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北風と太陽

作者: 青黒

 「あのネタ、イマイチだったな」

そう言うと、必ずあいつは一瞬口を開けかけるが、ぎゅっと子供みたいに口をつぐんで、悲しそうな顔をする。

「……すみません」

そうして、肩を落として楽屋へと帰っていくのだ。

 事務所が違っていて、本当に良かったと思っている。あいつは坂下、相方の倉田と「フィヨルド」というコンビを結成している。誰も傷つけない、優しくてバカバカしいコントを作っている。フィヨルドはとにかく、倉田の動きが面白い。人懐っこく、誰にでも笑顔で接する倉田は皆に好かれている。それでいてポンコツで、イジれば必ず笑いが起きる。一方の坂下は見た目が地味でひょろっとしていて、ぼんやりしている。ライブで芸人たちが集まると、後ろに引っ込む。倉田を前に押し出して、自分はぼんやりその様子を見つめている。だから、俺はわざとあいつを前に押し出す。

「おい、坂下、どうした?」

「……いや、ユウヤさん、つまんなかったなぁと思って」

「おい!わざわざ出てきてそれかよ!」

「坂下、皆思ってたのにあえて言うなよ」

「皆思ってたんかい!」

こうしてうまく切り抜けて、また後ろに戻ってくる。本当に腹の立つ奴だ。


 「俺、辞めて就職するわ」

「……結婚するからか」

「嫁のお義父さんがうるさくてさ。やっぱ売れない芸人は信用ないよ」

「昔よりは食えるようにはなってきたけどな」

「それでも、子供できるとさ」

「……妊娠したんだ」

「うん」

まぁ、じゃあ仕方ないよな。

「……もっと言ってくるかと思ったけど」

「……良かったよ」

「えっ?」

「もう四十だよ。そろそろ限界かなって、考えてた」

「じゃあ、お前も辞めるのか?」

「今更ピンなんてやりたかねぇよ」

「でも、お前はネタ書けるだろ」

「……だからだよ」

あいつの顔が浮かぶ。悲しそうな顔したあいつ、坂下だ。俺はあいつのネタには勝てない。初めてあいつのネタを見た時、確信した。少し荒くはある。俺ならあそこをもっと掘り下げてボケを作るのに。でも、倉田が多分、出来ないのだ。それを坂下は理解している。あくまでも倉田が出来るボケを考えている。あいつはそうやって、いつも自分を消していやがるんだ。本当はもっとちゃんとしたネタを書けるくせに、全ては倉田の為に。

「……作家にでもなったらどうだよ」

相方の声に、ハッと我に返った。

「今のバイト先じゃ、もうすぐ主任なんだ。このまま頑張れば、社員になれるかもしれない。別に番組作りたい訳じゃねぇしな」


 「どうだった?オーディション」

大塚は坂下を見た。坂下は少食なので、うどんも女子並みに遅く食べる。同じ事務所なので、二人はよくつるんでいる。

「……もしかすると兼人だけ呼ばれるかも」

坂下は出会った頃から倉田を名前で呼んでいるが、たまに出るテレビ番組やライブでは名字で呼んでいる。フィヨルドの倉田、としてある程度知れ渡ってきたからだ。

「倉田はリアクションとか最高だからな」

「うん」

大塚はうどんをもぐもぐ食べている坂下を見つめた。この男は芸人とは思えないほどに、ギラギラ感がない。相方に対する嫉妬も全くない。毎日ぼんやり過ごしている。それでいて、バイトはちゃんと出来ているらしい。

