぶ落ち着いてるかな?
「ごめんね。まゆこが、怖いものニガテって知ってたら、さっき行くの止めたんだけど。」
後ろ座席には聞こえないくらいの小声で言うと、まゆこはばっと俺を見て、瞬間、左腕に鈍い痛みが走った。一体何かと思えば、むすっと口を尖らせたまゆこが、俺の左腕をぐっとつねっている。
「うっそだぁ。知ってたら、きっともっと、脅かすに決まってる!」
「そんなこと、ない。・・・ってぇ。な? ごめんってぇ。そろそろ、離して? そろそろ食い込む。」
はあ。と聞こえるように大きくため息をついて指を離すと、まゆこは、また黙り込んだ。
・・・だいぶ、怒ってるかな、これ。
俺たち4人は、長い夏休みを利用して、京都から日本海側を抜けて東京まで、長いドライブを楽しんでいる。大学2年、同級生同サーの俺らは、関西地元の江梨花、新潟出身の俺、そして埼玉、東京へと、
「夏だしな。地元の夏といえばここスポ巡りだな」
って盛り上がって出発した、そういう旅だった。
それで一昨日昨日は江梨花のガイドで、そして今日明日は俺の番だったから、金沢から富山に抜けて、さっき、廃墟の旧サナトリウムに立ち寄ってきたところだ。
「ここ、『肝試しスポット』で有名なんだよ。いかにもな廃墟だろ?」
鬱蒼とした山間にたたずむ廃屋は、ツタが生い茂り、あちこちの割れたガラスには、立入禁止の黄色いテープが×に張られて、行く手を阻んでいる。
「え、なになに? 中入るの?」
屋外階段の下、砕けたコンクリの破片が散らばるポーチの奥に蝶番の外れた鉄扉、その開口枠に黄色いテープの先が、ぶらりと垂れ下がっていた。
そのテープを簾のように避けて踏み入ると、足裏でかちゃりと割れたプラスチックの音がする。もとは避難誘導灯だったのだろうか、欠けた緑の照明カバーが床下に無造作に落ちていた。
「さっき、俺らのほかに車2台停まってただろ? 先に入ってる人がいるみたいだ。それにまだ昼だし、大丈夫だよ。」
そうして薄暗く汚れた廊下を進む。俺が先頭で、次に蒼空。
その後ろに江梨花とまゆこが、くっつきあって。
「きゃっ。」
小さな悲鳴が上がって振り向くと、江梨花がまゆこに抱き着いて、天井を見上げていた。
ぴちゃん、と水音がする。床に出来た直径50cmほどの水溜まりに波紋ができた。
「雨漏り、だな。」
「た、大河はなんで、そんなに平然と言うん!? もう、やだぁ! 蒼空ぁ。」
江梨花はそう言って、蒼空の腕にしがみついた。
ああもう、なんだよ、そこ。顔染め合ってんじゃねぇよ。
「まゆこは、大丈夫か?」
「え・・・えぇ、な、なんとか?」
持っていたバッグをぎゅうっと両腕で抱えるまゆこに、ちっと内心舌打ちして、再び歩を進めた。
「ここはさぁ、もうだいぶ昔からこうなんだけど、実際に事件だって、あったって言うよ。うちの母さんが若かった頃だから、たぶんもう20年以上前? ここに肝試しに行くって言って出かけたカップルが行方不明になったんだ。」
しれっとそんな話をしながら、廊下の角を曲がると、中廊下のせいか昼なのに暗い。空気がひんやりとして、体感的には数℃下がったみたいだ。
俺はスマホのライトをオンにして、先へと進んだ。
「なあ、それって、どうなったんだよ? もちろん、ちゃんと、見つかったんだろ?」
いつもより少し高い蒼空の声がする。
はっ、なんだよ、びびってんな。
俺はくるりと振り返って、ライトで顎下を照らした。
「見つかったよ? 遠く離れた県境の海岸で。」
「え、それって、まさか。」
「・・・そうだな。まあ、ご想像通り? 目撃証言もあったりなかったり、謎は残るけど、『事故』で片付いたみたいだね。」
そして、俺らはしばらく沈黙しながら、中廊下を進んでいく。
規則正しい間隔で並ぶドアの小さな光窓は明るかったり暗かったり、試しにどこかのドアを開けてみても良かったのだけど、なんとなく躊躇われたのは、誰かのテリトリーに入るみたいで、どうやら、俺も少しはびびってるようだ。
でも表には出さないようにしながら、すたすたと歩く。
スマホのブルーライトで照らされた床には、長年で溜まった土埃や生き物の糞らしきものに、ところどころ、俺らみたいな侵入者の足跡が残っていた。
・・・・・やな感じだな。
うぃん。ひゅぃぃ~~ん。
「ひやっ なんの音!?」
蒼空の二の腕にひっついたままの江梨花の声が、長く続く廊下に響く。
「ちょっと見てくる。」
「えっ!? 大河!!? おい、ちょっ!」
蒼空の声を振り切って、俺は中廊下の角を2度ほど曲がる。