「坂下、また合同ライブしない?」

「……そっちは単独ライブ、出来るんじゃないの?」

「ユニットコント、書いてもらおうかと思って」

「またネタ作りサボろうとして」

「だって、お前すぐに書けるじゃん」

「そっちトリオだから、設定考えるの結構悩むんだよ?」

「でも書けるだろ」

「…………」

怒っているのではなく、うどんをすすっている。そして、もぐもぐする。こいつの怒ったところは見た事がない。

「……ほんとは単独ライブ、やりたいけどなぁ」

「そりゃやりたいよ。会場とか押さえられないから合同でやろうって言ってんじゃん」

「考えてる設定とか、結構溜まってきたんだけどなぁ……」

「でも倉田が出来るやつってなると、限られるだろ?」

「難しいのは出来ないし、やらないよ。兼人に合わないだろうし」

「……噂で聞いたんだけど」

「なに、急に」

「『金縛り』、解散するって」

「うそっ!」

坂下は本気で驚いた。こいつはこういう事にまるで興味がない。

「西山さんが結婚するから、辞めるらしい」

「角澤さんは?」

「あの人も引退だって」

「そうなんだ……」

「喜ばないの?角澤さん、よくお前に絡んでたのに」

「褒められた事ない」

「嫉妬してたんだよ。どう考えても、金縛りよりフィヨルドの方が面白いってのに」

「よくそんな事言うね」

「あくまで俺の意見だけどね。でも皆そう思ってるよ」

大塚は笑いに厳しい。その厳しさが、「御殿」がなかなか売れない要因となっている。相方二人は大塚には苦労していて、特に本間は倉田と酒を飲みながら愚痴をこぼしている。無口な佐藤はたまに坂下と食事をするが、大塚の方が仲がいいのでどうやってストレスを発散させているかは分からない。

「俺はあぁいうコント書けないから、すごいなぁと思ってたけど」

「坂下は書かなくていいんだよ。あぁいうコントは」

「そうなの?」

「フィヨルドは平和なネタが売りじゃん。金縛りとは真逆だから」

「そうかぁ」

「大体、書けないだろ?あんなテンポ早くて過激なコント」

「うん、無理」

大塚は実を言うと坂下の後輩だ。同い年なので勝手にタメ口で話しているが、坂下は気にもしていない。だが、大塚は坂下を尊敬している。ユニットコントを一緒に考えた時、坂下は明らかに変わる。ネタを作る時の坂下こそ芸人なのだ。妥協したくない大塚と見事にネタを作り上げ、しかも大塚の想像以上のものが出来上がった。皆、そんな坂下の才能を知っているから、ぼんやりしていても坂下を責めたりしない。角澤以外は。あの人は嫉妬しているのだ。嫉妬しない坂下は、角澤は自分を嫌っていると思っている。確かに嫌っているが、それは嫉妬からなのだ。きっと悔しいのだ。大塚もその気持ちはよく分かる。その事に、坂下と恐らく倉田も分かっていない。倉田は単純に鈍感なだけだ。

「じゃあ、またユニットコント作ろうよ」

「……いいよぉ」

坂下はようやくうどんを食べ終えた。


 すぐに解散するつもりだったが、コントの大会が開かれる事になり、それを最後の仕事とする事にした。最後のネタ作りと練習は、まるで昔を思い出すようだった。正直、楽しかった。金縛りは準々決勝まで勝ち上がった。

「…………」

腹が立つ事に、その大会にはフィヨルドも出ていた。もちろんあいつらも準々決勝まで勝ち上がっている。大部屋の楽屋に入ると、隅の方に二人は居た。倉田は明らかに緊張していたが、坂下は相変わらずぼんやりした顔で座っていた。