明るい廊下の端が見えた。
ひゅぃんひゅぃん、という機械音は外から聞こえた気がしたから。
固く閉じられている錆びついたサッシの閂を力任せに引き抜き、重い片引き窓をがたがたと動かして外に身を乗り出すと、俺らが入ってきた屋外階段が遠からず見えた。そこに人影がある。
「なんだよ、大河ぁ! 置いてくなんて、ひどくねぇ!?」
背後からはぁはぁと息せき切った声がして、ちっと振り向くと、いかにも走って追ってきましたといった体の蒼空と、息切れて屈みこむ江梨花がいて。
「おい、お前、まゆこは!?」
「は?まゆこ? ・・・あれ?」
「あれ?じゃ、ねぇよ。戻るぞ。」
「・・・あ、ああ。・・・江梨花はここで待ってな。」
「う・・・、うん。」
俺らは、また暗闇の残る廊下へと引き返した。
幸い、まゆこはすぐに見つかって、胸にバックを抱きしめたまま、びくびくきょろきょろと挙動不審な動きをしていた彼女は、俺らを見つけるとだっと駆け寄って、持っていたバックを振り回してきたのだけど。
「ほんとにごめん! 悪かった!! 後で埋め合わせ、するからさ。許して?」
「・・・もう、いいよ。大河が悪いわけじゃないって分かってる。それにしても、私たち、うっかり閉じ込められちゃうところだったんだよ? そうなったら、どれだけ怖かったか・・・! そっちを気にしてほしいわ。」
「だよなぁ。あの業者さんら、あんなタイミングよく、壊れたドアの封鎖に来てるなんてな。もし気づかなかったら、肝試しどころじゃなかったな。」
「ほんとだよ。大河のせいで、こっぴどく怒られちゃったじゃん。」
もう!と言いつつ、機嫌はだいぶ直ってきてるのかもしれない。
たしかに危なかったな。
市の依頼で、防犯のためにと、1階のドアや窓に木板を打ち付けに来ていたのだという。
廃屋内から慌てて出て行った俺らに、彼らもびっくりして、
「兄ちゃんら、こんなところで何しとるがよ! なんかあっても知らんぞ! はよ、出てけや!」
とすごい剣幕で追い出されたのだった。
先にあった2台の車は、彼らのものなのだろう。
それにしても方言ばりばりでこんなに怒られたのは、小学校以来かもな、と思い出し笑いをしたところで、ちょうど曲が切り替わった。
『チャコの海岸物語』が流れ始め、まゆこがぼそりと「いつのまにか海が遠くなっちゃってる。」とつぶやいた。
「ま~~ゆこ♡」
「わっ、蒼空くん。」
蒼空くん、か・・・。
後部座席から助手席に覆いかぶさるように、蒼空が腕を伸ばしている。
俺は彼女の表情が視界に入らないように、前方を見る。
右ウインカーを出して、定速運転の1台の大型トラックを追い越した。
「ねえ、なんの話、してんの?」
「ん~~、さっきの廃墟のこと? 危なかったねって。」
「だよなぁ。ほんと、大河は、天誅だ!! ところで、なぁ、大河あ、海は?」
呑気なもんだな。
俺はバックミラーで後方を確認して左車線に戻ると、ぴっとNAVIのボタンを押す。
「はいはい。次で降りるよ。」
「ん?どこ?ここ? 朝日?」
画面に表示されているIC名を、蒼空は律儀に音読した。
「そうだな。ヒスイ海岸に寄るよ。時間もちょうど夕方だし、朝日じゃないけど、夕日を見ようぜ。」
「え、えっ、何それ!? 蒼空、ちょっと、よいて!」
まゆこと蒼空の間に割り込むように、江梨花もまた身を乗り出してきた。
「日本海に沈む夕日なんて、最っっ高に、ロマンチックや~~ん!!」
そうして、俺らは高速を降りた。
一般県道を走ると間もなく、道は線路と並行になり、すぐそこが海だ!
「ね、ねえねえ、すごい、すごい!!! ほんま海! 大河、もう窓開けてもいいね?」
「ああ。」
江梨花とまゆこが一斉にオートウインドウを下げると、車内のぱたぱたとした気圧が耳を襲う。俺もとっさに運転席の窓を下げると、一気にむんとした熱い空気が充満した。
そこに混じる海の匂い。
「「「海、だあああぁ!!!」」」
俺以外、3人の声が車の走行音を掻き消す。
歩道を走る自転車の、白いヘルメットをかぶった男子高校生の驚いた顔を振り切って、俺たちは橙が混ざりつつある青い大空へと突き進んだ。
本作を選び取り、そして読んでいただきありがとうございます!
公式企画を1回がんばってみよう、そう思って書き始めた本作
全6話で完結となります
各話、少し長め設定ですが、ぜひ最後までお楽しみください
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