「お前らもか」

よせばいいのに、わざと話しかけた。

「あっ、角澤さん、おはようございます」

倉田はすぐに挨拶した。

「おはようございます」

坂下はもう悲しそうな顔になった。また怒られると思ったんだろう。

「顔おかしくなってるぞ」

「緊張して……」

「相方みたいにアホ面してりゃいいんだよ」

坂下は気付いてないのか、黙っている。ムカつく奴だ。

「じゃあな」

これ以上坂下を見ていると、手を上げそうになるので立ち去った。

 「相変わらずイジってくるのな」

倉田は口を尖らせた。

「坂下くん、聞いてる?」

坂下はノートを開いていた。坂下のネタノートは一言一句書いている訳ではない。設定と簡単な手順のみだ。あとは坂下の頭の中にある。

「ネタ、変えようか」

「えっ?」

「いや、兼人ちょっと固いし。設定、こっちにする?」

「大丈夫だって。出来るよ。昨日決めたやつでいいよ」

「……そう」

坂下はノートを見つめた。倉田は深呼吸した。


 「……ごめん」

「まぁ、そういう時もあるよ」

坂下は楽屋にあるテレビを見ている。他のコンビのネタが映っていて、笑い声が聞こえる。緊張のせいだろう、倉田が間違えたのだ。坂下がうまくごまかして倉田のパニックした様がウケはしたが、倉田はすっかり落ち込んで、俯いている。坂下はその横でじっとテレビを見つめていた。

 金縛りがかなり会場を笑わせていた。


 準決勝進出者は公式サイトで発表される。この日はネタライブで、ライブ終わりに大部屋の楽屋で、皆がサイトを見始めた。

「……あっ、坂下くん、俺ら書いてある!」

倉田は坂下の肩を叩いた。坂下は何故か黙って画面を見つめている。

「…………」

角澤は思わず舌打ちした。金縛りの名前は書かれていなかった。角澤は相変わらず隅に居る坂下を見た。

「良かったな、坂下」

ピン芸人のユウヤが坂下の体を揺らしている。坂下は何故か喜んでいなかった。倉田は嬉しくて泣きそうになっている。あの野郎、準決勝ぐらいでは喜ばないってか。こっちは落ちてるんだぞ。もう解散決定だ。これからはバイトだけの生活なんだよ。もう、二度とネタなんかやらねぇんだ。舞台にも立たねぇんだ。それなのに……。

「おめでとう。良かったな、坂下」

先に相方の西山が坂下に近付いていた。お前はこれですっぱり辞められてむしろ清々しささえ感じているのだろう。だが、俺は……。

「坂下、いくら何でもあのネタで勝つなんてズルくねぇか?」

大塚が坂下に近付いた瞬間だった。

「おい!」

気がつくと、坂下の胸ぐらを掴んでいた。細い坂下は体勢を崩して倒れていた。角澤は坂下に馬乗りになっていた。

「あんなグダグタなネタで勝ち上がりやがって!ナメてんだろ、芸人の事!ふざけやがって!」

「…………」

坂下は驚いていたが、また悲しそうな顔になった。

「ちょっと、角澤さん!やめてくださいよ!」

ユウヤが慌てて角澤を坂下から離した。他の芸人も手伝って二人を離した。

「角澤さん、見苦しいですよ。あんなネタでも俺らは負けたんです。こいつに」

大塚は言って、坂下を見た。坂下は悲しそうな顔のまま、黙っている。倉田は顔を真っ青にして坂下に近付いた。

「坂下くん、大丈夫?」

「……すみませんでした」

皆は坂下を見た。

「お前はいつもそうだな」

「すみませんでした」

大塚は坂下を見つめた。これ以上責めたら、感情の起伏が少ない坂下でも、壊れてしまう。

「お前なら、もっといいネタ書けるだろ。あんなネタで勝てたって嬉しくないだろ?」

坂下は俯いている。倉田は坂下の隣で顔を真っ青にして、あわあわしている。

「俺たちの分まで頑張ってくれよ。お前ならやれる」

角澤は大塚を見て鼻で笑った。

「お前はカッコいいな」

「負けは負けですからね。坂下はあんなもんじゃないですよ」

分かってるよ、そんな事は。

「……俺にはもう関係ねぇよ」

角澤は荷物を持って、楽屋を出ていった。あれは多分、倉田が間違えたのだ。坂下がそれをうまくボケに変えたのだ。そんな対応力も評価されての勝ち上がりだったに違いない。それなのに、倉田は無邪気に喜んでいた。坂下はそんな倉田に何も言わなかった。俺なら絶対に怒る。あいつはいつもそうだ。明らかに倉田のミスがあっても、一言も言わない。多分、坂下は落ちたと思ったのだろう。だから喜ばなかった。次はあんなミスをしては勝てない。そう思ったのかもしれない。あいつだけが心の中にモヤモヤを抱えてそれを吐き出しもせず、何事もなかったかのようにぼんやり生きているのが、どうしても納得できなかった。ムカついてならなかった。

「……すみませんでした」

あいつの悲しそうな顔だけが、あの言葉だけが、当分頭から離れない事だろう。最後まで、俺はあいつをいじめた悪い先輩だ。


 ユウヤたちがとりあえず飲みに行こうと倉田を連れて行って、楽屋には大塚と坂下だけになった。

「……俺、落ちたと思ってた」

坂下はようやく顔を上げた。

「そんな顔してた」

「ごめん」

「俺が審査してる訳じゃないからな」

「でも……」

「お前らしいよ。倉田の事、何も言わねぇんだから」

「兼人がミスすれば、それはコンビのミスだから」

だから、お前には敵わないんだ。倉田は今頃、泣いてるんだろうな。大塚は坂下の背中を優しく叩いた。

「とりあえず、メシでも行くか。お祝いだ」


 「ちょっと、あれってお父さんの働いてるお店でしょ?」

娘が珍しく話しかけてきた。

「……あぁ」

テレビでは店のロケ映像が流れていた。

「『コールスロー』来てたんなら、サインもらってきてよー」

「そんなにあのコンビ、有名なのか」

「そうだよ、去年賞取ってるし」

「直接は会ってないからな」

娘は父親が元芸人とは知らない。言いたくなかったし、もう思い出したくもなかった。引退してからはバラエティすら見てこなかった。

「そんなに面白いのか、そのコンビ……」

 「倉田さん、俺ら一つずつ食べたいんで、お願いします」

「もう、しょうがないなぁ」

「いや、何でいっつも俺たちだけ半分ずつなの?」

「坂下くん、ほら」

「いる?毎回、おじさんがおじさんに食べさせるの」

テレビ画面では、ロケ映像をスタジオで見ていたフィヨルドがロケのお土産というハンバーガーを半分に分けている。

「毎回、恒例だから」

「……じゃあ、倉田くん」

坂下は倉田にハンバーガーを食べさせた。

「美味しい!」

「やっぱりこれ、いらないですよね」

「フィヨルドは仲いいから」

「お二人しか出来ませんよ、俺ら絶対嫌ですもん」

「いや、俺も嫌だよ」

「倉田、美味しい?」

「美味しいです!」

コマーシャルが流れた。

「倉田、ウケる」

倉田の奴、太ったな。すっかりテレビに染まりやがって。

「なぁ、このフィヨルドってコンビ、有名なのか?」

「お父さん知らないの?倉田はロケ面白いし、坂下はこないだドッキリかかっててウケた」

あのぼんやりがドッキリねぇ。

「じゃあ、もうネタなんかやってないんだろ」

「毎年、単独ライブやってるよ。この番組でも宣伝してるもん。ライブのポスターが毎回かっこいいんだよねぇ。坂下が考えてるらしいけど」

そういえば、あいつ、昔から服が好きだとか言ってたな。

 コマーシャルが終わると、坂下が前に出ていた。

「続いては、こちらのコーナーです」

あのぼんやりが今では司会やってるのか。

「あんなグダグタなネタで勝ち上がりやがって!ナメてんだろ、芸人の事!ふざけやがって!」

俺は馬鹿だった。芸人をナメている奴が、こうしてコーナーの司会を任されるほどに売れている訳がない。俺は、辞めて正解だったんだ。

「倉田くん、ないなら次に行きますけど、いいですか?」

「……いいです」

「ちょっと、もうちょっとボケてくださいよ」

「そういうのは、もう、そっちでやって」

「坂下さん、いいんですか?」

「倉田くん、アドリブ弱いんで。コールスローに任せます」

「ズルいですよ!」

坂下はニコニコしていた。

「…………」

あの頃のあいつは、笑っていなかった。いや、俺の前で笑った事は一度もなかった。

「……そうか」

やっぱり、俺は芸人には向いていなかったのだ。あいつの笑顔は、まるで太陽のように穏やかだった。


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